異世界への扉
カヤに呼ばれて書庫に駆け付けたサーズとフレイヤは書庫の惨状に絶句した後、悲しさと悔しさの入り混じったような表情で床に散らばった書類をより分けて証拠の書類を見つけようとしているさあやに駆け寄った。
「ごめんね、サーズ、フレイヤ。せっかくみんなが一生懸命集めてくれた証拠なのに、見つからないの」
「サアヤ殿、もうよいのですよ。行った場所はほとんど覚えています。また行って情報を集めてくればいいのですから」
フレイヤはさあやを椅子に座らせ慰めた。
「でもおかしいわ。書庫の鍵はこうやってずっと首から下げているのに、いったいどうやって中に入ったのかしら」
サーズもそう思って書官に他の鍵がないか聞きに行ったが、さあやに渡した一本しかないという事だった。書庫の鍵穴も壊された気配はなく、鍵を使って開けたのは間違いないだろう。
もうすぐ証拠書類がすべて完成する矢先だっただけに、さあやのショックは大きかった。それでも散らばった書類を一つ一つ集めながら昨夜の自分の行動を思い起こしてみた。昨日この書庫を出るまでは何の異常もなかった。いつものようにカギを閉め部屋に戻ったあと食事をとったが、ベッドに倒れこんだ途端、眠気が襲ってきてそのまま寝てしまった。その時も鍵は首につけたままだったはずだ。夜も鍵は枕の下に入れて寝ているし、はずすとしたら・・・・。
さあやはハッとして手を止めた。昨日岩風呂に入った時、その時だけは鍵をはずした。その鍵と着替えは湯着に着替える部屋でカヤに預け、彼女はそのままいつも岩風呂の入り口で待機している。カヤはいつものように「御用があれば声をかけてください」と言っていたが、さあやは一旦風呂に入ると体を洗ったり湯につかったりするので、30分は一人きりになる。それをカヤはよく知っているはずだ。
30分あれば書庫まで行って部屋を荒らし、証拠の書類を持ち出す事は十分できる。カヤはさあやが使っている机をよく知っているし、机の引き出しのどこに報告書を入れているかも分かっているのだ。
嫌だ、私ったら。カヤを疑うなんて・・・。一瞬自分の頭に浮かんだ考えを打ち消したが、それ以外考えられないともわかっていた。それでもさあやはこの考えを自分の胸に収めておこうと思った。証拠もないのに人を疑う事はできないからだ。
夜遅く、アルバドラスはドラゴン達の居るドームの入り口を開けてため息をついた。今日はもう5回もここに来ているのに、さあやとは一度も会っていなかった。
「あいつめ。最近は食事にも顔を出さないから、謝ろうにも謝れないではないか」
むっとしたように呟くと、彼はフリッパーやクラティカが寝そべっている寝床の側へ行った。
「すまぬな、フリッパー。何度も寝ているところを起こしてしまった」
彼は眠そうに顔を上げたフリッパーとクラティカの鼻先を撫でると、空への出入り口に立った。今日は月に一度、二つの月がひとつに重なる日だったようで、ヴェルシオの前にアルテシアが重なっている。青い光と黄色い光が混じりあって緑の輪を作り出し、それがビロードのように滑らかな夜空に溶け込んでいた。
あの月を見上げるたび以前ここへ来た時、遠い故郷を思って泣いていたさあやの顔を思い出す。あの時二度と彼女を泣かせたくないと思ったのに、どうしてあんな事をしてしまったのだろう。
「大体、あやつがあんな事を言うから悪いのだ」
ぼそっと呟いてみたが、そうではなかった。彼女が言った事はすべて本当だからだ。
ー そうやってみんなを避けて、自分を偽って、あなたは何を得られたというの? -
彼女の声がずっと頭の中に響いている。
ー ルディ・・・あなたは一体どうしたいの? -
「どうしたらいいのか・・・分からぬのだ・・・」
