第十夜 降神辻で愛された鬼
九十九令和奇譚 真説・耳嚢シリーズ第十夜、シリーズ初の単発ネタ短編です。
いつものように編集部ゲイツ氏から、目眩がするような頭の悪い三流オカルトネタの取材を押し付けられた、我らが荒吐氏。
ぐったりしながら腰を振るエルヴィス・プレスリーについての取材を行った帰り、ふとしたことから小耳に挟んだ、奇妙な祭りについて調べるため、山間の小さな村を訪れます。
そこで荒吐氏を待っていたのは過剰とも思えるほどの村人達の温かい歓迎。
しかし祭りに関しての調査を進めるうちに、荒吐氏の前に徐々に姿を現してゆく伝説の真の姿とは…?
都市伝説系オカルトルポルタージュ風資料、
第十夜 降神辻で愛された鬼、開幕。
UFOに乗って腰を振るプレスリーと、鶏面人なんていうヤク中の幻覚みたいな話しをシラフで合法的に拝めるのはホルゼロだけ!
九十九令和奇譚 真説・耳嚢シリーズ 第十夜
降神辻で愛された鬼
もう随分長い時間バスに揺られている、あたりは山の中の変わり映えのしない景色が続いており、退屈極まりない。
第八夜「都心伝説、ビジネス街に現れるビジネススーツを着た謎の鶏面人を追え!!」
第九夜「エルヴィス・プレスリーは生きていた!?アメリカ都市伝説に見る噂の影を追い、遂に現地へと飛んだ取材班!!」
というIQが枯渇しそうな前二回の寄稿で著者は疲れ果てていた。
訳のわからん鶏面人だの、UFOに乗ったプレスリーがミステリーサークルを作っていたのを目撃しただの、ジャンキーの幻覚みたいなネタを編集部に押し付けられたのだ。
当然、著者としてはお断りしたかったのだが、著者もわずかばかりの原稿料で糊口をしのぐしがないフリーライターの身、明日のおまんまのためには仕方がなかったのだ。
今回もまた、最近編集部に入ってきた、いけ好かない編集長ゲイツに命じられてエルヴィスネタの続編として取材に来ていた。
場末感あふれるスナックで、ネタを送ってきてくれた地元のオカルト愛好会のおっさん相手に
「UFOに乗ったエルヴィスが激しく腰を振ると、その動きに合わせてUFO直下にミステリーサークルが現れた。
しかもそのUFOにはナチスの鍵十字のマークが描かれていたんだ!!ウソじゃねぇ、確かにこの目で見たんだ!!」
なんて与太話を安物のホッピーを勧められながら聞かされる著者の気持ちが読者にはお分かりになって頂けるであろうか?
適当に相槌を打ち、そろそろJRの時間だからとおっさんの相手を切り上げ、お勘定を払おうとするが、おっさんはしつこかった。
「待て、分かった、とっておきの情報だ、これはバレると俺の命も政府に狙われるネタだから話すつもりはなかったんだが...実はな。」
とおっさんは勝手に話を進める。
「そのUFOの底部にはな....なんと、逆さまになったティーガー2戦車の砲塔が付いてやがったんだ!!」
逆さまの砲塔ってことは砲手も逆さまになって入ってるのか?
そんな疑問が浮かんだが、話しが長くなるので無視してお勘定を済ませる。
店を出ようとする著者の背中に、まだおっさんが何かを喚いていた。
「しかもだ!!それはただのティーガー2戦車の砲塔じゃねぇ!
…なんと、幻のポルシェ砲塔だったんだ!!いいか、ポルシェだぞ!!
ヘンシェル砲塔じゃねぇんだ!!どうだ、特ダネだろ?」
オカルトファンなんだかミリオタなんだか薬中なんだかアル中なんだか、あるいはその全部なのか分からんが、おっさんは飲み屋のオバハンに羽交い絞めにされていた。
「そんなことより今日こそツケを払ってもらうよアンタ!!」
その声を聴き流しながらJRの駅に向かい、乗り込んだ次第である。
現地に飛び徹底取材を敢行!!
