【書籍化告知用SS】君に教えたいのは(ヴァシル視点)
活動報告では報告済ですが、本作品は5/27に『精霊王をレモンペッパーでとりこにしています 美味しい香りの異世界レシピ』というタイトルで、Jパブリッシングさんのフェアリーキスピュアより書籍化されます。
web版は少女小説風ですが、書籍版は恋愛色マシマシなので、その一端だけでも感じていただきたく告知用小話を書きました。最終話直後のお話です。書籍版は章ごとにヴァシル視点が入りますので、この小話もヴァシル視点でどうぞ!
海辺の町、ストラージェ。
私がルイの仕事場を訪ねたのは、春まっさかりの季節だった。
「ええっと、ヴァシル様、狭いですけどこちらにおかけください!」
ルイが勧める椅子に腰かけ、仕事場を見回す。
ここは、私の知り合いの香精師が長年使っていた仕事場で、彼女――年老いた女性だが、腕は確かだ――が現在はルイに任せているのだ。
テーブルの上には、香精瓶の見本や布地の見本、本などが並び、部屋の反対側は広くなっていて、調香陣を描けるようになっている。彼女は現在の師に教えを請いながら、ここで新米香精師として仕事を請けている。
海側の窓から潮風が吹き込み、庭の方へと抜けていった。
さっきまで【スパイス】の大精霊ポップと、古代精霊ナーグ、そしてスラープも一緒にいたのだが、三人とも気を利かせてどこかへ行ってしまった。
ポップは「両手に花だぜ!」と有頂天だったので、まあ楽しくやっているだろう。
「ちょうど昨日、バジルペッパースコーンをたくさん焼いたところだったんです。あと、ハムとチーズもあるし……紅茶も淹れますね」
小さな厨房に、ルイは駆け込んでいった。訪ねてきた私に、昼食を用意しようとしているのだ。
扉を開け放してあるので、彼女が右に横切ったり左に横切ったりしながら、くるくる働いているのが見える。
そんな彼女を見ていると、勝手に口元がほころんだ。
(可愛い)
ルイがこちらの世界に来て、初めて会ったときにも、可愛らしいとは思った。けれど、それだけだった。ごく普通の、ちっぽけな娘に見えた。
しかしその後、彼女は大精霊を生み出しただけでなく、私への恐れをものともせず弟子となり、笑顔を見せ、私のために美味しいものを作って……まるで家族のような存在になっていった。
(手放せないな)
こんな風に、誰かと一緒にいたいと想うのは、いつぶりだろうか。
私には両親と姉がいるが、彼らとはうまくいかなかった。具体的に何かあったわけではないが、私と彼らは違いすぎたのだ。
「どこへ行ってもヴァシルのことを聞かれるよ」
「すごいのね、私が生んだとは思えないわ」
「いつまでも若くて、いいわね」
――それらの言葉を向けられるのが、いつしか苦痛になっていた。彼らが悪いわけではないけれど、お前は人間ではないのだと突きつけられるようで。
ルイも最初は、彼女と私は全く違うもの、ともに歩むことなどあり得ないと思っている節があった。修行に本気を出させるため、私が少し彼女に言い寄るようなそぶりを見せても、私とどうこうなることなど想像もできなかったようだ。
でも、彼女は私を料理で喜ばせてくれる。私が喜ぶ様子を嬉しいと感じて、また作ろうと思ってくれる。
もちろん、彼女がそうするのは私にだけではない。イリアンを始め、他の人にも同じようにする。正直、少々面白くないけれど、同時に嬉しいと――私だけを特別扱いしないでくれることを嬉しいとも思う。複雑だ。
(私だけのものになれば、エミュレフ公国の『精霊王』の想い人として、何でも思いのままだろうに)
私は苦笑した。
「ルイは、欲がないですね」
「え? すみません、何かおっしゃいましたか?」
「早くこっちにおいで、と言ったんです」
声をかけると、返事はなかったけれど、やがてルイがトレイに食事を載せて現れた。頬が薄紅色に染まっている。
「ど、どうぞ」
「ありがとう。ルイも一緒に食べるのでしょう? さっき外で、何か包みを持っていた」
「あっ、ええと……じゃあ失礼します」
斜向かいの椅子に腰かけて、二人で食事にした。
温め直してくれたスコーンはいい色に焼け、割れ目から覗く柔らかな黄色も食欲をそそった。手で割って口にいれると、ほくっ、ほろほろと崩れる。ふわりと鼻に抜ける、バジルとブラックペッパーの香り。
「美味しいな。それなのになかなか、アモラに作りに来てくれませんね」
「す、すみません、ここのお仕事が安定するまではと思って」
「ふふ、わかっています。でも、そろそろおいで。使用人たちも喜びます」
「はい」
