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二つ月の帝国  作者: 月城 響
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裏切り者

 天井近くにある小さな窓から、緩やかな光のベールを送って来る二つの月を見上げてさあやは呟いた。

「わぁ、キレイ。月もダブルだと迫力があるわねぇ」


 月は綺麗なのだが、この寒さと風呂に入れないのは何より辛い。さあやは自分が臭くなっていないか腕に鼻を近付けて匂いを嗅いでみた。

「冬だからまだ行けそう。ちょっとぉ、そろそろご飯じゃないの?おなかが空いたわ」

 さあやは出入口の石階段に向かって叫んだ。いつもならほとんど豆しか入っていない食事を持って来る時間なのに、今日は誰も現れなかった。

「寒いし、おなかが空いた・・・」

 口を尖らせて窓際にある石のベッドに腰かけた時、ふと誰かが地下牢に降りてきた気配がして振り向いた。赤茶色の被毛の獣族が牢の前に立って、黒々とした瞳でさあやを見ている。胸には見覚えのあるガラス玉のネックレスが下がっていた。


「マーロ?」

 彼は手に持ったキーで牢の鍵を開けると、手を差し出した。

「早く。あいつらが気を失っている間に逃げるんだ」


 石階段を上ると、2人の獣族が倒れていた。食事を運ぼうとしたところをマーロに気絶させられたらしい。そのまま誰にも見つからないよう外へ出た。周りは背の高い草が生い茂っていてドレスでは早く動けないので、マーロはさあやを抱きかかえて走り出した。深い草むらを抜けて荒野に出ると、マーロは力尽きたように立ち止まってさあやを降ろした。息を切らしながらその場にしゃがみ込んだマーロの肩に手をかけて、さあやは彼の顔を覗き見た。


「マーロ、助けてくれたのね」

「あそこに連れて行ったのは・・・俺だから・・・」


 マーロはずっとさあやをさらった事を後悔していた。気を失う直前、さあやは悲しそうにマーロの名を呼んで倒れた。その声がずっと耳の奥から離れなかったのだ。


「俺、ここに居てずっと俺達の王って人の事を見てたんだ。あの人、すごくわがままでさ。下の者達の苦労なんて全然見えてないんだ。俺さ、俺達の国が復興したら、何もかも良くなるって思ってた。でも違うんだ。あんな王様じゃ、俺達の暮らしは変わらない気がする。サアヤは人間だけど、俺、サアヤの方がずっと信じられるって思ったんだ。サアヤをこんな目に遭わせて、勝手な言い分だけど・・・」


 マーロはそれ以上の謝罪の言葉が見つからずにうなだれた。ピンと立っていた耳も低く垂れていて、とても反省しているようだ。さあやはにっこり微笑むとマーロの両手を握りしめた。


「もちろん。私はマーロ達の為に頑張るわ。でも世界を変えたいのなら、他人の力にばかり頼っていては駄目。マーロ達も頑張らなきゃ駄目なのよ。だから私はマーロと友達になって、一緒に頑張りたいと思ったの」

「サアヤ・・・」


 その時、彼等が逃げ出してきた城の方が急に明るくなり、馬のいななく声が響いて来た。気付かれたのだ。マーロはさあやの手を握ると、再び走り出した。だがそれから5分もしないうちに追手に見つかってしまった。荒野にはどこにも隠れる場所はない。さあや達は必死に走ったが、馬やエグラの足に勝てるはずもなく、すぐに周りを囲まれてしまった。


 カルヴァンがその被毛と同じ真っ黒な馬の背に乗って兵達の前に出てきた。


「ガキのくせにこの俺を裏切るとは、いい度胸だ。褒美にこの俺の手で殺してやる」


 剣を引き抜き近づいてくる王を見て、マーロは恐怖で動けなくなった。


「カルヴァン、やめて。マーロはまだ子供よ。私は戻るから見逃してあげて」

 さあやがマーロを守るように前に出たが、他の兵に両側から押さえつけられた。

「やめて、カルヴァン。お願い、やめて!」


 カルヴァンが剣を持ってゆっくりと近づいてくるのを、マーロはただ震えながら見ていた。銀色の刀身が鈍く光った後、彼の体の真ん中を貫いた。勢いよく剣が引き抜かれると、マーロはまず地面に両膝をついて、それからゆっくりと前に倒れた。