との煽り文句だが、大半の取材は編集部近くのネカフェでてきとーにアメリカ現地のネタを集め、翻訳アプリにブチ込んだだけである。
まぁ確かにネカフェへ飛んだのは事実なのでウソではないかもしれないが。
件のオカルトマニアだかミリオタだか分からんおっさんも、もちろん日本人であり場末のスナック「ゆかり」でのインタビューも、もちろん日本国内だ。
途方もない疲労感と虚脱感に襲われながらJRのシートにぐったりともたれかかる。
ゲイツの野郎にどう今回の取材報告をしたものかと思案していると、乗り込んできた地元民と思われるおばあちゃんが向かいの席に座り話しかけてきて、ビールとおにぎりを下さった。
人の情けが身に染みる....つい取材の愚痴を聞いてもらってしまったのだが、そのおばあちゃん同情したのか、ある情報をくれたのだ。
ここから3つ先の駅で降りて1日3本しかないバスで山間にある村まで行けば、面白い祭りが見られるかもしれないというのだ。
ちょうど今の時期にやっているはず、との事。
なんでもちょっと変わったお祭りで、少しは取材の足しになるだろうとのことで、著者はおにぎりとビールのお礼を述べ、帰宅の予定を変更してその駅で降り、今こうしてバスに揺られているというわけだ。
今からその村で取材となると今日中の帰宅は絶望的だが、著者は常に野宿の準備をしてから取材に向かうので、問題はない。
古くて傷んだシートのせいでお尻が痛くなってきた頃に、ようやく目的の山間の寒村に到着した、痔になる前に着ける距離で良かった。
降りた場所にあるサビだらけの停留所の看板を見上げる。
そこには「降神辻前停留所」の文字がかすれながらも辛うじて確認できた。
読みは「コウガミツジ」だろうか?
あるいは「フルガミツジ」か?
字面からして、かつて神が降臨した場所とか、あるいはその子孫とされる家があった場所なのだろう、田舎ではよく見かける地名といえる。
念のためその地名をメモ帳に走り書きした著者は、停留所の看板のすぐ隣にある負けないぐらいボロボロの商店に入る。
店の入り口には、昭和からそのままになっているのであろう古い「元気ハツラツ!!」と描かれた清涼炭酸飲料のレトロな看板が設置されてある。
こういうの、コレクションしてたりする好きな人にはたまらんのだろうなぁ、と思いつつ店の奥に声をかける。
奥からおばちゃんが雑種の柴犬とともに出てきてくれたので、話しを聞く。
長年の経験から、まずはこういう商店の人に話を聞くことから始めるのがコツであることを知っている。
商売やってる人はまずぶっきらぼうに対応して来ることはないし、外部の人間が訪れるのにも慣れているからだ。
聞けばお目当ての祭りは残念ながら1週間ほど前に終わってしまったとのこと。
2日しかやらない祭りらしいので、よほどタイミングが良くない限り、アポなし取材は無謀だったようだ。
しかし村の名士の家を紹介してくれた、そこなら古い伝承にまつわる話も聞けるはずとのことだ。
わざわざ先方に電話をかけて了承を取り付けてくれた。
お礼を言って、ついでにおにぎり3つとカラアゲ4つ、タクワン3切れが入ったお買い得おにぎりセットをビール2本と一緒に夕食用に購入し、お礼を述べて教わった家を訪問してみた。
すでに夕方になっていたにも関わらず、名士の家人は快く迎えてくださり家に上げてくれた。
案内された奥座敷で、御主人に話を伺うことができた。
「祭りはもう終わってしまったが、ほら、そこの外から見えるあの高台、その高台に大きな岩が見えるじゃろう?」
見ると確かに村全体を見下ろせる高台に大岩が見える。
「あの大岩はウラガミさんの岩っちゅうてな、祭りのときはあの高台のふもとに櫓を立てて岩の高さまで組み上げての、その櫓の下に村中総出で集まって踊ったり歌ったりしてウラガミさんにも楽しんでもらうのよ、うちの裏山で昔からやっとる祭りよ。」
裏山の神様だから裏神さんか、地元に古くから愛されている山神を親愛の情をこめてウラガミさんと呼ぶのは良くあることだ。
しかし期待していた祭りは見られないし、正直よくある田舎の風習らしくあまり著者の興味をそそられる話題ではなさそうだ。
まぁしかし、せっかく来たのだから念のため明日高台の上の大岩を調べてみよう。
「まぁまぁあなた、若い人にそんなお話をしても退屈ですよ。」
と上品な奥様がお茶を出してくれたので、これ幸いと話しを変えてみる。
すると一寸面白い話が聞けた。
かつてかなり昔、この村に流れ着いてきた一族がいたそうだ、彼らは男女十人に満たぬグループだったそうだが、村人にこう言ったそうだ。
「我らは遠き土地より流れてきたものだが、鬼の血を引いている一族なのだ」と。
話しを聞いた村人は冗談だと思い
「しかしあんた達には角も牙も生えていないではないか?」
と冗談めかして問うてみたところ...。
そこまで語った御主人は奥から古文書を持ってきて見せてくれた。
『…伝うるに、其の昔、かの者たちの祖先がこの辻へ流れ着きたる際、里の長へ向かいて斯様に語りき。
「我ら、百年かけて人と交わりて角も牙もすでに失えれど、血に眠る鬼の力だけは残りて候。
力仕事に、あるいは里の守りに、必ずや役に立つゆえ、どうか此の地に置いては下さらぬか」と。
長はその誠実な瞳を見て、彼らを客人として温かく迎え入れたという。
なるほど、日本各地に落ち武者が流れ着いてきた落ち武者伝説を持つ地域は数多いが、鬼が流れ着いてきたというパターンはちょっと珍しい。
しかも鬼そのものではなく、角も牙もない自称鬼の子孫というのが変わっている。
例の高台の大岩と地域独特の祭りもそのゆかりなのだという。
これは面白い、やはりおにぎりをくれたおばあちゃんの言葉に従って途中下車して正解だった。
腰を振るUFOプレスリーよりよほどオカルトライターとして興味をそそられる話だ。
ただ、ここまで話しを聞いたあたりですでに外は暗くなっており、さすがに夕飯時を邪魔しては悪いと思って、続きはまた明日聞かせてほしいと席を立とうとしたら、奥様が今晩泊まる宿はどうするのか?
