16話
* マリークレスト *
正直疑わしかったけど、こちらの言葉は通じているようです。何が疑わしかったのかというと、彼らのやろうとしてることがとても可能だとは思えなかったので。蓋を開けてみたら、恐ろしい魔術師程度に思っていた白猫ちゃんの技量が神話に出てくるような神に匹敵するようなものでした。
人間の脳を猫の認識にしたということですよね? 一体どうやって? 勿論魔法で。そんな魔法聞いたことありませんよ……。今すぐこの猫を連れ学院に乗り込んで聖賢と謳われた先生方の意見を聞きたいところです。
まぁ魔法についても後で聞きましょう。まずは彼らの目的を聞かないと。
「オリー君だったね」
「ニャ」
頷きながら鳴いて返事を返すオリー。本人は大真面目のようですし、ふざけているつもりはないのでしょう。お父様もわかっているので流石に怒りません。叔父様が居たら我慢できなかったかもしれませんが。
「娘に聞いたのだが、君たちは盗賊に身ぐるみ剥がされて着の身着のまま逃げてきた、と言っていたらしいがそれは嘘だね」
「ニャー、ニャニャ、ニャアニャアニャア」
ニャアニャア煩いですねえ。オリーは視線を逸してなにかごまかしてるような雰囲気なので白猫ちゃんの方を見ます。
「申し訳ありません、あれはその場しのぎの嘘でした。我々は状況を把握していなかったので、あなた方に正直に話をしてよいのかわからなかったのです」
「話せる範囲で構わんよ」
オリーも猫たちも逡巡しているようでした。それはなんというか、言い訳を考えていると言うよりも、どう話せばよいのか悩んでいるようにも見えました。
「ニャニャー、ニャアニャオニャ」
仕方ないとは言え、大の大人が猫みたいに喋っているのは不快ですね……。お父様は何も感じ無いのでしょうか。正直これならさっきまでの方がマシな気が。いえいえ、これは私一人が我慢すれば良いこと。人の上に立つにはこの程度受け入れる度量が無くてはならないのですね。
「実は我々はこの世界の存在ではありません」
「それは一体どういうことかね?」
余計なことを考えている間に話が核心に触れていたようです。集中しないと。
「私と弟はこの世界の神を自称する存在に呼ばれてきたのです」
「何を言って、いや、それが嘘でも本当でもおおごとだぞ!」
「勿論本当ですとも。このようなことで嘘をついてどうするというのでしょう」
お父様はあまりのショックで腰を浮かせかけましたが、どかっと腰をおろしました。口元を抑えて考え込んでいます。
「ニャーニャー」
「ちなみに、オリーは食事係として連れて行くことを認めさせました」
「ウニャア……」
食事係って本当だったのですか? てっきり冗談かと……。つい哀れを催して猫のように呻く成人男性を見つめてしまいました。どんな不義理を働けばこのような罰を受けなければいけないのでしょうか。
そこから彼らの世界の話を聞きました。王族ではなく、民人が支配する国家。異種族や魔物すら存在せず、何百年何千年と同じ人同士が争いあう、神無き闘争の世界。
ちなみにあちらの世界でも猫は喋らないようです。少しだけホッとしました。
「なにかそれを証明することは出来るかね? 君たちが神の使徒だということを明らかにするようなものがあれば」
「ございません。あえて言うならば、私と弟が持つ力でしょうか。以前はこんな力は持っておりませんでした」
これらの力は神を自称するなにかに与えられたものです、と。
「なんという神かは名乗っていなかったのかね」
「ヴァヴァだかヴォールだか何某かと名乗っていました。初めて聞く名前でしたね」
「善神ヴァルー?! 神話の中で言及されるものの、白銀の時代以降姿を現さなくなった神々の父! まさか猫の口からその名を聞くことになるとは思いませんでした。その善神ヴァルーから一体どんな力を授かったのでしょう」
いや、私も名前しか知らないのですよ。世界の創造に関わったとか言われてますけど具体的にどういうことをしたのかほとんど残っていない、実在すら疑われている神なので。
「私は大海にも及ぶ魔力とそれを自在に操る力を。弟は大地を引き裂き山を揺るがす力を」
「それが真実であればなんとも恐ろしいな……。オリー君にはなにか無いのかね」
「全くございません。この者は元々平凡を極めたような男でありまして、そこに何ら余計なものは付着していないのです」
「ニャニャー」
私と父は気の毒そうにその平凡な男を見ました。まぁ猫のように鳴く男性が平凡かどうかは議論の分かれるところでしょうけど、彼はそれがわかっていないようで、その滑稽な姿がさらに哀愁を誘います。
「君たちが言うことが真実だとしよう。では善神は何故君たちにそんな力を与えたのだろうか。君たちの目的は一体何なのかね?」
「あれは我々に、世界の病いを癒せ、と言いました。魔王がどうとかというのも言っていたような気もしますが」
魔王討伐! まさか本当に神々から救いの手があろうとは!
