1-8 はじめてのともだち
そうして、再び訪れることとなった鷺ノ宮家。
あのお城のような家に向かうのかと思っていたが、どうやら以前訪れた場所は鷺ノ宮家の別邸なのだそうだ。
パーティーなどのイベントや、休日を過ごしたりするための場所で、普段は本邸で過ごしているという。
そして本邸は我が高階家からほど近い距離にあるようで、出産前の母も「これぐらいなら大丈夫」と同行してくれることになった。
母に無理はさせられないと思いつつも、多少の不安があったのでほっとする。
私は車の窓に顔を近づけながら、流れていく外の景色を眺めた。
高い塀がしばらく続いた先には大きな外門があり、門を抜けると奥には西洋風建築の大きな屋敷が佇んでいる―その周囲を取り囲む大庭園は屋敷を基点にシンメトリーに仕立てられている。決して『派手』にはならず、上品なほどの『華美』を感じる。
屋敷入口まで車ついたところで、初老の男性が迎えてくれた。
「これはこれは、菜摘お嬢様、お久しゅうございます」
「まあ、相良さんたら。もう、お嬢様なんてやめてくださいな」
「フフフ、私にとってはいつまでもお嬢様ですよ」
そう言って柔らかく笑う燕尾服の彼は以前のパーティーでも見かけたことがある。鷺ノ宮家の筆頭執事である彼は、母のこともよく知っているようだ。
母いわく、父も母も鷺ノ宮の当代とは幼少の頃からの付き合いらしく、この本邸に訪れることも少なくなかったらしい。パーティーでの二人の様子を思い出して、なるほどと納得した。
***
(……ここ、か)
大きな扉を眺めながら小さく息をつく。
執事の相良さんによるとこの時間、彼は鷺ノ宮家の書庫にこもるそうだ。
人が通ることが少ないのだろう、廊下はとても静かで――その書庫の扉を前にして、あまりの静けさに自分の心臓の音が聞こえるような気がしてくる。
(…あぁ、緊張してきた…)
『衿加』として生を受けて四年余り。
その人生の中では一番の緊張が訪れている。例のパーティーでさえ、こんな風にはならなかった…と、少しばかり震える手をさする。
何も考えずに会いにきてしまったけれど、彼は話してくれるだろうか、…友達に、なってくれるだろうか。
精神年齢だけなら三十を超えているはずなのに、友達を作る行動がこんなにも緊張するなんて思わなかった。
(まあ…以前は”気づいたら友達”ってパターンだったもんなぁ)
前世では、自ら意識して「友達になってください」なんて、そんなこと言ったことなかったような気がする。
家が近所だとか、親同士が仲良いとか、年が近いだとか。始まりなんてわからないまま気がつくと一緒にいて、同じ時間を過ごしていて。明確に『いつから友達』なんてものもないくらい、簡単な流れで。
――けれど、その『簡単』が簡単じゃなかったと気づかされたのはここ最近の話。
(…そりゃあ、友達がいない、ってのは自覚してたつもりだけど…)
勉強に、お稽古ごとにと今は慌ただしい日々なのだからしょうがないと高を括ってた。
でも違う、そうじゃない――そもそもいないのだ、子供が。前世の流れでいう”気がついたら友達”なんて出来事が起こるはずがない。
だからこそというべきか、初めて会った同じ年頃の子…それでいて親同士が知り合いという安心もついてくる。これは逃してはならないという気になってくる。
(…でも、それを抜きにしても、なんか気になるんだよなぁ、あの子…)
偉そうな態度で威嚇してきたと思ったら、非を認めて謝ることのできる、強さを持った子。
本当に『衿加』と同じ四歳とは思えないその顔を、もっと間近で見てみたい。そんな気にさせるのだ。
―…その彼が、この扉の向こうにいる。私は意を決して、コンコンと扉を叩いた。
「……? 相良?まだ時間じゃないだろう?」
―…彼の声だ。
幼いながらも力を感じさせるその声は、どことなく彼の父親を彷彿させる。
「……ッ、…ぁっ、あのっ…」
…声が震えてしまった。―ああ、もう!腹をくくれっ!
