10話
* オリー *
かなり話し込んでしまい、随分遅くなった。また会うことを約束してから、司教様にジャイオさん、ナガリさんと茶店の前で別れる。もうすぐ夕食の時間なので、このまま東市場のどこかで食べてから帰ろう。あまり体を動かしてないからそんなにお腹空いてないかな。持ち帰れるようなものにしようかねえ。
道を開けろーって大声がしたので、そちらを見ると街の中心の方から馬に乗った騎士が二人と徒の衛士たちが10名以上集団で走ってきた。手には盾やらを持ってる。通行人は急いで道の両側に広がり、行く手を遮らないようにした。勿論僕もだ。
騎士の一人はオータルさんだな。一瞬目が合って、通り過ぎたあとに衛士が一人戻ってきた。
「おーい、オリーよう」
「あ、ヒューニャ。今日は早出じゃニャかったのかニャ?」
「ヒューニャってなんだよ。名前かよ。まぁいいや。暴動が起きそうだってことで家でゆっくりしてたところを呼び出されてなぁ。あそこの家便利だけど詰め所からも結構近いからめちゃくちゃ使われててしんどいぞ。それはおいといて、オータルの旦那にお前を呼んでくるように頼まれたんだが、ちょいと来てくれないか」
暴動? 街の中は特に何も無さそうだよ? キョロキョロ周囲を見回してみる。
「違う、街の外だ。東側の外壁周りに住み着いた難民たちがさ、市民といざこざあって暴動起こしそうだと通報があった」
「うへ、でも僕らが行ってどうするニャ」
「まーたお猫様の力を借りたいんじゃないか? 俺としては血まみれの大惨事になりそうだから猫は出さない方が良いと思うがね」
僕もそう思う。でも、雨降らせて頭を冷やすとかなら出来るかもね。それに、触手も大分調整できるようになってきたみたいだし。
「まぁ行くにゃ。今日はビアンコもカルネもついて来てるニャ」
「キジトラの方は手加減とか出来ねえから出番はねえよ。無いといいな。うん」
ヒューも髭面を不安に歪ませてる。気持ちはわかる。
「カルネには僕の護衛だけさせるから大丈夫だニャ」
二人で歩調を合わせて東の大門に向けて走り出した。猫たちが着いてきてるかは確認してないけど大丈夫でしょ。
茶店から東大門までは数百mなのですぐついた。大門を挟んで中も外も人だかりが出来ていて、門の内側を衛士たちが盾を構えて人を通さないようにしている。
難民、難民かぁ。ここに来て見るのは初めてだな。実際みんなボロボロの服を着てる人が多いし、体を清潔にする余裕も無いのか、汚れだけじゃなくて離れていても匂いが酷い。負傷してる人も多くて、それがろくな治療も受けてないだろう、一様に血色が悪い。壊死した傷跡から漂う香りが、鋭敏な嗅覚のせいで、布で顔を隠していても臭ってくる。街の南にあるスラム街の住人よりも悲惨そうだ。
門の内部の野次馬達をオリーが強引にかき分けて、オータルさんに近づく。オータルさんともうひとりの騎士が難民に呼びかけてた。
「お前たちの要求はわかった。こちらで吟味する故この場は一旦引け!」
「信じられねぇ!」
「今すぐやつを連れてこい!」
「ここで裁判をやるわけにもいかんだろ! 我が家名に誓って厳正な裁きを約束する!!」
ヒートアップしてる難民だが、流石に武装した衛士が前に出てると近寄っては来ない。
「オータルの旦那、オリーを連れてきやしたぜ」
「一体なんの騒ぎですニャ?」
「ここに来た難民達は、基本日雇い仕事を探したり、炊き出しで食いつないでる。仕事のある男はまだマシで、まともな職につけないガキはスリをやったり犯罪の片棒を担いだりしてる。じゃあ女が簡単につける仕事ってなんだと思う?」
オータルさんが馬から降りて腕を組んで顎をさすりながら話してくれた。
「そら……娼婦ですねぇ」
僕の代わりにヒューが答えた。
「そうだ。この街じゃ、今まで街娼が最下級だったが、それよりも下が出来たんだ。病気も流行ったりしてろくなもんじゃねえが、それでも値段の安さから客がつく」
だが、と一度言葉を切った。
「後ろ盾がいるわけでもないし、難民たちは立場が弱いからやるだけやって金を払わねえでとんずらこく奴がいる」
「あー、何度も繰り返した馬鹿がいて、そいつを捕らえようとして大騒ぎになったってところですかね」
その言葉に頷いてみせるオータル卿。
「そいつをくれてやれば、連中満足するんじゃないんですかね? そんなことでこの騒ぎだなんて馬鹿らしいにも程がありますぜ」
「そうニャ。やったことの責任は取らせるべきだニャ」
僕も同意しておこう。面倒なことに巻き込まれたくないってのもあるけど、実際そういうやつには責任取らせにゃ。
