2 香精師の修行
「それではルイ、収穫をよろしく」
「はい! 行ってきまーす」
……なんだか朝に時間が戻ったようなやりとりだけど、今度はヴァシル様に頼まれたものを収穫するため、私は植物園に出かけた。
だって、香精を作るには材料がいるものね。食べられる植物は私の知っているものばかりなんだけど、それ以外はサッパリだから覚えなくちゃいけない。
「おう、『コショウ爆弾のルイ』じゃないか」
屈強な庭師さんたちには、物騒な二つ名つきで覚えられてしまった。
「もうコショウでご迷惑はかけませんって!」
あわてている私の横で、ポップが親指を立てながら言う。
『そうさ。オレはお役立ちな男だぜ!』
「ん? 大精霊がいるのか、何か言ったか?」
庭師さんたちには、聞こえてないのである。
「あはは、ええっと、すみません、パチュリ……ってどれですか?」
庭師さんに聞いて教えてもらい、大きな温室に入った。低木の植えられた一角に行き、葉を摘む。シソの葉っぱに似ていて、ちょっと墨汁みたいな香りがする。
葉のまわりに、何かキラキラした粒子が見えた。
『おおっ、この精霊も魅力的だな! イキイキしてるぜ!』
ポップがパチュリの葉に投げキスをした。
……もしかして、ポップの言う魅力的って、セクシャルな意味じゃなくて生き物として、ってことなのかなぁ。
「次、次。ベルガモットはどれだ」
『ルイ! ベルガモットならここよ』
温室の中の、果樹のある一角から誰かが呼んでいる。
オレンジ色の髪に丸顔の女の子。【果実】の大精霊シトゥルだ。
『これこれ。この、まっ黄色い実ね』
「ありがとう、シトゥル。これも、私のいた世界にあったよ」
確か、紅茶のアールグレイに香りをつけるのに使うんだよね、ベルガモットって。
ありがたく、実をもぐ。ふわぁ、爽やかな香り! 少しお花みたいな香りもする。これも、粒子がキラキラ。香精のように形になっては見えないけれど、きっと今ここにベルガモットの精霊がいるんだ。
「さて、次はネロリっていう花だ」
温室を出ながらあたりを見回すと、外の果樹園の方から声がした。
『ネロリはここですわよ、ルイ』
呼んでいるのは、【花】の大精霊フロエ。薄紫の長い髪をたなびかせて、今日もたおやかに微笑んでいる。
『私の仲間。この木なの』
彼女が指したのは、背が高くて細い木。つやつやした緑の葉、白いふっくらしたつぼみのような花が咲いている。摘んでみると、ちょっと赤ちゃんみたいな甘い匂い。
「ここ、果樹園だよね? でも【花】のフロエの仲間なの?」
『そうよ。果樹に咲く花も、花だもの』
フロエは微笑んだ。シトゥルがにこにこと教えてくれる。
『あのねルイ、この木にはビターオレンジっていう実が成るの。ビターオレンジの精霊は、あたしの仲間。で、同じ木でも花の精霊は、ネロリ。フロエの仲間』
『枝や葉には、プチグレンという精霊がいます。プチグレンは、【樹木】の大精霊トレルの仲間なのですわ』
「ひえぇ」
私はげっそりしてしまった。
一本の植物から、【花】【果実】【樹木】の3つもの種類の香りが生まれるってことだよね。これ、覚えきれるの……?
いや、覚えるしかないっ。だって、香精師になって、足立さんのあの香りを再現しなくちゃならないんだから!
