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第五夜 御子神一族について

挿絵(By みてみん)

本稿はホルスタイン零の本編および外伝、またはそれに続く予定されている続編についての世界観を補強する目的で作成された資料です。


設定資料そのままでは面白くないので、架空の三流オカルト雑誌「月刊アトランティス」に不定期で寄稿しているオカルト系ルポライター、荒吐(あらばき) 九十九(つくも)氏の寄稿するオカルトルポルタージュ記事風にまとめたものとなります。


都市伝説や民間伝承に紛れ込んだ鬼の正体に迫る....


といった感じの体裁になっているとともに、ホルゼロ本編の謎のいくつかを網羅しております。

本稿を読まなくても、問題なくホルゼロ本編は楽しめるように執筆してあります。


ですが、もし本編に興味を持ち面白いと感じて頂けたのなら、ぜひとも本編の息抜きにでも九十九令和奇譚シリーズも読んで頂き、感想など頂ければ幸いに思います。

挿絵(By みてみん)

九十九令和奇譚(つくもれいわきたん) 真説(しんせつ)・耳嚢(みみぶくろ)シリーズ


第五夜




御子神一族について。   




月刊アトランティス編集部




文責:フリールポライター 荒吐(あらばき) 九十九(つくも)著






本稿は長年にわたり著者が追っている、とある特異な一族に関する報告としてまとめたものである。


本稿に登場する御子神(みこがみ)一族に関して、お貸し頂いた御子神家の家伝書や資料を基にまとめたものである。




注意して頂きたいのは、ここに記された情報はフリールポライターである著者の独自の取材に基づく研究解釈や、著者の知識に基づいた解釈も多数含まれている点に留意されたい。




また参考にされている資料文献は、御子神家から提供いただいた資料以外にも複数存在している。


本来であれば、何の関係も無いはずの地方の土着伝承や口伝に纏わるものも、多く含まれている。




それらを著者が強引に結びつけた結果、たどり着いた結論も含まれている。


よって、あまり信用しすぎず、肩の力を抜いてオカルト系のエンターテイメント程度に受け止め、楽しんでいただければ、幸いである。






御子神の一族はかつて神道に仕える巫女の一族であると同時に、代々多くの女傑を輩出してきた一族である。


御子神 零女史の異常ともいえる戦闘能力のルーツもここにあると思われる。




その遺伝子は母系で特に強く伝えられているらしく、御子神の一族は代々多くの女傑を輩出してきた。




女児しか授からなかった場合、特にその中に後述する霞(かすみ)の眼(め)の素養を持った、もしくは開花させた者が家督を継ぎ、婿養子を取って血脈を繋いできたそうである。




筆者の好奇心からの無作法な取材に快く応じて頂いた現当主の御子神 巴(ともえ)氏も、伴侶である御子神 太蔵(たいぞう)氏を婿養子として迎えている。




また次女三女であっても、長女に霞の眼の発現が見られなかった場合などは、発現させた次女や三女が当主の座を継ぐなど、実力主義的な面もあるようだ。




なお血脈の遺伝そのものには男女の性別には関係がないらしく、男児であっても霞の眼を発現させる者はいたらしい。




その場合は通常通り妻を娶り、その子供にも問題なく生まれつきの優れた身体能力や、霞の眼が発現したという。




ただし必ずしも、特に霞の眼は発現するとは限らず、事実巴氏の御息女には優れたフィジカルは遺伝したものの、霞の眼はついぞ発現することはなかったらしい。




ただしその孫娘である御子神 零女史には早くからこの能力が開花しており、一族特有の身体的素養も相まって、海外で一時期は傭兵として凄まじい戦果を残したと語っていた。




つまり当代で発現しなくとも、後の子孫に一族の特異な能力が隔世遺伝する場合があるようだ。




零女史の異常ともいえるフィジカルを実感するために色々と話を伺う流れで、彼女の愛用する武器について聞いてみたのだが...