この村には宿泊施設などない、とおっしゃる。
予想はしていたし、著者は寝袋は常に持ち歩いている。
そこらで野宿するつもりだと笑いながら答えると、御主人も奥様も、ならばこのままウチで泊っていけばいいと勧めて下さる。
急なアポなし訪問に応じて頂いた上にそれは申し訳ないと言ったのだが、お二人が熱心に勧めて下さるもので、そのご厚意に甘えさせて頂く事となった。
夕食は奥様が裏山で採ってきた旬の山菜をふんだんに入れ、地鶏を使ったしゃも鍋である、著者にとっては何年ぶりのご馳走であろうか?
大喜びで舌つづみを打つ著者にもっと食べろ、もっと飲めと勧められたせいで、久しぶりに満足できる夕食を堪能できた。
夕飯用に買っておいたお徳用おにぎりセットは、明日の大岩取材の際のお弁当にしよう。
寝室に割り当てられた客室には豪華な金の装飾がなされた来客用のふっかふかのお布団が用意されていた。
著者のアパートの万年床せんべい布団とはえらい違いである。
どうして見も知らぬよそ者にここまでしてくれるのか不思議に思い、寝間着を届けに来てくれた奥様に聞いてみた。
この村は昔から温厚な土地柄で知られているらしく、それを聞きつけて古くからこの村に流れてくるものは多かったらしい。
そのたびに村人は暖かくそれらを迎え入れてきたそうだ。
なるほど、さきほどの御主人の話しに出てきた自称鬼の子孫たちもそんな噂を聞きつけてこの村に来たのかもしれない。
奥様が言うにはその鬼の子孫に纏わる、ある言い伝えもあり、今でもこの村ではたまに訪れる外からの訪問者には、精いっぱいのもてなしをするのが習わしとなっているそうだ。
だからやたらとこの村の人はよそ者の著者にも愛想が良く、世話を焼いてくれたわけだ。
鬼の子孫たちに感謝しないといけない、何年かぶりのしゃも鍋など、そうでなければありつけなかったところだ。
名前も知らぬ鬼の子孫たちに感謝しながらその日は床に就いた。
明日は高台の大岩の現地調査とご主人にさらなる話を聞いてみようと思う。
良く寝れた、大きなあくびをしながら起きた著者に御主人と奥様が良く寝れたかと問うてくる、お陰様でぐっすりと眠れました、と答えると満足そうにお二人も頷いていた。
これはお世辞ではない、美味しいしゃも鍋と檜風呂、ふかふかのお布団のお陰でプレスリーにガリガリと削られた著者のSAN値も本当にすっかり回復していたのだ。
相変わらず絶品の奥様の手作りの和食ベースの朝食をいただいた後、改めてお礼を述べ高台のウラガミさんの大岩の調査に向かった。
30分ほどかけて高台に上る、ここは村全体を見渡せる、大岩の周りを調べてみた....あった、石碑だ。
それほど古いものでもなく、おそらく比較的最近建てられたものだろう、刻まれた文章も現代文だ。
「この大岩は古くよりこの村落に伝わる伝説に基づいて村の信仰の対象となっている。
祭りが行われる際にはこの大岩の高さまで高く組まれた櫓の周りに村人総出で集まり、二日間にわたって賑やかな歌や踊りなどの祭りが行われる。
この祭りはかつてこの村を救った一家の行いを忘れぬよう始まったものと伝わっており、今でもこの岩は村を守っている守り神のような存在として扱われている。
村の子供が一定の年齢になると子供の健やかな成長を祈り、この大岩に子供に手を添えさせて健康を祈るなどの風習が残っている。」
という内容だった、著者の予想どおりである、これは一種の道祖神なのだ。
道祖神とは村の入り口や外部に繋がる村境などに設置されるもので、元々は大陸の庚申信仰(こうしん / かのえさる) からきたものだ。
村の境界や路傍、交差点などに祀られ、外部から入ってくる悪霊や疫病、災いなどの侵入を防ぐ「村の守り神」であり、旅人の安全を守る「旅の神」である。
村に外部から望ましからざる災厄や悪いものが入り込んでくるのを防ぎ見張る役割をもつ、塞の神ともいう。
一般的な道祖神には境界の神としての性格から、男女の和合や子宝、安産をもたらす神としても広く親しまれている。
