まさか・・・結婚?
風呂に入った後ベッドでくつろいでいると、カヤがやけに嬉しそうな顔でいそいそとやって来た。
「サアヤ様。付け文でございますわ。どこの殿方だと思われます?」
「付け文?」
付け文とはいわゆる恋文、ラブレターである。カヤが差し出したトレイの上には、一輪の赤いバラの花とカードが乗っていた。そんなものを送ってくる相手に心当たりはなかった。
「近衛10番隊のスーザ・ウラル・バジール様ですわ。ウラル・バジール家は古くから続く名門のお家柄。それにサーズ様の弟君なら間違いございませんわ。さすがサアヤ様です!」
さあやは苦笑いをしながらカードを受け取った。それにはバラ園のある裏庭へ来てほしいとスーザからの伝言が書いてある。
「あの、カヤ。スーザは7つも年下で弟みたいな人よ。多分そういう意味じゃないと思うわ」
きっと何か用事があって部屋を訪ねるのも失礼だから、丁寧に呼び出したのだろう。それでもカヤは「サアヤ様。あまりじらしてはいけませんわ。お心をお許しになられたら、右手を差し出すのでございますよ!」とかなり興奮気味に送り出してくれた。
こちらの世界では右手を差し出すと付き合うという合図なのかと思いつつ、カヤに聞いたバラ園のある裏庭へと急いだ。もうすっかり日も暮れていたが、バラを照らすためにか、あちこちにかがり火がたかれ、今を盛りにと様々な色のバラが咲き誇っている。その美しさに思わずため息をつくと、かがり火に照らされたバラの咲き誇る道をゆっくりと歩いて行った。
バラの園の中心は円形の広場になっていてバラを観賞するためか、いくつかのベンチが広場の端に置いてあった。その中心に立ったスーザに気づいたさあやは、小走りに彼に駆け寄った。
「お呼びだてして申し訳ありません、サアヤさん」
「いいのよ。何かあった?」
「実はこれをもらって欲しくて・・・」
スーザは背中に隠していた深紅のバラの花束を取り出すと、さあやに渡した。
「わあ、綺麗。ありがとう、スーザ」
弟みたいに思っていても、男性から送られる花束は嬉しいし、ドキドキするものだ。さあやは照れて真っ赤になりながらうつむいた。考えてみれば以前働いていた会社を辞める時、同僚たちがお金を出し合って花束を送ってくれた事はあったが、29年間、特定の男性から花を送られた事など一度もなかった。
「サアヤさん。また今度一緒に街に出ませんか?」
「う、うん。次はフレイヤも一緒に行ってくれるって言ってたわ」
「フレイヤ姉上?」
スーザは思わず眉をしかめた。冗談じゃない。サーズよりさらに頭の固い姉が居たりしたら、何も出来ないじゃないか。
「サアヤさん、僕はデートのお誘いをしているんですけど」
「え?」
さあやはびっくりしてさらに真っ赤になった。
「で、でも私、国にまだ婚約はしてないけど、そうなるかもしれない人も居るし、やっぱりそういうのは・・・」
「そんなに堅苦しく考えないで下さい。僕はサアヤさんに自分の国を見ていただきたいだけですから。ただ、姉が居るとかなり気を使うので」
「あ、そうなの」
実の姉に気を使わなければならないなんて、貴族の家は色々大変そうだ。キートレイと違ってスーザは真面目だし、この間街を案内してもらった時の延長のようなものなら構わないだろう。
「そうね。綿を布にする工場も行ってみたいし、そうそう、養蜂も盛んなのでしょう?又見に連れて行ってね」
「はい」
やはりさあやは普通の女性とは違っているようだ。スーザは約束を取り付けて嬉しそうに微笑むと、さあやに一歩近づいた。香にも似た男性の香りがした後、額に触れた唇の感触に、さあやは心臓が飛び出してしまったかのように立ちすくんだ。
「それじゃ、おやすみなさい」
