第54話 俺がAL1-SAだ
『ふたりのまんなか』タイアップのリミノのミニライブ当日。
私は会場に来ていた。
もちろん、AL1-SAとして呼ばれているわけではない。
というか、今の状況で私がこの場にいること自体、先方からすれば論外だろう。
名前を出すだけで燃える。
ましてや、関係者席にいるなどあり得ない。
ただ、疑惑のAL1-SAは古参のバ美肉Vだ。
中身はおじさんと思われている。
だから、私が現地にいても誰もAL1-SAだとは思わないだろう。
というわけで、私はオーディションのときと同じく、咲夜の関係者として会場に入ることにした。
咲夜には、やめておいた方がいいんじゃないかと心配された。
今のAL1-SAは、リミノの一部ファンから親の仇みたいに嫌われている。
ライブ会場は決して、居心地のいい場所ではないだろう。
それでも、私は引かなかった。
リンからのDMを咲夜に見せて、あかりの考えも含めて全部話した。
「どうしても心配なんだ。現地にいかせてほしい」
そう頼むと、咲夜はしばらく黙っていた。
それから、小さくため息をつく。
「……分かった。でも、絶対に無理はしないで」
咲夜が折れてくれたのは、たぶん私のためだけではない。
咲夜自身も、リミノの三人が心配だったのだと思う。
今の私は中学校の制服を着ている。
少しでもAL1-SAの印象から遠ざけようと思ってのことだ。
その目的だけで言えば、たぶん成功している。
ただ、イベント会場で制服姿の中学生は、それはそれで目立つ。
この選択が正解だったのかどうかは、正直よく分からない。
まあ、それでもAL1-SAだと疑われるよりはましだ。
会場には、リミノのファンだけではなく、『ふたりのまんなか』のファンも多かった。
その中を歩いていると、あちこちから小さな声が聞こえてきた。
「第一話、良かったんだけどな」
「ユイネの声、思ったより合ってた」
「だから余計にショック」
「枕とか、そういう話で見たくなかった」
「作品までそういう目で見られるの、嫌だよね」
足が止まった。
悪意ではなかった。
むしろ、好きだからこその落胆だった。
楽しみにしていた。
信じたかった。
でも、疑ってしまう。
その失望が、ロビーの空気に薄く混じっていた。
違う。
そう叫びたかった。
この作品を、彼女たちを、そんな目で見ないでほしい。
ユキはユイネを。マユはユリカを。リンはナギサを。
それぞれ、自分の声で掴んだのだ。
立ち尽くしていたせいで、横から来た女性に肩がぶつかった。
「あっ、すみません」
慌てて頭を下げる。
相手は、二十代くらいの女性だった。
鞄には『ふたりのまんなか』の小さなキーホルダーがついている。
「大丈夫? 気分悪い?」
「いえ、大丈夫です。すみません」
「そっか。今日、ちょっと空気悪いもんね」
女性は苦笑した。
「ショックだよね。あんなこと書かれたら」
胸の奥が、ぎゅっと縮んだ。
「……そう、ですね」
「私、原作のファンなんだけど。第一話も良かったし、リミノの子たちも悪くないなって思ってたから、余計にね」
女性はステージの方を見た。
「本当じゃないといいな」
その言葉は、責めるものではなかった。
だから、余計につらかった。
あんなの嘘だ。
あの子たちは悪くない。
喉まで出かかった言葉を、私は飲み込んだ。
「……私は、信じてます」
それが、今の私に言える精一杯だった。
女性は小さく笑って、友人らしき人の方へ戻っていく。
私はその背中を見送ることしかできなかった。
言い返せない。
否定できない。
その事実が、スマホの画面で見るどんな言葉よりも重かった。
今の私は、咲夜についてきただけの一般人でしかない。
目の前で傷ついている彼女たちに、何ひとつ手を伸ばせない。
関係者席で隣に座る咲夜は、開演前からずっと膝の上のハンドマイクを握っていた。
咲夜はこのあと、原作者としてステージに呼ばれる予定になっている。
けれど、スタッフから渡されたマイクを握る指先は、登壇前の緊張とは少し違って見えた。
