第25話 コイネガウ
「……ありちー、起きてー。給食の時間だよー」
体をゆすられて、俺――南雲アリサは机に突っ伏していた顔を上げた。
目の前には、心配そうな顔をしたヒナと、呆れ顔のウタがいる。
「……ん、ああ。ごめん、また寝てたか」
「また、じゃないわよ。一時間目からずっと爆睡してたじゃない。先生も『南雲さんは寝る子は育つを実践中ですね』って苦笑いしてたわよ」
ウタがジト目でため息をつく。
ヒナが俺の顔を覗き込んだ。
「ありちー、目の下にクマができてるよ? ゾンビみたい!」
「失礼な。これはクリエイターの勲章だ……と言いたいところだが、さすがにキツいな」
ここ数日、学校が終われば即帰宅し、咲夜の部屋に篭ってアシスタント作業。
深夜まで作業して、睡眠時間は授業中に補うという、極めて不健全な生活を送っていた。
「……何か作ってるの?」
ウタが小声で聞いてくる。
「クリエイターの勲章」という言葉で何かを察したらしい。彼女もまた、作曲という創作活動をしている身だ。
「ああ。ちょっと今、絶対に負けられない戦いの真っ最中でな」
「ふうん……あまり無理はしないことね。いいモノを作るには、休息も必要よ」
「そうだな」
俺は曖昧に笑って返した。
今は、無理をしてでも完成させる必要がある。
「……今は忙しいけど、もう少ししたら落ち着くから大丈夫だ」
給食当番が配膳を終え、号令がかかる。
今日の献立は、コッペパンとシチューに大豆の酢の物、そして牛乳だ。
「いただきます」
俺はパンをかじりながら、午後のスケジュールを脳内で組み立てる。
トーン貼りの残りと、配信の準備。時間が足りない。
「ありちー大丈夫……? もしパン食べれないなら、もらってあげるよ!」
ヒナが目を輝かせる。
「それ、心配じゃなくてヒナが食べたいだけでしょ」
ウタの冷静なツッコミを聞きながら、俺は牛乳のストローに口をつけた。
◇
給食後の昼休みは、秘密基地でうつらうつら。
その後、掃除をすればもう放課後だ。
集団下校で帰宅した俺は、ランドセルを家に放り投げると、すぐに隣のインターホンを押した。
「……おつかれ、師匠ぉ……」
出てきた咲夜は、すでに幽鬼のような顔色だった。
「顔色が悪いぞ。ちゃんと寝てるか?」
「三時間は寝たよぉ……それより、配信の時間だねぇ……ふぁぁ……」
今日はVTuber『AL1-SA』と『SA9-YA』の合同配信の日だ。
修羅場の真っ最中ではあるが、生存報告も兼ねて配信はしておきたい。
せっかくならと、今回は作業配信にすることにした。普段は表に出せない原稿がほとんどだが、健全な原稿をしている今なら堂々と配信できる。
それに、作業中は無言でいるより、誰かと話しながらのほうが手がよく動くこともある。
「こんアリー。今日はガチ修羅場作業配信やりまーす」
「こんさく~……原稿の進捗、ヤバいですぅ……」
モニターの中で、銀髪の幼女と、グラマラスなサキュバスが並ぶ。
画面の半分には、実際に作業中のお絵描きソフトの画面が映し出されていた。
『え、これママの原稿?』
『すげえ、ガチ作業だ』
『AL1-SAちゃん、手伝ってるの?』
コメント欄が流れる。
俺はペンタブを操作し、背景のモブを描き込みながら答える。
「俺はずっとSA9ーYAママのアシスタントしてるよぉ」
『でも、それって未成年がみちゃダメなやつじゃ…』
『いいかげんにしろ、幼女師匠が未成年なわけないだろ?』
『何年配信してると思ってんだ』
リスナーたちの訓練されたツッコミに、思わず口元が緩む。
「今、SA9-YAママが人生賭けた大勝負してるから、その手伝いをしてる。絶対負けられない戦いなんだ」
『全年齢作品なんだ。賞に出すとか?』
「ううん、習作というか……とある人を見返してやる用」
『ラブコメ? 面白そう』
『読みたい』
「……そう? じゃあ、完成したらSNSにアップするね」
『楽しみ』
「エロくはないから、あまり期待しないでねぇ」
咲夜のアバターも、必死にペンを動かしている。
緊張感が、画面越しにも伝わっているのか、リスナーたちも茶化すことなく『頑張れ』『応援してる』と声を掛けてくれていた。
「師匠、ここの効果音入れといて!」
「はいよ!」
咲夜の指示に応え、俺が手を動かす。
『AL1-SAちゃん、ガチでアシスタントしてる…』
『作業が手慣れすぎてて草』
『特技はVTuberだけじゃなかったのか……』
◇
そして、金曜日の夜。
最大の難所――クライマックスのシーンで、咲夜のペンが止まった。
「……違う」
咲夜が頭を抱えている。
画面には、主人公の少女が、意中の相手に想いを告げるシーンが描かれていた。
大粒の涙を流し、切なげに微笑む、美しい顔。