そこで急に態度を変えたオータルさんはこちらから視線をはずすように斜め下を見ながら言った。
「俺もここに到着してから知ったんだが、先程、東大門詰め所に、ニールの高級官僚が保護を訴えてきたそうでな……。立場的には、私よりも上の方が……」
ヒューと一緒に全てを察した。
「あー、ええと、どう始末、つけるんですか、ねぇ……」
「ウニャア……お役に立てそうにニャいので帰ってもいいですかニャ……」
よく見たら他の衛士の人たちもめっちゃ嫌そうにやってる。そりゃそうだ。
「そうだ、当座しのぎに料金立て替えて追い返してあとは誤魔化すのが一番だと思いますがね」
どうです、とドヤ顔をオータル卿に向けるヒュー。確かに悪くないと思う。あ、僕も思いついた。
「緊急の炊き出しをやって誤魔化すのはどうかニャ」
「どんな手順を取るにせよ、難民をなだめることが先決ということか」
オータル卿も納得してる。首を縦にふる僕とヒュー。
「こんなつまらんことで暴動にでもなったら騎士団長に顔向け出来ませんぜ。難事を上手く乗り越えてこそでさ」
実際その通りだろう。
「その官僚はこんな騒ぎを起こしたんだ、対策にかかった費用も含めて罰金多めに取ってから二度と悪所に足を踏み入れないようきつく言い渡すってところだな」
妥当といえば妥当なのかな?
「そんなもんですかニャ?」
「実際、罰を与えるにしても実刑は難しいだろうし、あの高級官僚は法衣貴族だ。こんな醜聞がついてまわるなんて社会的には十分な罰になるからな」
「細かいことはお偉いさんがたで決めてもらうとして、さっさと動きましょうや。さっき俺たちが言ったのでもなんでもとにかく……」
「やつだ! 居たぞ!!」
難民の方から声があがった。
「クソがっ、大人しくしてろッ!」
流石のオータル卿もブチ切れた。
詰め所からフードの男がコソコソ出てきたところを見咎められたらしい。件の官僚が、隠れていればいいものを我慢できなくなって逃げようとしたようだ。なんとか詰め所に戻そうとしてる衛士と揉めてる。
難民達はヒートアップして衛士に群れをなして詰め寄りはじめた。それを盾で押し返してるけど、機動隊みたいに大きな盾じゃないし、人数もそんな居ないから武器を使わないとすぐに圧倒されそうだ。
「まずいぜ旦那ッ、こりゃ獲物を抜かねえと収拾が付きそうにねえ!」
「ヒュー、お前は衛士の列の薄そうなところへ応援に行け、武器はまだ抜くなよ! オリー殿、あなたは猫を呼んで高いところにでもはなれ」
「貴様ら、その馬を貸せッ!」
フードを被った官僚が衛士の静止を振り切ったようだ。オータル卿が乗ってた馬を狙ってこっちに来た。ここで、こいつが逃げるのを難民たちに見られると暴動でも起こりかねない。なんとかこの場で頭を下げさせるなりなんなりしないと収まりがつかないんじゃないかな。ぶん殴るだけでも見てる側の溜飲が下がりそうだ。問題は能力的にそれが出来る人間は階級的に手を出せないってことか。ちなみに僕は能力的に出来ません。
「お待ちを! 騒ぎが収まるまでお鎮まりください」
「巫山戯るなッ、急ぎこの場を逃れないと私の身に危険が及ぶだろうが!」
オータル卿が責任者だと見て、食って掛かる官僚。言ってることはわかるが、それで片付く問題でもない。お前が責任取れば良いんだよ。大人しく犠牲になってくれ。そう面と向かって言えたらなぁ。多分みんなそう思ってるよ。
「貴様、西方人如きが何を見ているか! 顔を隠して怪しい奴が!」
なんてその人をじっと見てたら、こっちに飛び火した。
「僕は別に怪しくなんてニャいニャ」
「その方は伯爵様のお客人です。態度には注意された方がよろしいかと思われます」
オータル卿からフォローが入る。
「何が『ニャ』だ、私を馬鹿にしているのかッ!」
ダメだ、聞いてないどころか逆上した。
「別に馬鹿にしてるつもりはニャいニャ。顔を隠してるのも故あってのことニャ」
うるさい! と怒鳴りつけられて胸を強く押された。とっさのことに踏ん張りが効かなくて後ろに倒れ込んでしまう。といっても尻もちをついた程度だ。
「ウニャニャ……」
なにするんだ、ったく。あいたたた。
「こんな奴に構っている暇はない、早く馬をよこせ! あと護衛を何人か、つ、け?」
馬の上に二匹の猫が居た。
「お前、今何をした?」
「大したことではないとお考えですね? ええ、実際大したことはないのでしょう。でもですね。我々の。管理上の。責任が」
二匹の目が爛々と輝いている。こんな二匹を見るのは初めてだ。これは不味い。僕でさえ命の危険を感じる!
