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二つ月の帝国  作者: 月城 響
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地下に居る男

「放して。弟の名をかたって呼び出すなんて卑怯だと思わないの?」

「そうでもしないと、お前、来てくれないだろ?」


 さあやは又止められるのを覚悟で左手を振りあげた。だが彼は彼女の手を止めようとはせず、さあやの平手は彼の右の頬をはたいた。


「気が済んだか?」


 びっくりして振り返り、キートレイの顔を見て再び驚いた。彼の左の目の周りが青黒くなっているのに気が付いたからだ。


「キートレイ。目の周りに青あざができてるわよ」


 彼はさあやをつかんでいた手を放すと、ぶすっとして答えた。

「兄貴にぶん殴られた。サアヤを泣かせたって」


 あの優しそうなサーズが人を殴ったとは驚きである。やはり彼はお兄ちゃんなのだ。優男やさおとこに見えても、さすが精鋭と謳われる近衛10連隊をまとめる連隊長だ。さあやのサーズに対する評価は、右肩上がりに業績を伸ばしている会社の折れ線グラフのように急上昇した。


 キートレイはきまりが悪そうに頭をかきながら、さあやをちらっと見ると話しだした。


「悪かったな。お前がそんなに嫌がってるって思わなくってさ。知っての通り、俺はウラル・バジール家の次男坊だろ?放っておいても女が寄って来るし、女はみんなそんなもんだと思ってて・・・。お前の気持ちあんま考えないで・・・つまり・・その・・・」


「もういいわよ。わかってくれたんなら、それでいい」

 へたくそな謝り方だが誠意は伝わってきたので、さあやはほほえみながら彼の顔を見上げた。


「キートレイはね。あとほんの少し、女の子の気持ちがわかるようになったら、ホントに素敵なひとになるわよ。絶対」


 笑顔で去っていくさあやをキートレイははじかれたように追いかけた。

「サアヤ。やっぱお前、俺と付き合えよ。な?」

「もう。全然反省してないでしょ」

 さあやは肩に伸ばしてきた彼の手をパチンとはたいた。





 カヤが明かりを落として隣の召使い用の部屋に引き上げた後、さあやは一日を振り返って、今日はいい一日だったと思った。カミラともなんとなく仲直りできたし、キートレイとも分かり合えた。あの後キートレイは昨夜怒りに燃えたサーズが家に帰って来てからの事を話してくれた。


 サーズは帰ってきた勢いで弟の部屋のドアを開けると、問答無用でキートレイをぶん殴った。部屋の隅に投げ飛ばされたキートレイはすぐさま体制を取り直そうとしたが、サーズが剣を引き抜いて首元に剣先をつける方が早かった。殴り合いならキートレイも負けてはいないが、剣の腕はサーズの方が数段上だ。黙って口元に流れる血をぬぐっているキートレイをサーズはにらみつけた。


「サアヤ殿に何をした?」

「何もしてねーよ。ちょっとからかっただけだ。それとも兄上は俺に何かして欲しかったのか?」


 生意気な口を利く弟に、サーズは剣の柄ではらわたをえぐるように一撃を食らわせた。

「ごほっ」

 胃がむせ返るような感じにキートレイは深くせき込んだ。そんな彼の襟首をつかんでサーズは顔を近づけた。


「いいか。今度サアヤ殿を泣かせてみろ。俺は陛下に死んで詫びなきゃならん。だがその時はお前も道連れだからな」




 話を聞いて、さあやはなんだか怖かった。サーズは見かけよりずっと頑固でお堅くて騎士の中の騎士なのだ。キートレイもいつも悪ぶっているが、この兄にだけは頭が上がらないらしい。悔しくてムカつくけど、絶対ぬかせない目標が傍に居るのもいいもんだぜと、キートレイは苦笑いした。それから側室という言葉が嫌いなさあやに、ある情報も教えてくれた。


 前皇帝アルバドラスⅡ世には現皇帝の母である正室の他に2人の側室がいた。その側室にはそれぞれ1人ずつ男の子がいて、彼女達は自分の息子が世継ぎでないのをねたんで、あの手この手で正室とその息子に嫌がらせをしたらしい。その挙句、まだ幼かったアルバドラスを殺そうとした事まであったのだ。それでアルバドラスは人間不信になってしまい、いまだに側室どころか正室もめとろうとはしないのだ。


「噂しか知らないが、2人の側室は相当心根の曲がったお方だったらしい。だから今の皇帝はたぶん側室だけは作らないんじゃないかってみんな言ってるな。側近の者にしたら側室だろうが正室だろうが早く世継ぎを作ってもらいたいのだろうが、近隣の国々からどんな美しい姫君を連れてきても皇帝は顔も見ないそうだ。俺だったら即行っちまうけどなぁ」


 色々な事が分かってくるのに、アルバドラスの事はどんどん分からなくなっていくようだ。


「ルディが人間不信とは思えないけどなぁ」


 さあやは呟くと目を閉じた。昨日彼と見た二つの月が瞳の奥に浮かぶと、不器用に慰めてくれた言葉と温かな腕を思い出して、少しだけ胸の中が切なくなるのだった。






 書庫の整理を初めて5日目、やっとほとんどの資料を種類と年代ごとにまとめる作業が終わった。ずらっと書類が並べられた書棚には、すべて年号と資料別の名前が書かれた札がつけられ、希望の書類がすぐに取り出せるようになっている。部屋の中央に立って三方向にある書棚を満足げに見回すと、さあやはいよいよ財務諸表の作成に取り掛かった。