傭兵時代のメインウェポンは、なんと35mm対艦狙撃『砲』だというのだ。




最初は聞き間違いかと思い確認してみた「狙撃銃ですか?」と。


著者は雑食性ライターでもあるので、同僚のミリオタライターなどにもよく話を聞く。


なにが飯のタネになるか分からないのだから、知識は広く浅く持っておく必要があるのだ。




よって、ある程度のミリタリー知識もある、しかし著者のつたない軍事知識からしても35mmの狙撃銃など聞いたこともない。




件のミリオタ同僚氏からの知識では、確か世界最大クラスの対物ライフルが20mm口径だと言っていた、と記憶しているのだが...




しかし彼女は間違いなく

「狙撃銃ではなく、巡洋艦クラスの装甲をブチ貫くために頭がおかしいジジイが設計した対艦狙撃『砲』なのだ」

という。




どのような人物が設計したのか聞いてみたら、「深夜に魔女っ子アニメ見ながらショットガンぶっ放して背中に不倫母さんってタトゥー入れてて、和式便器にドタマ打ち付ける奇行を自分からやってるイカれジジイ」

との返答、もしかして著者はからかわれただけなのかも知れない…。




現物を見せて欲しいとお願いしたのだが

「あまり人に見せびらかすようなモンじゃないから。」

とお断りされてしまった、代わりに彼女の傭兵時代に仲間と撮影した写真を見せて頂いた。






酒場と思わしき場所の店の前で撮影された写真に、傭兵時代の仲間とともに映っていた。


彼女が片手で地面に立てかけた巨大な銃、いや砲を持っている写真だ。


それはもはや、鉄塊という言葉を直感的に想起させるようなサイズのシロモノであった。




重量を聞いてみると


「知らない、計ったこと無いし、でもたぶん50kgちょいぐらいじゃないかな?