「待つニャ!」
押されただけだから! と言おうとしたときにはもう空から触手が湧いて出てきてた。
「な、なんだこれは! たたた、助けてくれ!」
触手はあっさりと官僚を掴み上げると空中に持ち上げた。このままだとミンチの雨が降っちゃう!
「オ、オリー殿、止めさせてください!」
オータル卿も慌てて僕にとめるように頼む。そりゃ止めますよええ。あの程度で人殺してたら街から人が居なくなっちゃうよ。
「殺しちゃダメニャ! 僕は大丈夫だニャ!!」
「ふん、殺すつもりはありませんよ。ちょっと怖い思いをしてもらいますがね」
ビアンコがそう宣言すると、触手が男を空中で振り回し始めた。触手が4mくらいあると思うんだけど、それを縦回転させてるんで速さよりも勢いと高低差でヤバイことになりそう。あ、小便漏らしたな。汚いなぁ。殺さないみたいだし離れとこ。
「ひぎいいいいいいいいいいいいいい」
男の悲鳴だけが響き渡る。難民も衛士も群衆も、この突然の出来事に声もあげずに釘付けになってる。そりゃそうだよね……。
「オリー殿、やりすぎですよ。お願いしますよ。降ろしてください!」
オータル卿に泣きつかれた。んまぁ、僕ですらやりすぎだと思う。
「ビアンコ、もう十分だニャ。許してやって欲しいニャ」
「では仕上げといきますかね」
回転を止めた触手を難民たちの上まで動かす。ぐったりとして息も絶え絶えの官僚。もう1本の触手を器用に動かして、男の懐を弄った。抵抗する力もないようだ。
「この男を訴えたものは誰ですか」
ビアンコが3本目の触手を出してそれに乗ると、上から群衆に語りかける。
「猫だ……」
「あれが噂の……」
「お猫様だ!」
難民たちが何故か動揺してる。いや、こんな光景みたら誰でも動揺するとは思うよ? でもちょっと方向が違う感じがするのよね。
「僕だ! その男は僕を買って料金を踏み倒そうとしたんだ!」
まだ若い、少年と大人の間くらいだろうか、ここで男が出てくるとはちょっと予想外だった。あの侯爵様もその手のアレっぽいし、この世界では少なくなかったりするんだろうか……。
「これで足りますか?」
男から巻き上げた財布から貨幣を少年の手に何枚か落とす。
「じゅ、十分です。ありがとうございます。お猫様!」
ビアンコは頷くと、残りのお金を難民たちに巻き始めた。
「これで今日のところは静かに解散なさい。これ以上騒がしくするのなら私も容赦しません!」
「ありがてえありがてえ、流石お猫さまだ!!」
「ああ、お猫様っ、これで今日はご飯が食える!」
遠目に見た感じではどれだけの量があったのかはわからないが、ビアンコの手前だからか、みんな奪い合いにもならず粛々と貨幣を集めてる。
「皆の衆、お猫様から施しだ! これで大人しく帰るぞ!」
あれ、今の難民に呼びかけてたフードの人どこかで見たような姿かたちだな。フードを取れば思い出すかも?
僕がそっちを気にしてると、触手が地面に官僚を下ろした。ビアンコとカルネはまた建物の影に消える。
男は涙とよだれと小便でグチャグチャになってる。
「これどうしたらいいのかニャア」
「確かに騒ぎは静まりましたが……これはちょっとやりすぎでは……」
「いやいや、オータルの旦那、コレくらいやらないと収まりつかなかったと思いますぜ。しかし難民共は変な感じだったな」
ヒューをはじめ、他の衛士たちもオータル卿ともうひとりの騎士の周りに集まってくる。衛士の人たちは、かなり好意的だった。騎士二人は頭抱えてたけど。
とりあえず上司に報告しなきゃいけないということで、僕もついてくるように頼まれた。あくまで強制ではなくて、お願いね。まぁあれを見て猫を怒らせようって人間はこの場にはいなかったよ。




