銀色の瞳の後継者
肩からしみてくるような寒気に、さあやは目を覚ました。冷たい石の床で眠っていたようだ。胃のあたりを殴られたせいか、少し腹が傷んだ。体を起こしてまず目に入ったのは床と同じ暗い石の壁だった。
「気が付いたか?」
後ろから響いて来た声に何となく聞き覚えがあった。振り返るとこの暗い部屋の中でもよく見える金色の瞳の獣族が一人、椅子に座って足を組んでいる。艶のある被毛の上から金と青の糸で飾られたベストを着て、ダボついたひざ下までのズボンをはいていた。
「あなた・・・カルヴァン?」
その質問に彼はニヤリと笑ってから立ち上がった。
「なるほど。やはりあの時来たのはお前か。まだ弱々しい意識の塊だったが。皇妃候補というのは間違いないようだ」
「皇妃?」
どうやら町に流れている根も葉もないうわさのせいでさらわれたようだ。もし違うと分かればすぐさま殺されるのだろうか。
「あなた、本当に獣族の王なの?」
「先の王、ドアールには当時2歳になる一人娘アルセナ姫が居た。王は落城の際、敵の手に倒れたが、姫は戦火のなか側近と数人の兵と共に逃れ生き延びた。それが俺の母だ」
ここにもアルバドラスⅠ世の代から続く因縁に導かれる人が居る。もしかしたらこの帝国はまだ深い闇にとらわれたままなのかもしれない。
「何が目的なの?私をさらったくらいで、この帝国を倒せると思っているの?」
「もちろん思ってはいない。我らの軍では到底帝国軍には及ばないからな。俺の目的はあくまで皇帝を殺す事。皇帝にはまだ明確な後継者はいない。城中がもめている間に、国のあちこちで内乱が起きる。もちろん起こすのだがな。帝国の力が弱まれば、今までその脅威にひれ伏していた国々が立ち上がる。以前奪われた国土や利権を取り戻そうとしてな。そして再び乱世が訪れる。その混乱に乗じて我らも国を再建するのだ」
なんて身勝手な野望だろう。3本の爪に何十人もの人々を殺させ、今度は大陸中を戦争に巻き込むつもりなのだ。それで一体どれほどの人が犠牲になるのだろう。その中には彼の同族も居るに違いないのに。
「あなたは王国を再建できればそれでいいの?たくさんの人たちが苦しみながら死んでいくのよ。親を失った子供たちはどうすればいいの?あなたは王としてそれを止めなきゃならないのに、自ら自分の民を苦しめるというの?」
「国が再建できればすべては解決する。それに大きな野望を成し遂げるのに、小さな事柄に気を取られていると何も出来ぬ」
この人は何も分かっていない。戦争がどれほどの人を不幸にするのか。それによって傷ついた国を立て直すのに、どれほどの時間がかかるのか・・・。
「そう。大事の前の小事ってわけね。フラルが死んだのも、あなたにとっては取るに足りない小さな出来事なのね」
「フラル?ああ、皇帝に毒を盛らせた女か。あの男に信頼されていたようだから使ってやったのに、殺し損ねるとは情けない。まあ、自ら命を絶ったのは、みっともなく捕まったリズロ達よりましという所か」
あまりの腹立たしさに、さあやの目に涙がにじんだ。なんて傲慢な男なのだろう。こんな王の為にフラルは・・・。
「あなたには他の人の痛みが分からないのね。フラルは自分の仕事に誇りを持っていたわ。その彼女が自分のお茶に毒を入れる事がどれほどの苦痛だったか・・・。あの小さな部屋でお茶を作りながら一生静かに生きて行く。それが彼女の小さな幸せだった。それをあなたは同族の為と彼女の人生を滅茶苦茶にして、自分で命まで絶たせて、それを当然の事みたいに・・・。
小さな人々の小さな幸せを守れない人が、本当の王になれるかしら。あなたのように人の心が分からない王なんて、私なら要らない。あなたの作る国に誰も住みたいとは思わないわ!」
いきなり頬に走った衝撃にさあやは「キャッ」と叫んで倒れこんだ。カルヴァンが手の甲でさあやを殴ったのだ。彼は倒れたさあやに顔を近づけると、鼻と口の端にしわを寄せた。
