エピローグ
エピローグ
一連の騒動を知るものは、誰もいない。
カスミという生徒も、かえでという少女も。武田という先生も。誰もがなにも、覚えていない。
あるのはこの街に残された、新しい伝説だけだった。
この街には、人魚の伝説がある。その人魚たちは、最初は仲違いしていたのに、いつからか心通わせて、人間につかまった片方の人魚を救うために、もう一方の人魚も人里へと降りてきたのだ。
人間たちは、その人魚の友情になにも感じることはなく、二体ともを殺してしまった。
その時から、この街に不吉なことが起きるようになって、寺の住職が、一対の人魚をともにまつったところ、そのたたりは収まったのだという。
しかしこの人魚、夜な夜な人間に化けては街をさまよい、遊び回っているのだという。
「カスミ、カスミ。聞こえる?」
「かえで。聞こえるよ」
「よかった。私たち、こんなことになったけれど。ずっと一緒だよ」
「わかってる。かえでが私を選んでくれたこと、今も感謝しているんだから」
仲睦まじく、むつまじく。
喧嘩ばかりだった人魚は、今や手を固く握りあって、海の見える街の立派なお寺に安置されている。
時々、お互いがお互いを呼ぶ声が聞こえてくる。
住職は、この一対の人魚を大事に、大事におまつりして、決して誰にも見せなかった。
それが人魚の願いだった。
呪いは自分たちの代で終わりに。
人魚は暗いご本尊で、二人きり、そう、二人きり。
いつしか人魚は神になり、この街を見守る存在となった。
人魚は決して、触ってはいけない。人魚を決して、見せてはならない。
とある街で、人魚が捕れた、とニュースになったのは、記憶に新しい。
呪いから解放された人魚は、人間を惑わすことを生きがいとしていた。
夜になっては岩場で歌い、漁船を見つけては人間に歌を歌った。
惑わすのは、男ばかりだ。
男たちを海に引きずり込んで、交わって生気を奪っては捨てていく。
人魚とはいえ、不老不死ではない。人魚は、死ぬことを恐れた。
人魚は一度、人間につかまってミイラにされた。その時はひどい扱いだった。
死んでなお、海に帰れないのは屈辱だった。それもあって、人魚は人間をあまた食らっては、海に捨てた。
人魚はたいそう美しかった。
けれど、それだけだ。
あの二人は今頃なにをしているだろうか。
せっかく助かったはずのあの子供は、二人で人魚になり果てて、今も人間の見世物になって。
かわいそうに。でも、代わってはやらない。
人魚は広い海を堪能した。もう、この世界に人魚は自分しか残っていないことも知っている。
だから、子をなすこともできない。
人魚は歌い続けた。何年も、何百年も。
だけど、あの二人は今も、海に来ない。
あの二人だって、ほかのだれかを『呪え』ば、その生気を吸い取って、人魚としてなら生き返ることができるというのに。
人魚は、自分が正しいのだと思っている。誰しも、死ぬのは惜しい。
それ以上に、人間のもとで死んでもなお、見世物にされるなんて御免だった。
なのに、何年待っても、人魚は一人のままだった。
「つまらない」
だから、油断していたのかもしれない。
人魚はその日、懐かしい海岸に立ち寄った。
浅瀬から、松林の向こうの寺を見ていたのだ。
「アナタたち、いつまでそこにいるつもり?」
人魚が呪っておきながら、人魚はそろそろ、あの少女たちに『こちら』に来てほしかった。身勝手な願望だ。
結局、人魚だって最初から自分が人魚だったのかは、定かではない。もしかしたら、人魚もまた、別の人魚に呪われて人魚になったのかも知れない。
神が怒ったのか、偶然だったのかはわからない。
浅瀬にいた人魚を、人間がとらえた。
「離して!」
「おい、人魚だ! 本当にこの街には人魚がいたぞ!」
人間は何人もいたらしく、人魚は鉄の網にとらわれた。
そのあとは、もうひどかった。
世界各地から訪れる人間の見世物にされ、エサで調教されて芸をやらされ、しまいには、富豪の男に買われて、ひどくおかされた。
「殺して」
「人魚の肉を食ったら、俺は不老不死になるのか?」
「なりませんよ。ただ、アナタが――」
しかし、富豪の男は、人魚の手を焼き、食べたのだった。別に、食べたところで不老不死にはならない。
ただ、その人間が『呪われる』だけで。
人魚はそのまま、死んだ。死んでなお、ミイラとして博物館に寄贈された。
今度は絶対に誰も触れられぬよう、逃げ出せぬよう、強化ガラスに入れられて。
そして富豪の男は、呪いにむしばまれて尾と鰭ができ、この世界のものではなくなった。
やがて男は人間に捕まり、人魚にしたことと同じことをされた。
呪われた人魚が博物館に寄贈されたころ、寺の住職は、代々街を守護する一対の人魚のミイラを、人知れず海に返した。
「今までありがとう。どうかお元気で」
この街にはもう、人魚のミイラは必要ない。博物館に行けば、そんなものはいくらでも見られる。
一対のミイラは、海に沈む。
いつしか街の人魚は、街の守護神となった。街の人々は、人魚が海に帰ったことを知っていた。だから、人間は海に祈りを捧げた。人魚への感謝を、延々、延々。
海底に沈んだ一対の人魚たちに、あたたかな祈りが差し込んだ。
海水を吸って、干からびたからだが膨らんでいく。
もう、二本の足を持つこともかなわない。
一緒に謎解きをした仲間との再会もかなわない。
けれど、ふたりはもう、自由だった。
「かえで、かえで」
「カスミ。なに?」
「私、かえでのこと友達って思ってて、かえでは?」
「もちろん!」
カスミはもう、友達のなんたるかを知っている。人間ではなくなってしまったけれど。
この街には、一対の人魚がいた。しかしいつからかその人魚は海に帰り、一対で仲睦まじく、暮らしている。
けれどその姿を見たものは、誰もいない。
人魚は人間を惑わし、時に呪う。
その理由を、私たちは知らない。知らぬままに、生きていく。呪いなど存在しない、この世界を。
了