スーザが去って行ったあと、茫然自失で立っていたさあやはゆっくりと額に手を当てた。こちらの世界ではあいさつ代わりのお休みのキスなのだろうが、純日本人には心臓に悪い。
「び、びっくりしたぁ」
部屋に花束を持って帰ると、カヤはもう大興奮で、さあやの手を握りしめた。
「とうとうお心をお決めになられたのですね。おめでとうございます!さあ、これから大変ですわ。あっ、そうそう。まずは陛下にご挨拶に行かなくてはなりませんわね」
カヤはまるで母親のように大騒ぎだ。
「カヤ。私は結婚もしないし、右手も差し出していないわよ」
さあやはカヤを落ち着かせるように静かに言った。
「サアヤ様?でも、あの髪飾りは確かスーザ様からの贈り物と・・・」
「贈り物っていうか、お金がなかったから買ってもらっただけよ。お花もただのプレゼントだし・・・」
カヤはしばし呆然とさあやを見ていたが、やっと彼女がこの国の習慣を知らないのだと理解した。
「サアヤ様。殿方が髪飾りを送るのは『あなたに好意を寄せている』という証でございます。そしてそれを受け取る事はそのお気持ちに応えた、つまり『私も好きです』という意味になるのですわ」
さあやは驚いて声も出せずにカヤの言う事を聞いていた。
「それから赤い花は『あなたを一生愛します』という意味で、それを受け取って右手を差し出し、殿方がひざまずいて手の甲にキスをすれば結婚をお受けになるという・・・・」
さあやはカヤの言葉の途中で部屋を飛び出した。いくら何でもまだ付き合ってもいないのに結婚なんて早すぎる。いや、それ以前にスーザに対してそんな気持ちはないのだ。ちゃんと伝えなければ・・・。
先ほど訪れたバラ園の中央広場まで走ってきたが、誰も居なかった。当然だ。スーザはとっくに帰ったはずである。あまりに慌ててしまってそんな事さえ考えられなかった。落ち着いて考えれば、右手を差し出したわけでもないし、スーザとは次に会う約束をして別れただけだ。結婚の約束を交わした男女の別れ方ではなかった。
きっと彼はさあやの国と自分の国との習慣の違いを理解してくれているはずだ。そう考えると慌てて飛び出してきた自分が馬鹿みたいに思えて、さあやはため息をつくと再びバラの植えられた道を通って城へ戻り始めた。
しかしその道の途中にある木の影に誰かが立っているのが見えて、ドキッとして立ち止まった。見覚えのある黒髪の男は、肩を抱いていた女性を木の幹に押し付けると、その首筋に顔を沈めた。
うそ。どうしてこんな所にいるのよ。と思うのと同時に後ろからぶん殴ってやりたい衝動に駆られたが、知らん顔をして通り過ぎた。
「サアヤ?」
人の気配に気づいたキートレイは振り返ると、女性を置いてさあやのそばに駆け寄った。
「やっぱり俺達って運命で結ばれているんだぜ。こんなにたびたび会うなんてさ。な、サアヤ」
キートレイが馴れ馴れしく肩に腕を回そうとしたので、さあやはそれを振り払った。
「運命なんてあるわけないでしょ?それよりあなたのお相手が怒って帰っちゃったわよ。追いかけなくていいの?」
「構わねーよ。どうせ遊びの女だし」
その言い草にさあやの頭の中で何かがぶちっと切れた。
「あなたね、女をなんだと思っているの?」
振り上げた右手はあえなく彼の左手につかまってしまった。
「俺を叩こうなんて10年早いぜ、サアヤ。おふくろにも叩かれた事がないのに」
「あらそう。じゅあ、私が最初の人間になってあげるわ!」
今度こそと思って左手を振り上げたが、それも掴まれてしまった。これはちょっとマズイ状況だ。さあやは必死に手を振りほどこうとしたが、男の力にかなうわけもなかった。
「サアヤ、お前ってホントにかわいいよな。俺にここまで逆らった女は初めてだぜ」
彼はさあやの左手を引き寄せると、その手に口づけをし始めた。
ー やだ・・・ -
さあやは泣きそうになりながら唇をかみしめた。




