表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
TS転生幼女のサバイバル配信生活  作者: 瀬戸こうへい
第一章 生まれ変わった俺の居場所

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
3/45

第3話 はじめてのおつかい

 カミングアウトの後、美結は目に見えて緩くなった。

 正確には、俺への遠慮や配慮がごっそりと抜け落ちたのだ。


 どこへ行くのか、いつ帰るのか。説明は省かれ、予定は不透明になった。

 身の回りの世話も目に見えて減り、「アリサちゃんなら大丈夫」という言葉が免罪符のように繰り返される。


 彼女にとって、それは信頼の証。

 俺にとっては、判断と責任の丸投げに他ならない。


 自分で飯を食い、水分を摂り、排泄も管理できる。

 だから放置しても構わないという理屈。

 世間一般の常識に照らせば、弁解の余地なく一発アウトだが。


 もっとも、俺の中身はアラサーの男だ。

 赤ん坊のガワを被っているだけで、独りでの留守番など造作もない。


 ――そんな風に、俺は過信していた。


 しかし、ある日。俺は、文字通り窮地に陥った。

 レトルトの離乳食が、切れてしまったのだ。


 棚を開けても、引き出しを覗いても、そこには空虚な空間が広がるのみ。

 最後の一つを食べ終えた瞬間、背中に冷たいものが走った。


「……これは、まずい」


 買ってきてほしいと頼んでいたはずだった。

 だが、気が付けば美結の姿はない。テーブルの上には一枚のメモ。


『カレシに呼ばれたから行ってくる。お金置いとくから、これで何か買って食べてね』


「……買えりゅかーっ!」


 俺は思わず叫んだ。

 身長八十センチにも満たない、よちよち歩きの幼女だぞ。

 こんなのが一人で外を歩いていたら、即通報案件だ。


「……さて、どうちよう」


 怒っていても腹は膨らまない。

 お金を置いていっただけ、まだマシだと思うことにする。


 美結の帰宅は、カレシの気分次第だ。

 下手をすれば、数日戻らない可能性もある。


 水と食糧の在庫は、ほぼゼロ。

 ネット通販を使えればよかったが、この家には回線が来ていない。


「……詰んだ」


 工夫すれば水道水は飲める。

 水は何とかなる。

 だが、カロリーがない。

 唯一、視界に入るのは美結が買い溜めている酒のストックだけだ。


「餓死するよりは、ましかなぁ……」


 体へのダメージを考えるとアルコールは避けたいが、生死の境を彷徨う事態になったらやむを得ないか。


 それでも、何もできなかった頃とは違う。

 幸い、俺の足はもう動くのだ。


「買い物に行く!」


 俺は万札を服にねじ込み、外出することにした。


 まず、第一関門であるドアロックを見上げる。

 踏み台代わりの箱を必死に引きずってきてその上に乗り、限界まで背伸びをする。

 プルプルと震える指先で、ようやくロックを弾き飛ばした。


 よし、と心の中で小さく拳を握り、箱から降りる。

 次に、玄関に転がっていたおもちゃのように小さな靴に足を突っ込んだ。


 そして、自分の頭より高い位置にあるドアノブへ、飛びつくように両手でぶら下がる。

 ぐっと体重を預けると、がちゃり、と勝利の音が響いた。


 鉄の塊のような玄関ドアは、幼児の身体にはあまりに重かったが、俺は歯を食いしばり、全身の力でそれを押し開けた。


「家の出入りは……大丈夫そうだな」


 廊下に出て、外側からもドアの開閉ができることを確認しておく。


 近所のスーパーには、美結と何度か行ったことがある。

 道順は覚えている。


「……あっ」


 鍵を持ってない。


「……日本の治安を信じるしかないか」


 それ以外にも、問題は山積みだ。

 本当に買い物ができるのか。

 店に行き、必要な物を選び、支払いを済ませ、家まで無事に持ち帰ることができるのか。

 そう迷っていたとき、隣の部屋のドアが開いた。


「え……?」


 顔を出した女性は、そのまま固まっていた。

 幼女が一人で廊下に立っていれば、当然の反応だ。


 だが――俺にとっては千載一遇のチャンスだった。


「あの……少々困っておりまちて……ご都合がよければなんでちゅが、助けていただけませんでしょうか?」


 あざといわけではない。単に舌が回らないだけだ。

 そして、四十五度の最敬礼。


「ええ……時間は大丈夫なんだけど……」


「失礼ちました。自己紹介もせずに。私は南雲アリサ。隣の部屋に住んでいる者でしゅ」


「わ、私は黒瀬咲夜くろせ・さくやです」


「咲夜さんですね。ご丁寧にどうも。それで、いかがでしょう? ご相談に乗っていただけるとありがたいのでちゅが……」


「ひとつ、聞いてもいい?」


「はい」


「あなた、何歳?」


「先日、一歳になりまちた」


「……歳の割に、ずいぶんしっかりしてるようだけど?」


「子供の成長には、個人差がありまちゅから」


 戸惑っているのが伝わってくる。まあ、無理もない。

 結果的に、俺は咲夜の協力を取り付けることに成功した。



 玄関に置いてあったベビーカーに乗せてもらい、二人でスーパーへ向かう。


 ベビーカーの低い視点からは、道行く大人たちの膝から下しか見えない。世界がやけに広く、やけに速い。横断歩道の白線一本が、小さな体には跳び箱のように見えた。


 前世では何の感慨もなく歩いていた通学路程度の距離が、今の俺にとっては冒険そのものだ。道路の段差、自転車の風圧、犬の鳴き声。すべてが脅威であり、すべてが新鮮だった。