そのため、男女一対の姿(双体道祖神)で表されることが多く、力強い青面金剛や三猿が彫られたものもある。
この村の場合、この大岩が塞の神としての役割を持たされているのだろう。
自分の予想通りだったことが確認できてニンマリする著者の目の前に、村から上がってきた若い女性と手を繋いだ小さな子供の二人連れが現れた。
挨拶をすると母親と思われる若い女性が会釈しながら
「こんな何もない田舎に、なにかの取材ですか?」
というので、簡単にオカルト雑誌の取材で訪れたことを正直に告げる。
特にそれに気を悪くする風でもなく、その母親は取材協力のつもりなのか、この大岩に関する風習について説明してくれた。
今日はこの子の誕生日であり、健やかな成長を祈って村の風習にのっとり、ウラガミさんの大岩に祈願しに来たのだという。
見ると小さな手を大岩に充てた子供が、母親に言われた通り何かを目を閉じて唱えている。
「掛け巻くも畏き(かけまくもかしこき) 皇神の御前に白す
古よりこの地を守り鎮まる 塞の神、ウラガミの大神の広前に、 恐み恐みも白す
本日は、 幾世の御代を重ねて授かりし尊き御子の生誕の日に当たり、 親の命たち、恐み敬ひて、 大神の御稜威の御影に仕え奉る
乞い願わくは、 大岩の磐城の如き、堅く強き御稜威を分け与へたまひ、 この御子の御骨をば、 猛く強に、 風雪をも凌ぐ堅磐に斎き固め、 健やかに、豊けく、長き世に守り導き幸へたまへと、 恐み恐みも白す。」
そのように著者には聞こえた、これは神道由来の祝詞だろう。
もちろん子供には意味など解らないのだろうが、母親に言われた通りに何度も言い間違えながらも、一生懸命に唱えている姿がとても愛らしい。
「こうしておけばウラガミさんの御利益で丈夫な体の強い子に育つといわれてるんです。」
そう教えてくれた母親は、軽く会釈した後、子供と手を繋いで、来た時と同じ道を通って村へと降りて行った。
道祖神としての役割を持ちつつ、子供の健やかな成長を願う信仰の対象となっているのは面白い、他の道祖神にはあまり見られない特徴だ。
さきほどの祝詞の内容を忘れないうちにネタ帳に書き留め、石碑の文章を書き写す。
お昼ごはんにお買い得おにぎりセットを頬張りながら、しばらく大岩や石碑の周りを調べた後、最後の唐揚げを口に放り込み満足して村へと降りた。
実に充足感のある調査となった著者は名士の家を改めて訪れ、預けてあったわずかな荷物を引き取り、丁重に一宿一飯のお礼を述べバスの停留所へと向かった。
鶏面人と腰を振るプレスリーに精神をかなり削られたが、偶然からこの村に立ち寄ったおかげで最後は面白い調査ができた。
停留所のくたびれた所々割れたベンチに腰掛けて時刻表を見る、次の便がくるまでたっぷり一時間以上ある。
取り出した型落ちの古いノートパソコンでレポートをまとめつつ待っていると、編集部からの電話が入る。
スマホを取り出して通話ボタンを押すとゲイツだ、開口一番
「プレスリーの件はどうなった?」
と来たもんだ、もちろんそんなアホ話、まともに取り合う気はない。
めんどくさいのでテキトーに答えて一方的に通話ボタンを切ってやった。
完成したこのウラガミさまのレポートを奴の横っ面に叩きつけてやる瞬間が楽しみだ。
そんな夢想に浸りニヤけながらノーパソを叩いていると声をかけられた。
見ると、シャツを着たさわやかスマイルの好青年然とした男性が隣に座ってきた。
聞けば村の小さな市役所出張窓口に務める公務員だそうだ。
隣村にある村役場に何か用事があり、今から向かうのだと言っていた。
狭い村だし、一目でよそ者と分かる著者に興味を持ち、話しかけてみたのだろう。
さわやか青年と軽い世間話や村の伝承についての取材をしに来たこと、祭りについての話などを聞かせてもらったが、その際ふと思いついた疑問をぶつけてみた。
「この停留所に書かれているフルガミ、もしくはコウガミ辻前とあるが、かつてこの辺りにコウガミさんという名前のお宅でもあったのですか?
