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  作者: 矢久 勝基
第一章 魔女狩り
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五里霧中の浜辺

 その頃、クルップとメイアはすでに『弓槻』を離れていた。

 なす術がない。処刑は翌日。船長の意図を汲めば表立って行動できるのはクルップ一人だけである。策を弄してコトヨイに肉薄できたとしても、それ以降が如何ともしがたい。

 すなわち、処刑所の真ん中で、コトヨイと心中する以外の方法が思い当たらない。これは意見を交わしたラインバックやダンにも良案はなく、結局無策のまま『弓槻』を後にするしかなかった。

 ……諦めるしかないのかもしれない……。

 そういう呼吸が、坂の多い街を歩く二人のため息に混じる。

 クルップとメイアは共に簡単な夕食を取り、どこへ向かうでもなく歩いた。自然、繁華街を避けて明かりの少ない方へ吸い寄せられていくのは、彼らの気持ちがそうさせるのか。

 日は落ち、太陽に暖められることのない風が、忸怩たる気持ちに摩擦されて火照っている首筋を洗いながら海岸の方へ抜けていく中で、彼らは終始無言だった。

 なぜコトヨイは殺されなければならないのか。『魔女は殺されなければならない』というルールなど、誰が決めたのだ。誰でもいい。他人が決めたルールになぜいつのまにか自分たちまで従わなければならない。

 ……だが、いくらその気持ちが己の胸を刺し貫いても血管を煮えたぎらせても、処刑までの時間を止めることはできない。

 自分たちが思っていることは正しいことのはずなのに、無力というものはそれをいとも簡単にかき消してしまう。その悔しさをどう処理したらいいのか……クルップにはわからなかった。

「もう……帰れ」

 二人は、気がつけば砂浜で座っていた。街を登るように歩いていたはずなのに、知らないうちにたどり着いていた最下であるこの場所で、一定間隔で波が砂を打つ音を聞いている。

 辺りには人影もない。まるで別の空間に溶け込んだようにすら思える静寂の包むこの砂浜で、不意に声を上げたのはメイアのほうだった。

「貴様は帰る場所がある。今なら貴様があの船を下りる理由もあるまい」

「……」

 メイアは膝を抱えたまま右隣のクルップの方を向く。

「魔女裁判の時のこと……本当に感謝するよ。ありがとう」

 彼女は、初めてこの男に安らかな表情を見せていた。

「アンタは……?」

「わたしには魔女の意地がある」

「……」

 その言葉がなにを意味しているか、聞くまでもあるまい。

 そして二人が言葉を発さなくなれば、闇は本当に人がいるのかも怪しくなるほどにすべてをかき消してしまう。

 しかしクルップはそのまま消え去ることに抗うかのように立ち上がった。

「いいよ。俺もついてってやる」

 ……この若者は勢いで言った。決して死を覚悟したものではない。消えゆくメイアの心を照らすのに、その言葉が必要だと思った。彼は、そういう男だった。

 メイアは黙っている。そんな声など聞こえなかったかのように膝を抱えたまま、二つの月に淡く照らされた潮の満ち引きをその目に映していた。

「無駄かもしんねえよ。コトヨイを助けてはやれねえかもしれねえ。でもそうだとしても、助けにきた俺たちの姿が一瞬でもあの子の目に映れば……あの子は、少しでも心が救われるんじゃないか?」

「……貴様は死ぬ気があるのか?」

「死ぬ気なんかねえよ」

「なら迷惑なだけだ」

「死ぬ気で行く方がコトヨイには迷惑に決まってる」

「ふん……」

 詭弁だ。……メイアは言い捨てた。

「わたしは処刑場の真ん中で自爆する」

 魔術の究極に、そういう類の破滅が存在する。効果は大掛かりなもので、処刑場である闘技場の大きさを考えれば、中央で爆ぜた場合、範囲は観客席までをすべて飲み込むだろう。自分の命と引き換えなので、習得しようなどという魔女もまれだが、彼女はあるいはこういう日が来ることを予期していたのかもしれなかった。

「コトヨイもわたしに殺される方がまだ本望だろう」

「中央まではどうやっていくんだ」

「行ってみせる」

「だからどうやって?」

「わたしは消えることができる」

「ああ……」

 確かに彼女がその姿を消していた様をクルップも見てはいた。しかし、

「やめたほうがいいな」

 あの時はラインバックにあっさり見抜かれた。彼ほどの戦士がこの国にいるかは定かではないが、あの時のように首根っこをつかまれたらそこまでだろう。

「そうしたら……そこで自爆すればいい」

「自爆から離れろよ。アンタの魔術で他に何か、切り抜けられそうなものはないのか? 俺にできることがあるなら何でも手伝ってやる」

「……」

 彼女には言いよどんでいることがあった。

 ある魔術を知っている。しかし、魔女が魔術を魔女以外の人間にかけるということは、以後その魔術の対策をされる危険があるという意味で、特に魔人戦争以来、タブーとなっている。