「…たきゃっ…。高階、、衿加です」
…思いっきり噛んだ。失敗した。少し涙目になる。
すると扉の中の雰囲気が少し和らいだのを感じた――うん、確実に笑ってる。切ない。
「……いいぜ、入って来いよ」
笑いの落ち着いた彼の声を合図に、私は「し、失礼します…」と恐る恐る書庫の扉を開いた。
―…鷺ノ宮家の書庫は、ひんやりと冷たい空気に包まれていた。
棚にはぎっしりと本が詰まっており、それが沢山並んでいる。それでも入り切らない本もあり、ところどころに平積みされていた。
本の管理のためだろうか、いくつかあるカーテンは閉め切られており、棚が連なるずっと奥のほうは暗くて何も見えない。
…そっと足を進めると、たったひとつだけ開かれたカーテンの下に彼は座り、大きな本を眺めていた。
窓から差し込む光に周囲の空気が反射して、まるで彼を包み込むように輝いて見える。それらは彼の艶やかな黒髪を際立たせ、そして……
「…よう、どうした?」
彼の声、そして彼がめくるページの音が書庫に響いてハッと気づく。
…あまりの幻想的な光景に思わず見入ってしまったらしい…眼福だ…じゃない、気を取り直して返事をした。
「…読書中、でしたか。お邪魔でしたらやっぱり私…」
「休憩中だから気にすんな。…突っ立ってないでこっち座れよ」
「…で、では、お言葉に甘えて…」
そう言って彼の正面へと座り込む。
そんな私の動きに、彼は初めて本から目線を上げた。
「…なんでそこ?」
「…え?なんですか?」
「…いや、別にいいけど」
彼の言わんとすることが掴めずにぽかんとしてしまったが、問題ないということなので良しとしよう。
ふと、彼の読む書物のタイトルに目を向ける。
「―ハイドン、ですか」
「知ってるのか?」
「ええ、最近ピアノを習い始めましたので」
「そうか」
そして、沈黙が広がる。
―…でも、なぜだろうか、それは決して苦には感じなかった。
そっと、目を閉じてみる。
書庫の中でも明るく暖かい場所、古い本の匂い、ページをめくり進める音…混ざりあったそれらはどこか居心地の良いもので。
どれぐらいそうしていただろう……照らされる暖かな日差しに包まれてながら、流れる時を感じていた。
「…ピアノ、好きなのか?」
「…ええ、温かいものだと感じます」
「…温かいもの?」
静かに瞳を開くと、彼と視線がぶつかる。
「どういう意味だ?」
「…そのままの意味ですわ。…昔と今。過去を生きた人と現代を生きる人をつなぐもの。―…そう思ったら、どこか懐かしくて、温かくなりませんか?」
まあ、ピアノに限る話ではないんですけどね、なんて続ける。
けれど彼は固まったまま動かないでいる。…そんなに変なことをいっただろうか。
「…? 鷺ノ宮さま?」
「…、ああ、なんでもない。―…そんな考え方もあるのか」
「ええ、楽しみ方は人それぞれですわ」
「…そうだな、そうかもしれない」
そう小さく呟くと、彼は持っていた本を閉じるとそのまま立ち上がった。
「…悪いな、そろそろ時間なんだ」
「…いえ、こちらが勝手に押しかけた身ですから」
私も立ち上がり、彼に続いて扉へと進む。
しかし…私は、彼と友達になることができたのだろうか。…って、あれ、そういえばその話してない…!?
「あっ、あの…鷺ノ宮さま、その…えっと…」
思わず呼び止めてしまったけど、こんなときはなんていえばいいのか…ああ、どうして最初に言わなかったのか…!
「…名前」
「………ええ??」
「…名前で呼べ。鷺ノ宮だと、長いだろう」
「…え、えっと……晃、さま?」
「…。ああ、それでいい」
彼は一言だけ返すと、そのまま書庫の扉を開いた。
…ほんの一瞬、目を見張ったような気がしたけど、何か気に障ったのだろうか?でもいいって言ったし…いや、まって、肝心な話をしていない!
「…あっ、あの! …晃さま、その、私と…お友、だちに…なって…」
どんどん尻すぼみになる私の声。
そんな彼の姿はもう、扉を抜けて廊下まで進んでいる。――…あれ、もしかしてこれは、聞こえなかった…?
「…じゃあな、衿加。―また来いよ」
そう言って手を振る彼は、ほんの少しだけど、頬を赤くしてて。
でも、それ以上に私の顔も赤くなってる自信がある。
「名前、、それに、『また』って…」
それだけで、どうしてこんなに嬉しくなるのか。
心の奥から湧き上がる気持ちは抑えきれそうもなく、顔のニヤけは止まらない。
その後母と合流すると、母は「よかったね」と温かい笑顔で頭を撫でててくれた。