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二つ月の帝国  作者: 月城 響
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二つの月

 だがその手の指にはめられた指輪を見て、キートレイは一瞬青ざめた後、まじまじとそれを見つめた。


「皇帝の紋章?まさか、サアヤ。お前、あいつの・・・あの男の側室になるのか?」


 また側室だ。もううんざりだ。どうしてみんな人の気持ちをそんな言葉で置き換えるんだろう。


「放して、キートレイ。放しなさい!」

 さあやの瞳の奥に、一瞬青い光がよぎったような気がして、キートレイは思わず手を放した。


「ルディは・・・私が故郷を離れて寂しがっているかもしれないと思って、大切な指輪をくれたの。そんな気持ちを・・・人の優しさを、汚い言葉で汚したりするのは絶対に許さない。許さないわ!」


 走り出したさあやは、城の入口で突然誰かにぶつかった。

「サアヤ様?」

 サーズの声だ。だがさあやは怖さと悔しさで体が震えて、顔もあげられなかった。

「申し訳ありません。フレイヤに頼まれていたのですが、突然用事が出来て・・・」

 

 暗がりをキートレイが無言で去って行く姿が見えて、サーズは眉をひそめた。

「サアヤ・・・様?まさか、キートレイが何かしたのですか?」

 さあやは興奮して自分が涙を流しているのも気付かず、顔を上げてサーズをじっと見た。


「ううん。何でもない」

 サーズの手をすり抜けると、さあやは走り去って行った。


 息を切らしながら長い階段を駆け上がると、さあやはドラゴン達の居る部屋に飛び込んだ。フリッパーとクラティカが寝そべっている間にエルが居て、走りこんで来たさあやを不思議そうに見つめている。


「エル・・・」


 さあやは小さく呟くと、エルの側に走り寄ってその首に抱き付いた。とても嫌な気分だ。でもそれを彼等が少しずつ癒してくれるように思った。もう今日はここで寝てしまおう。さあやがエルの腹の横に体を横たえた時、何となく人の気配を感じ、ぎょっとして顔を上げた。アルバドラスが腰に手をあてて、こちらを覗きこんでいる。


「ル・・・ル・・・」

「こんな所で寝たら、風邪をひくぞ」

「あ、あの・・・」


 なんだか泣いてしまいそうになったが、側室という言葉が頭によぎって思わず彼から顔をそらした。


「おお、そうか。そなたも月をでに参ったのだな。ここから見る月は最高だぞ。特に嫌なことがあった時にはな」


 アルバドラスはさあやを助け起こすと、手を引いて空への出入り口まで連れてきた。彼はどうして分かったのだろう。嫌なことがあったのだと・・・。


 アルバドラスと共に月を見上げたさあやは、思わず息をのんだ。一瞬目がおかしくなったのかと思った。空にぽっかりと浮かんでいる月が二つあったのだ。


「月が・・・二つある。どうして?」

「?月は昔から二つだぞ」

「違う。私の国の月は・・・ひとつなの」


 異世界だという事は分かっていたが、あまりに短時間で来てしまったので、そんなに遠い世界とは思わなかった。もしかしたらこの世界と元居た世界とは次元が違うのかもしれないし、同じ次元でも何億光年も離れた別の惑星かもしれない。とにかくここは地球ではないのだ。それが分かると途方もない暗闇にただ一人放り出されたような気がして、急に胸が締め付けられた。涙がひとりでにぽろぽろ零れ落ちて、どうしようもないほど寂しくなった。そんなさあやを見て、アルバドラスは彼女の名を呼ぶのをためらった。


 あの時、確かに我はこう祈ったのだ。


ー 我に助くる者を与えよ・・・ -


 もう何年も聖霊の声を聞いていないから、それに応えてくれるはずもないと思っていた。なぜ彼女だったのだろう。何の力もないこんな小さな人を、なぜ聖霊は選んだのだろう。


「必ず帰れるようにする。どんな事をしても戻してやるから・・・。だから泣くな」


 不器用に慰めの言葉をつぶやくと、アルバドラスはそっとさあやを抱きしめた。






 重い書類の束を積み重ねながら、さあやは大きくため息をついた。昨日あれだけ側室にはならないと偉そうな事を言っておいて、あれは何だ。まるで恋人にするみたいに、ルディの胸で泣いてしまうなんて・・・。


「ああ、やだ・・・」

 自己嫌悪で思わず頭を抱え込んだ。



 あのあと彼は、右上の青い月がヴェルシオ。左下の黄色い月がアルテシアという名で、月に一度、二つの月が一つに重なる事から、夫婦の月と呼ばれていると話してくれた。その時やっと昨日から聞きたかった事を聞けた。やはりお母さんの話題は出せなかったが・・・。