「今度俺に生意気な口を聞いてみろ。この爪でその顔の皮を剥ぎ取ってやる」
「困るな、カルヴァン。商品は大事に扱ってもらわなければ・・・」
頬を押さえながら起き上がったさあやは、入口から一人の人間が入って来るのを見た。細身で背の高い男はその金色の髪以外はさあやの知っている人物にとても似ていた。だが何よりも彼とは違う氷のように冷たい銀色の瞳が、男の出生を物語っていた。
「あなた、ハル皇子ね。ルディの弟の」
「ほう。あの男の事をルディと呼ぶ女が母親以外に居たとはな。どうやら本気でお前に惚れているらしい。それでこそ人質の価値があるというものだ」
さあやにはこれで全てが分かった。圧倒的に数が少ない獣族が、なぜ皇帝に牙を向ける事が出来たのか。それはハルが彼らを支援していたからだ。さっきカルヴァンが帝国のあちこちで内乱を起こすと言った時、そう簡単にできるはずがないと思ったが、マスカベーラ中の商人に影響を及ぼすほど力のあるハルなら可能なことだ。
もしアルバドラスが死ねば、銀色の瞳を持つ皇家の血を引く跡継ぎはハルしかいない。彼はそうやって母の願いを叶えようとしているのだろうか。
「そんなに皇帝になりたいの?自分の国を戦争に巻き込んでも?」
「皇位になど興味はない。もはや帝制などこの国には必要ないのだ。帝制を廃止し、マスカベーラを商人の街にする。我ら商人が組織を作り、この国を動かすのだ」
「結局それもあなた達が利益を独占する為の組織でしょう。そしてその組織の頂点に立ち、動かすのはあなた?結局あなたも亡くなったクラウド皇子と同じじゃない」
ハルはいかにも大豪商の主らしく、重なり合った着衣の襟を正しながらニヤリと笑った。
「ああ、あんなのろまな兄と同じにしないでくれ。私は商人だ。全て合理的に考え、余計なものに未練は残さぬ。あの愚鈍な兄のように、いつまでも就けぬ皇位に執着して獄中で死ぬなど、愚かしい事はなはだしい。お前も二度と会えぬ男の事など忘れて私のものになるか?」
ハルが高笑いを残して去って行った後、さあやは2人の獣族に連れられて地下牢に閉じ込められた。冷たい石牢は他にもたくさん並んでいて、今いる屋敷がかなり大きな建物、もしくは城のようなものだと想像できた。さあやを連れてきた獣族はもう一人の獣族を牢から離れた場所まで呼ぶと、さあやを見ながら囁いた。
「気を付けろ。あの女、少しだが聖霊の力を使うらしいぞ」
「ここまで抵抗せずに来たから大丈夫だろう」
彼等はもう一度チラッとさあやを見ると、石の階段を上がって姿を消した。そう言えば危険なことが自分や周りの人に起こる時、精霊は何となく知らせてくれていたのに、今回は何の予兆もなかった。もしかして聖霊はここに来させたかったのだろうか。それともここに来ても命の危険はないという事だろうか。
だが先程のカルヴァンとハルの様子を見る限り、2人の共通の敵はアルバドラスであり、どちらも皇家そのものを恨んでいた。アルバドラスⅠ世に祖父を殺され、祖国を滅ぼされたカルヴァン。皇子の身分を取り上げられ、皇家から追放されたハル。彼らの憎しみはそのまま、皇妃候補と思われているさあやにも向けられているのだ。
「無事に帰れそうにないよね・・・」
さあやは小さく呟いた。以前のように心の中で聖霊に呼びかけてみたが、何の返事もなかった。きっと聖霊の声が聞こえなくなった時のアルバドラスもこんな気持ちだったのだろう。まるで見捨てられたような、心に穴が開いたような寂しい気持ちだ。
涙があふれそうになったが、大きく息をのんでこらえた。周りを見回したが、壁につけられた石のベッドと小さな仕切りの向こうにあるトイレ以外は何もなかった。さあやは身長の二倍もある高さの小さな窓を見上げて立つと、目を閉じた。頭の中にアルバドラス達が居るヴァン・グリフォン城を思い浮かべ、両手を胸に当てた。
「ルディ・・エル。私はここに居る。どうか気付いて・・・」