もしくは何かこれも伝承に纏わる地名なのですか?」
と。
すると好青年は一瞬困惑した表情を浮かべたが、すぐにまたさわやかな笑顔に戻りこう答えた。
「あぁ、そうですよね、外から来た人にはちょっと読めないかもしれませんね、コレのことでしょう?」
とサビだらけの停留所の表示の『降神』の部分を人差し指で指す。
「これはコウガミでもフルガミでもなく、
『ウラガミ』、と読むんです。
かつてこの辻に降神家というお宅があったらしいのですが、なんでもずいぶん昔にその一家の者がこの村にたいそう貢献してくれたそうです。
その功績を称えるために、降神辻との名前を残したと聞いています。」と。
コウガミでもフルガミでもなくウラガミ....言われてみれば確かにそういう読み方もできる字である。
現代ではあまり使われない読み方ではあるが、古い文献などではしばしばこの読み方がされる場合があったのを、不覚にもその時になってようやく思い出したのだ。
例えば「降人」である、これはコウビトでもフルヒトでもなく「ウラビト」と読む。
かつて山の民として暮らしていた人々が時代の変化とともに人里に降りて市井に溶け込んでいった場合などに、その人々を指す言葉として使われたりする場合がある。
慌ててポケットから取り出したスマホのメール作成画面で「うらがみ」と打ち込んでみると、確かに変換候補の中に「降神」の字が表示されている。
……パチッ!!
著者の脳内データベースがフルガミからウラガミへと正しい読み方に更新上書きされるのに従い、著者の脳内の片隅でなにかが弾けて火花を散らしたような気がした。
それが何なのかはその時には分からなかったが、なにか著者の内側から焦りのような感覚が沸き上がってきたのを、はっきりと覚えている。
日本中を駆けずり回ってさまざまな伝承伝説を蒐集してきた著者の、オカルトライターとしての本能が何かを告げている、
この村にはまだ秘密が眠っている、まだこの地を離れるべきではない…
と。
著者はあちこちが割れた停留所のベンチから弾かれるように立ち上がると、びっくりしている市役所の好青年に礼をのべ、再び名士の家を目指した。
すでに別れを告げた都会の若者が慌てた様子で再び戻ってきたことで家人を驚かせてしまったのだが、事情を説明してもう少し取材させて欲しいと頼み込むと、再び快く承知してくださり、客室へと通された。
改めてご主人に対面し、度重なる不躾な訪問を謝罪したのだが、都会の若者が自分たちの伝承に興味を持ってくれたのが嬉しかったのか、上機嫌で対応してくれた。
挨拶もそこそこに気になっていたことを聞いてみた。
「昨晩お話しいただいた裏山のウラガミさんとは、裏山の神様ではなく、かつてこの地の辻の辺りに住んでいた降神家の名前に由来する信仰なのでしょうか?」と。
すると御主人は笑いながら
「あぁ、あの停留所の看板の名前から気づいたんかの?
その通りじゃ、あれは裏山の神さんというより、その降神家の者由来の名前であり、祭りなんじゃ。」
御主人は席を立ち、またいくつかの古文書を抱えて戻ってきて、それを見せながら説明してくれた。
それは昨晩聞かされた、かつてこの村に流れ着いた、自称鬼の子孫の一族に関する話しであった。
自称鬼の一族の彼らは温かくこの村に迎え入れられた後、約束通り村に貢献したという。
彼らには角も牙もなかったが、人並外れた体躯と腕力に恵まれており、村の行事や水路の工事などの時には積極的に名乗り出て、率先してそれらの過酷な工事に従事してくれたらしい。
そんな彼らはやがて村人たちからも頼りにされ、完全に村の一員として溶け込み慕われていったそうだ。
しかしそんな平穏な日常を送っていたある時、村が粗暴な野伏に襲われる事件が起きた。
野伏とは戦などで仕えるべき主君を失い、野盗と化した元武士などを指す、要するに職にあぶれた無法者の集団だ。
温厚なことで知られるこの村には武芸の心得がある者などおらず、やりたい放題の野伏に良いように蹂躙されてしまったらしい。
このままでは村が滅ぶ....そう思われた時、鬼の子孫の末裔の男が一人立ち上がってくれたという。
この時代にはすでに鬼の子孫の家は飢饉や疫病などで数が減っており、その若者が一族最後の男子であり、あとは年老いた母親だけの二人だけの家だったらしい。
青年は
「自分が野伏どもを何とかする、次に奴らが襲ってきたらすぐに自分に知らせて村人は家の戸締りをして引きこもっていて欲しい。
自分たちの祖先がこの地に流れ着いた時、この村はそれを温かく受け入れてくれた。
