第50話『断罪の終わりと、明日への一歩にゃ』
俺とミアが駆けつけた時、そこには既に決着のついた光景が広がっていた。
迷宮のジャンクション広場。
罠の魔法陣が描かれていたその場所に、三人の影が集まっていた。
「ノワ様!!」
「ノワール、ミア!」
ボロボロの騎士服を纏ったエレナと、全身から湯気を上げているクラウス。
二人とも傷だらけだ。けれど、その表情はかつてないほど晴れやかで、力強い光に満ちている。
『二人とも、無事か!』
「はい! ノワ様こそ!」
エレナが飛びついてきて、俺を抱きしめる。
続いてクラウスも、安堵の息を吐きながら俺の頭を撫でた。
「ああ、なんとかな。……お前のおかげだよ、ノワール」
「私もです。ノワール様の『声』が聞こえたから、頑張れました」
「にゃあ(俺もだ。みんな、よく勝ったにゃ)」
俺たちは互いの無事を喜び合った。
【眷属化】による魂のパスは、戦闘が終わったことで穏やかな繋がりへと落ち着いている。
この絆がある限り、俺たちはもう負けない。そう確信できる強固な繋がりだ。
「……さて。問題はこいつらだな」
クラウスが冷ややかな視線を向ける。
広場の隅には、俺たちが引きずってきた「敗者たち」が転がされていた。
全身の骨を砕かれ、泡を吹いているザイード。
利き腕を斬られ、うつろな目で空を見上げているレオニード。
そして、鎧を剥ぎ取られ、白目を剥いて気絶しているガーラント。
かつて俺たちを見下し、嘲笑っていた「白銀の黎明」と貴族の嫡男。
俺たちは互いに顔を見合わせ、頷き合った。
この絆がある限り、俺たちはもう負けない。そう確信できる強固な繋がりだ。
俺たちは彼らを縛り上げ、ダンジョンの出口へと向かった。
光の先には、まだ終わらない現実が待っている。
だが、今の俺たちなら、どんな現実も乗り越えられるはずだ。
◇
その後、事態は急速に動いた。
生きて捕らえられたレオニードとザイードは、冒険者ギルドの厳しい尋問の末、数々の余罪を自白した。
新人冒険者の殺害、装備の強奪、違法薬物の密売、そして――ヴァイスハイト伯爵家との癒着による暗殺代行。
彼らが吐いた情報は、王都を揺るがす大スキャンダルとなった。
証拠は明白だった。
ヴァイスハイト伯爵家は、長年にわたり不正な手段で富を蓄え、政敵を排除していた事実が白日の下に晒されたのだ。
国王の逆鱗に触れたヴァイスハイト家は、即座に爵位と領地を没収され、取り潰しが決まった。
誇りを失ったヴァイスハイト伯爵――ガーラントの父は、執行人が屋敷に踏み込む前夜、自室で首を吊って自害したという。
華やかだった名門貴族の、あっけない幕切れだった。
だが、一つだけ不可解な点が残った。
当主の息子であり、実行犯の一人であったガーラント・ヴァイスハイト。
彼は護送中、何者かの手引きによって脱走し、そのまま行方をくらませたのだ。
彼の行方を知る者は、誰もいない。
◇
数日後。バウマン家の屋敷にて。
「ふう。ようやく落ち着いたな」
クラウスが窓際で伸びをしている。
その横には、穏やかな笑顔でお茶を淹れるミアと、新しい剣の手入れをするエレナの姿があった。
穏やかな日常。
かつて俺が夢見ていた、破滅のない世界がここにある。
(……終わったんだにゃ)
俺は特等席のクッションの上で、彼らを眺めていた。
ヴァイスハイト家への復讐は果たされた。
俺たちを陥れようとした悪意は、もうここにはない。
本来なら、俺の役目はこれで終わりのはずだ。
だが――。
(……まだ、だにゃ)
俺は、楽しそうに笑い合う三人の若者たちを見つめる。
復讐は終わった。けれど、彼らの人生はこれからだ。
未熟な当主、覚醒したばかりの剣聖、そして女王の器を持つ少女。
彼らがこれから歩む道には、きっとまた多くの困難が待ち受けているだろう。
(彼らの成長を見守るのが、俺の使命だ)
ふと、転生する前の記憶が脳裏をよぎった。
あの日、イグニスのブレスに焼かれる寸前。
俺の腕の中で、ボロボロになった相棒は、最後に何を伝えたかったのか。
『……クラウス……いきて……』
あの時の俺は、それを「生きて復讐してくれ」という呪いのように受け取った。
あいつらの理不尽を許すな、俺たちの無念を晴らしてくれと、そう言われたのだと思った。
だから、この世界で目覚めた時、復讐こそが俺の生きる意味だと思った。
でも――違うのかもしれない。
今なら分かる気がする。
あいつは、全身の骨が砕けてもなお、俺に頭を擦り付け、「大丈夫」だと喉を鳴らした。
そこに憎しみなんてなかった。
(もしかして……お前が望んでいたのは復讐ではなく、俺の幸せだったのか?)
復讐に囚われるのではなく、生きて、誰かと笑い合って、幸せになってくれと。
そう言いたかったのか?