60kgはないと思う。」


とあっけらかんと答える。




50kgと言えばほぼ人間一人分の重量である、それを彼女はいつも担いで戦場を駆け回っていたのだという。


やはりこの一族は人間離れしている。






またその運用に関しては、MTバイポッドなる技術が不可欠らしい。


その話題の時、彼女は自身の特定部位を指して説明してくれた。


だが著者の生半可な軍事知識では良く解らなかった。




あとでミリオタ君にMTバイポッドなる技術について聞いてみるとしよう。






ただこの写真で彼女が持っているモデルは旧式で、すでに壊れて引退しており、現在使用しているのは最新型のモデルで重量もサイズも一回り小さいものだそうだ。


おかげで随分楽になった、と彼女は笑うが、それでも重量は40kg近いらしい。




40kgの重量を随分軽くなって楽になったと言える身体能力...。


いやはや、なにをかいわんや、だ。




あとは御子神一族に伝わる伝統的な先祖伝来の武器庫にも案内していただいたのだが、その光景は異様の一言だ。




刀、槍、鎖鎌、鉄棍、抱え大筒、破城槌、甲冑、鉄弓。


時代劇や大河ドラマではおなじみのメンツがずらりと並んでいるが、常軌を逸しているのはそのサイズだ。


どれも普通の、最低でも倍から三倍はあろうかという巨大さだ。






巴氏の説明によると御子神の一族の生まれ持った体躯と、それをさらに底上げする霞の眼の力に並みの武器では耐えられず、すぐに折れたり曲がったり砕けたりしてしまう。


その為、切れ味よりも頑強さを重視した特注品ばかりになってしまった結果が、この異様な陳列棚の光景らしい。






普通この手の武器というものは、刃先以外はなるべく扱いやすいように軽くて丈夫な素材、例えば硬い樫の木などを使用するものだろう。




だがここにある武器は、柄までほとんどが鉄でできている、耐久性を重視した結果だという。




当然、途方もない重量になってしまうのだが、それを天性の体躯と霞の眼の力でねじ伏せて振るっているのだ。




零女史の愛刀を見せて頂いた。


といっても彼女の現在の得物は前述の狙撃砲なので、あまり使う機会は無いらしいが、子供のころの修業時代には使っていた、懐かしい武器類がいくつかあったようだ。






彼女の愛刀であり、守り刀はやはり異常なものであった。




刀剣類にもそれなりに知識があった著者は、一目見て実戦刀として名高い胴田貫(どうたぬき)であることは一目でわかった。






胴田貫は戦国時代から江戸時代にかけて、肥後の国の実用本位の豪刀を鍛えることで有名な刀鍛冶師の一派の作だ。


華美な装飾などは一切廃した「折れず、曲がらず、よく切れる」質実剛健な作刀で有名である。






その身幅(刀身幅)や重ねの厚さや、蛤刃(はまぐりば)と呼ばれる丸みを帯びた断面で、素人にも比較的見分けやすい特徴がある。




加藤清正が、大柄な自身の体躯に合わせて特注した「兜割(かぶとわ)り正国(まさくに)」などが有名である。


また時代劇ファンならば、小説「子連れ狼」の主人公、拝(おがみ) 一刀(いっとう)の佩刀(はいとう)、と言ったほうが通りがいいかも知れない。






しかし零女史の愛刀は、それを遥かに上回る身幅がある。


平均的な日本刀の身幅(峰から刃までの距離)はおよそ30mmから35mm


重ね(峰の厚み)は6mmから7mm。




胴田貫は重ねが9mmから10mmを超える固体も現存しているらしいが、零女史のものはどう見ても身幅55mm、(通常の同田貫の1.8倍)




重ね(峰の厚み):約30mm(通常の同田貫の約3倍)はある。




鍔元2cmほどには刃がついておらず、峰ほどではないが幅20mmほどの頑丈な厚みを持たせることで強度を増す作りになっているようだ。




胴田貫正国に特注して作らせたシロモノで、依頼を受けた正国は「鬼にでも使わせるつもりか?」と呆れたという逸話が残っているそうだ。






銘は「鉞刀(えっとう)・夜叉明王(やしゃみょうおう)」。




鉞(音読み:えつ)とは「まさかり」のことだ。




確かにこれは、その異様な身幅、重ねの厚さと重量からして、刀というよりは、刀の形をしたマサカリと呼ぶべきシロモノだろう。






その威容は、恐ろし気なヤシャという響きも相まって、凄まじい存在感を放っていた。




刀身長80cm(約2尺6寸4分)とかなりの大太刀だ。




重量は凡そ20kg、一般的な打刀の凡そ20倍超の重量。




刀身の断面図は蛤刃の楔形、身幅を鉈並みに厚くすることで、叩きつけた時慣性で峰のいわゆる「腰が伸びる」のを防いでいるのだ、とは巴氏の説明だ。




軽量化のための樋(ひ:溝)は切られておらず、軽量化よりも重ねを維持することによる耐久性を重視した刀身となっている。






柄は通常のものより少し長めのようで、内部こそ通常の刀と同じく樫の木カシだが、これは衝撃吸収材の役割を持たせるためだそうだ。




やはり耐久性増加のため、その外から鉄製の柄でサンドイッチして固め、目釘は鉄製を3本(三挺目釘)打ち、鮫皮と柄糸を巻いてある。






刃の角度は一般的な刀よりかなり鈍角で、切れ味よりとにかく耐久力と刃持ちを重視しており、切れ味の方は「ナマクラもいいとこ」らしいが.....




そもそもこの重量を、40kgの鉄塊を軽々と運ぶ御子神の膂力で撃ちこまれたら、もはや切れ味など関係あるまい。




兜、甲冑ごと真っ二つに切断、というより、もはやこれは剪断と呼ぶべきだろう…されるのが容易に想像できた。




後述する巴氏の愛薙「降魔(こうま)・羅刹薙(らせつなぎ)」もここに収められていた。








なお御子神一族は異常ともいえる人間離れしたフィジカルを先天的に持って生まれる者が多いが、筆者が巴氏のご厚意により見せて頂いた巴氏の若い頃のお写真では、つややかな長い黒髪に切れ長の目を持つ、可憐さと凛々しさを同時に兼ね備えたような雰囲気の、着物姿の大変な和服美人であった。




その孫娘である当代の御子神(みこがみ) 零(れい)女史も、祖母の若い頃を思わせる涼やかな切れ長の目を持つショートヘアの相当な美人である。


これも御子神の血なのであろうか?