 スーパーへ向かう道すがら、咲夜はベビーカーを押しながら、どこか落ち着かない様子だった。

 話しかけていいのか、放っておくべきか。迷っているのが、歩調から伝わってくる。

 なら、こちらから行く。


「咲夜しゃん」


「えっ、あ、はい」


 直後に「あ、いや」と彼女は小さく首を振る。

 どうやら小さい子供と接するのに慣れていないらしい。


「……なに?」


「咲夜しゃんは、お仕事はなにしてるんでしゅか?」


 俺は無邪気を装って尋ねた。

 平日の昼間に家にいて、急な頼み事にも対応できる。

 学生か、フリーランスあたりだろうか。


「え、私? 私は……その、絵を描いてるの……漫画、とか」


「まんがかしゃん! すごいでしゅ!」


 俺が手を叩くと、咲夜は少し照れくさそうに、でも自嘲気味に笑った。


「すごくないよ。まだまだ駆け出しだし……」


「ちなみに、どんなジャンルを描かれるんですか?」


「え、えっと、それは……そ、そうだ。君はどんなアニメが好き? アンパンさんとか?」


 見事に話を逸らされた。

 もしかして、口に出すのが憚られる系のジャンルなのだろうか。

 ……まあ、いい。


「私は『こち鶴』とか『パンダー×パンダー』とか好きでしゅね。後は『オネピース』も最近のまで読んでまちゅ」


「……一歳児が読むラインナップじゃなくない?」


 咲夜がツッコミを入れるが、俺は止まらない。


「最近のラノベ原作ものも悪くないでしゅが、やはり骨太なストーリー構成と、緻密な書き込みがある作品に惹かれましゅね」


「へー……」


 咲夜の顔が、目に見えて引きつっている。

 俺は、これ以上続けるのはやめておくことにした。


「改めてでしゅが、助けていただいてありがとうございまちゅ」


 俺は、ぺこりと頭を下げた。

 咲夜はしばらく呆然としていたが、やがてふっと力を抜いて笑った。


「い、いえ。こちらこそ……どういたしまして」


 この人、いい人だ。

 わけのわからない幼児の言動を、否定せずに受け止めてくれている。


「……あのさ」


 今度は、タメ語。


「ほんとに、その……一人で大丈夫なの?」


「はい。生活面は問題ありまちぇん」


「……生活面」


 小さく笑ってしまったらしい。すぐに口元を手で覆う。


「ご、ごめん。変な意味じゃなくて……さっきの漫画の話といい、君、すごく大人びてるなって」


「だいじょうぶでしゅ。中身はおっさんでしゅから」


「あはは、冗談がきついなぁ」


 冗談ではないのだけれど。



「ここでしゅ」


 話をしていると、目的のスーパーが見えてきた。


「うん……じゃ、行こうか」


 自動ドアをくぐった瞬間、冷房の効いた乾いた空気が全身を包み込んだ。

 整然と立ち並ぶ什器。白く、無機質な明るさの蛍光灯。


 ここからが本番だ。

 ベビーカーの低い視点では全体を見渡せないが、売場のレイアウトはすべて頭に入っている。


「まず、こっちでしゅ」


「え? あ、うん」


 俺が指差した方向へ、咲夜がカートを押す。

 まずは離乳食コーナー。

 ずらりと並んだパウチや瓶詰めを前に、俺は淀みなく判断を下していく。


「これと、これ。こっちのメーカーは添加物が少なくて、味のバリエーションも豊富でしゅ。今日はこのあたりをストック用に多めに」


「は、はい……」


 俺のあまりに迷いのない選択に気圧されたのか、彼女は言われるがままカゴに入れていく。

 そのままデザートコーナーの棚を通りかかると、彼女が「あ、これ美味しそう」と、一口サイズのカップに入ったミニゼリーに手を伸ばした。


「あ、それはダメでしゅ」


「えっ? これ、柔らかいし食べやすそうだよ?」


「それが罠でしゅ。こんにゃく入りは弾力が強すぎて、この喉の太さで詰まらせたら最後、自力では出せまちぇん」


「よく知ってるね……」


「育児の基本でちゅから。覚えておいて損はありまちぇん」


「……私には縁が無さそうだけど」


 彼女は少し複雑そうな顔をしたが、すぐに俺の次の指示を待つ体制に戻った。

 次は、お菓子コーナーだ。


「赤ちゃん用のおせんべい。硬すぎないやつを二袋入れてくだちゃい」


「……これ、おいしいの?」


 咲夜が不思議そうにパッケージを眺める。


「薄味で味気ないでちゅが……過剰な塩分や糖分は今のわたちには毒なので、背に腹は代えられまちぇん」


「……なるほど。健康第一ってことね」


 彼女は妙に納得した様子で、二袋をカゴに放り込んだ。

 最後に、粉ミルク売り場へ。


「フォローアップを一缶。今の月齢の栄養補給には、これが最適解でしゅ」


「……詳しいね」


「自分が飲むものなので当然でちゅ」


