第一章13話『水と油』
【登場人物】
1.弓波露零(主人公)
2.生明伽耶(藍爛然)
3.朱珠燦(朱爛然)
「あたし相手に近接戦か、バイブス上がるぜ。肝が据わった奴は嫌いじゃねェ!」
強力な蹴り、そして大木に打ち付けられた衝撃による大ダメージ。
そこから戦線復帰までは伽耶が飛距離から算出した猶予よりも僅かに長く、その誤差は燦が回復を図ったために生じていた。
そんな彼女はよろめきながらもどこか楽しそうな表情を浮かべていて、ゆっくりと立ち上がると多少の回復を経て戦線復帰を果たした彼女は再び藍爛然の前に立ちはだかり、今度は自身から近接戦闘を仕掛けていく。
拳技、足技、力を駆使した多彩な猛連撃を繰り出す好敵手に対し、一方の藍爛然は一切動じることなく流れるような連続猛攻撃をあしらい、力を相殺することで露零が安全地に下がるまでの時間を稼ぎ、同時に自身に注意を引き付けることに成功する。
そんな好敵手の防戦一方な戦闘スタイルから攻撃の気配を一切感じ取ることができない燦は見極め期間と自分に言い聞かせてしばらくは同じ土俵で茶番を嗜むも、痺れを切らすと建前ごとちゃぶ台をひっくり返して今度は言葉で挑発する。
「一ついいことを教えてやるよ伽耶、戦場での隙は死に直面するんだぜ。いくら相性のアドバンテージがあってもそんな余裕ねぇだろうになァ!!」
水鏡組のやり取りを聞いていたのだろうか。
直前に「肝が据わっている」と自身の土俵で仕掛けてきたことに対して最大限の賛辞を送っていただけに、目前の敵とは別に意識を裂いている伽耶のぬるま湯のような腑抜けた気構えに腸が煮えくり返るような苛立ちを覚えた燦は皮肉めいた言葉を吐き捨てると同時に力を発散させ、周辺の空気中に含まれる水分を一瞬のうちに蒸発させていく。
そんな好敵手の粗削りな脳筋戦術を前に藍爛然は自身の固有の力の特徴を思い返していた。
伽耶の固有の力水にはいくつか大きな特徴がある。
まず一つ目に、彼女の力は零を一にすることができない。
故に力に起因する有利不利は状況次第で覆り得る。
次に二つ目だが、一つ目の「零を一にすることができない」ということを前提に、力を用いて増幅させた水にはベースとなったものによってある効果が付与される。
例を挙げるなら人体の水分がベースなら、一度喉を通っているため呼吸ができる。
空気中の水分を増幅させたのならばいくら増幅しようと浮遊し続ける、といった具合だ。
次の瞬間、大人の余裕にも見える風格を感じさせる表情を浮かべた伽耶は心を鷲掴むような心眼を飛ばして重圧を与えると、ほんの僅かに硬直した好敵手の誤算を指摘し腰元に携えた刀にそっと優しく手をかける。
「あんたに一つだけ言うといたるわ。自分の得意で勝てるほどウチは甘くないで」
「好きに言ってな。臨機応変、順応性、即席の戦術こそあたしの強さたる所以だ」
「それにしてはずいぶん情報頼みやけどウチの戦術バリエーションを甘く見んことや。あんたの強みは後者でしかないんやで」
激化する攻撃と口撃はまるで交わらない水と油そのものだ。
片や全てを突っぱね、拳で語るスタイルがウリで腕っ節に定評のある朱珠燦。
片や巧みな話術で相手の懐に飛び込むことに長けた生明伽耶。
そんな二人を「バリバリの武闘派」と『穏健派』だと一口に称すのは容易いが、穏健派の中でも特に彼女は怒らせてはいけないタイプの代表例と言える。
故に無意識のうちに逆鱗に触れていた所有者の感情を代弁するように鞘に納められた眠れる「竜」は手が付けられない獰猛な『水竜』と化し、力を封じられた形となった伽耶はそのまま腰に携えた刀を初めて抜刀する。