だからいつか何かが起きた時は我が家の者はなんとしてでもその御恩を返さねばならない。
子供の頃からそう言い聞かされている、今こそ、その大恩をお返しする時である。」
と語ったそうだ。
村人は一人では無茶だと、何人かは自分も一緒に戦うと申し出たらしいが、青年は無駄な犠牲を出したくない、自分一人で行くと言って、同行を断固として断ったらしい。
果たして間もなく、また野伏どもが襲撃してきた夜、連絡を受けた青年は先祖たちが持ってきたらしい古い甲冑に身を固め、野伏どもとの戦いに山中へと向かった。
かつては先祖伝来の武器などもあったらしいのだが、この地に流れ着く前にかさばる道具類は捨ててきてしまったらしく、素手で野伏どもに立ち向かったのだという。
山中から聞こえる壮絶な肉がひしゃげ、骨を砕く音、断末魔の声に固く門戸を閉じて布団の中で震えていた村人たち。
やがて夜が明ける頃にはその声も聞こえなくなり、青年の身を案じた者たちが恐る恐る山中に足を踏み入れた。
そこで村人たちが見たものは酸鼻を極める光景だった。
地面には無数の野伏の引き裂かれた死体や手足が転がり、その中に息も絶え絶えとなった血まみれの甲冑姿の青年が岩にもたれかかっていた。
青年は全身ズタズタで刀傷、矢傷で血まみれ、全身には無数の折れた矢が甲冑の隙間に突き刺さり、ハリネズミのようになっていたという。
なにより青年の全身は骨が砕けており、野伏との壮絶な戦いを物語っていた。
村人は青年にしっかりしろと声をかけるも、もうその命は消えかかっているのは誰の目にも明らかだった。
青年は最後にこう言い残した。
「この村に恩返しができて満足だ、しかし野伏どもはまだ数十人は残っているはず。
また奴らが襲ってくるといけないから、自分の遺体は甲冑を着せたまま、高台の大岩の下に埋めてほしい。
あそこなら村全体を見渡せる、そこでずっと奴らを見張っているから。」
そう述べて息を引き取った。
結局残った野伏どもは青年の獅子奮迅の戦いに恐れをなしたのか、この地を離れたらしく二度と襲ってくることはなかったそうだ。
全身の骨と肉を砕いてまで野伏どもと戦い、死してなおこの村を守護せんとした青年の死を、村人たちは嘆き悲しみ、彼の遺体を丁重に村まで運び、彼の年老いた母親の元に届けたらしい。
母親は一人息子の変わり果てた姿を前に、それでも気丈に語った。
「この子はこの村にいつか恩返しをせよとの先祖の言葉を見事に守った、きっと満足であったはず、貴方達もぜひこの子を褒めてやって欲しい。」
そう言って静かに涙を流したという。
その姿を見た村人たちもまた涙を流し、青年の死を悼んだ。
取り残された母親は村を救った英雄の母ということで、以降は村全体で陰に日向に助け、面倒をみたそうな。
やがてその老いた母親も天に召される時が来た。
母親は最後までこの村への感謝の言葉を述べながら息を引き取り、その死に顔はとても安らかなものであったと伝わっているという。
以後、この村では彼らの家があったかつての場所に降神辻と名付け、その村への貢献と犠牲を忘れないように、祭りとして青年の献身を伝え残したのだという。
ここまで御主人の話を聞かされた著者の脳内では、さらにパチパチとなにかが火花を散らすような感覚があった。
何かが繋がりそうなのだ。
顎に手をそえてウンウンとうなりながら思案する著者に、御主人が嬉しそうにさらなる提案をしてくれた。
近くの神社に伝説に纏わる屏風絵が収められているらしい。
明日で良ければ自分が案内するから、このまま今夜も泊っていけというのだ。
さすがに気が引けたのだが、ここまで来て帰るわけにもいかない、なにより奥様の
「まぁまぁ、それなら今夜はスキヤキにしましょう、滅多に来ないお客様が来ると家がにぎやかで嬉しいですねぇ。」
との言葉に著者の喉がゴクリと鳴ってしまったのだ。
「ははっ、あんたの腹の虫もそう言っとる、遠慮は要らんから泊っていきなさい、それがこの村のしきたりでもあるのだから。
ワシらを助けると思って、ぜひもてなしを受けて欲しい。」
そうまで言われては、断るのはかえって無作法というものだろう…著者が、ではお言葉に甘えさせて頂きます、と答えると。
御主人がどこかに電話をし、件の神社の関係者に明日取材に伺う旨、アポを取り付けてくれたようだ。
恐縮しつつ奥様が作ってくれた絶品のスキヤキをたらふく食べ、満足感とともにまたふかふかのお布団で床に就いた。
