カヤの戸惑い
サーズは迷いを振り払うように顔を上げると、重い口を開いた。
「この国には皇帝に次ぐ4つの地位を持つ長老がおります」
中央行政を担う4人の長老はそれぞれ国務、財務、外務、帝国軍務部の4つの官庁の長老を務めている。以前さあやが出会った国務官長老、バラク・ダラ。財務官長老、アザリュード・メルギス。外務官長老、マラゲート・ウラルフラワ。帝国軍務部官長老エボリュース・コンステア。
いずれも前皇帝の代から皇帝に仕え、現帝が即位した際、1年だけだが摂政としても皇帝を支えていた。だがアルバドラスが親政を開始しても、完全に権力を掌握している彼らにつき従うものは多く、アルバドラスが何を言っても全て彼らを通さなければ、事は動かないという状況が続いていたのだ。
「それはルディにしたら面白くないでしょうね。それでやる気がなくなってしまったのかしら。何とかならなかったの?」
「彼等は前皇帝の代からこの国の全てを取り仕切ってまいりました。お聞きになったかもしれませんが、アルバドラスⅠ世陛下はこの帝国の国土を約3倍に増やされた方です」
その頃ヴェルデ・ラシーアは大陸最強の軍事帝国と謳われ、大陸統一を目指し、他の全ての国と戦った。その結果3つの国の王家を滅ぼし、7つの国を支配下に置いた。戦王としてアルバドラスⅠ世はその人生に功績を残し、悔いなく生涯を終えたかもしれないが、大変だったのはその息子、アルバドラスⅡ世であった。
膨れ上がった国土を統一するだけの国力はまだ無く、しかも言語も通貨の単位も違う他国に支配されるのはその国民に取って蹂躙以外の何物でもなかった。結果、帝国は各地で起こる反乱や独立運動を収めるのに四苦八苦する羽目になった。
結局、7つの王国の国土の一部や銅山の採掘権などと引き換えに独立を認める事で一応の収集を付けたわけだが、その際に他国との交渉に尽力し、国土の安定に努めたのが4人の長老である。アルバドラスⅡ世は彼らの功績を評価し、皇帝に次ぐ地位を約束する緑の袈裟を与えた。以来、彼らの地位は揺るぐことなく、権力は増大する一方で、アルバドラスⅡ世の死を期にそれは最高に高められたのだ。
「じゃあ、この不正が発覚すれば、その権力を一気にそぎ落とすチャンスになる。でもこの計算書を見る限り、外務と帝国軍務部は関わっていないと思うけど・・・」
つまり不正は国務と財務との間で行われているという事だ。国務は国の財源を使って大規模な公共工事を行っている。いくら綿密な工事計画書を出していたとしても、国の財政を担っている財務官長老が何も知らないはずはないだろう。
さて、どうするべきか・・・。やっとサーズの顔に決意の色がうかがえたのを見て、さあやは口を開いた。
「私の国にも会社という組織ぐるみの不正を内部の人間が公表する内部告発というものがあるわ。でも告発をするまでの道は決して楽じゃない。見つかれば当然身の破滅だし、身内の不正を暴くのは勇気が居る。世間を動かすにはそれなりの証拠を集め、膨大な資料を用意しなければならない。辛いし、なかなかうまくいかないしで、途中であきらめてしまう人も居ると思うわ」
さあやは黙って話しを聞いているサーズの顔をじっと見つめた。
「あなたはどう?どんな犠牲を払ってもやり遂げる気概はある?今の地位も何もかも失うかもしれないわよ」
「もとより私は陛下の御身の為なら、この命を投げ出す覚悟は出来ております。では逆に質問させていただきますが、異なる世界から来られたあなたが、なぜそこまでこの国の為に尽くそうとするのですか?」
その質問に今まで表情を崩すことのなかったさあやが、初めて気弱そうな瞳を見せた。
「あのね。もしあなたが全く行った事のない未知の世界に連れて行かれて、そこには家族も友人も同僚も誰もあなたの知っている人は居ないの。それがどれほど寂しい事か分かる?」
サーズはドキッとしてさあやの顔を見つめた。
「最初はね、あまり考えてなかったの。すぐに帰れると思ってた。でもここは私の世界からはとても遠くて、あまりにも未知の世界で・・・。それが分かった時、本当に一人ぼっちになった気がしてどうしていいのか分からなくなった」
この時サーズは初めて、この強そうに見える女性がどれほど途方もない寂しさと戦い続けていたのかが分かった。だがそれを決して顔には出さず、ずっと心の中に閉じ込めてきたのだ。どうしてもっと心を砕いてやらなかったのだろう。彼女の表面しか見ていなかった事をサーズは深く反省した。
