24話
* マール *
この東西の大通りは、ほぼ真っすぐに伸びているので、城門の上に立てば東西で互いに姿を確認できるほどです。とはいえ、間に色々なものがあるので、地面に立ったままでは反対側の門を見通すのは難しい。
「またお前の仕業ですか?」
憎しみも込めて空に浮いた女を睨みつけます。
「なんでもあたしのせいにするのはやめておくれよ。今帰ろうとしてたところだよ?」
ふん、信じられるものですか。
「この期に及んでなんです? ちょっと上から見てきます」
白猫ちゃんがそう言って、壁を伝って近くの建物の上に登りました。
「赤いですね。人のように見えますが……大きさが異常だ。城壁よりも高いのか? 炎に包まれているようにも見える」
ええ、こちらにも見えました……。西の大門を破って現れた巨大な人型。……赤い巨人? 城門を越える背丈のように見えます。見間違いだと思いたい。
その場に居た皆が、その光景に釘付けでした。あの女ですらそれを見つめていました。でも最初に口を開いたのもあの女でした。
「あいつが着たのか。この街に来て驚くことばかりだねぇ」
「あれは、あの化け物はなんですか!!」
自分の声が上ずってるのがわかる。動揺を隠せない。何故かこの女ならあれの正体を知っているという気がした。
「彼の者こそが、かつての地上の覇者であり、人族に弟を殺され、彼方の地へと追いやられた巨人の王。神話に名高い【炎の復讐者】そのものさ」
「ラガ、ランテ……」
子供でも知っているおとぎ話の登場人物。かつて地上を恣にした巨人族、その王。双頭のラガランテ。
巨人が咆哮した。天を震わすようなその雄叫びはニールを離れてはるか遠くまで響いたに違いない。
「いやあああああああああああああ」
自分があげた声だと気が付かなかった。逃げなければ、どこかへ逃げなければ、遠くへ逃げなければ。もう一秒だってここには居たくない。この手の中のぬくもりだけを持って息の続く限り逃げないと……!
「お嬢さん、しっかりしてください、お嬢さん!」
誰かが私に語りかけてる。でもそんなのを相手にしている余裕はない、急がないと、みな死んでしまう。
「それじゃ駄目だ。俺に任せろ」
誰が言おうと止まるわけには行かない。逃げないと、貴方達も逃げないと!
「待ちな、お嬢ちゃん」
走り出したところで肩を捕まれた。
「逃げ、ないと」
「大丈夫だ。逃げる必要は無い」
「ヒュー」
傭兵はなんでもない風に頷いてみせた。彼の肩越しに、炎の巨人が確かな足取りでこちらに向かっているのが見えた。でも先程のように恐ろしくはなかった。
「驚きましたよ。私の言葉も届かなかったのに、よく落ち着かせられましたね」
白猫ちゃんがこちらを心配そうに覗き込んでいました。知らぬ間に迷惑をかけたようです。
「まぁちょいとしたコツがあるのさ」
ニヤリと笑う傭兵の顔を見ると少し安心しました。
「オリーとカルネは無事ですか? 強く抱きすぎていませんか?」
どうやらよほどの醜態を見せたようです。しゃがんで、白猫ちゃんに二匹の猫を見せました。呼吸は安定してると思います。白猫ちゃんは二匹を交互に舐めはじめました。
いえ、私は大丈夫でも周囲は酷い有様でした。泣きわめき、逃げ惑い、身を隠そうと悶える人々の姿。正気を保っているのは私とヒューとあの女のたった三人だけ。ナガリさんもいつの間にか姿を消しています。逃げおおせてると良いのですが。
「あれこそ巨人に与えられた、我らが王の恩賜【恐怖】。まこと恐ろしい御業よなぁ。戦場でこれをやられては如何様なツワモノどもでも一溜りもあるまいよ」
「太陽神や軍神の与える神秘、「克己」や「不動心」なら耐えられるはずだぜ」
女の独白に、なんともなしにヒューが応えました。なんですって? なんでそんなことをあなたが知ってるんです?