「あのね、アルバドラスって呼びにくいでしょ?でも仮にも皇帝陛下の名前をアルなんて短縮できないから、だから・・・その、私がルディって呼んでも構わない?」


 彼はきょとんとした顔をすると、真顔で答えた。


「我は構わぬと言った。皇帝が一度口にした事を、撤回する事はない」




 彼は本当に皇帝と呼ばれる人なのだ。そしてとても優しい人だと思う。例えば会社の社長に偉そうに社長のあり方をこんこんと説いたら、とっくに首になっているだろう。ましてや相手は皇帝陛下だ。縛り首になったとしてもおかしくはない。だが彼はただの一度も私の文句をその権力で止めようとはしなかった。それどころか、その文句の合間に私が言った“異国の客人と言っておいて欲しい”という言葉もちゃんと聞いていて、すぐに実行してくれていた。


 人の言葉を聞く度量もある。下の者達を気遣う心も持っている。皇帝としての器を十分に兼ね備えている人なのに、なぜ民からの陳情書を無視したり、いかにも自分は女遊びが好きだと言わんばかりに目立つ場所で女官をはべらしたり・・・。


 さあやは深夜、カミラがアルバドラスの部屋から出てきたのを思い出して、むっとした顔になった。

「まあ、あれは本当に遊んでいらっしゃるんだろうけど・・・・」


 とにかく人格のある人だとは思うのだが、時々目を疑う事もあって、今一つさあやはアルバドラスの人間性を測りかねていた。





 やっと右側の棚の整理が終わり、資料につける年号の書かれた札を作っていると、誰かの足音がして、甲高い声が響いてきた。


「まあまあ、ほんとに穴倉のような場所ですわね。それに埃っぽくて、こんなところに一日中いたら病気になってしまいそう」


 顔をあげてみると、カミラが一人で資料室に入ってきた。彼女はいかにもここが埃っぽい事を示すかのように、顔の前で手を左右に振りながら机まで歩いてくると、腰に手を当ててさあやを見下ろした。


「あなたに一言だけ言いたい事があったから、わざわざこんな穴倉まで足を運んでしまったわ。いいこと?私達はあなたが言ったように、綺麗なドレスを着てただ笑っているだけの存在じゃないわ。ちゃんとプライドを持って働いている職業婦人なの。女官になる前は教育が厳しくて泣いた事だってあったし、どんな嫌な事があっても笑って流さなきゃならない時もある。私達だって崩れそうになるプライドを何度も立て直して一生懸命働いているのよ」


 言いたい事を吐き終えたカミラは、言い返してくるなら来いとばかりに胸を張って構えた。目を見開いてカミラの言葉を聞いていたさあやはいきなり立ち上がると、走り寄り彼女の手をつかんだ。


「そうよね!私、失礼な事を言ってしまったわ。ごめんなさい。あなたもれっきとした社会人、OLなのよね」

「お・・・おーえる?」


「そうよ。私達はオヤジのセクハラに耐え、電車のチカンをかわし、後輩の嫌味と先輩OLのいじめにも負けず日々戦い続けているのよね。頑張りましょう、カミラ。私も頑張るから!」


 さあやの言葉の意味はよく分からなかったが、〝後輩の嫌味と先輩のいじめにも負けず”というフレーズが気に入ったのか、「ええ。もちろんよ」とうなずくと、カミラは書庫を後にした。カミラと分かり合えた事で元気が出たのか、さあやが更にパワーアップして仕事を始めた時、カヤが慌てて飛び込んできた。


「サアヤ様。今廊下でカミラ様とすれ違いましたわ。もしや又・・・」

「大丈夫よ。いろいろ話し合ってね。仲直りしたの」

「ま、まあ、そうなのですか?あ、それより・・・」


 カヤは人目をはばかるようにさあやの耳に口を近づけてささやいた。


「スーザ様からご伝言ですわ。昨日の裏庭に来てほしいって・・・」

「スーザ?」


 昨日何か言い忘れた事があったのだろうか。出かけようとするさあやにカヤは「フレイヤ様には少しの間、席を外してくださるようお願いしておりますわ」と片目を閉じた。相変わらずあいびきと勘違いしているようだ。根回しのいいカヤに苦笑いすると、さあやは昨日訪れたバラの咲く庭へやってきた。


 昼間見ると、さらに鮮やかに咲き誇るバラのあでやかさと香りにため息が出そうだ。夜はよく見えなかったが、あちこちに建てられた背の高いパーゴラを覆い隠すようにつる性のバラが茂り、広場の奥にはバラがしだれ落ちるガゼボもあった。春に比べ秋に咲くバラは数が減るのだが、四季咲きのバラをうまく組み合わせているのだろう。この庭の手入れをしている庭師もきっと、帝国一と名がついているに違いない。


 昨日と同じようにバラのアーチをくぐり、中央の広場まで来たが、スーザの姿はなかった。ここではないのだろうか。さあやがバラ園の奥へと続く道を歩き出した時、近くのツタのように絡まった花々の陰からキートレイが現れたのを見て、さあやは息をのんだ。だまされた。そう思って走り出したさあやの手を素早く彼はつかんだ。









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