1-7 『白い鳥』に惹かれて
「では、レオナルド・ダ・ヴィンチの『モナ・リザ』に使われた技法とは?」
「はい、スフマートです」
「よろしい。スフマートとはイタリア語の……」
例の男の子が我が家に訪れたあの日から、しばらくの日々が経過していた。
体調もすっかり回復した私は、これまで通り高階家の娘として出来ることを増やしつつ、日々の勉学や習い事をこなしていた。
今日はルネサンスの美術について学んでいる。…本当に、『衿加』の知識欲はとどまることを知らない。
また、勉強のほかにも習い事として音楽の分野にも手を出してみた。
祖母の「高階家の娘たるもの、知識だけではいけません」の言葉のもと、ピアノやヴァイオリン、フルートなど、自分に合うものを探すことにしたのだ。
そして、なかでも一番好きだと感じたのはピアノ。特にハイドンやベートーヴェン、フランツ・リストといった数々のピアノソナタ曲を生み出した作曲家たちの名曲にふれる時間は幸せなものだった。
とにもかくにも、前世の「私」の頃には感じられなかった、『スポンジ』のように吸収する瞬間を日々感じている。…本当に、どんな道でも行けるんじゃないだろうか。…なんて、そんな危ない慢心を持たないように常に心掛けている。
「…では、本日は以上になります」
「ご指導、ありがとうございました」
授業が終わり、先生が部屋を出ていくのと入れ違いに母が入ってきた。
「お疲れさま、衿加ちゃん。少しお茶にしましょうか」
「はい、お母さま」
勉強道具を片付けたところに、高階家のメイドが手際よくティーセットやケーキを並べていく。
茶葉の香りが部屋中に広がり、どことなく心身がリラックスされていくのを感じた。
「衿加ちゃん、最近ずっとお勉強ばかりだけど、大丈夫?たまにはお休みしてもいいのよ?」
私がケーキを頬張っていると、ティーカップを手に紅茶を一口飲んだ母は不安気な瞳を向けてくる。
その瞳には「娘との時間が短くて寂しい」という色も浮かんでいた。
―…言われてみると、体調が回復してからずっと勉強続きだ。
今みたいな時間を設けてくれているのも母だし、『衿加』自身は元気だけれど、また以前のように倒れてからでは遅い。
それに、まもなく母も臨月に入る。そうなっては二人の時間を作ることも難しくなるかもしれない。
「…お勉強は好きです、でも…、お母さまともっともっとお話ししたいです」
「…まあ、あらあら、うれしいわ」
母は温かく微笑み、私の頭を撫でてくれた。
『衿加』としても「私」としても、彼女の愛に触れられることは嬉しい、私もくすぐったく笑う。
「そういえばお母さま、この前来ていた男の子なんですが…」
「…男の子?ああ、晃くんのこと?」
「…晃、くん??」
「ええ。この前衿加ちゃんが行ったパーティー…鷺ノ宮家の御令息ね」
母はそう説明するも、どこか苦笑いにも近いような笑みを浮かべていた。
その表情にどうしたんだろう?と疑問を持っていたら、笑顔で返されてごまかされてしまう。
ふと、前回のパーティーでの出来事を思い浮かべる。
最初に挨拶をした鷺ノ宮様―…値踏みするかのような視線がいたたまれなくて逃げてしまったが、彼の息子だということか。…いわれてみれば、似ている気がする。
(あっ…、てことは、私のことも父親から聞いたのかな…)
鷺ノ宮家主催のパーティーは、幼い子供の参加などほとんどなかった。
それであれば、私たちが帰ったあとに父親に聞けばすぐにわかったかもしれない。
(なるほど…、だから長い付き合いだって言ったんだ…)
彼が我が家に来た際に言っていた言葉。
あれがどうにも頭から離れなかったけれど、父親同士が仕事する上で顔を合わせる仲なのだ。
今後また、あのようなパーティーで出会うことも少なくないはずだ。それは年を重ねるにつれて長い付き合いになるだろう。
「…ねえ、衿加ちゃん」
「…?なんでしょうか??」
「晃くんに会いたい??」
母からのドストレートな言葉に私は驚いた。
「衿加ちゃん、同じ年頃の子とあまり出会わないでしょう。晃くんは衿加ちゃんと同い年だし、話も合うかもしれないわ」
その言葉に、男の子の姿を思い返してみる。
初めて会った時の印象はあまりよくなかったけど(あれは私も悪いんだけど)、あの大人びた瞳と子供らしからぬ考え方にはどことなく惹かれたものがあったのは確かだ。
会いたいか会いたくないか――…そんなの、『会いたい』に決まっている。
むしろ相手が彼じゃなくても、確実にいえることがある。
(………友達がほしい………)
自覚した途端に切なくなるものだが、そんな気持ちを察してくれたんだろうか、頭を柔らかく撫でてくれた。
そして後日、父には内緒で再び鷺ノ宮家に行くことになった。
放置しすぎました。しばらく頑張ります。