喧嘩
3日に一度の岩風呂の日は一番のストレス発散日だ。いつもは食事を終えたらすぐ部屋に戻って風呂に向かうのだが、最近は部屋に食事を運んでもらっているので、疲れもあってつい仮眠してしまった。そのせいでまた風呂に入るのが深夜になってしまい、カヤには申し訳なかったが・・・。
「本当に私達の事はお気になさらず、ごゆっくりなさって下さい」
カヤがそう言って入口に向かったあと、さあやはいつも枕代わりにしている岩に頭を乗せ、お湯につかった。ゆっくりするつもりで来たのだが、今やっている証拠の収集が大詰めにかかっているのでどうしてもその事ばかり考えてしまう。
「あれを見せても動かないようなら、一度頭をガツンと殴ってやった方がいいかもしれないわね」
さあやはアルバドラスがいつまで経っても不正を暴こうとしない事にかなり不満を持っていた。アルバドラスの事を考えた時、そう言えばしばらく彼に会っていない事を思い出した。ドラゴン達には休憩がてら彼らのドームを訪れていたが、そこでも彼を見かけなかった。
「明日は久しぶりに食事を一緒に取ろうかな」
さあやはふと呟いた。
カヤが照らすろうそくの炎に導かれて部屋に向かう途中、ふとさあやはこの先にアルバドラスの部屋があった事を思い出した。時間も丁度この間カミラと出会った時と同じだったので、他に道はないのかカヤに聞くと、もう少し手前だったら別の道があったらしい。今更引き返すのもどうかと思ったので、そのまま進んで行くと、運悪く又カミラがアルバドラスの部屋から出てくるのを見てしまった。
目をそらして立っているさあやを見てカミラは少しきまり悪そうに顔をしかめた後、さあやの前までやって来た。
「この間、陛下からあなたの事を何の身分もない平民だと聞いたって言ったけど、あれは嘘。私の勝手な想像。それから陛下には口止めされているけど、私は陛下のお相手なんかしていないわ。フラルの作ったお茶をお持ちしているだけよ」
さあやが信じられない顔で自分を見ているのでカミラは付け加えた。
「嘘だと思うなら、その扉を開けてみなさい。陛下は寝台に誰かを入れたりしないの。あの方は誰も信じておられないから・・・」
最後の言葉を少し寂しそうに呟くと、カミラは静かに去って行った。さあやは何が何だかわからなかった。どうして女遊びをしているように装う必要があるのだろう。誰も信じられないとはどういう事だろう。なぜそんなにまでして己を愚かに見せようとするのだろう。
「カヤ。先に戻っていて」
さあやは何かに導かれるように扉に手をかけた。そっとドアを押し開け中へ入った。入口に置いてある間仕切りから覗くと、部屋の奥にはさあやの部屋と同じように大きな天蓋付きのベッドがあり、その向こう側には護衛の兵や近従の者が控える部屋の扉があった。
ベッドの手前にあるテーブルには、以前さあやが見た陳情書が積み重ねられ、その前の一人用の椅子に腰かけたアルバドラスがその資料の一つを取って目を通していた。椅子の横の小さなサイドテーブルから茶のカップを取ろうとして、彼はさあやが立っている事に気が付いた。
「いつもは陳情書なんかほとんど見無いようなふりをして、一人になったらちゃんと目を通すんだ」
戸惑ったような瞳を向けたアルバドラスに、さあやはだんだん腹が立ってきた。
「どうしてそうやって演技するの?いかにも自分は何も出来ないようなふりをしてどうして逃げるの?」
「何を言っているのか分からぬ」
アルバドラスは怒ったように、持っていた書類をテーブルの上に投げると立ち上がった。
「あら、そう。じゃあ言ってあげる。あなたはメダもサーズも私の事も信じていないんだわ。だから一緒に戦おうと言っても立ち上がろうとしない。本音は全部隠して、私達の前で嘘の自分を見せようとするのよ。だから・・・だから・・・」
急に胸の奥から言いしれない思いが込み上げて来て、さあやはギュッと唇をかんで涙をこらえた。
私は彼を信じたいと思っている。なのに彼は私達を信じてはいないのだ。だから悔しくて、こんなに悔しくて涙が溢れそうになる。信じ合わなければ何もできないのに。どんな力も湧いてこないのに・・・。
「そうやってみんなを避けて、自分を偽って、貴方は何を得られたと言うの?」
「偽ってなどおらぬ!」
めずらしくアルバドラスは声を荒げた。
「偽っているじゃない!女遊びをしているようなふりをして、本当は女を寝所に入れるのが怖いんでしょう。寝首をかかれるとでも思ってるの?だとしたら飛んだ臆病者ね!」
「なんだと?」
カッとなってアルバドラスはいきなりさあやの腕を掴みベッドに押し倒した。柔らかな生地の上に広がる濡れた黒髪が怪しく艶めいて、おびえるように震える唇がいつもよりずっと甘く誘うように見える。だが涙にぬれた瞳がまるで刺すように彼を動けなくさせていた。
心臓の鼓動が少しずつ収まっていくに従って、さあやは冷静さを取り戻した。どうしてそんなに辛そうな目で私を見るのだろう。この人はこの国で最高の権力者ではないのだろうか・・・?
「それで・・・ルディ。あなたは一体どうしたいの?」
さあやの瞳を見ているのが耐えられなくなったのか、彼は彼女を放し、無言のまま部屋を出て行った。
昨夜の出来事のせいで、さあやは一晩中眠れなかった。まるでとんでもないミスをして、みんなの前で部長にこっぴどく怒られたような気分だ。さあやは小さくため息をついて首から下げた鍵で書庫のドアを開けた後、一瞬目を疑った。せっかくきれいに片付けた書棚の中の書類がほとんどすべて引き出され、バラバラになって床に散らばっているのだ。
「うそ・・・どうして?」
しゃがんで書類を拾いかけた時、ハッとしていつも作業をしている机に駆け寄った。机の上にあった書類の束が消えている。引き出しにしまってあったサーズ達が調べた工事の報告書も全て無くなっていた。
「こんな事って・・・・」
さあやは途方に暮れたように呟いた。