私のことも心配している。
それでも咲夜の視線は、ずっとステージの方へ向いていた。
今からあそこに立つ三人のことを、考えているのが分かった。
「さっき、三人に会ってきた」
咲夜が、小さな声で言った。
「みんな、笑ってた。でも、かなり無理してた」
「……そっか」
「今日は、無事に終わってほしい」
咲夜は、ステージの方を見た。
膝の上に置いていたハンドマイクを、両手でそっと胸元まで持ち上げる。
まるで、祈るみたいに。
イベントは、予定通り始まった。
司会者が登壇し、『ふたりのまんなか』の第一話放送と、今日のミニライブについて説明する。
客席は埋まっていた。
けれど、開演前のざわめきは、普段のそれとは少し違っていた。
リミノを応援しに来た人もいる。
原作が好きで、アニメ化のイベントを見届けに来た人もいる。
その一方で、例の記事を知った上で、何が起きるのかを見に来ている人間も混じっている。
そう感じてしまうのは、私が気にしすぎているからだろうか。
「それでは、Liminal Notesの皆さんです」
拍手は起きた。
けれど、音はばらばらだった。
手を叩きながらも、客席の視線はどこか探るようにステージへ向いていた。
ユキ、マユ、リンがステージに出てくる。
三人は笑っていた。
けれど、その笑顔はどこか硬い。
ユキはいつも通り前を向いている。
マユは少し控えめに手を振っている。
リンは、誰よりも丁寧に笑っていた。
自己紹介。
それぞれが演じるキャラクターについて。
司会者の振りに、三人はきちんと答えていく。
言葉に詰まることはない。
場を止めるような沈黙も作らない。
ただ、会場がついてこない。
司会者が冗談めかして話を振っても、返ってくるのは小さな笑いだけだった。
普段なら笑い声が広がりそうなところで、客席の反応が半拍遅れる。
誰も、楽しんではいけないとまでは思っていない。
でも、素直に楽しむには、余計なものが混じりすぎていた。
第一話の話題になった時だけ、客席が少しだけ動いた。
作品の話になると、何人かが小さく頷く。
前の方にいた原作ファンらしき女性客も、そこでようやく表情を緩めた。
みんな、『ふたりのまんなか』を嫌いになったわけではない。
リミノを否定しに来たわけでもない。
それでも、疑惑の影は消えない。
笑っていいのか。
応援していいのか。
信じていいのか。
その迷いが、客席の反応を鈍らせていた。
隣を見ると、咲夜は何も言わずにステージを見つめていた。
キャストトークが終わる。
司会者が、少し明るい声で告げた。
「それではここで、Liminal Notesの皆さんに、アニメ『ふたりのまんなか』オープニングテーマ『ひだまりの約束』を披露していただきます」
会場から拍手が起きた。
けれど、その拍手にも、どこか探るような響きがあった。
三人が立ち位置につく。
ユキが中央。
マユが少し下手。
リンが上手。
照明が変わる。
ピアノの前奏が流れ出した。
ウタが作った曲。
私が仮歌を入れた曲。
リミノの三人が、自分たちの歌にした曲。
『ひだまりの約束』。
本来なら、明るくて、柔らかくて、三人が並んで歩いていくような歌だ。
ユキが歌い出す。
声は出ていた。
むしろ、出すぎていた。
強い。
前に出ている。
誰にも隙を見せないように、最初の一音から踏み込んでいる。
ユキらしい。
けれど、硬い。
マユが続く。
柔らかい声が入るはずの場所で、ほんの少しだけ遅れた。
遅れた分を取り返そうとして、次の音が浅くなる。
ユキの声に寄り添うはずのラインが、少し後ろに下がってしまう。
曲は進んでいる。
リンが重なる。
最初のハモリは、出ていた。
控えめで、でも消えない声。
二人の間にそっと置かれる声。
でも、その声はいつもより細かった。
リンが自分の声を小さくしているのが分かった。
目立たないように。
邪魔しないように。
ユキとマユを支えることだけを考えている。
違う。
それは支えじゃない。
自分を消しているだけだ。
サビへ向かう直前。