どこからどう見ても、王道の少女漫画のワンシーンだ。
それなのに、咲夜は納得していない。
「ダメだ、綺麗すぎる……これじゃ、『優等生の私』のままだ」
俺も画面を覗き込む。
確かに、絵として完成度は高い。だが、胸に響かない。
まるで、「悲劇のヒロイン」を演じているように見えてしまうのだ。
「咲夜。お前、エロ漫画で『絶頂の顔』を描くとき、何を考えてる?」
「えっ……?」
「理性を飛ばして、恥も外聞もかなぐり捨てて、ただ本能を曝け出す顔だろ? そこには『可愛く見られたい』なんて計算はない。あるのは『なりふり構わない必死さ』だけだ」
俺は画面を指差した。
「この子は今、人生を賭けた告白をしてるんだろ? だったら、こんな綺麗に泣けるわけがない。もっとぐちゃぐちゃになる。鼻水を垂らして、顔を真っ赤にして、酸欠になるくらい必死に叫ぶはずだ」
「……ぐちゃぐちゃに……」
「その『醜さ』を描いたらいい。咲夜ならできるだろ?」
数秒の沈黙。
そして、咲夜は決心したようにペンを握り直した。
苦労して描いた「美しい顔」を、躊躇なく消す。
シュッ、シュッ、と荒く走るペン。
整ったまつ毛を乱し、頬を紅潮させ、口元を歪める。
汗で張り付く髪、開いた瞳孔、相手を射抜くような視線。
それは、少女漫画の常識からすれば「崩れた顔」かもしれない。
だが――
「……すごい」
その表情には、画面越しに体温が伝わってくるほどの「熱」があった。
セリフがなくても、渇望が痛いほど伝わってくる。
咲夜がエロ漫画で培った「執着」が、純愛の「切実さ」へと変換されていた。
「これだ……これが、私が本当に伝えたかった感情」
そこからは、怒涛のラストスパートだった。
二人で無言のまま作業を続け、睡魔をカフェインでねじ伏せ、指の痛みを無視して描き続けた。
◇
そして――土曜日の深夜、二十六時。
「……で、できたぁ……」
咲夜が椅子から崩れ落ちるようにして、背もたれに体を預けた。
全十六ページ。
タイトルは――『コイネガウ』。
恋を願う純粋さと、ひたすらに乞い願う必死さ。
そのダブルミーニングを込めたタイトルだ。
完成した原稿データが、モニターの中で輝いている。
「お疲れ、咲夜……完璧だ」
「へへ……ありがとししょぉ……もう、指一本動かせない……」
咲夜の目は虚ろで、今にも意識が飛びそうだ。
限界を超えていたのだろう。
「咲夜……早速、この漫画アップしてもいいか?」
眠気で重い頭を抱えながら、咲夜に聞く。
「……いいよぉ……アップしといてぇ……」
「SA9-YAのアカウントでいいな?」
「うん……パスワード、知ってるでしょぉ……?」
「よし、分かった。俺がやっとくから、お前はもう寝ろ」
咲夜はそのまま、机に突っ伏して寝息を立て始めた。
泥のような眠り。
俺は咲夜に毛布を掛けてから、PCに向き直った。
SA9-YAのアカウントにログインし、完成したばかりの漫画データをアップロードする。
『【オリジナル読み切り】コイネガウ【16P】』
――送信。
特に拡散するつもりはない。
咲夜が魂を削って生み出したこの作品を、誰かに見てもらいたい。
ただ、それだけだった。
「……さて、と……ふぁぁ……俺も……限界、だ……」
俺もまた、ソファに倒れ込み、短い眠りについた。
◇
ピンポーン。
無機質なチャイムの音が、朝の静寂を破った。
午前八時。約束の時間だ。
「……んぐっ、はっ!?」
咲夜が跳ね起きた。
「来た……!?」
「ああ」
俺はすでに起きて、プリントアウトした原稿を製本していた。
まだインクの匂いがする、出来立てホヤホヤだ。
「顔洗ってこい……これを持っていけ」
俺は完成した原稿を咲夜に手渡した。
「大丈夫だ。お前のすべては、これに込められている」
咲夜は原稿を受け取ると、それを胸に抱いて、深く深呼吸をした。
そして、キッと顔を上げる。
「……行ってくる!」
彼女は玄関へと向かった。
ガチャリ、と鍵を開ける音。重い扉が開く。
そこに立っていたのは、黒いスーツを着た父親――黒瀬厳一郎だった。
「……支度はできたか」
開口一番、厳一郎は冷たく言い放つ。
咲夜は一歩も引かなかった。
真っ直ぐに父を見返し、震える手で、けれど力強く、原稿を差し出した。
「支度はしていません。帰るつもりもありません」
「……何?」
「これを、読んでください」
咲夜の声が、静かな廊下に響いた。
「これが、私の仕事です。私の……魂です」
厳一郎の視線が、差し出された薄い冊子に落ちる。
――審判の時が、始まった。
※よろしければブックマークや評価で応援していただけると励みになります。
ここまで読んでくださってありがとうございました!