 財務諸表とは会社が期末ごとの決算の時に作る表で、貸借たいしゃく対照表、損益そんえき計算書、キャッシュフロー計算書、株主資本等変動計算書の4つがある。(国の場合、株主はいないので4つ目の計算書は必要ないが)


 貸借対照表とは会社の資産、負債を表し、損益計算書は会社の収益と費用を、キャッシュフロー計算書は貸借対照表と損益計算書では表しきれない現金の動きを表す。これらの表によって、その企業の一年間の経営状態が明らかになるのだ。


 だが一口に決算書を作るといっても簡単な作業ではない。とりあえずは帳簿に記されたすべての数字をそれぞれの勘定科目(帳簿に記載する際の科目のこと)ごとに振り分け、合計していく事から始めた。そしてそれをさらに計算していき、最終的な利益を出すのだ。


 さあやは経理課ではないが、学生時代会計事務所でアルバイトした経験もあって、簿記の知識があった。だが最近の会計は当然ながら、コンピューターや電卓などの文明の利器を使って計算している。それがないとなると、かなり大変な作業だ。


 この国で数を計算できるものは電卓ぐらいの大きさのものに1から10までの玉が5列に並んでいるもので、一応数をその玉で分けて覚えておけるが、ほとんど暗算に頼るものだった。そろばんも触った事のないさあやは、その計算道具に慣れるまででも時間がかかった。


「はあぁぁ。あちらの世界の方が、よほど魔法の国なのよね。計算はすべてコンピューターがやってくれるし、ネットにつなげば地球の裏側の国とでも会話ができるんだもん。会計ソフトがいかにありがたかったか思い知ったわ」


 ぼやいていても仕方がないので、時々肩こり体操をしたり気晴らしにバラ園を散歩したりしながら、一年ごとの決算書を仕上げていった。





 休憩の折、さあやが飲み終わった茶器を片付けた後、カヤはそっとさあやの部屋から出てあたりをうかがいながら歩き出した。さあやは再び書類作りに没頭しているし、フレイヤも呼ばれるまでは聖騎士隊の所へ戻っている。窓のない階段を下りていくと、この辺りは山を掘りぬいて作ってあるためか、城の石壁と山の岩壁とが混在していた。その奥にあるいくつかの部屋の前を通り過ぎ、一番奥の部屋の扉のドアを開けようとして、カヤはふと手を止めた。


 ここへ来るのは週に一度の定期報告の時だ。この扉の向こうで待っている人物に会うのを以前はためらう事はなかった。だがあの方にお仕えするようになってから、ここへ来る足がとても重く感じる。あの時あの方は私をかばってこうおっしゃったのだ。


ー カヤもそう。ちゃんと仕事をして独立している立派な女性よ。それをあなた達が見下す権利があるのかしら ー


「サアヤ様・・・」


 カヤは小さくつぶやくと、重い木の扉を開けた。



 穴倉のような部屋の中は、いくつかの蜜蝋で作られたろうそくが灯っているだけで薄暗かった。息苦しくなるような重苦しい雰囲気はいつもカヤが感じているものだ。部屋の奥にあるソファーに座っている一人の男が、カヤが部屋に入ってきた事に気づいて顔を上げた。少しこけた頬が薄暗い炎に照らされて、余計やせ細って見える。いつも自分を見つめる瞳がとても恐ろしく見えて、カヤは男の目を正面から見た事は一度もなかった。


「遅くなって申し訳ございません」

 カヤはその男が座っているソファーから少し離れた場所にひざまずいた。早くこの男の瞳から逃れたくて、カヤはすぐにいつもの定期報告を始めた。


「皇帝陛下もサーズ様もいつも通りでございます。何も変わった事はございません」

「・・・あの娘は?」

「え?」


 一瞬誰の事を言われたのか分からなかったので、カヤは思わず男の目を見てしまった。その後、後悔するようにすぐうつむいた。


「ずっと放りっぱなしにされていた書庫の整理をしているとか。何が目的だ」


 この男がさあやの事を言ったのは初めてだった。どうして彼女の事を気にしているのだろう。


「サ、サアヤ様ですか?今は古い書類を整理しておられます。それ以外は何も・・・」

「あそこには20年前からの国政に関わる書類もあったはずだ。まあすべて調べ上げたとしても何も出ては来ぬだろうが・・・」


「あの、フルゲイト様・・・」

 カヤは思い切って声を出した。他の人の事は命じられた通りに監視したとしても、さあやの事を監視するのはとても嫌だった。

「サアヤ様は暇をもてあましているから書庫の整理をされているだけで、政治には何の関係もない普通の女の方です。監視の必要はないと思いますわ」


 急に射るような瞳を向けられ、カヤはびくっとして肩を縮めた。

「お前は俺の言う通りにしておけばよいのだ。家族が食べていけなくなってもいいのか?」

「は、はい・・・」


 カヤは頭を下げて部屋を出、扉を閉めると大きくため息をついた。










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