実にうらやましいと思うと同時に、零女史の場合はその美貌以上にとある身体的圧倒的な特徴に目を奪われてしまったのだが、本稿の趣旨からは離れてしまうために詳細は割愛させていただく。






話がそれたが、かように美貌にも恵まれた一族の血ゆえに、婿養子を必要としても相手選びには困らなかったであろうことは想像に難くない。








御子神の先祖達は地方のさびれた地域で代々神職を務めてきたそうだ。


その教義は神道を主体としつつも、土着の民族宗教や修験道などの山岳信仰や修行形式、密教や陰陽道。


はては道教の思想までも取り込んだ、混沌とした宗教体系だったそうである。




巴氏いわく

「荒吐さんが思うような、あまりまっとうな神道でも巫女さんでもないかもしれんのぅ。」




そんな彼女達は、ある時期を境に時の権力者による弾圧にさらされたという。




御子神の巫女達は時の権力者の弾圧に対抗し、自身の身と神域、信仰を守るためその身を鎧(よろ)おい、武装化した僧兵のような集団、「戦巫女(いくさみこ)」を生み出した。




代々多くの女傑を輩出してきた御子神の一族が自然とその戦力の中核を担っていった。


零女史の先祖達がその成り立ちから「巫女神(みこがみ)」を名乗り始め、やがてそれが「御子神(みこがみ)」へと転じたものと思われる。










霞(かすみ)の眼(め)について。


御子神の戦巫女達は、その優れたフィジカルを最大限に発揮するため「霞の目」と呼ばれる独自の自己暗示操作術を用い、戦場で鬼神の如き剛力を発揮したと伝えられている。




これは強烈な自己暗示と特殊な呼吸法、修験道や密教由来の真言(マントラ)、神道の祝詞(のりと)等の意図的、精神的な操作などを用いて人間の肉体の持つ潜在能力を瞬間的に引き出し、超人的な力と集中力を発現させる、一種のセルフバフ技能である。






いわゆる火事場の馬鹿力を強制的かつ意図的に引きずり出す、自己精神操作法の技法であり、メンタルコントロールテクニックの一種であろうと推測される。






この技法を用い戦巫女が戦場に現れる時は、正体を悟られぬよう鬼の面をつけた甲冑姿で現れ、その凄惨な戦いぶりは突如として戦場に降臨し、絶対の死を撒き散らす災厄の戦場伝説として「修羅姫(しゅらひめ)」とも呼ばれた。




一部の文献においては、戦場で無念を飲んで斃れた死者の怨念が集まり生まれた、物の怪の一種としても記されている。




戦巫女達は圧倒的兵力の不利を補うべく、こういった戦場伝説も巧みに利用していた形跡がある。




こういった噂が流れるたびに「神域を侵した罰当たり者の前には、必ず神仏の遣いたる修羅姫が現れ、黄泉平坂(よもつひらさか)に送られる神罰が下る。」


等の噂を、意図的に流布していたようだ。




まだ迷信深かった当時の人々に対する、これらの心理的効果は予想以上のものであり、寺社仏閣へ手出しすることに対する、強力な心理的抑止力となっていたはずだ。




この技法を零女史は、幼いころに巴氏から「一族に伝わるいざという時に不思議な力が湧いてくるおまじない」、として伝えられており、巴氏から零女史へと隔世遺伝する形で引き継がれた。(零女史の母君には発現しなかったそうだ)






零女史が極限の狙撃時に見せる異常な集中力、修羅の三白眼の正体はこれであろう。




実際に零女史の協力のもと、霞の眼の実演を見せて頂いた。




あの美女の容貌が瞬時に殺気を孕んだ三白眼に変化する様は、一気に室温が3-4度は下がったかのような錯覚を覚える程であった。


ただその三白眼への変化については、零女史本人には自覚がないようにも見えた。




後に女史に新しいお茶を入れてくるよう巴氏が命じ、彼女が席を立っている間に巴氏が語った話によると「あの子はただのおまじないと思っておるようじゃからの、幸い瞳の変化は自分では鏡に向かって霞の眼を使わん限り気づかんからの。