他にもいくつか花や葉を収穫して手提げ籠に入れ、私は大精霊たちにお礼を言って、お屋敷の三階にあるヴァシル様の部屋まで持って行った。
「ただいま戻りました!」
本棚の前で一冊の本に目を落としていたヴァシル様は、私に流し目を送った。そして書き物机とは別にあるテーブルに近づき、私が置いた籠の中身を確認する。
「……全部、揃っている。どうやら、大精霊たちがルイを甘やかしているようですね。あまり手を貸さないように言わなくては」
淡々と厳しいことをおっしゃるので、私はあわてた。
「そ、それは勘弁してくださいー! 私、こちらの文字が読めないので、植物の名前や形を本で調べることができないんです。庭師さんたちや大精霊たちに聞けないと、収穫できないし覚えられませんっ」
ヴァシル様は、聞いているのかいないのか、優雅にクールに微笑んだだけだった。
そして、おもむろに作業が始まった。ヴァシル様は床に魔法陣のようなものーー調香陣というらしいーーを書き、大精霊の力を借りて植物の香りを混ぜ合わせ、香精を生み出すのだ。
深く、澄んだ、美しい声が、呪文を唱える。
「初めに、甘く爽やかな香りを。やがて花のように弾け、優しい花びらで包め」
この呪文にも、実はすごく意味があった。
まず、生まれた香精から何がどんな風に香るかを表している。一つの香りにもいくつかの特徴があって、そのどの部分を強く出すかを、呪文で指定しているらしい。
それに、呪文は香りの順番も表していた。今、目の前で生まれた若草色のちっちゃな香精が、私のまわりをくるりと回ってヴァシル様のところへ戻っていったんだけどーー最初にスイートオレンジの香りが、そしてその次にネロリ、ラベンダーの香りをさせて去っていった。
香精の香りは、変化するのだ。そういう風に、ヴァシル様が呪文によって作っているから。
私が日本で受講したアロマテラピー講習会によると、最初に香るのがトップノート、次に香るのがミドルノート、そして最後に残る香りがラストノートという。
うーん、難しい。ますます、本当に香精師になれるか自信がなくなってきたよ。
そんなことを考えていたら、少しボーッとしてきた。
「はぁ……な、なんだか眠くなりそうなほど、落ち着く香りですね……」
「眠れない人のために作った香精ですからね」
あっさりと言うヴァシル様の声に、私はあわてて両手で頬を叩いた。香精はすごく効くんだけど、まさかここで寝るわけにはいかない。
すると、どこからかレモン色に光る香精が現れて、私のまわりをくるりと回った。あっ、爽やかでちょっと刺激のある……こないだ生まれたレモンペッパーの香精だ!
「ありがと、おかげで目が覚めた」
私は香精にお礼を言った。香精は、目鼻立ちはハッキリとは見えないんだけど、笑っているような気配が伝わってくる。
ボードに白い紙を載せた私は、鉛筆のような筆記具で今の技をせっせと日本語でメモった。
不眠の人のための香精に、スイートオレンジとネロリとラベンダーを使用、と。呪文は、「甘く爽やかな香り」っていうのがトップノートのスイートオレンジを指していて……
「呪文は、香精師によって異なります」
肘掛け椅子に腰掛けたヴァシル様が、気怠げに私を見る。
「いずれはあなたなりの解釈で、言葉を選べばよいでしょう。……ところで、ルイ。それを書き終わったら、お使いを頼まれてくれませんか」
「はい、もちろんです。何をですか?」
急いで書いてから聞くと、ヴァシル様は傍らのテーブルの上に置かれたいくつもの小瓶を指先でつつきながら言った。
「そこのレモンペッパーの香精と、今作った香精が入る瓶を、注文しに行ってほしいのです」
瓶の、注文?
ヴァシル様がニ体の香精を促すと、彼ら(彼女ら?)は瓶の上を飛び回り、それぞれ適当な瓶の中に入った。
「これは、仮の瓶ですからね。ひとまずこの状態で持って行きなさい。詳しいことは、職人が教えてくれます」
「は、はい」
私はヴァシル様から瓶を受け取った。
ヴァシル様はふと、両手を自分の首元にやり、しゃらり、とペンダントを外した。
「これをかけて行きなさい」
「え?」
スッ、と立ち上がったヴァシル様は、私の首にペンダントをかけた。あの、パカッと開くようになっていて、中に陣を書く蝋石みたいな石が入っているペンダントだ。
近くで見ると、全面が銀細工の透かし模様になっていて、とても綺麗だ。高価そう。
「ラベンダーの香りがする……」
「【花】のフロエが香りをつけた石です。魔除けの守りになりますから」
「そうなんですか、ありがとうございます」
……私にお守りを渡したくて、これを?
よくわからないまま、瓶を作る職人さんがいる場所をヴァシル様が説明し始めたので、私はそれを急いでメモった。瓶と一緒に、手に提げる籠に入れる。
「それでは、行ってきます!」
「…………」
ヴァシル様は、本物の琥珀みたいなきれいな瞳で私を見つめると、ふいっとポップに視線を移した。
「ポップ。ルイはこの世界で、この屋敷から初めて外へ出るのです。頼みましたよ」
『ボディガードってことだよな! 任せろ!』
ポップがばっちーんとウィンクすると、ヴァシル様は珍しく、目を細めて微笑んだ。
ヴァシル様は厳しいけど、お守りも下さったし、一応私のこと心配して下さってるらしい。
ちょっと、嬉しくなった。