三人の声が重なるはずの箇所で、わずかに呼吸がずれた。
ユキが先に出る。
マユが追いかける。
リンが、入れない。
伴奏だけが進む。
ほんの一拍。
たったそれだけの空白だった。
でも、その一拍で、ステージ上の空気が変わった。
ユキの目が揺れる。
マユがリンを見る。
リンは笑顔のまま、口を開く。
声が出ない。
出そうとしている。
喉も動いている。
歌詞も口の形になっている。
でも、音にならない。
客席が、ざわりと揺れた。
誰かが大きな声を出したわけではない。
けれど、空気が一瞬で硬くなったのが分かった。
前の方の席で、ペンライトの動きが止まる。
隣の客同士が小さく顔を見合わせる。
ステージ脇のスタッフが、反射的に一歩動きかけて、止まる。
曲は止まらない。
伴奏は進む。
照明も動く。
ステージは、止まってくれない。
ユキが、とっさに声を張った。
リンの抜けた部分まで、少しでも埋めようとしたのだろう。
けれど、その分、ユキの声がさらに硬くなる。
マユが合わせようとして、息を乱す。
今度は、マユの入りまで危うくなった。
歌の輪郭が、少しずつ崩れていく。
それでも三人は止まらない。
止まれない。
観客は見ている。
カメラも回っている。
ステージの上で止まることは、失敗を認めることになる。
ユキは前に出る。
マユは追いかける。
リンは、声の出ない口で歌い続ける。
曲そのものは流れている。
けれど、三人の歌だけが、ステージの上でほどけていく。
私は、手を握りしめていた。
今の私は、ただの観客だ。
咲夜についてきただけの部外者。
だから、黙って見ているしかない。
そう思おうとした。
でも、リンはまだ歌おうとしていた。
声が出ないまま。
笑顔を崩さないまま。
失敗したことは、本人が一番分かっているはずだった。
それでも、ステージの上で膝をつくわけにはいかない。
音にならない口で、次の歌詞を追いかける。
届かない声で、それでも歌にしがみついている。
その顔を見た瞬間、あのDMが頭をよぎった。
『できれば、私一人でお伺いできませんか』
『ユキさんとマユには、まだ言わないでください』
自分が悪者になれば。
自分が切られれば。
自分が消えれば。
ユキとマユは守れる。
そんな考えが、もしリンの中にあるのなら。
ここで声を失うことすら、彼女は自分への罰みたいに受け入れてしまうかもしれない。
駄目だ。
それだけは、駄目だ。
そして、私は知っている。
この曲を知っている。
どこでユキの声を支えればいいのか。
どこでマユの息を拾えばいいのか。
どこでリンの声が戻ってくる場所を作ればいいのか。
仮歌を入れたのは、私だ。
支えられる。
今なら、まだ間に合う。
それなのに、私は座っている。
舞台には、立たない。
そう決めていた。
AL1-SAとして、一度だけ舞台に立ったことはある。
けれど、それ以降、私はあの場所を避けてきた。
あそこは、覚悟を持った人間が立つ場所だ。
ライトを浴びて。
客席の視線を受けて。
失敗も、恐怖も、逃げ場のなさも、全部引き受けて。
それでも、最後まで立ち続ける人たちの場所だ。
私が中途半端な覚悟で入り込んでいい場所ではない。
――でも。
舞台は自分の居場所じゃないから。
部外者だから。
ここで動けば、この先どうなるか分からないから。
そんな理由を並べて、目の前で観客の視線にさらされているあの子たちを見捨てるのか。
自分は安全な客席に座ったまま。
平穏な場所にいたまま。
あとで、仕方なかったと言うつもりなのか。
そんなに、自分が大事か。
南雲アリサ。
次のフレーズで、リンの口がまた動いた。
けれど、声は出なかった。
その瞬間、私は立ち上がっていた。
「アリサ」
咲夜の声がした。
私は振り返る。
咲夜も立ち上がっていた。
その手には、原作者として登壇するために預けられていたマイクがある。
咲夜が、マイクを差し出す。
行って。
そう言われた気がした。
私は咲夜の手から、マイクを受け取る。
重かった。