「ほ、本当かね! 魔王を倒してくれるのか!!」
私だけではなく、お父様も興奮が隠しきれないようで、今度こそ椅子から立ち上がり、彼らに半歩踏み出してワナワナと手を震わせています。
「いえ、そのヴァルーだかに言いました。『魔王とやらをどうするかはわかりません。気が向いたらやるかもしれないし、気が向かなかったら絶対やらないでしょう』という風に」
「大神に与えられた使命に対してなんたる不遜な! それだけの力を与えられておきながらなんという!!」
「あれは貴方がたの神かもしれませんが、我々にとっては厄介事を押し付けてきただけの存在。言うことを聞かねばならない道理はありません」
流石は猫……気ままに過ぎやしませんか。私は呆れましたが、お父様はご立腹の様子。
怒りのあまり大声を出そうとなされたのですが、猫に説教することの無意味さに気づいたのでしょうか。傍から見ればそれはそれは滑稽でしょう。ガックリと椅子に深く座り込むと顔に手を当ててため息をついています。
「彼の者は言いました。『善なるものも邪なるものも、君たちという松明の灯りに蛾が惹かれるように集まってくるだろう。だから君たちは望んで何かをなそうとする必要はない。風に吹かれる綿毛のように自由に舞うと良い。君たちの在り方自体を私は愛そう』、と」
巻き込まれる側はたまったものではありませんがね、と続ける白猫。
確かヴァルーには伴たる猫神がいたはず。だから猫を選んだのかもしれませんね。しかしその、大神に対して不敬かもしれませんが適当過ぎる気が……。
「ニャー」
そしてなんとも緊張感の無い男。
「君たちのことはどう扱ったら良いのかね。私にはもう思いつかないよ」
「お父様、折角ですから色々手助けしていただけばよろしいのでは。今この地には様々な苦難が降り掛かっています。そんなときに彼らが着たのはまさに天佑としか言いようがありません」
「……それはよろしくないよ。彼らは神の意志の担い手なのだ。余人がどうこうすべきではない。我々は只の客人として饗すべきだろう。この話はこの場のみのこととする。ノスルにも月光司祭殿にも内密にな。君たちも今後はバカ正直に自分たちのことを話すのは止めたほうが良いかもしれない。あまり良く思わない連中や、君たちのことを利用しようと考えるものが出てくるだろう」
本来であれば、お父様こそ彼らを利用すべきでしょう。ニールが迎えている難局を考えれば、猫の手でも借りたいと思うのは当然です。降って湧いた機会を客人として迎えたものに対する義理と礼節だけでみすみす見逃す手はありません。いえ、お父様がそうと決めたのです。娘の私も受け入れるしか無いでしょう。せめて彼らが我らに仇なす者の手に落ちることだけは防ぐべきかもしれません。
本当に? それだけでいいの?
