第1話 おっさん、女児になる
※新連載です。3話まで12/17 17・18・19時更新。以降1日1話更新予定です。
世界は暗闇に包まれていた。
意識も記憶も混濁していて、まるで、深い海の底にいるかのようだ。
名前……俺の名前はなんだっけ。
そうだ、恭介。綾瀬恭介だ。
地方の企業でしがないサラリーマンをしている32歳。
……何をしていたんだっけ?
脳裏に思い浮かんだのは幼い少女の姿だった。
ボールを追って道路に飛び出す。
迫りくるトラック。
そして、駆け出す俺。
……ああ、そうか。
俺は事故にあったのか。
相当重症なのだろう。まるで身動きができない。目を開けようとしても瞼は開かず、耳はくぐもっていて意味のある音は聞き取れなかった。体を丸めて、お風呂の中に沈んでいるような感覚だ。
あの少女は助かったのかな。
下の娘と同じくらいの歳の子だった。
今の俺に、それを知る術はない。無事を祈るばかりだ。
それにしても、家族に悪いことをしてしまった。俺には最愛の妻と、可愛い二人の娘がいる。きっと、みんな心配しているに違いない。回復したら、まずは謝らないと。
そう思いながら、じっとその時が来るのを待った。幸い体の痛みはなかった。
だが、何日経っても、俺の意識がはっきりと覚めることはなかった。
体は動かない。正確に言えば、わずかに動く感覚はある。けれど、狭い空間に閉じ込められているようで、手足もろくに伸ばせず、身動きが取れない。助けを呼ぼうにも、声が出なかった。
それでも、不思議と不安や焦燥は感じなかった。
常に抱きしめられているような安心感があり、微睡んでいるかのような、ぼんやりとした感覚が続く。
寝ているのか、起きているのかも曖昧だ。漂うクラゲのように、意識だけが時折、水面へと浮かび上がってくる。
どれほど時間が経ったのだろう。昼か夜かもわからない。家族との思い出を脳裏で反芻しながら、穏やかな時間を過ごしていた。
その静寂は、ある日突然、終わりを告げた。
布団を剥がされるように、周囲を満たしていた温もりが消え、次の瞬間、頭から窮屈な場所へと押し込まれる。
全身を万力で締め付けられるような激痛。
不安と恐怖で、完全にパニックに陥った。
しばらく続いた責苦は、不意に終わりを告げる。
そして俺は、明るい場所へと放り出された。
視界はぼんやりとしていて、耳もほとんど役に立たない。恐怖に突き動かされ、声を上げようとしたが――
「ふにゃあ、ふにゃあ」
頼りない音しか出なかった。
――結論から言うと、綾瀬恭介は死んでいた。
そして、この瞬間に、二度目の生を迎えたのだった。
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