あぁ荒吐さんもすまんが、それについては黙っててやって欲しい、ああ見えても年ごろの娘じゃ、あまりあの目は世間体が良いモンじゃないからのぅ。」


と、そこには孫娘を案じるただの優しい祖母の顔があった。






修羅の三白眼への身体的変異だが、これは必ずしも霞の眼発現時に現れるものとは限らないようだ。




過去の霞の眼の使い手達の中には修羅の三白眼以外にも、筋肉の隆起による身体の肥大化、髪が逆立つ、皮膚の色の赤銅化(しゃくどうか)などの形で現れる者もいたようだ。




また、そういった視覚的に解りやすい身体変化が、全く現れない使い手もいたことが記録に残っている。




共通しているのは爆発的な集中力と身体能力の強化、意識の覚醒と人間離れした動体視力と反射速度の増加、痛覚や出血への異常なまでの耐性増加などである。




その身体変化の現れ方は、使い手により様々であるらしい。




また自己暗示のためのメソッドであるため、プロセスとしては当初は巴氏に教わった通り、忍者のように九字(くじ)を切ったり、光明真言(こうみょうしんごん)を唱えることをトリガーとしていた。


しかし、これはあくまで自己暗示の発動トリガーであり、自身が「このおまじないは効果がある」と確信できていることが重要なのだ。




ルーティーンの内容自体は問わず、自分が「これをやれば必ず効果がある、自分には超常的な力が宿るのだ」と信じ切ることができる物なら、なんでも良いそうだ。


霞の眼の基本として真言や祝詞を教えるのは、単に戦巫女の前身が神職であり、彼女達にとっての最も信じられる物が神仏の加護であったからだ。

故に、それを引き出すトリガーも真言や祝詞であっただけ。


それ以上でも以下でもない、とのこと。


つまり霞の眼の発動原理と、その結果としての身体能力の上昇は、スポーツ心理学や生理学の分野であり、真言や祝詞が何かオカルト的なパワーを発揮した結果では無いということだ。


少しばかりいたずら心が湧いた著者が

「では、仮に確信さえ持てているのなら、ルーティーンの内容は安来節(やすきぶし)を歌いながらドジョウ掬いを踊る動作でも発動できるのでしょうか?」


と聞いてみたら、巴氏は呵々大笑(かかたいしょう)しながら


「本当に信じ切れるのならできる、もしかして荒吐さんはここをドリフ色に染めたがっとるユキカゼの回し者かの?」

とイタズラっぽい笑みとともに返されてしまった。


ドリフ色とはどういう意味か、ユキカゼとは何者かは聞くのを忘れてしまった。



特殊な呼吸法を用いて過呼吸による酸素過多の状態を意図的に作り出し、半トランス状態となったところに真言や祝詞による強烈な自己暗示を脳に流し込む。


肉体にかけられた自己肉体保存のためのリミッターを一時的に強制解除し、超人的な身体能力を発揮する段階を踏む。


しかし元々人間の身体にリミッターが掛けられている理由は、強すぎる自身の力が自分自身の肉体を破壊してしまいかねないからである。


生まれつきの強靭な肉体を持つ者でない限り、力を引き出したは良いが、相手を打ち殺せても己の拳もその衝撃に耐えられず、拳の骨が砕けるなどの自身の肉体破壊、自壊現象を引き起こす。


これは現実世界でも強打が売りのボクサーほどナックルの中手骨(ちゅうしゅこつ)や尺骨(しゃっこつ)の骨折の危険と隣り合わせであり、常に悩まされている事実からも理解できるだろう。


だからボクサー達は命の次に大事なその拳をバンテージでしっかりと引き締め固め、保護しているのである。


これは霞の眼の術式深度により危険度が変わり、術式深度の深い霞の眼ほど潜在能力を引き出せることと引き換えに、高深度の霞の眼使用は常に正気を失う暴走と自己破壊の危険を孕んでいる。


ゆえに巴氏は、零女史にはあえて限界深度の霞の眼をかける方法は伝えておらず、その奥義の存在自体を知らせていないらしい。


話題となったラグビーの五郎丸選手のルーティーンと同じであるため、習熟するにつれて儀式そのものが必要なくなる。


傭兵となる前には零女史は、ルーティーンなしに集中するだけで、脳内のスイッチが切り替わり、瞬時に霞の眼を発現させることが可能になっていたとのことだ。


巴氏も小さい頃からおままごとやお人形さん遊びといった女の子らしい遊びには全く興味を示さず、男子に交じって薙刀や剣術の稽古に泥まみれになりながら励み、アザだらけになりながら組討ち稽古に汗を流す。


