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 第一話:シェーンアッカー領は結構広い 〜11歳の社会見学

あくびを噛み殺す者もいれば、期待に座席を落ち着かなくさせる者もいる。

帝都の士官学校に進む前の、まだ小さな私を含めた一行を包む空気は、どこか甘い。今日は領内の港湾都市と、特産品の産地を巡る「遠足」の日だ。

最新の「バス」――実態は七人乗りのバンに近いが、これが五台連なって街道を行く。

車窓から振り返れば、厳かな古城の威容が遠ざかっていく。

「カッコいいから残す」という祖父のロマン溢れる方針に、私は内心で激しく快哉を叫んでいた。

完璧に整備された街道を、領民たちが自転車で駆け抜けていく。

だが、その静謐を破り、モーター駆動の二輪バイシクルが爆音を轟かせた。

ドゴゴゴ、ドゴォォン!

この領地に、爆発でピストンを突き動かす「エンジン」などという野蛮な内燃機関は、歴史上一度も存在したことがない。それは、ひいおじいさん・ハンスが描いた、存在しない「もしも」の鼓動。

実利主義の私からすれば騒音でしかないのだが、ハンスは遠い目でこう語っていた。

「ユストゥス、男にはな、性能よりも優先すべき『ロマン』があるんだ。爆発の鼓動を感じさせないマシンなんて、魂の抜けた鉄屑に過ぎんよ」

その狂った設計図を、冷徹な標準規格へと落とし込んだのが、おじいさん・ボルフガングだった。

「父さんの夢を、俺の代で『退屈な日常インフラ』に変えてやる」

おじいさんはハンスの夢を、誰でも使える「退屈な規格」として陳腐化させ、ボルト一本に至るまで統一した。

ハンスの手記にはこうある。

『スイッチングコスト(技術移行の足枷)がない世界ほど、チート(段階飛ばし)が捗るものはない』

一度中途半端な技術(例えば石油利権)が普及した世界で、優れた新技術を導入するのは絶望的だ。既存の設備を捨て、利権を整理するコストを誰も払えないからだ。

だが、ここは帝国の最果て。ひいおじいさんが来たとき、ここには「何もなかった」。

壊すべき過去がないからこそ、最初から「蓄電池と高効率モーター」という正解だけを実装できた。この「後発者の利益」こそが、我が領が帝都を置き去りにした真実だ。

……それなのに。あえて「歴史に存在しないエンジンの音」をスピーカーから流すという情緒だけは、私の計算では導き出せないバグであった。

バスが峠を越え、銀色に輝く海と港湾都市『ポート・シュリッセル』が見えてくる。

市街地に入った瞬間、少年たちの間に奇妙な静寂が広がった。

「……街並みが、家が、領都にあるのと全く同じだ」

文明とは中心から劣化していくのが世界のルールだ。だが、この領地において物理的距離はインフラの品質を損なわせない。

港には、三本マストの帆船が漂い、近辺には即座に魚屑を肥料へ変えるサイクルが確立され、水路では手漕ぎのボートが整然と物資を運んでいるので、同じでは無いのだが。

「ユストゥス、ここ、なんだか変な感じがするよ。ずっと領都にいるみたいだ」

隣の席の少年の言葉には、無自覚な選民意識が混じっていた。自分たちは特別だという陶酔。

私はあえて、それを咎めることにした。

「……運が良かったな。それを聞いたのが、私で。今、君たちが感じたのは安心か? それとも選民意識か?」

私はステップを降り、彼らを見渡した。

「私がこのインフラを維持するコストを計算しなくなれば、君たちの明日の排泄物も、そこに留まり続けるだろう。ひいおじいさんが遺したのは特権じゃない。**『逃げ場のない合理性』**だ。私が君たちより多く知っているのは、その不変を維持するためのコストと、裏にある血の臭い。それだけだ」

完璧な沈黙。11歳の子供たちは世界の重みに戦慄している。……そう確信した、その時だ。

「……ぷぷっ、あはっ、あははははは!」

静寂を切り裂いたのは、場違いな爆笑。

お腹を抱えて悶えているのは、同級生のリーゼロッテだった。後にインビジブル・ハンドの最精鋭「ヴァルキューレ」の筆頭となる彼女も、今はただの笑い上戸だ。

「だ、だって……ユストゥス様、顔っ! 顔が面白すぎるわ!」

「『血の臭いを知っている』? おかしいわね。あなたが気にしてるのは、誰よりも早く『藻類シートの新型』を試したいっていう自分の欲望だけでしょ!」

「――ッ! 知ったような口を……!」

「はいはい。ねえ、みんな! ユストゥス様、本当は昨日の夜、流行りの英雄譚の決めポーズを考えてて寝不足なのを格好つけてるだけなのよ!」

「リ、リーゼロッテ、貴様……! あれは敵対勢力を威圧するための『シルエットの最適化』という高度な演算だ……!」

 

影の守護者:『御庭番』極秘監視報告

私は窓の外を見つめながら、端末で**領地最高機密組織『御庭番』**へ直接命令を下した。

『対象:リーゼロッテ。情報の拡散は、国家機密漏洩と同義とみなせ』

しかし、私はまだ知らない。御庭番たちが、既に別の境地に達してしまっていることを。

 【ファイルΩ(オメガ):御庭番極秘報告】

将来、リーゼロッテ氏が「ヴァルキューレ」と呼ばれる精鋭になるのは確実。

――が、我々は本日をもって彼女のファン(隠れ親衛隊)となる。

【決定事項】

リーゼロッテ氏が笑い転げる際、影から高速清掃を実施し、彼女の安全を確保せよ。なお、彼女を笑わせる主君のポーズは『最高の供給』であると認定する。

 連結:水のレールの上へ

「いつまでも笑っていないで移動だ。次の目的地へ向かう」

私が告げると、五台のバンが再び一列に並び、港の先端にある特殊ドックへと進入した。そこには、巨大な浮体ユニット――「移動する地面」とも呼ぶべき連結フェリーが待機していた。

 一般の商船が風を待ち、運河の小舟が汗を流して水を掻く傍らで、我々の乗る「地面」は音もなく準備を整える。

バンがドックの定位置に収まると、カチリ、と車体とユニットが物理的に固定される。

単に船に乗るのではない。車体が船の一部となり、その動力システムと直結されるのだ。


連結完了。

 浮体ユニット《ダイレクトフロート》がエルベ川の水を掴み、遡り始める。

 それは反重力のようなオカルトではない。高効率なモーターがスクリューを回し、計算され尽くした船型が物理的に水を押しのけることで進む「理屈」の産物だ。

 ユニットの船首が水を切り裂き、左右へ整然とした波を広げていく。

 手漕ぎ船が櫂で水を叩き、不規則な飛沫を上げているのに対し、我々の波はどこまでも規則的で、無駄な抵抗を感じさせない。エネルギーが「音」や「無駄な飛沫」に変換されるのを嫌う、ひいおじいさんたちの執念が形になったような、鋭い航跡。

「すごい……! ユストゥス様、これ、バスがそのままお船になっちゃったみたい!」

 さっきまで爆笑していたリーゼロッテが、今度は目を輝かせて窓に張り付いている。

「積載の積み替えという野蛮な非効率を排除した結果だ。物流の規格を統一すれば、世界から摩擦は消える」

 私は冷徹な表情を崩さなかったが、浮体ユニット《ダイレクトフロート》は確かな推進力で加速していく。

 物理法則という名のコストを、知恵と規格で最小化しながら。

 次なる目的地――「ブドウとオリーブの海」へ向けて。

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