 しかし他に方法があるか……自問自答を繰り返す彼女の脳裏に、コトヨイの顔が浮かんだ。

 メイアにとって、いや、魔女にとって、コトヨイは特別な存在である。この街でそれを知る魔女はメイアのみだが、だからこそ、できる限りのことは尽くさなければならない。

 その狭間で行き来して、硬く緊張した声帯から漏れ出る苦悩。

「貴様が魔女ならばな……」

「なに言ってやがる」

 クルップは吐き捨てるように言った。

「魔女を差別されたくないと願いながら、俺が平人だと差別するのか?」

「貴様ら平人が魔女を迫害しなければそんなことにはならなかった!」

 古代から続いている軋轢である。ここでにわかに議論したところで解決の糸口があるわけもなかった。

 クルップが議論の無駄に早々に気づき、語調を和らげる。

「俺を信じろよ。コトヨイを助けてやりたいんだ。魔女だとかそうじゃないとか関係ねえよ」

「……」

「何か方法があるなら教えてくれ。俺は裏切らない」

「……」

 メイアはしばらく月を眺めた。クルップも黙り、また静寂に包まれる。

 それから、波の音が満ちて、引いて……どれほど時間がたっただろう。

「貴様……本当に戦えるのだな……?」

「弱くはない」

「……」

 ……やがて彼女はゆっくりと立ち上がって数歩下がった。

「……信じるぞ……」

 懐から短い棒を取り出してうつむく彼女の唇が小刻みに動き、なにがしかのもんを羅列していく。つむられた瞳は凛と涼しげで、月光の淡さも手伝って彼女を妖艶に見せた。

 やがてその目は開かれてクルップを下から覗き込むような視線となり、彼が意味も不明な動悸を静めようと深く息を吸った時、

「そのまま息を止めてみろ」

 彼女は言った。反射的に口を塞ぐクルップ。メイアは不意に懐から何かを投げつけた。

「!?」

 距離二メートル。本来何かを投げられたらすぐに接触する距離だ。が、その何かはまるで微風に煽られた風船のようにゆっくりとこちらに向かってくる。

 受け止めようと手を持ち上げようとしたが、こちらもうまく動かず、とりあえず身を翻してそれを避けようとしてみた。

 間一髪、その動線から身体が外れる。物体が彼を通り過ぎたところで思い出したように再び呼吸を始めれば、急に肉体がすべて開放されたかのように早く動き、世界が戻ったことを知った。

「……さすがだな。一投目で身体の扱いが間に合うとは思わなかった」

 今起きたことを端的に文章化すれば、つまりクルップが息を止めている間、時間が鈍化した。

「……これが魔術なのか……」

「分かったろう。自分自身も遅くはなるが、高速なものでも目で見て判断してもっとも適切な動きを選択することができる」

「すげぇ……」

 剣術というのは何せ一瞬一瞬の世界である。その一瞬に脳がすべてついていくことはほぼ不可能で、如何に身体に一つ一つの判断を叩き込んでおけるかが、闘いで勝利するための重要な要素になるわけだ。

 しかしもし……脳が判断できるまで、そのやり取りの速度が落ちたら?……戦士は常に最善手で動けるようになる。自分も速度が遅いから意味がない……ではない。先ほど物を投げつけられた時にあんなに物を考えて判断を吟味できたように、一瞬が一瞬でなくなることは、凡人でも一流の戦士たりえるということになる。

 余談だが先の魔人戦争では"第三軍"と呼ばれる魔法戦士隊がこれを駆使して、さんざん平人側を苦しめた。

「ただし、効果は自分が息を止めた時だけだ。自分の呼吸を如何にうまくコントロールできるかが、この術を使いこなせるかにかかっている」

 そこがこの術の弱点でもある。つまりこの魔術を駆使している戦士が息を切らせばそれだけ効果は薄くなっていくし、それを知ればそう仕向ける対策を講じることも可能になってしまう。

「とにかく焦りは禁物だ。息を止めて急ぎすぎればこの術の恩恵は受けにくくなる」

 本来は三人が一組で入れ替わりに戦う。戦いが激しくなるほど長く呼吸を止めることは困難となるために如何に酸素を温存しながら切り抜けていくかが肝要となる。

「貴様がそれで人をひきつけてくれるのなら、わたしは姿を消して別方面からコトヨイの元へ向かう」

「自爆するつもりか」

「……」

 答えない。

 代わりに、いくつもの種類の宝石がついたアミュレットと、封筒を一封。

「コトヨイは救いたい」

 クルップに手渡した。

「これは?」

「見ての通り護符アミュレットだ。わたしと共に突入するつもりなら貴様がもっていろ」

 何に効能のある護符なのかはわからないが、強弁に拒否する理由も見当たらない。

「わたしに何かがあった時はコトヨイを頼む」

 クルップがそれを懐にしまうのを見届けたメイアは、先ほどの話に戻った。

「あの子の杖があれば話は早いのだが……」

「杖? あのホウキか?」

「ホウキ……ああ、まぁ……そうだ」

 彼女はあれに乗って『弓槻』から飛んだ。確かに彼女が処刑場から飛ぶことができれば、脱出は容易となろう。

「あれがないと飛べないのか?」

「魔女は杖……いや……」

 言いかけてやめるメイアには、まだ魔女への義理立てがある。

 魔女は杖を媒介に魔術を発動する。魔女自身の実力と杖の大きさを乗算したものが術の効果として現れるから、杖は大きいほど強い効果を生むのだが、逆に杖がなければ魔女は力を引き出せない。

 つまり、魔女は杖がなければ魔術を使えない。

 多くの平人はそれを知らないが、このことについてはパーキンスの魔女狩り担当はよく知っている。いたぶるような魔女裁判ができるのも、彼らが杖のない状態では無力であることを知っているからだ。

 メイアは「飛べない」とだけ早口で口ずさむと、「とにかく明日に備えてさっきの術に慣れろ」と、彼女は改めて棒を取り出した。十五センチほどの短くて細いスティック……彼女の杖であった。


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