マイクとしての重さじゃない。
咲夜が預けたもの。
ステージに立つ人たちが背負っているもの。
その重さを手のひらに感じる。
曲はまだ進んでいる。
ユキが声を張っている。
マユが必死に追いかけている。
リンは、声の出ない口で歌い続けている。
私は息を吸った。
「――っ」
最初に出した音は、ほとんど息みたいなものだった。
それでも、マイクは拾った。
客席が、ざわりと揺れる。
誰かがこちらを見た。
スタッフが動く気配がした。
見知らぬ制服姿の少女が、突然歌い出したのだ。
困惑するのは当然だった。
でも、私が今見るべきなのは客席じゃない。
舞台の上の彼女たちだ。
次の一音で、私はいっきに曲の中へ入る。
ユキの声の下に、そっと芯を置く。
マユの乱れた息に、次の入り口を作る。
リンが戻ってこられる場所を、空けておく。
歌を奪うんじゃない。
戻す。
リミノの歌を、三人の手に戻す。
私は歌いながら、舞台へ向かった。
一歩。
もう一歩。
ステージ袖から、ライトの下へ出る。
その瞬間、照明がまぶしく目に刺さった。
客席からの視線が、全身に集まる。
ざわめきが、さっきよりもはっきり大きくなった。
私は、異物だった。
このステージに予定されていなかったハプニング。
『ふたりのまんなか』のミニライブに突然入り込んだ部外者。
それでも、足は止めない。
ユキがこちらを見る。
マユが目を見開く。
リンの瞳が揺れる。
驚き。
戸惑い。
それから、ほんの少しだけ、縋るような色。
私は歌いながら、小さく顎を上げる。
戻ってこい。
声には出さない。
けれど、そう伝えるつもりで歌った。
リンの唇が、もう一度動く。
今度は、かすかな音が乗った。
細い。
震えている。
けれど、確かにリンの声だった。
ユキの声が、ほんの少しだけ緩む。
マユが息を取り戻す。
三人の歌が、崩れかけた場所から、もう一度形を取り戻していく。
私はマイクを握ったまま、三人の斜め後ろに立った。
前には出ない。
この歌は、リミノの歌だ。
ユキの強すぎる声を、下から支える。
マユが迷った場所には、次の音の輪郭を置く。
リンが戻ってこられるように、ほんの少しだけ隙間を空ける。
出すぎない。
奪わない。
でも、消えない。
リンが、もう一度息を吸った。
今度は、声が出た。
震えている。
細い。
それでも、確かにリンの声だった。
その瞬間、ユキの張り詰めていた声が少しだけほどける。
マユも、次のフレーズで呼吸を合わせ直した。
三人の声が、もう一度重なる。
そこに、私の声が混ざった。
ユキが道を作る。
マユが色を置く。
リンが影を足す。
私は、その後ろにそっと手を添える。
落ちないように。
消えないように。
三人が、もう一度自分の足で立てるように。
視界の端に、咲夜が見えた。
舞台袖に近い位置で、咲夜は立ち尽くしている。
さっきまでマイクを握っていた手は、胸の前で強く結ばれていた。
私は歌に戻る。
最後のサビ。
ユキが前を向く。
マユが隣を見る。
リンが、もう逃げないようにマイクを握る。
そこに、私の声が重なる。
四人で歌う『ひだまりの約束』。
本来の形ではない。
予定された演出でもない。
でも、今のリミノにとって精一杯の形。
サビの終わり。
落ちるピアノの音。
最後に四人の声がそっと重なって、曲が終わる。
一瞬、会場が静まり返った。
けれど、すぐに拍手が起きた。
一人。
それから、二人。
やがて、会場全体へ広がっていく。
最初のまばらな拍手とは違う。
今の歌を聞いて心を動かされた人たちによる拍手だった。
ユキが、荒い息のままこちらを振り返る。
マユも、目を見開いたまま私を見ている。
リンは、マイクを握った手を震わせていた。
「あなたは仮歌の……?」
最初に声を出したのは、ユキだった。
私は頷く。
三人の目が、さらに大きくなる。
ずっと音源越しにしか聞いていなかった声が、いきなり同じステージの上にいるのだから、当然だ。
でも、今はそれを説明している場合じゃない。
私は舞台袖の咲夜を一度だけ見た。