翌日、御主人とともに村はずれにある小さな神社へと向かい、神職に通されて宝物殿に収められたその屏風絵巻を調べさせていただいた。
絵巻には甲冑姿の若者が片手に野伏の首をつかみ、もう片手で別の野伏を叩きのめしている様子が描かれていた。
足元には青年の片足に踏み敷かれた野伏もいる。
周りは何十人もの野伏が手に刀や槍を持って取り囲んでおり、青年の体には折れた矢が幾本も突き刺さって血まみれだ。
青年には角も牙も描かれてはいないが、まさに鬼神のような戦いぶりだ。
神職によると青年と野伏の戦いは、村人は引きこもっており、誰も直接見た訳ではないので、この戦いの様子は戦いの跡を見て想像で書かれた物だろうとのこと。
神職にいくつか質問をしてみた。
大岩に子供の健やかな成長を祈る風習について聞いた時、神職はこう答えた。
「もともとは野伏を全滅させるまで戦った青年のように丈夫な骨になるように祈っていたらしい。
そうすることで骨折したりヒビが入ったりしない丈夫な骨と身体になり、骨が折れてもすぐにつながる御利益があると言われていたが、長年の間に単に丈夫な骨や体になる御利益へと変化したようだ。」
例の大岩に手を添えて子供が唱えていた祝詞も、もとは流れてきた鬼の子孫の一族がその十人力を発揮する際に唱えていた祝詞が由来なのだ、と。
他にも良く解らない呪文を唱えて十人力を発揮する者もいたらしいが、そちらは良く解らない言葉だったせいで、御利益としては残らなかったようだ。
神職が先代から聞いた話では、おそらく仏教由来の真言か何かだったらしい。
それらの説明を聞きながら著者は絵巻を眺めているうちにある違和感に気づいた。
絵巻に描かれた青年の体が赤黒く着色されているのだ。
流血の表現ではない、血の表現は別に赤い染料で表現されていたからだ。
赤黒く着色されているのは青年だけで、野伏などは普通の肌色だ。
神職に聞いてみると、伝わる話では鬼の子孫を名乗った一族は十人力を発揮する時に、全員ではないが肌の色が赤銅色に変わる者がいたらしい。
著者の脳内の中の暗闇でパチパチと火花が大きくなっていく。
呪文を唱えて十人力を発揮し、赤黒く染まる体躯、野伏との戦いで全身の骨を砕かれて絶命した青年。
しかもそれは武器すら持たぬ素手での戦いで野伏どもを引き裂いたという。
そしてフルガミでもなくコウガミでもなく、ウラガミ....そう思い至った時、著者の脳内の暗闇で
バチンッ!!
と、ひときわ大きな火花が飛び散った。
それは脳内のイメージを超えて、実際に目の前が一瞬白く染まるほどの衝撃だった。
『繋がった』のだ。
もうお分かりだろう、著者がたどり着いた仮説に。
そう、鬼の子孫を自称していた彼ら、そして野伏から我が身を犠牲にして村を守り抜いたその末裔たる青年。
彼らはあの朱羅神の一族の末裔ではなかったのか?
ここからはかなりの割合が著者の推測になるが、巴氏の証言によると霞の眼の深遠に魅せられ、御子神から離反した朱羅神の一族は権力者の道具になり下がり、暗殺者集団へとなり果てていったという。
だがそのような生活に嫌気がさして、やがて朱羅神から離れていったグループもいたのではないだろうか?
そして朱羅神…暗殺者の生活から離れたそのグループは、穏やかな普通の生活を求め、市井に溶け込んでいったはずだ。
そんな彼らは、朱羅神の忌まわしい歴史から引き継がれた修羅の眼=高深度術式の霞の眼は封印したはずだ。
暗殺家業から身を引く以上、修羅の眼は何かの危機的な事態にでも直面しない限り、使う必要がないはずだからだ。
そんなグループが、安住の地を求めてこの地に流れ着いたのだとしたら?
人並外れた体躯と異能の怪力を発揮する彼らは日本全国様々な地を流れたが、ついぞ安住の地は見つからず。
そして古くから様々な流れ者を温かく受け入れてきた、この村の噂を聞きつけた。
藁にもすがる思いでここにたどり着き、鬼の子孫だが、十人力の力で必ずこの村の役に立ってみせる、と懇願したのだとすれば?
著者の頭の中で様々なバラバラだったピースが凄まじい勢いで組み上げられていった。
彼らが不審に思われるのを承知の上であえて
「角も牙もないが、鬼の力を持っている」
と話したのは、彼らなりの誠実さと、朱羅神の歴史に対する複雑な自負が入り交じった感情がゆえの言葉だったのではないだろうか?
そして名前を変えつつも彼らは降神=ウラガミというシュラガミから転訛したと思われる一族名を名乗った。
彼らなりの一族の凄惨な歴史の爪跡を、かすかにでも後世に残したかったからなのではないだろうか?
