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秋
「吸ってみる?」
ガヤガヤした居酒屋で隣の席に座っている男の人がそう言った。
「え、いいよ。体に悪そうだし。」
丁重に断りを入れたのは彼の前に座っているとても綺麗な女性だった。
飴色に染められ、丁寧に巻かれたロングヘア。目はぱっちりとしていてスタイルも良い、そんな女性だ。
「いいじゃんちょっとくらい、ほら。」
そう言って男の人は吸いかけの煙草をくるっと反対にして女性の口元へ運ぶ。女性は渋々それを咥え、少し吸って次の瞬間むせていた。
「なにこれ、全然美味しくないじゃん。」
「食べ物じゃないんだから当たり前じゃん。」
「じゃあ何の為に吸ってるの?」
咳き込むのを整える為にレモンサワーを1口含む女性をちらっと見て、男の人はまた煙草を吸った。
「吸ってたら分かるよ。」
あー、こうやって喫煙者は増えていくんだろうな。と思いつつ視線を彼らから目の前の結那に戻した。
「だからさ、本当に家出しようと思ってるの。」
「え?ごめん何?」
途中から隣の席の話を聞いていた私は、結那の話を全く聞いていなかった。
「嘘、話聞いてなかったの!?サイテー。」
「聞いてるってば。いつもの家出宣言でしょ?」
からかい口調で言ってみたは良いものの、結那は酔うといつも家出すると言い出す。大学生になっても過保護すぎる両親を疎ましく思って反抗したいらしい。結局いつも悔しがりながら帰ってるけど。
「いや、今回は本気だから。だから家泊めて!」
「ええー、嫌だよ。結那寝相悪いもん。」
「気の所為だよきっと!」
「それにおばさん達も心配するよ。」
結那の両親は私が思う程、確かに過保護だった。まだ数回しか会ったことは無いけれど、毎回のように大学での様子を根掘り葉掘り聞かれるし、何かあった時の為、連絡先も交換させられた。だけどとっても良い人達で、今もなお仲良しなのはちょっと羨ましい。
「大丈夫。七凪の家泊まるって連絡入れてるから。」
「それ、ただのお泊まりじゃん。」
こんなくだらない事で同時に吹いた私達はもう少しで無くなるお酒を飲み干し、追加のお酒を注文した。
大学生になって半年。かなり充実した毎日を送っている。行きたい大学が実家から遠く一人暮らしをして、学費と生活費の為にアルバイトを3つ掛け持ちをして、、、。今のように空いてる日は友達と飲みに行って。なんて最高な大学生活なんだろう。と毎日思う。忙しいほど、楽しかった。これ以上何も要らないな。うん。
気が付けばお店に入って4時間が経とうとしていた。お酒が弱い結那はもう3時間以上前から顔が真っ赤で、既に寝てしまいそうなくらい目がとろんとしている。そろそろだな、と思いお勘定の為店員さんを呼ぼうとした時。
「最低。もう帰る!」
隣で話していたあの綺麗な女性がそう言い放ち、店を出た。喧嘩かな?と思いながら男の人を見るとびしゃびしゃに濡れていた。顔に勢いよくかけられたのか、髪の毛からぽたぽたと水滴が落ちていて灰皿には濁った水溜まりができていた。
シーンと静まり返ったお店の空間の中、男の人は新しい煙草を取り出してライターでぼうっと火をつけた。彼は特に気にする訳でもなく、さっきまでと同じようにお酒を飲んでいた。
え、追いかけないの?そのままここに居座るなんてことある?
と思いつつ、数秒経つとすぐに店内は賑やかに戻っていた。店員さんは気まづそうに誰が拭くものを持っていくかコソコソとしている。
なんだかいたたまれないな、と思い私は自分のおしぼりを手に取って声を掛けた。
「あの、良かったら使ってください。」
「ありがと。でもそれ君のだよね。」
「あっすみません。新しい物、貰ってきますね。」
うわあ。やってしまった。潔癖の人も居るかもしれないのに。ましてや赤の他人の使ったおしぼりを差し出す馬鹿がどこにいるんだ!と、頭の中で反省会をした。
「そうじゃなくて。」
席を立とうとした私の腕を右手で掴み、煙草を左手で口から離した。脇の方にふっと煙を吐いて、私をまっすぐに見て口を開いた。
「俺に使ったらもったいないでしょ。」
ニコッと笑うその顔はなんだかキラキラしているような、眩いような、ずっと見ていたいと思ってしまった。
朝、明るさで目が起きた。とは言っても机に上の時計は11時を過ぎようとしていた。だるくなった体と頭痛で、あーやっぱ飲みすぎたなと思う。そんな時間も好きだけど。
隣には結那が居て、結局連れて帰ったんだとも思いつつ、どうやって帰ったかは覚えて居ない。だけどきちんとパジャマに着替えていて、暑く塗ったメイクもしっかり落としていた。疲れていたのかなあ。
まだシャワーに入っていないであろう、居酒屋の煙の匂いの付いた髪の毛を嗅いでシャワー向かった。服を脱ぎ、洗面所にある縦型の洗濯機に手をかけようとした時。
「ん?なにこれ。」
洗濯機の取っ手部分には、小さな紙切れがあった。ノートの端っこを適当にちぎったかのような歪な形だ。その紙切れには、ほんの少し、私に当てたメッセージが書き込まれていた。
――ナナちゃんへ
良かったら電話して!
ネックレスきれいだね――
誰だろう。そこまで酔っていた覚えはないのに。と考えながらシャワーを浴びた。だけどどうしても思い出せず、書かれていた電話番号も連絡先に登録されていない。私は相手の人に電話番号を教えたのかな。教えたならあっちからかけて来るよね。と、一人で解決し、その紙切れを捨てるか迷った挙句、読みかけの本に挟んだ。
なんでもないメモだけど。だけど、''きれい''と言う文字が目の裏に焼き付いて離れなかった。