「ニャアニャア!」
猫が騒がしいですね。いやオリーですけど。猫たちの驚愕の告白で大分雰囲気が沈んでいますのに、もう少し空気を読んで欲しいところです。
「彼はなんとおっしゃってるので?」
ちらりと白猫ちゃんがオリーを一瞥する。戸惑っているようにも。猫の表情はよくわからないのですけどね。
「彼は元の世界に戻りたい、と言っているのです」
彼曰く、寝ている間に突然拉致されたも同然でこの世界に着の身着のまま放り出された。言葉も常識も通じず、猫にお荷物として扱われている始末。元の世界には家族や友人が居てやらなければならないこともたくさんある。神だかなんだか知らないけれど、勝手に呼び出されて放置されたのではたまらないと。
言われてみればその感情は当然でしょう。彼の立場になって考えて見ればそう思わないほうがおかしいくらいです。元の世界に人生のすべてを置き去りにして、異郷に猫二匹、私なら途方にくれているところです。その上、昨日のような事件にも巻き込まれて。彼はなにか不幸な星の下に生まれたのでしょうか。やはりよほどの悪因悪果を背負っているとか……。
「申し訳ないが、私は力になれそうにない。他に世界があるという話ですら今日初めて聞いたのだよ」
「ニャァ……」
「魔導に関することならばこの領地で一番くわしいのは娘だと思うのだが、マール、どうだね?」
名前を呼ばれてハッとしました。また考え事をしてる間に話が進んでいましたね。悪い癖です。
「この世界に重なり合うように存在する数多の異世界の話は聞いたことがあります。神々のおわす天界、魔の司る奈落、精霊の諸世界、戦の園、九層地獄、冬の領域、また太陽そのものも太陽神の司る一つの世界であり、空の光はそこから漏れ出る輝きの欠片だという説もあるそうです」
そこで一旦言葉を切りました。自分の話が相手にどう伝わっているかを確認するためです。魔導に携わらない人たちというのはこういうものを大体真面目に受け取らないのですよね。だからお父様に促されなければこんなことは言わなかったでしょう。
「先程の話であれば、もしかすると貴方がたの世界というのは、無限に争いの続く修羅の巷、『戦の園』のことを指しているのかもしれません」
消去法ですが、他に該当するものがなさそうなので。たしか、戦神や軍神、英雄神などが善悪入り乱れ、人間をゲームの駒のように扱い競わせ、争わせ、奪い合わせているという恐ろしい世界だそうです。
「ただ、神々が居ないというのはよくわかりません。どの世界にも神がおわし、その世界を形作っているのは神の意思によるものだと教わりましたから。天界や精霊の世界に旅をしたもの、奈落へ落ちて帰ってきたものの物語は残っています。戦の園にまつわる言い伝えとかって何かあったかしら?」
生前人を殺しすぎた魂がそこに送られて未来永劫殺し合いを続けるとかそういう話があったような気もしますが、何分うろ覚えでして。
「確かに救いようのない世界だとありましたが、それほどまでというと違うような気もします」
「ニャアニャア!」
私の言葉を聞いてショックを受けているのでしょう。言葉は通じなくても彼が動揺のあまり早口になっているのがわかります。
「我らの世界をご存じなくとも、別の世界へ移動するための手段のようなものは存在しませんか? あるいは調べるための方法か、知っていそうな人物などが居たら教えて頂きたいのですが」
「伝承には妖精の世界へ通じる虹の橋などが出てきますが、それで貴方がたの世界へ行けるかどうかはわかりません。」
そもそもあれはおとぎ話と伝説の合いの子ような話ですし。
「書物でしたら、もしかするとかの有名な知の守護者を任ずる学究都市にはあるかもしれません。人物で言うと、天使学を専門にしている方が学院に居たかと」
「ニャー、ニャニャニャニャア」
猫達と猫未満の男とで会話をしているようです。
「とりあえず今教えていただいたものを一つずつあたっていきたいと言っております」
「帰ることが優先で、魔王は退治してもらえないのでしょうか」
「マール、やめなさい」
「ですがお父様! 今この瞬間にも苦しんでいる人たちが大勢いるのです。ニールにも難民がたくさん押し寄せてきています。彼らがあの戦いでいれば、」
「やめなさいと言っている! 下がって頭を冷やして来なさい」
自分らしくもなく感情的になってしまいました。ですが私は自分が間違ったことを言っているとは思いません。
猫たちは気にもしてないようですが、オリーだけはこちらを見ています。西方人は何を考えているのかわかりにくいんですけどね。
一礼して大人しく下がります。なにか提供できるものでもあればよかったのですが、彼は金のために戦うような男には見えません。争いごとが得意そうにも見えませんし。とはいえ、彼を味方につければ猫たちも自動的に付いてくるでしょう。流されやすそうなタイプに見えるので、親身に接するのが一番かもしれません。籠絡は……うーん、最後の手段ですかね。まぁ今日のところは私も彼も疲れが酷くてそれどころではありませんが。
お父様はああ言ってましたが、私は諦めるつもりはありません。そもそも彼らが神の使徒であるならば運命が彼の行く手を指し示すでしょう。
……そうだ、私は仇を討たねばならない。それには彼らの力が必要だ。