かつては鬼の一族は祝詞だけでなく、仏教由来の真言と思われる呪文も使っていた、という神職の証言もだ。
かつて戦巫女の集団であった御子神の一族が、その前身となる土着の神道や密教、陰陽道まで入り交じった、混沌とした民間の呪術体系をもつ、土着巫女であったとする歴史的事実とも符合する。
そしてこの村のよそ者に対する温かい対応は、民俗学で言うところの報恩譚であろう。
報恩譚とは民俗学上の用語であり、神や動物を助けた結果、何かの恩返しや御利益が得られた、とするパターンをもつ物語だ。
例えば傘地蔵や鶴の恩返しがこのパターンに当てはまる。
かつてこの地に流れ着いた鬼の子孫を温かく迎え入れたら、後に彼らがその恩返しとして我が身を犠牲にしてまで村に報いてくれた。
その記憶がこの村に
「旅人には親切にせよ」
という風習として残ったのだろう。
それらの記憶を、彼らは青年の献身に報いるために、祭りやウラガミさんの大岩への祈願として、この時代まで大切に残し守ってきたのだろう。
さらに神職はこの神社に伝わるいくつかの古文書を見せてくださった。
多くはすでに名士のご主人に見せて頂いたものと重複する内容だったが、一つ興味深い
1枚の古紙を見つけた。
「鬼の誓文状」
と呼ばれるものだ。
青年が無くなった後、残された母親の死をもって降神家は断絶してしまったそうだが、母親の最後は青年の献身に報いるため、村全体でその老後を支えた。
母親の葬式も立派なものが執り行われたらしい。
その際、母親の遺品を整理する過程で見つかったものを神職が預かり、保管していたものだそうだ。
「我、これより深淵に身を沈め、人としての理を捨て修羅に入らん。
息を腹の底へと導き、金剛の力用いて里を襲う災厄を打ち砕かん。
死して後はあの大岩の礎となり、護国の鬼と成りて永劫にこの地を見守らん。
もし里に危急あらば、我が亡骸の骨、乾いた音を立てて鳴り響かせん。
これ即ち危機の知らせなれば、里の者、その音を聞かば直ちに備えよ。
努々(ゆめゆめ)忘るることなかれ。」
という内容だった、内容からしてこれは鬼となった青年が戦う直前に母親に託した、いわば遺言状と思われる。
この文章を読んでいる時、神職が説明してくれたのだが、例の祭りは元々「鬼の高見櫓」と呼ばれていた高台の大岩の周りで行われていたのだとか。
高台の上で行うのは危険だからという理由で、後世になってから本物の櫓を高台のふもとに組み、行われるように変質したのだそうだ。
また誓文の中にある
「乾いた骨の音で里の危機を知らせる」
も神職の先々代あたりまでは言われていたらしいのだが、現在ではあまり言われることもなくなり、忘れ去られつつあるようだ。
それでも一部の高齢者の中には
「ウラガミさんの大岩が骨が鳴るような音を立てたら、なにか村に悪いことが起きる前兆だから気を付けろ」
と信じている者もまだいるらしい。
著者は絵巻を神職の許可を得て撮影させてもらい、お二人に厚くお礼を述べ、この古い歴史を持つ村落を後にした。
帰りのJRに揺られながら考えてみた、著者が考えていた以上に、日本各地に朱羅神の痕跡はあらゆる伝説伝承に埋もれて残されているのかもしれない。
今回は腰を振るプレスリーとおにぎりから偶然この伝説に出会い、予想だにしなかった仮説にたどり着いたわけだが、ここまで思考した時、著者は少しだけ不遜でうぬぼれた考えに思い至ってしまった。
もしかしたら、自分は朱羅神の一族に導かれているのかもしれない、と。
オカルトライターとして、好奇心の赴くままに御子神と朱羅神の一族の歴史をここまで追い続けてきたのが著者だ。
時折調査の過程で、今回のように全く無関係な事象から、何かに導かれたかのように朱羅神の痕跡へとたどり着くことが、しばしばあるのだ。
不遜な考えかもしれないが、もしそうなら著者は彼らが歴史に残したかすかな爪痕を、今後ともに追い続けて発掘していく義務があるのかもしれない。
そんなことを考えながら、自宅で電気代が怖くてなかなかスイッチを入れる踏ん切りがつかないクーラーを眺めつつ、汗だくになりながら本稿を書き上げた次第である。
読者諸兄においては、鶏面人やら腰を振るプレスリーのごとき与太話よりも、よほど面白いレポートをお届けできたものと確信している。
ゲイツの督促は適当に流しておいた、鶏と腰振りなんぞ合わせて1ページもあれば十分であろう。
今後も荒吐のレポートは与太話もあるだろうが、決してそれだけで終わることはないと、この場を借りて読者諸兄にお約束するものである。
この後予定されている意味不明なカルト教団への潜入取材レポートなどはとっとと読み流して、今後も続行される御子神と朱羅神一族を追うルポタージュ記事をこそ、刮目してお待ちいただきたい。
美味しいしゃも鍋とすき焼きの味を今でもふと思い出す度に思うのだ。
あの時、著者を温かくもてなしてくれた小さな山間の村で
それを見下ろすあの鬼の高見櫓のもとで
角のない鬼は、村に迫る脅威を油断なく睨みつけながら
愛し、愛された村を、今も見守り続けているのだろうか。
この原稿をゲイツの面に叩きつける時を想像してほくそ笑みつつ、これにて今回のレポートは筆を置かせて頂こうと思う。
九十九令和奇譚 真説・耳嚢シリーズ 第十夜 降神辻の愛された鬼・完
最初は本編補強資料のつもりで立ち上げた九十九令和奇譚シリーズでしたが、書いてるうちに楽しくなってきてどんどん設定が膨らんでいき、気がつくとただの補強資料と呼ぶにはちょっと収まり切らない内容になってきましたね…。
荒吐 九十九氏も予想以上に良い味を出すキャラになってくれました。
今や雪風のお気に入りキャラの一人です、だって使いやすいんだもん、この人。w