咲夜は何も言わない。
ただ、胸の前で握っていた手をほどき、小さく頷いた。
それだけで十分だった。
私はマイクを握り直し、客席へ向き直る。
「今の歌を聞いて、分かっただろう?」
会場が、ざわりと揺れた。
「この子たちは、実力で選ばれた。『ふたりのまんなか』にふさわしいキャストだ」
ユキが息を呑む。
マユが少しだけ肩を揺らす。
リンは、俯きかけた顔を必死に上げていた。
「危なっかしいところもあった。完璧じゃなかった。途中で崩れかけた」
私は続ける。
「でも、それも含めて、原作の三人の姿によく似ていると思わないか?」
ユイネ。
ユリカ。
ナギサ。
まっすぐ前に進もうとして、力が入りすぎる子。
追いつこうとして、少し遅れてしまう子。
支えようとして、自分を消しかける子。
それでも、三人で同じ場所へ戻ってくる。
「この子たちは、今の歌で証明して見せたんだ!」
会場が、どっと沸いた。
拍手が起きる。
声が上がる。
私は、その音を聞きながら、軽く息を吐いた。
「あー……うん。分かってる」
マイクを持ち直す。
「お前は誰なんだよ、って話だよな」
会場のざわめきが、別の色に変わった。
「こう見えても、俺はこの作品に無関係なわけじゃない。公式の同時視聴枠にも呼ばれたし、原作の咲夜とは付き合いが長い。キャラの話もした。原稿も少し手伝った。あと、この曲の仮歌も入れた」
ざわめきが大きくなる。
たぶん、私の声を知っている人がいる。
配信を見ていた人がいる。
同時視聴枠を覚えている人がいる。
私は息を吸った。
もう戻れない。
でも、それでいい。
私は、大きく息を吸い込んでから宣言した。
「俺がAL1-SAだ!」
一瞬、会場の音が消えた。
「……え?」
「AL1-SA?」
「嘘でしょ」
ざわめきが、波みたいに広がっていく。
ユキが固まっている。
マユは、口を半開きにしたまま私を見ていた。
リンは、泣きそうな顔で、それでも目を逸らさなかった。
私はマイクを握り直す。
「バ美肉おじさんだと思ったか! 残念だったな、中身も美少女だ!」
私は指を突き上げた。
客席のあちこちで、息を呑む声がした。
私はその勢いのまま、客席を見た。
「だから言わせてもらう」
会場のざわめきが、少しだけ引く。
「こんな美少女の俺様に、枕なんているかーーーー!!」
今度こそ、会場が爆発した。
困惑。
笑い。
悲鳴みたいな声。
いろんなものが混ざって、ステージにぶつかってくる。
ステージ脇では、スタッフが完全に困っていた。
司会者も、どう入っていいのか分からない顔をしている。
当然だ。
予定にない人間が乱入して、歌って、名乗って、好き勝手に喋っている。
事故である。
完全に事故である。
「あー……ええと……」
私は、マイクを持ったまま司会者に向かって頭を下げた。
「突然の登壇、大変申し訳ありません」
会場から、小さな笑いが漏れる。
「関係各所には、あとで怒られときます」
笑いが起きた。
よし。
言うべきことは言った。
正体も明かした。
最低限、リミノの歌も守れた。
なら、あとは大人しく怒られよう。
「じゃあ、俺はこのくらいで……」
そう言って、ステージ脇へ下がろうとした、その時だった。
「AL1-SAさん!」
リンの声が、私を呼び止めた。
思わず振り返る。
リンは、まだ目元を赤くしていた。
それでも、さっきまでのように自分を消そうとはしていなかった。
「この曲、歌えますよね?」
「え?」
次の曲のイントロが、会場に流れ始めていた。
リミノの持ち歌『放課後のノート』。
今日のミニライブで披露する予定だった曲。
「えっと、歌えるけど……?」
なんなら、振り付けも完璧に踊れる。
「じゃあ」
マユが一歩前に出た。
目元はまだ赤い。
それでも、声はまっすぐだった。
「一緒に歌いましょう!」
「いや、ちょっと待って」
ユキまで、こちらを見る。
「お願いします」
「ユキちゃんまで!?」
「さっきは、支えて貰うばかりでした。だから今度は、ちゃんと一緒に歌いたいんです」