「でも私はここで信頼できる人や友達を見つけたわ。人はどんな世界でも人と関わり続ければ、生きて行くことが出来るのね。だから私はこの国で出会った人達の為に、私が今出来る事をしているだけよ。それに私は身分制のない国から来たけど、皇帝という仕事がどれほど大変でそして大切な物かは分かっているつもりなの。だからルディにはみんなから敬愛される立派な君主になって欲しい。理由はこの2つよ」
さっきの気弱そうな瞳から一転して強い意志のある目を向けたさあやを見て、サーズはずっと昔亡くなったアルバドラスの母を思い出した。あの方も意志の強い、自分の思った事をはっきりと言う女性だった。
サーズは立ち上がると、さあやの足元に跪き左腕を胸につけた。
「このサーズ・ウラル・バジール。命に代えてもあなたと陛下のお命はお守り申し上げます」
さあやは驚いたようにサーズを見下ろしていたが、やがて首を振って彼に立つように言った。
「フレイヤもそう言って誓ってくれたけど、そんな誓いは要らないのよ。私があなた達を信じているからそれでいいの。一緒に頑張りましょうね、サーズ」
騎士の誓いを断られたのは初めてだった。本当に彼女は身分の差のない世界から来たのだ。そして皇帝という地位もひとつの仕事と考え、アルバドラスが立派にその職務を全うできるよう、力の限り支えたいと願っている。
ー まいったな。本当に皇妃になっていただきたくなった -
サーズは苦笑いすると、再び彼女の前の席に座り直した。それから彼等はまずアルバドラスにこの話をして判断を仰ぐ事に決めた。協力を頼むのはメダとフレイヤ、それとサーズが一番信頼を寄せている近衛一番隊隊長のイーグス・バルトレイアの3人だ。あまり人を集めても水面下で動きにくくなるので少ない方がいいと、さあやが提案した。
それから2日後、さあやは計算書を完全に仕上げて、サーズと共にアルバドラスに話をしに行った。先日サーズに話したのと同じような内容だったが、アルバドラスは難しい顔をしたまま最後まで話を聞いた後、一度も彼らの顔を見る事なく「しばし、待て」とだけ告げて部屋を出て行ってしまった。
やる気満々で話をしたさあやは、かなり拍子抜けしてしまった。唇を尖らせて憤慨しているさあやをなだめると、サーズは皇帝が決断した時いつでも動けるよう、少しずつでも証拠を集めて行こうと話した。
さあやとメダに危険が及ぶといけないので、動くのは主にサーズとフレイヤ、イーグスだ。3人のうち2人が一組になって行動し、あとの一人はアルバドラスとさあやの護衛として残る事になった。
古い記録から少しずつ新しい記録へ・・・。調べて行くうちに8割以上工事がされているのは半分にも満たない事が分かった。しかも近年になると、付けたはずの橋が全くなかったり、水害で水浸しになった農村に補助金が降りていなかったりと、内容はエスカレートしている。横領が日常茶飯事に行われていた事を示していた。
彼等がそうやって足を棒にして調べ回った証拠をまとめるのが、それからのさあやの仕事になった。
夜遅く、部屋に戻って来たさあやを心配そうにカヤが出迎えた。最近のさあやは食事の時間も惜しいと、昼、夕方のの食事でさえ書庫に運んでもらっているのだ。
「サアヤ様。あまり根をお詰めになると、お体に触りますわ」
「でもみんな外へ出て頑張ってくれているから、私も頑張らなきゃってつい張り切っちゃって・・・て言うか、ルディにやる気がないから余計やってやるって感じかな」
カヤはさあやに夜用のお茶を入れながら尋ねた。
「それで今は何をなさっておられるのですか?」
「うーん、色々。昔の工事なんかを調べているの。不正が行われていないかとか・・・」
カヤのポットを持つ手がびくっと震えた。
財務次官のルアール・フルゲイトは、常に皇帝やその周りの人間に目を光らせている。いくら力のない皇帝とはいえ、自分の上司である財務官長老や他の長老達のように皇帝の事をまるで赤子のようだとは思っていない。そして最近ではさあやの事も抜かりなく見張るように言われている。彼女が書庫の整理を始めてからだ。カヤはフルゲイトが目的の為なら、手段を択ばない男だとも知っていた。
ー もしサアヤ様が全てを知っていしまったら、あの男はこの方をどうするのだろう -
疲れ切ってベッドの上で眠ってしまったさあやの無垢な寝顔を見つめながら、カヤは指先が冷たくなっていくのを感じた。