(……分かったよ。俺は生きるにゃ)
目頭が熱くなるのを感じた。
俺はもう、復讐のためだけの幽霊じゃない。
「ノワール様? どうされました?」
「ノワ様、おやつ食べる?」
ミアとエレナが俺に顔を寄せてくる。
俺は「にゃあ」と鳴いて、二人の手に頭を擦り付けた。
この温かい場所を守るために。
俺たちの物語は、まだ続いていくのだ。
◇
同時刻。
王都から遠く離れた、乾いた風が吹き荒れる不毛の荒野。
「……誰か、俺を助けろ……! 俺は選ばれた人間なんだぞ……!」
地面に顔を押し付け、慟哭する。
その時だった。
「――困りますねえ。生産ラインが止まってしまったではありませんか」
頭上から、透き通るような声が降ってきた。
ガーラントは弾かれたように顔を上げる。
「だ、誰だ!?」
そこに立っていたのは、この泥だらけの荒野には似つかわしくない人物だった。
月の光を反射するような、継ぎ目のない純白の衣を纏った人影。
性別は分からない。整いすぎた顔立ちは、まるで精巧な自動人形のように無機質で、生気というものを感じさせなかった。
「あ、あんたは……?」
「私は『管理者』の末席に連なる者。……貴方の家には期待していたのですよ? ヴァイスハイト家」
白い人物は、感情のない瞳でガーラントを見下ろした。
「貴方の父親は、優秀な『代理人』でした。ダンジョンを裏で操作し、冒険者を適度に死なせ、良質な『絶望』を我々に納品し続けてくれた。……とても効率的なシステムだった」
「な……親父を知っているのか……?」
「ええ。ですが、そのシステムも崩壊しました。貴方たちが落ちぶれたせいで、今やダンジョンからの供給は激減。……これでは、納品に支障が出てしまいます」
人物は淡々と、恐ろしいことを口にする。
まるで、牧場の収穫量が減ったことを嘆く農夫のように。
「責任、取ってもらえますよね?」
「ふ、ふざけるな! 俺だって被害者だ! 全部あいつらのせいで……!」
ガーラントが激昂し、白い人物に掴みかかろうとする。
だが。
『――頭が高い。遜りなさい』
ドォォォォォンッ!!!
「がっ……!?」
触れてもいない。ただの言葉。
それだけで、ガーラントの身体に見えない巨人の手がのしかかった。
彼はカエルのように、地面に顔面から叩きつけられた。
「あ、が……っ! な、なんだ、これ……!」
動けない。指一本動かせない。
目の前にいるのは、人間ではない。自分たちを「管理」する、遥か高みの存在だという絶望的な格差。
「代理人を使った間接統治は失敗でした。……やはり、人間の自主性に任せるのは非効率ですね」
白い人物は、這いつくばるガーラントの前にしゃがみ込んだ。
「なので、計画を変更します。これからは『直営』にしましょう」
「ちょく、えい……?」
「ええ。貴方が新しい『装置』になるのです」
白い人物が、ガーラントの歪んだ顔を覗き込む。
「貴方の中にある、その素晴らしい憎悪。……それを核にすれば、きっと今まで以上に悪辣で、絶望に満ちた素敵なダンジョンが作れるでしょう」
「こ、こあ……?」
「問いましょう。貴方は、現状を打破したいですか? 貴方をコケにした者たちを、貴方の作り出す絶望の迷宮に引きずり込み、永遠に苦しめる力が欲しいですか?」
ガーラントは震えながら顔を上げた。
あいつらを、永遠に苦しめる?
今の彼が体験した、この絶対的な力が手に入るというのか?
「……い、いただけるのですか? わ、私のような者に……」
口調が変わる。
もはやプライドなどない。ただ、復讐の力にすがる下僕の姿があった。
「肯定します。さあ、受け入れなさい。貴方は今日から、人を辞め――この星を嘆きで満たす『迷宮の王』となるのです」
悪魔の、いや、管理者の囁き。
ガーラントに迷いはなかった。
憎い。あいつらが憎い。そのためなら、化け物にだってなってやる。
「は、はい……! お願いします! 力を……私に力をお与えください! あいつらを地獄に落とす力を!」
彼は泥にまみれた額を地面に擦り付け、懇願した。
「契約成立。……では、コアの移植を開始します」
人物がガーラントの胸に、赤黒く輝く結晶石を押し当てた。
ズブブブブブブッ……!!
「が、あ……アアアアアアアッ!?」
ガーラントが絶叫する。
肉体が内側から作り変えられていく。
人間としての器が砕け、その場所に、魔物を生み出し、空間を支配するための新たな機関が植え付けられていく。
「眠りなさい。迷宮が完成するその時まで」
意識が塗り潰されていく中で、白い人物は満足げに微笑んだ。
「期待していますよ? 貴方の憎悪が、どれほどのエネルギー(悲鳴)を搾り取ってくれるのかを」
荒野に、人ならざる獣の咆哮が木霊した。
誰も知らない。誰も気付かない。
この荒野の片隅から、世界の理が狂い始めたことを。
――第一部 完――