雨が降ると孫子や六韜兵法(りくとうへいほう)などの兵法書を読みふけるような子供時代だったという。


その腕っぷしゆえに「御子神(みこがみ)の巴御前(ともえごぜん)」のあだ名を付けられ、その美貌に魅かれて言い寄ってくる軽薄な男も後を絶たなかったようだ。


「私より弱い殿方には興味はありませぬ、私が欲しいなら力づくで組み伏せてごらんなさい。」


そう言い放ち、憤慨して掴みかかってくる大の男や、巴氏の武勇伝を聞いて屋敷に訪れる腕自慢の道場破り崩れを、汗一つかかずに涼しい顔で片っ端から投げ飛ばし組み伏せ、失神させるのがほぼ日課であったらしい。


これは夫である太蔵(たいぞう)氏の証言だ。


だとすると太蔵氏は、巴氏を超える武術家なのだろうか?


巴氏は昔話の時に

「自分より弱い男には興味がない」

と言っていたはずだ。


大変失礼だが、そのようには見えなかった、太蔵氏はとても温厚そうな豊かなひげを蓄えたサンタクロースのような、優しい雰囲気だったからだ。


閑話休題のつもりでそこらを聞いてみた、堅苦しい話ばかりでは相手も疲れ警戒してしまう。


こういう脱線を意図的に時々挟むことで相手の警戒心を解き、さらなる情報を引き出すテクニックは著者の長年の取材で培った話術であり、ルポライターとしての飯のタネである。


驚いたことに太蔵氏は武術の素養など全くなく、どちらかというと読書などのほうが好きらしい。


太蔵氏が若りしころ、浴衣姿の巴氏と祭りの縁日で偶然出会い一目惚れしたらしい。


その縁日で、誤って階段から足を滑らせ落ちそうになった子供を助けようとした巴氏が身代わりになって階段から落下、あわや大怪我か...!?


となりそうなところを、とっさに太蔵氏が自らの体をクッションにして腕の骨を折りながらも巴氏を救い、巴氏がしばらく太蔵氏の看病についたことから交際が始まった…というのが馴れ初めであったという。


ただの閑話休題のつもりであったがこの後、零女史が新しく入れてくれたお茶が完全に冷めるまで


「あの時のトモちゃんの恥ずかしがって頬を赤らめた表情は、今でも思い出すだけでワシゃぁ....ワシゃぁもぅ...」


「イヤですよおじいさん、若い人の前で...」


などとのろけ話が始まり、慌てて話を元に戻すのに苦労したのも、御馳走して頂いた美味しいクッキーとともに良い思い出である。


なお、巴氏は愛用の獲物として薙刀を用い、薙刀の名手としても知られている。


御子神一族に伝わる、鉄筋に通常の薙刀の倍はあろうかという巨大な刃を付けた愛薙「降魔(こうま)・羅刹薙(らせつなぎ)」を高齢となった現在でも、筆者の目の前で自身の身の丈の倍以上あるにも拘らず、凄まじい風切り音と共に小枝のように軽々と振るってみせた。


また戦巫女達が長い戦いの中で練り上げた

「御子神神眼流(みこがみしんがんりゅう)」なる武器術、甲冑組討ちの技法までも網羅した総合武術も継承されている。


ただしこれは全く技法が体系立てられておらず、生まれつきの異常なフィジカルと、霞の目によって強制的に励起される超人的な身体能力の二つを絶対の大前提とした技術体系である。


流派というより、野獣の剣術闘法と呼ぶほうが相応しい、肉食獣が獲物に襲い掛かる際の襲撃指南書、といった趣である。


生まれ持った類い稀なるフィジカルに恵まれた御子神一族であっても、霞の目使用者以外には、ましてや一般の人間にはそもそも修練も習得もほぼ不可能な、極めて特殊かつ異質なものである。