逃げ道がない。
三人がこちらを見ている。
客席もこちらを見ている。
司会者も、なぜか少し期待した顔をしている。
舞台袖で、咲夜が微笑んでいた。
舞台に割り込んだ責任を果たせという表情だ。
もう、イントロは始まっている。
「……分かったよ」
ユキが頷く。
「はい」
マユも頷く。
「お願いします」
リンは少し遅れて、でも、今度は逃げなかった。
「一緒に、お願いします」
司会者が、混乱をなんとか飲み込んだ顔でマイクを持ち上げた。
「そ、それでは、Liminal Notesと……AL1-SAさんで、『放課後のノート』です!」
会場が沸いた。
今度は、リミノの三人が前に出る。
中央にユキ。
その隣にマユ。
リンは半歩だけ下がって、それでも顔を上げていた。
私は、その斜め後ろに立った。
さっきと同じ位置。
けれど、さっきとは違う空気。
リミノと私の歌が始まる。
最初の一音で、中央の声が前へ出た。
さっきみたいに、力任せに押し出す声じゃない。
伴奏の上にしっかり乗っていた。
隣の声が続く。
今度は遅れない。
誰かの後ろに隠れるのでもなく、横に並ぶように音を置いていく。
半歩後ろのリンは、一瞬だけ息を詰めた。
それでも、逃げなかった。
細い声が、音の中へ入る。
まだ震えている。
けれど、消えない。
私は、その後ろに自分の声を重ねた。
遠慮はしない。
手も抜かない。
誘われたのだ。
このステージに、リミノの三人から。
だったら、半端な声で立つわけにはいかない。
私はマイクを握り直し、曲のビートに体を合わせた。
振り付けは知っている。
何度も見て、参考にして踊った。
音源に合わせて体が勝手に動くくらいには、頭に入っている。
先頭が踏み出すタイミングに、一歩遅れて合わせる。
隣が手を広げる場所では、斜め後ろからラインを作る。
半歩引いた場所が空白にならないように、声と動きで支える。
ただの支えじゃない。
四人目として、歌う。
四人目として、踊る。
それでも、主役を奪わない。
三人の声が前へ、横へ、奥へと広がっていく。
そこに、私の声が重なる。
低く支えるところでは下から。
跳ねるところでは少し強く。
サビ前の入りでは、三人が迷わないように輪郭を置く。
会場の空気が変わっていくのが分かった。
さっきまでの驚きも、困惑も、まだ消えてはいない。
けれど、それでも客席は今、ステージを見ていた。
リミノの三人を。
そして、その後ろで歌って踊る、私を。
最後のサビ。
三人の声が、それぞれの場所から伸びていく。
私は、その全部を落とさないように声を重ねる。
もう崩れない。
誰か一人が支えているんじゃない。
四人の声が、互いに引っ張り合っている。
最後の振りで、動きが揃った。
中央が前を向く。
隣で笑う。
半歩後ろにいたリンが、今度は自分の足で前に出る。
そこに、私の声が重なったまま、最後の音が伸びる。
Liminal Notesと、AL1-SA。
四人の声で、会場に届く。
曲が終わった瞬間、大きな拍手が起きた。
三人が頭を下げる。
リンは一瞬だけ遅れて、それでも深く頭を下げた。
私は、その後ろで小さく息を吐いた。
ああ。
届いた。
ちゃんと、届いた。
ポケットの中で、スマホが震えている。
一度ではない。
二度、三度。
それどころか、ずっと止まらない。
ウタ。
あかり。
母さん。
事務所。
関係者。
この舞台はライブ配信されている。
たぶん、今ごろありとあらゆる場所で、私の名前が燃えているだろう。
けれど、私はスマホを取り出さなかった。
今だけは、見ない。
私は拍手の中で顔を上げる。
後悔は、ない。
今も、あの時も。
※よろしければブックマークや評価で応援していただけると励みになります。
ここまで読んでくださってありがとうございました!
夏コミ準備をするため、いったん更新はここまでになります。
頒布しているのは成年向け作品のみですが、
気になった大人の方は8/16(日)東2タ20a Story Circle にてお願いします。