「あれが効かぬのは何故かと思うたが、お前さんじゃったか」
「全く人が遊んでるところに押しかけてきやがって。あいつも予定じゃまだ先のつもりだったんだぜ?」
何故その女と訳知り顔で話しているのです? まさか貴方も……。
「猫使イ、我ラガ主ノ予言シタル猫使イハ何処」
疑問を口にする前に、巨人が街の中央広場で足を止め声をあげた。この距離でも何を言っているのかはわかりました。先程のような怒りに満ちた叫声ではなく、聞き取りづらいが意味なす言葉でした。
「邪神ノ使徒ヨ、王ニ仇ナス不届キ者ヨ。姿ヲ見セネバコノ地ヲ薪トシ我ガ炎ニクベヨウゾ」
街中へ響くようなその声でしたが、応えるものはいませんでした。ほとんどの者は半狂乱になって逃げ惑っているだけです。そしてオリーと猫たちは私の手の中で横たわっています。
「出テコナイトイウノナラ、マズハコノ小屋ダ」
街で一番高い市庁舎に手をかけました。触れている部分から燃え上がります。なんてこと、あの恐ろしい巨人であれば、走り回るだけで街は火の海になるでしょう。
「どうやら私達に用事があるようですね」
白猫ちゃんが私の前に立ちました。
「お嬢様、オリーとカルネを連れてどこかへ隠れて頂けませんか。あれの相手は私がします」
うん、うん、と頷いた。この猫だけでどうにか出来るとは思えない。でも猫にすがるしか無いのも事実でした。
「ヒゲモジャ、貴方にお願いがあります」
「頼み事があるって相手に、その呼び方はどうなんだよ」
白猫ちゃんは無視して続けました。
「少しだけ時間を稼いでください。どうせあれも貴方の知り合いなのでしょう?」
「へぇ何か手があるのか……。まぁいいや、面白そうだしいいぜ」
返事を聞いた白猫ちゃんは風のように走り去りました。私はというと、キジトラちゃんと三毛猫ちゃん(どうしてもオリーだとは思えないのですよね)を抱えて、東大門から出て外から街を覗き込んでいます。
私以外にも、かなりの人々が逃げ出していますね。
「マダ出テ来ヌカ。往生際ノ悪イ。オ望ミ通リ炎デ浄化シテクレヨウ」
次の建物に手をかけたところでした。
「ラガランテよ! 炎の王よ! こちらへ参られよ、旧交を温めようぞ!」
髭の傭兵が大音声、街中に響く声で呼びかけました。やはりあの傭兵は向こう側のものなのでしょう。あの巨人相手にあのような振る舞いを出来るとは思いませんでしたが。
片手を太陽神殿の聖堂にかけ、火を放った巨人が声にひかれてこちらへ歩いて来ました。
「ソノ魂ノ輝キハ……貴様カ、半妖精ヨ。オ望ミ通リ来テヤッタゾ」
今なんと? 半妖精? 半妖精ってあの半妖精? 私も一人だけ半妖精を知っています。人伝てで話を聞いただけですから会ったことはありませんが、いえまさか……。
いやそこじゃない、今何と言った? お望み通りだと? まさかあの男が巨人を呼び寄せたというのか?
「随分とお早い到着じゃないか。てっきり軍勢引き連れてやってくると思ったら一人かよ」
やはり! この裏切り者が巨人を呼び寄せ、私の街を燃やしつくそうとしたのか! いや、それどころか魔軍の中でも上位の可能性が高い!
「フン、我ガ軍ハアチコチニ広ガッテイテナ。龍ノ巫女ヨ。オ前モ呼バレテイタノカ」
「わたしゃあ呼ばれた訳じゃあないよ。私の弟子がたまたまここに居てね。猫使いの噂を仕入れてくれたのさ」
「フム、ソウカ。オ前タチガ先ニ来テイテハナ。モウ猫使イモ討チ果タシテシマッタカ」
「遊んであげたのは確かさ。動かなくなったのもね。でも殺してはいないかねえ」
「ナント。ナゼ手ヲ抜ク。王命ニ背ク気カ。遊ビガ過ギルゾ、コノ慮外者ドモメ」
「いやいや、陛下は猫使いを滅ぼせとは言ってねえぞ。王と対立する存在が呼び出されたとしか言わなかっただろ。忠誠厚き炎の巨人ともあろうお方が、王の言葉を忘れたとは言うまいなぁ?」
「半端者ガ生意気ナ口ヲキク。ソモ、我ヲ呼ビ出シタノハ貴様デハナイカ」
怒りで頭が沸騰しそうです。ですが、今飛び出したところで何かが出来るわけもなく、この手の中の二匹を危険に晒すだけです。我慢しなければ……。
しかし、大分距離が近くなったので細部も見えるようになりましたが、あの巨人のような恐ろしいものが本当にこの世に存在しようとは。
身の丈は、三階建ての建物を越え、常に体中から炎を吹き出し、触れるだけで全てを焼き尽くす。伝承通りに頭は二つあるものの、片方はダラリと頭を垂れており動く素振りを見せません。あれが人に殺された弟の方の頭なのでしょう。
学院に居た頃、授業でも様々な神々や伝承について学びましたが、まさかそのうちの一柱を実際目にする機会があるとは思いませんでした。
その姿を見るだけ、声を聞くだけで人は皆恐慌に陥り逃げ惑う。あの女の発言からすると、魔王から与えられた力なのかもしれません。それがなくともあの驚異の肉体があれば、戦場で敵対する軍勢を蹂躙するのも容易でしょうね。
「この街に猫使いがいるってのは嘘じゃあない。予定外にこの女が来ちまって、先に遊んじまったもんだから」
お前は絶対に許しません、この街がこんなことになったのもお前のせいではありませんか!
……情けない話ですが文句を言うのは後にします。あ、キジトラちゃんが伸びをしました。でも目を覚ましたら飛び出していきそうで怖いです。キジトラちゃんだけであれほどの相手と戦えるとは思えません。
「わたしの方は満足したんで帰ろうかなってところだったんだよ。そこにあんたが来たもんだからちょっと世間話でもしようかなってね」
「世間話ナドト、我ニ無駄足ヲ踏マセタノカ!」
責任をとってお前がその化け物の相手をしなさい! あぁ、本当にこの街はどうなってしまうのか。連合軍を壊滅させた化け物が目の前にいるというのにどうすることも出来ません。あの子の仇がいるかもしれないっていうのに、私に出来ることは身を隠して震えていることだけ。力が無いということは本当に惨めだ。
「まぁ待ちなよ。多分もうそろそろだ」
「何ガダ」
「猫の片割れが、お前さんの歓迎会を開いてくれるってんで準備中なんだよ」