巴氏より提供された資料を基に以下にその一例をあげる。


これらは、あくまで一部開示された物であり、大部分の古伝古文書は巴氏の意向により公開はして頂けなかった。



「御子神伝(みこがみでん) 兵法極意書(へいほうごくいしょ) 拾遺(じゅうい)・曲(まが)リ神憑(かみがか)リ伝」ヨリ


一ノ太刀斬(いちのたちぎ)り

「敵、我が太刀を避くること無く受くるの癖あらば、これ僥倖(ぎょうこう)なり。

面を狙いて打ちこみ、敵の刃太刀ごと打ち断ち、鉄甲の備え諸共に両断すれば、

太刀折れ身を断つものなり、これ即ち一ノ太刀斬りの極意なり。」


(意訳:敵がこちらの太刀を躱そうとせず、己の太刀で受け止めようとする傾向があるのなら好機である。

全体重を乗せ面打ちにて受け止めようとする太刀ごと両断し、そのまま甲冑ごと叩き斬れば良い、これが一撃必殺の極意である。)


佩(はい)の返し

「敵、我が面を打ち来たらば、蜻蛉を返してこれを躱し、空中翻転の勢いのままに真下より太刀を摺り上げ、股下から頭へと逆竹割りにて断ち割るべし。

これ佩の返しの秘太刀なり。」


(意訳:敵が面を打ってきたところをトンボを切って躱し、そのまま宙返り中の勢いを活かして地面すれすれの真下から摺り上げるように刀を振るい、股下から脳天に向けて逆竹割りに斬るべし。

これが佩の返しの秘剣である)


押(へ)し切(き)り

「敵と鍔を競うに至らば、躊躇(ちゅうちょ)することなく太刀の峰を押し押し(おしおし)て、その力に乗じ、相手の刀ごと押し斬り押し拉(ひしゃ)ぐべし。」


(意訳:敵と刀を交えて鍔競り合いになったならば、そのまま太刀の峰に手を当て、異常な腕力をもって力任せに押し切り、相手の太刀ごと圧砕して斬り伏せよ)



石礫(いしつぶて)

「槍衾(やりぶすま)に向かいて軽卒に接近するなかれ。

離れ立ちて足下の石礫を以て、遠くよりこれを打ち殺すべし。

殊に兜の面・太股等、鎧帷子(よろいかたびら)に覆われざる虚を狙うを良しとす。

鉄砲に対するもまた、この理に違うことなし。」


(意訳:槍の穂先を押し立て並べている敵の集団に対してはうかつに近づいてはいけない、距離を取って足元の石を拾い、これを用いて遠距離から打ち殺すべし。

その際は兜の下の顔面がむき出しになっている個所や太もも、鎖帷子に覆われていない個所を狙えばなお効果的である、鉄砲隊に対しても対処法は同じである。)




無手の章

「矢玉尽きなば、直ちに甲冑組討(かっちゅうくみう)ちに移るべし。

戦場にては常に四方の敵勢に目を配り、一敵に時を費やすこと無用なり。

殊に地上に倒れ臥すはこれすなわち愚の骨頂なり。

敵を締め絞る間に、周囲の雑卒(ざっそつ)より槍を刺し込まれて命を落とせばなり。」


(意訳:矢玉尽きた時は徒手空拳にて格闘戦を挑むべし、挑む時は常に周りの雑兵に気を配り、目の前の敵に時間をかけ過ぎぬこと。

また寝技などで地面に倒れ込んではいけない、敵を締め上げているうちに雑兵から槍で刺されてしまうからである。 )


肉(しし)面(つら)剥(は)ぎ

「敵、面頬(めんほお)を掛け、頑強なる時は、その隙間に指を差し入れ、力任せに手前に引き剥がすべし。

面頬は結び緒ごと引き千切れ、敵の顎骨および喉笛、顔の肉もろとも潰れ去るなり。

これ即ち肉面剥ぎの極意なり。」


(意訳:敵が面頬を装着して頑強に身を固めている時は、防具の隙間に強引に指をねじ込み、異常な腕力で手前に引き抜くべし。

結び緒は引き千切れ、敵の顎骨・喉笛・顔面の肉ごと丸ごと削ぎ落ちて死ぬであろう。)


『御子神家伝(みこがみけでん)・療治雑記(りょうじざっき)』 ヨリ


被甲護身(ひこうごしん)・血(ち)固(がた)め

「血の止まらざる時は、被甲護身(ひこうごしん)の妙法を以て急ぎこれを留むべし。

おん・ぼりゅ・らん・じゃりと心に念じ、口に唱うべし。

金剛手菩薩(こんごうしゅぼさつ)の霊験により、血の流るることもたちまちに止まるべし。」


(意訳:出血が止まらない時は被甲護身の秘術により応急処置をせよ。

オン・ボリュ・ラン・ジャリと心中にて念じ唱えれば、金剛手菩薩の霊験によりたちまち出血は止まるであろう。)


