1 厨房は美味しい匂いでいっぱい
「それじゃあルイ、収穫よろしく!」
「はい! 行ってきまーす」
背負い籠を左肩にひっかけ、私は厨房を出た。
半地下の裏口から煉瓦の階段をトントンと上り、植物園に回りながら、料理長さんに言われた食材を口の中で唱える。
「えーっと、ジャガイモを二十個、リンゴを十個、トマトを二十個。それから葉野菜とハーブ。この順番で収穫して戻るか」
エミュレフ公国アモラ侯爵領、ヴァシル・デュベルク様のお屋敷。そこの厨房が、今の私の職場だ。
私たちは朝食が終わったら、すぐに庭師さんたちの昼食の準備にかかる。お屋敷の敷地の大半を占める植物園は、何人もの庭師さんたちに管理されているんだけど、彼らはそれぞれの仕事に合わせて昼食をとる時間がまちまちなので、いつでも提供できるようにしておかなくちゃいけない。
食事に使う野菜や果物はすべて、植物園で収穫する。畑と果樹園を回って固いものから籠に入れ、もう一度畑に戻ってその上に葉野菜をどっさり、そしてハーブ園でペパーミントやバジルやパセリを摘んでファッサーと載せて。
えっほえっほと厨房に戻ると、料理人さんたちがパイやタルトの生地を作っていた。
「今日はジャガイモと細切り肉のパイ包み焼きと、リンゴのタルト、野菜とチーズのサンドイッチかー」
メニューを確認し、他の人たちと手分けして、パイやタルトやサンドイッチのフィリングや具を作る。庭師さんたちは外で昼食をとるので、簡単に食べられるものがいいのだ。
ふかしたお芋のほっくりした匂い、リンゴを煮る甘酸っぱい匂い、葉野菜をちぎったときのフレッシュな匂い。厨房は美味しい匂いに満ちている。
焼き上がったパイをトレーに並べ、庭師さんが取りやすいように棚に置く作業は、ちょっとパン屋さんに似ている。私が日本で母とやっていた『カフェ・グルマン』は小さいお店だったから、こんな風にはできなかったけど、実はちょっと憧れてたんだ。ブーランジェリー併設のお店って、いいよね。
──お母さん、一人でお店、大丈夫かな。変なお客に絡まれたりしてないかな。トラブル引き寄せ体質だからなぁ。
私は母に思いを馳せる。
まあ、恋人の足立さんがとても頼りになりそうな人だったから、きっと守ってくれてるんじゃないかと思うけど、心配だからできるだけ早く日本に帰りたい。
そのためには、こちらにきたきっかけになった、あの不思議な香りを再現しないと!
足立さんが、母と私の経営する『カフェ・グルマン』に持ち込んだ香り。彼がどこかで嗅いだ香りを再現したものだと言っていたけど、それを嗅いだとたん──私はこちらの世界に来てしまった。
同じ状況を作れば、帰れるかもしれないんだから、頑張る!
『ルイ、今日もペパーミントを摘んできたんだね!』
嬉しそうにふわふわと現れたのは、【草】の大精霊ビーカだ。
ビーカ少年は、元々ペパーミントの精霊で、現在ハーブの中で大きな勢力を持っているので大精霊になった。いわば、人気があるのでセンターになったアイドルみたいなものだ。
「そうだよー、やっぱりミントティーは美味しいし、すっきりするもん」
お湯を沸かしている間にペパーミントの葉を取っていると、料理人さんたちが私を見て含み笑いをしながら言う。
「【草】の大精霊が来てるのね?」
「やっぱりルイは私たちと違うな、ちゃんと話せるんだから」
そう、精霊のいるこちらの世界でも、すべての人に精霊が見えたり声が聞こえたりするわけではない。
お屋敷で働いている人たちは、一応見えるらしいんだけどーー前にヴァシル様が「私の屋敷で働く人間に、見えない無能はいらない」とかなんとか言ってたーーなんの大精霊か見分けたり、会話ができたりというのは珍しいみたい。
「あはは、そうです。なんかひとり言みたいで恥ずかしいんだけど」
照れ隠しにズババババとミントの葉をむしっていると、ヴァシル様の昼食を作っていた料理長が声をかけてくれた。
「ルイ、せっかくの才能だ、しっかり伸ばせよー。ここはもういいから、昼飯食って修行に行きな」
「はい、ありがとうございます!」
私は厨房の皆に挨拶してから、昼食をお皿に載せて布巾をかけ、階段を下りたところにある自室に向かった。
ヴァシル様に無礼を働いたお詫びに働き始めたはずが、二人部屋を一人で使わせてもらっているという贅沢な身分なのだ。
扉を開けたとたん、いきなり顔に何かが飛びついてきた。
「ぶっ」
『ルイ! 会いたかったぜ!』
すぐにパッと離れて私の目の前に浮かんだのは、黒い毛並みに白い筋の入った動物。スカンクだ。
彼はブラックペッパーの精霊で、【スパイス】を代表する大精霊でもある。
「ポップ、別に待ってなくていいのに」
部屋に入りながら言うと、大精霊ポップは空中で腕と足を組みながら言った。
『外には出かけてたぜ? オレも新参者だ、植物園の皆に挨拶しとかないとな。ヤレヤレ、気が利きすぎて困りものだぜ』
……こいつはとにかく、自分を褒めまくる。
『そろそろルイが戻ってくると思って、オレも戻って待ってたのさ。いやー、ここの植物園は魅力的な精霊が多いなー』
「あ、そう……」
いかにもプレイボーイな発言をするので、横目で見ていると、ポップは私の肩に肘をかけてウィンクした。
『ははっ、オレのルイの魅力に叶う奴はいないけどな! 待ち遠しかったぜベイベ』
何がベイベだ。私はあんたのカノジョじゃなくて『母』だっつーの。……一応。
それはともかく、こいつは自分だけでなく周りも褒めまくる。長所といえば長所だけど、日本人の私から生まれた感じがしない。
「この子、本当に私から生まれたのかなぁ」
『エエッ!? ボクはお母さんの本当の子どもじゃないの!?』
ポップはノリがいい。つい私もつられる。
「そうよ、みかん箱に詰められて橋の下に捨てられてました。ちょっとポップ、あまりくっつかないでよ」
『ハハン、照れてるな? ルイ』
あんたからとんでもない匂いがしてきそうで嫌なのよっ!
……とは言えない。スカンクの姿に生んでしまったのは私らしいからな……
焼きたてアツアツのパイを楽しみ、次にバジルの風味のするサンドイッチを頬張って、リンゴのタルトはお夜食にとっておこう。ミントティーでさっぱりしたら、着替えだ。
ちらりとポップを見ると、彼は優雅に右手を前に回してお辞儀をした。
『これは失礼。外でお待ちしております』
……紳士なんだか、チャラ男なんだか。
一人になると、まずメイドの制服だったエプロンと黒ワンピースを脱ぐ。
そして新たに着るのは、『香精師』の弟子の制服だ。白いブラウスと臙脂色のロングスカートの上に、オリーブ色の薄手のローブを身につける。
よし、ヴァシル様のお部屋に行こう!