「いや、いやぁ!マーロ、マーロ!」


 泣き叫ぶさあやを無理やり馬に乗せると、カルヴァン達は何事もなかったかのように城へ戻って行った。


「ひどいわ、カルヴァン!マーロを殺すなんて。どうしてそんなにひどい事が出来るのよ!」


 朽ち果てた城に戻っても、さあやは叫ぶのをやめなかった。

「あなたの民でしょう?あなたは王なのに、あんな子供を殺すなんて!」

 自分の腕を掴んで放そうとしないさあやを、カルヴァンは冷たく見下ろした。

「裏切り者は死ぬ。当然の事だ」

「マーロは裏切ったわけじゃない。ただ私を信じてくれただけよ。あなたには一分いちぶの温情もないの?そんな王を民が心から慕ってくれると思う?」


「ええい、うるさい!」


 カルヴァンはさあやの体を腕で払おうとしたが、さあやはその手を放さなかった。涙のにじんだ瞳は怒りに満ちていた。一瞬、その瞳の強さに言葉を失ったカルヴァンだが、人間に対する憎しみを奮い起してさあやをにらみ返した。


「お前達に何が分かる。人間は俺達に何をした。国を滅ぼされ同胞を殺され、全てを奪われた俺達の気持ちが分かるのか」

「それはあなたの憎しみなの?小さな頃から、お母さんや周りの重臣たちにそう言われてきたんでしょう。あなたは王だ。王として人間を倒し、国を復興させなければならない。ずっとそう言われて生きてきたんでしょう!」


 今度こそカルヴァンは言葉を失った。彼の人生はまさにその通りだった。王として国を復興させる事。その為だけに彼は育てられたのだ。


「あなたは本当に王になりたいの?国を復興させたいの?あなたはただ普通に幸せに生きて行きたいだけじゃないの?」

 彼はただじっと周りを取り囲んで、彼らのやり取りを見守っている自分と同じ年頃の兵を見つめた。そうだ。彼らだってそう願っている。普通に幸せに生きて行けるならそれでいいのだ。だがそんな事を彼らの前で言えるわけがない。彼等もずっとその父や祖父達に、国を追われ隷属させられた苦難の歴史を語られながら育ってきたのだ。


 幼い頃から体が弱かったアルセナ姫 ーカルヴァンの母ー もそうだ。人間の目を逃れ追手におびえながら、どれだけ人間を恨み続けていただろう。長い間の心労に耐えかねて亡くなる直前にも、幼いカルヴァンの手を握りしめて彼女は言った。


ー たとえ人間を皆殺しにしても国を復興させるのです。それが王としてのあなたの役目。生まれてきた意味なのです -


「馬鹿なことを言う。俺は王だ。それ以外の何者でもない。王は国を造り、民を従える。王であるこの俺が国を復興させるのだ」

「そう。じゃあ、あなたの造りたいのはどんな国?国を復興させてそれで終わりじゃないわよ。王としてあなたは何を成し遂げるつもりなの?」


 それ以上答えられなくなったカルヴァンは、強引にさあやの手を引っ張って城の中へ入って行った。ハルの居る部屋のドアを乱暴に開け、大きな安楽椅子でくつろいでいた彼の前にさあやを突き飛ばした。