被甲護身(ひこうごしん)・骨(ほね)固(がた)め

「敵の太刀、あるいは銃砲の撃ち込みを受けんとするときは、被甲護身(ひこうごしん)の妙法を以て急ぎこれを防ぐべし。

『オン・アボキャ・ベイロシャノウ・マカボダラ・マニ・ハンドマ・ジンバラ・ハラバリタヤ・ウン 』

と光明真言一息に唱え、全身の筋(すじ)を極限まで締め固むべし。

刃は肉に届かず、仮に骨砕くとも肉の力にてこれを締め繋ぎ、そのまま敵を打つべし。

痛みに怯むは邪念なり。

即ち骨固の極意なり。」


(意訳:敵の太刀や銃弾を受けそうになったときは、『被甲護身』の秘法によって急ぎ防ぐべし。

『オン・アボキャ・ベイロシャノウ・マカボダラ・マニ・ハンドマ・ジンバラ・ハラバリタヤ・ウン』

と一息に素早く光明真言を唱え、全身の筋肉を極限まで硬化・固定せよ。

刃は肉に届かず、仮に骨が砕けようとも自身の筋力で強引に繋ぎとめ、そのまま敵を叩きのめすべし。

痛みに怯むのは邪念である。

これ即ち骨固の極意なり。)



などと異常極まる記述が多くを占めており、もはや技や伝書などと呼べる代物ではないことが分かる。


これらの異常な内容は彼女達があくまで巫女であり、正式な武術の素養はなく、そのため一般的な武術の伝書や極意書としてのフォーマットを知らなかったため、と推測される。


ただ彼女達が、実戦の戦場において実体験として得た


「こうすれば簡単に仕留められた」


「これをやったら痛い目を見た」


という経験則をフィードバックさせ、その結果論を、ただ羅列した物なのだ。


もちろん多少なりとも武術の素養のある者ならこう言って鼻で笑うだろう

「そんなことができるなら誰も苦労はしないよ。」

と。


それに対して御子神神眼流(みこがみしんがんりゅう)はこれ以上ないほどシンプルで明確な答えを叩きつける。


「君自身が言っているだろう、『できるのなら』と、つまり出来さえするのならばそれが最適解であると、ならそれが『できる』我々が、それをやらない理由がない」と。


なお、長い歴史の中で御子神一族から詳細は不明だが、分派した流派が存在している可能性が一部の古文書において示唆されている。


その分派は「朱羅神真眼流(しゅらがみしんがんりゅう)」と呼ばれていること以外は、文献や古文書がほとんど見つかっておらず、詳細は不明である。




関係あるかは不明だが、筆者が御子神の古文書を解読するうちに、気になる文献を見つけた、その気になる記述をここに記す。


「(前略)……ゆえに霞の眼、深く沈めること厳に禁ず。

深淵に触れなば修羅と化し、己の血肉が尽きるまで外法(げほう)の獣と成り果てん。

かつてその禁忌を是とし、深き術理を求めて一族を分かちし者どもあり。

『しゅら』を名乗ると伝うれど、もはや人にあらず。

決して交わることなかれ。」


これは果たして、分派したというあの「朱羅神(しゅらがみ)」を指した記述なのだろうか?


筆者は今後も御子神一族と謎の朱羅神一族の足跡を追うつもりだが、前出の「しゅら」なる言葉の意味については判断は読者に委ね、ここに一旦筆を置くものとしよう。




巻末注:朱羅神一族については後の著者の調査や新たな文献の入手により、異なる推察が可能となったが、長くなると思われるので本稿における考察はここまでとし、朱羅神一族に関する専用のレポートを用意したので詳しくはそちらを参照されたい。


九十九令和奇譚シリーズは必要に応じてエピソードが追加されていく予定です。


ただし第一話から第四話までは架空の記事となっているため、実体の無い欠番となっております。

以後も九十九令和奇譚シリーズの欠番が出た場合は同様の設定となります。


また要望があるようならnotebookLMを使用して作成された画像系資料なども掲載するかもしれません。

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