ため息とともに、あの時の答えを呟いた。ふと気配を感じて振り返ってみるとフリッパーが後ろに居て、長い4本のひげでアルバドラスの頭を撫でている。本当に撫でているのかどうかは分からなかったが、アルバドラスは彼が慰めに来てくれたようでうれしかった。
「なんだ。お前のほうから来るなんて初めてだな」
近寄ってフリッパーの頬を撫でると、彼は目を細めて「グォォォッ・・・」と息を吐くように喉から声を出した。そして流れるようにアルバドラスの側をすり抜けると、体の周りに風の渦を巻き起こしながら空へ飛び立って行った。
滑らかな月の光を背に悠然と泳ぐその姿を見ながら、アルバドラスはふと思い出した。そういえばさあやがこの世界に来た夜、あの日の月も一つに重なっていた。神殿に向かう階段で建物の向こう側に今夜と同じ月が見えていたのを覚えている。
アルバドラスは急いでドームを後にすると、城の頂上にある神殿に向かった。神殿の入り口を守る2人の衛兵が、礼拝用の服も着ずにいきなりやってきた皇帝に驚いて、慌てながら立ち上がり頭を下げた。
神殿の一番奥の部屋を神官に開けさせると、誰も入らないよう言いつけてドアを閉めた。祭壇の奥にある精龍石はいつもと同じように青白い光を放っている。以前さあやからもらったそれと同じ石を懐から取り出すと、アルバドラスはそれを握りしめ跪いた。
「聖霊よ。我に異なる世界の扉を見せよ。その扉を開け、我にかなたの世界への道を示せ」
しばらく祈りを込めてうつむいていたが、何も起こらなかった。
アルバドラスは幼い頃、精霊と語り合った時を思い起こした。母が亡くなったあの日から、決して思い出さないようにしていた記憶・・・・。
幼い頃、アルバドラスは母と共にいつも精霊の姿を見ていた。精霊は自然の産物の中に溶け込んでいるような存在だが、その力や意思はその中からはみ出し、漂っているように見えた。それは白や青の光の玉だったり、霞のようなはっきりとした形を持たないものであった。彼らの声はいつも意味のないおしゃべりのように聞こえたり、静かに歌っているようであったが、時々明確な意思を伝える時もあった。
たいていそれは彼の身に危険が迫っている時で、時にはその危険がはっきりとしたビジョンとなって目の前に広がる時もあった。だがその力は母の死を境についえた。彼にはもう彼らの気配を感じる事も触れる事も声を聞く事も出来なくなった。あの日から一度も・・・。
さあやが来た夜もそうだった。精霊の声も聞こえず、何も起こるはずはなかった。だからもう最後だと思ったのだ。思いを込めて精霊に祈るのも、もう一度彼等の声を聞こうとするのも・・・。
アルバドラスは握りしめた手を開いて、エルの吐き出した精龍石をじっと見つめた。
「フリッパー、クラティカ、エル・・・。お前達の力も貸してくれるか・・・」
目を閉じ、石を握りしめた手を胸に押し当て、ただ黙って精霊の事を思った。昔はそれだけで彼らの姿が見えたのだ。やがて握りしめた指の隙間から音もなく青い光がにじみ出て、それがやがて大きな光となり、アルバドラスを包み込んだ。以前頭上に現れた青い輪が今度は暗い石壁に現れ、それは徐々に大きくなっていった。やがて壁だった場所に青い光のトンネルができ、それはどこまでも続いているように見えた。
アルバドラスは立ち上がって呆然とそのトンネルを見つめた。さあやに教えればどんなに喜ぶだろう。そして二度と会えない遠い世界へ帰ってしまうのだ。
「この道を抜ければ我も自由になれるのか?サアヤ。お前と共に行けば・・・全ては変わるのだろうか・・・・」
アルバドラスはその光が消え、扉が閉じるまで、ただじっと立ち尽くしていた。