「その女、うるさすぎる。黙らせろ」

 再びドアを勢いよく閉め、カルヴァンは出て行った。


「やれやれ。相変わらず乱暴な男だ」


 ハルは立ち上がって床に倒れていたさあやに手を差し出したが、彼女は顔をそらして自分で立ち上がった。

「随分と嫌われたな。私は兄と似ていると良く言われるのだが・・・」

薄ら笑いを浮かべたハルを、さあやは非難するように見つめた。

「全然違う。ルディはあなたみたいな冷たい目をしていないわ。それに彼は人の心の痛みを知っている。人の指導者たる器を持っている。世界を変え、人々の称賛を受ける資格がある。何より彼は、生まれた時から皇帝なの」


 それは己と兄の違いをはっきりと示す言葉だった。人々から嘱望され生まれてきた聖霊の力をあふれ持つ皇子。同じ皇子でありながら、何の力も持たず、母の望みだけで生まれてきた自分。あいつが母の死のショックから聖霊の力を失ったと聞いて、どれだけ心の中であざけった事だろう。だが同じただの人間になったとしても、立場は何も変わらなかった。兄は世継ぎで、自分は父にとっても皇家にとっても邪魔者でしかなかった。


 だがそれを今さら言われたからどうだというのだ?だからこそ私は商人が統治する国を造ろうとしているのだ。ハルは湧き上がってきた怒りを抑え余裕のある表情で笑うと、さあやに顔を近づけた。


「その通り。私は皇帝にはなれない。だからあいつが苦しむさまを見るのが何より心地いいのさ。さてお前をどうしてやろう。犯し殺してその遺体を城門に張り付けてやろうか。それともその首を切り取って、奴の寝所に入れておいてやるかな。あいつの泣き叫ぶ姿が浮かんでくるようだ」


 その冷たい手でまるで首を絞められるように握られると、体中が凍り付くような気がする。それでもさあやは瞳を開いてハルの目を見つめた。


「どうしてそんなにお兄さんを憎むの?お母さんが亡くなって寂しかったのは、あなただけじゃないのよ」


 まるで自分の心を見透かされているようで、ハルはむっとしてさあやから手を放した。

「本当に口の減らない女だ。あいつの趣味が分からんな」

「あらそう。だったらとっとと牢に戻してちょうだい。私も一人の方が気楽だから」


 ますますムッとしたハルはすぐに兵を呼んでさあやを牢に連れて行かせた。乱暴に牢の扉が閉められた後、さあやは小さくため息をついて胸に手を押し当てた。じっと目を閉じ、マーロの事を思い浮かべた。実はカルヴァンやハルと居る時もずっと彼の事を考えていた。初めて出会った時の事。弟や妹を優しく見つめる瞳。そして私の事を信じると言ってくれた。


「精霊。私に応えてくれなくてもいい。でもマーロは助けて。お願い・・・」

 以前、幼い頃のアルバドラスは人の心を癒すことが出来たとメダが言っていた。ならば聖霊の力が肉体的な傷も治すことが出来るのではないだろうか。


「マーロは生きなきゃ駄目なの。小さな弟と妹が彼を待っている。お願い。マーロを助けてあげて。お願い・・・・」






 目を開けた時、ここは天国なのだと思った。自分の周りが青く光り輝いていたからだ。獣族の天国は大陸を囲む4つの海を超えた場所にあると言われているが、自分みたいな奴が行けるとは思っていなかった。腹部にまだ少し痛みが残っていたが、徐々にそれが消えて行くにしたがって、マーロは自分の居る場所がまだ先程、剣で刺された荒野だと気が付いた。


 周りを包んでいた青い光は少しずつ分散し、やがて握り拳程度の青い光の玉になって周りに浮かんでいる。これは何だろうと思いながら体を起こすと、その塊がぶつぶつと小さな声で何かを語っているのが聞こえてきた。


“マーロ”

“マーロ”

“マーロを助けて”

“お願い”

“お願い”


 マーロは震える手でそっとその光の玉に触れてみた。まるで川が流れてくるように暖かい何かが指先から入って来て、体中を包み込んだ。破れた服の隙間から見える腹の傷が、ゆっくりと消えて行くのが分かった。マーロは夜明けの薄明るい空に浮かぶ星を見上げて呟いた。


「サアヤ・・・・」






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