「そんなものなのかな? 赤ちゃんって、もっとこう……何も考えずに飲んでるイメージだったんだけど」


 咲夜は少し呆れたような、でもどこか感心したような顔で、重たい粉ミルクの缶をカゴに収めた。



 レジに並ぶ。

 俺は服の中にねじ込んでいた万札を取り出し、咲夜に渡した。


「お願いしまちゅ」


「うん」


 咲夜が会計を済ませてくれる。

 レジのおばちゃんが「あら、可愛い赤ちゃんねぇ」とこちらに手を振ってきた。

 俺は営業スマイルで応じる。

 「ばぶー」くらい言っておいた方がいいだろうかと一瞬考えたが、やめた。

 プライドの問題だ。


 袋詰めされた食糧をベビーカーの荷物入れに積み込む。離乳食のパウチ、粉ミルクの缶、赤ちゃんせんべい。たったこれだけの物資が、今の俺にとっては生命線だった。


「トイレットペーパーとティッシュ……」


 帰り道、整然と積み上げられた日用品の棚の前を通りかかり、俺は思わず独り言を漏らした。


 ――本当なら、喉から手が出るほど欲しい。


 備蓄はすでに心許ないレベルだ。

 消耗品は、切れた瞬間に生活の質を劇的に低下させる。

 地味に致命傷になりかねない。


「……買うの?」


 咲夜が聞いてくる。


「今回は、見送りまちゅ」


 俺は断腸の思いで、首を横に振った。


「え? 足りないなら買っちゃえばいいのに」


「今日の最優先事項は、食糧の確保でちゅ。かさばると持ち運ぶのが大変でしゅので」


「……なるほど」


 咲夜は感心しているようだった。


「随分しっかりしてるんだね……」


「いのちが掛かってまちゅから」


「……重いなぁ」


 俺はもう一度、後ろ髪を引かれる思いで日用品の棚に視線を投げた。

 欲しいものと、このベビーカー一台で運べるものは違うのだ。


「あ、そういえば」


 咲夜が隣の棚を指差した。


「おむつは買わなくていいの?」


 そこには、お徳用の大型パックがずらりと並んでいた。

 俺は、表情ひとつ変えずに即答する。


「不要でしゅ。もうおむつは卒業しまちたから」


「……え?」


 咲夜が、固まった。


「そつぎょう……? まだ一歳だよね……?」


「がんばりまちた」


「頑張ったって……最近の赤ちゃんってみんなそうなの……?」


 目を白黒させる咲夜を尻目に、俺は視線を前方に戻す。


「……じゃあさ」


 生活用品コーナーを離れかけたところで、咲夜が足を止めた。

 少し迷うように視線を泳がせてから、こちらを見下ろす。


「後で、私が買ってきてあげようか? トイレットペーパーと、ティッシュ」


「……ありがとうございまちゅ」


 俺は、素直に頭を下げた。


「とても助かりましゅ」


「うん。そんなに重いものじゃないし」


 軽く言ってくれるのが、ありがたい。

 少し間を置いて、咲夜が続けた。


「でも……あれ? そういうの、買ってきてくれる人はいないの?」


 来た。

 一拍、考える。

 どう答えるのが一番角が立たないか。


「……いるには、いるのでちゅが」


「いるんだ」


「はい。ただ……」


 言葉を探す。

 正直に言えば、いくらでも言える。

 だが、それをこの人にぶつける必要はない。


「……あまり、頼りにならないというか……」


「……ああ」


 察しが早い。


「その……生活の細かいところまで、気が回らないタイプでちて」


「うん、なるほどね」


 深追いはしてこなかった。

 ただ、納得したように小さく頷く。


「じゃあ、なおさらだね。後で、私が持ってくるよ」


「本当に、ありがとうございまちゅ」


 今度は、少しだけ声が柔らかくなった。

 助けてもらえることそのものよりも、助けが必要だと理解してもらえたことが、ありがたかった。



 帰り道。

 ベビーカーが、再び動き出す。


 西日が長い影を伸ばしていた。行きよりも空気が少しだけ冷たい。

 荷物入れには、ずっしりと重い食糧が揺れている。たかが買い物。されど、この体にとっては生還に等しい。


 咲夜は、黙ってベビーカーを押してくれていた。

 気を遣って話しかけないのではなく、何を話せばいいのかわからないのだろう。その不器用さが、逆に心地よかった。


 ――この人は、信用できる。


 少なくとも、困っている相手をそのままにしておけない人だ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
面白いです!応援してます!ガンバってください!! 疑問ですが、母親は何故出産したんだろう?夫も居ないし、避妊して無くても降ろした方がいいと思うけど。あと育てる能力が致命的に無さすぎる、母親としての最低…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