ルイは少し照れたように微笑み、うなずいた。
ふと見ると、机の上に見覚えのあるデザインの瓶が置かれている。
「これは、イリアンの?」
聞くと、ルイはそちらに視線をやってうなずいた。
「あ、はい。さっき届けてくれたばかりなんです」
「……そう」
……もしかしてルイは、私よりよほどイリアンの方と会っているのでは? 仕事上の相棒なのだから仕方がないけれど、正直、面白くない。
いや、待てよ。明るく朗らかな彼女のことだ、このストラージェでも誰彼かまわず仲良くなっているかもしれない。
私はさりげなく尋ねる。
「ここは暮らしやすいですか? 町の人ともうまくいっているのかな」
「はい! 皆さん、親切でとっても嬉しいです」
ルイは満面の笑顔だ。
「道で行き会うと、香りのいい植物がある場所を教えてくれるんですよ。あっ、それに、同じ年頃の友達も何人かできたんです!」
「そう。……同じ、年頃」
一口、紅茶を飲む。
私は精霊の力で年をとりにくい。なので、見た目は若くとも、実際にはルイと六十近く年が離れている。
異なる世界に生を受け、歩んできた時間も、性格も、何もかも違う私とルイ……
もし、私たちがもう少しだけでも似ていれば、ルイも私の気持ちを受け止めやすかっただろうに。
「ヴァシル様、お茶のお代わりを……ヴァシル様?」
ルイがふと心配そうに、私の顔をのぞき込む。
「どうかなさいましたか?」
「はぁ」
私はため息をついてみせる。
「同じ年頃の男と仲良くなんて、危険ですね」
「おと、男だなんて言ってませんが!?」
「でも、男もいるのでしょう?」
「それは……まあ……」
ルイは目を逸らし、軽く眉をひそめる。
可愛らしい唇が、少し尖り気味に、言葉を紡いだ。
「でもヴァシル様にだって、縁談がたっくさん来てるんでしょう?」
「え?」
思わず口を開けると、ルイはハッとしたように私に向き直り、あわてて両手を振った。
「いえ、何でも! 気にしないでください!」
顔から耳まで真っ赤になった彼女は、ガタガタと立ち上がる。
「まったくもう、イリアンが余計なことを言うから……ええと、今、お湯を」
「ルイ」
私は素早く、彼女の手を捕まえた。
「ひゃあ!」
よろめく彼女を、私の椅子のすぐそばに引き寄せる。
「もしかして、妬きましたか?」
「そんなことはっ」
「正直に」
柄にもなく胸をときめかせながら、もう片方の手でルイの頬に手を添えた。こちらを向かせる。
ルイは目を泳がせた。
「妬くっていうか、ただ想像するとちょっとモヤモヤっとしただけで」
「妬いたんですね」
「ちが……」
往生際の悪いルイの腰に手を回し、私の膝にぽんと座らせる。ふっと香ったのは、紅茶に入れたレモンの香りか。
ひっ、と短く声を上げて、ルイはうろたえた。
「ごめんなさいいいい」
「何を謝っているのかな?」
至近距離で見つめると、ルイは涙目になってしまった。
「だって、ヴァシル様は私のものでも何でもないのに」
私は彼女の耳元で、甘くささやく。
「私は、君のものですよ?」
「絶対嘘です」
いきなり真顔になるルイに、私はがっくりする。
「なぜ言い切るかな……」
「だって、ヴァシル様は侯爵様で、精霊王ですしっ」
「あのね、ルイ」
私は額を彼女の額と合わせ、逃がさないようにしながら告げた。
「本当は、精霊王だと周囲にバレる前に、私は引退してしまおうかと思っていたんです」
「えっ!?」
ルイは目を見開く。
私は微笑んだ。
「精霊王、なんて持ち上げられる一方で、人間扱いされないなら、いっそ人間ではないものになるのもいいな……と思っていました。山の奥深くに行って、それこそ精霊のような存在になって、森に溶けてしまいたい、なんていう願望もあったんです」
「そんな……」
息を呑むルイに、私は続ける。
「でも、君が現れた。私を引き留めたのは君の存在、私が公国で『精霊王』と呼ばれる存在になったのは君がいたから、なんです。当然、縁談など即、断っていますよ。ほらね、私は君のものでしょう。公国は君に感謝してもいいくらいです」
「…………」
どこか呆然と、ルイは私を見つめる。私の瞳の中に、真実を探しているのだろうか。
早く、君も私のものになればいいのに。
「まだ、わからない?」
今度こそわかってもらおうと、とびきり優しい声音を意識する。
「困った弟子ですね。わからないなら……」
片手を上げ、彼女の頭を引き寄せて。
「しっかり教え込まなくては」
私は、ポップたちが戻ってくるまでたっぷり時間をかけて、ルイの心を溶かそうと試みたのだった。
ルイのお菓子のように、甘く刺激的に。