しかし鞘から抜かれ露になったその刀身に刃はなく、言うなれば鈍器と表現するのが自然だろう。
――――刃のない刀など。
生き死にが物を言う戦場で、刀としては鈍ら以下という下の下の武器を使用するのは相対者に対する侮辱とも取れる行為だ。
伽耶本人にそのつもりはないが、相手が必ずしも同様に捉えるとは限らない。
彼女の刀は戦いに重きを置いている燦の怒りを買うには十分すぎる代物であり、案の定、彼女は自身に向けられた刃のない刀を見るや落胆し、活火山のように沸々と湧き上がってくる怒りの言葉を感情のままぶつける。
「模造刀だと? 自慢の慧眼も衰えたんじゃねぇのか。それじゃあたしを取れねぇ、よッ!」
「…………」
刃の無い刀、それ即ち咬合力が最大の強みである野生生物から牙や歯を奪った状態に相当する。
よって如何に咬合力が強かろうと、その長所はそれ単体では発揮されないのが生存競争における残酷な現実だ。
故に燦の怒りは至極真っ当だがそんな彼女の熱の籠った言葉をよそに、伽耶は脱力した状態で刀身を地面に向けると一瞬で間合いを詰め横一文字に刀を振り切る。
これまでとはまるで比較にならない動きの洗練さに形勢は逆転、一気に防戦を強いられた朱爛然は瞬時に後方に飛び退くと間一髪でキレの増した攻撃を躱していく。
しかし直線状の間合いを瞬時に潰す好敵手に対し、今度は上空に飛び退くと彼女は自身が燃やした木々を飛び移りながら藍爛然と刀の分析を開始する。
「なんだありゃ? 刃がねぇのになぜ切れる……だけならまだしも身体機能が飛躍した。あの鈍ら、まさか!!」
その時、燦は全て躱したつもりでいたが攻撃が頬を僅かに掠めていたことに流血で気付き、切り傷から微量の血が頬を伝って流れ落ちる。
血の一滴二滴、彼女にとってどうということはない。
ましてや鮮血が伽耶の力発動条件の対象になることなど以ての外だ。
――――しかし燦の表情からは明らかな焦りが見て取れた。
彼女が刃のない刀に切られたことに違和感を感じていると、今度は自身が放つ力にも異変が生じ始める。
「なんだこりゃ?」
突如、燦が放つ靄のような放熱の力は風に揺られる炎ように不安定になり、彼女は切り傷から微量の水分が体内に侵入したのだと直感する。
すると発散している力を今度は体内に集約させ、切り傷から体内に侵入した水分を自身の熱で飛ばしていく。
燦が生まれ持った固有の力炎、これにも大きな特徴がある。
細々《こまごま》した特徴を挙げれば切りがないが、最も有用性が高いのは何といっても「放熱」と『帯熱』、この二つを任意のタイミングで切り替えられることだろう。
それは自身の身体を起点としている分止める手立てがないに等しく、細かな制約がある伽耶の力より使い勝手がいいと言えるだろう。
「流動、あるいは循環か? 身体機能の上昇に加えて水流による打撃と斬撃の併用……ウザってぇ」
「そういうことや。生憎ウチはあんたと違うて短期決着を望んどる。悪いけど出し惜しみせえへんで」
伽耶の発言は燦がまだ全力を出していないとわかってのことだろう。
対する彼女は自身と対等に張り合える数少ない好敵手の一見煽りとも取れる、認めているからこその発破に答えるように懐からガーネットのついた指輪を取り出すと右手中指にはめていく。
そんな二人の様子を遠く離れた安全地からただ静かに眺めていた露零は手に持っていた一枚のスカーフをギュッと握りしめながら、何やら覚悟を決めた表情を浮かべていた。
「お姉ちゃんが任せてくれたんだもん。私だって――」




