第40幕 盾の白化
「――防ぐッ!」
ペネロペの裂帛の気合いと共に、イヴェットの前へ滑り込んだ彼女の指輪から、幾何学的な光の障壁が展開された。
「神盾」。あらゆる物理干渉を拒絶する、絶対不可侵の聖域。
だが、玉座に君臨するアンドリューは、その光景を退屈そうに見下ろすと、指揮棒を振るうように指先をわずかに弾いた。
天井を支えていた巨大な大理石の支柱が、根元から飴細工のようにねじ切られ、数十トンの質量爆弾となって落下する。
轟音。
石塊が光の薄膜に激突した瞬間、王座の間に響き渡ったのは、ガラスが割れるような軽快な音ではなかった。
ミシミシ、ギャリギャリ、ゴグォォォ……。
それは、巨大な鉄骨を万力で無理やり押し潰した時のような、あるいは数百人の人間が一斉に歯ぎしりをした時のような、不快極まりない金属の断末魔だった。
その振動は空気の振動を超え、川添千秋の歯の詰め物を浮かせ、頭蓋骨の継ぎ目を内側からこじ開けるような共振を引き起こした。
鼓膜が破れそうなほどの圧迫感に、川添はカメラを抱えたまま蹲りそうになる。
「あ、ガ、ァ……ッ、ぁあッ!」
盾を維持するペネロペの口から、悲鳴とも嘔吐ともつかない濁った音が漏れた。
限界点。彼女の銀髪が、根元から急速に輝きを失っていく。
ギャリッ、バキンッ!
巨大な鉄骨をねじ切るような異音と共に、光の障壁が物理的な質量を持って砕け散った。
降り注ぐのは光の粒子ではない。鋭利な刃物と化したクリスタルの破片が、重力に従って床へと落下し、ペネロペの全身を切り刻んだ。
ジャラジャラ。
美しい音ではない。生ゴミの袋にガラス片を混ぜて蹴り飛ばしたような、湿った破壊音。
彼女が崩れ落ちる。倒れる動作のスローモーションの中で、彼女の鮮やかな銀髪から、急速に「色」が抜け落ちていく。
髪だけではない。肌からも、瞳からも、衣服に至るまで、色彩という情報が蒸発し、透き通るような「完全な白」へと変貌していく。
血管が透けて見えるほどの透明度。
それは変身などではなく、クラゲの死骸が浜辺で干からびていくように、生命活動を維持するための色素が、燃料切れで維持できなくなっただけの物理的な枯渇だった。
「ペネロペ……!」
川添の喉が、引きつった音で名前を叫んだ。
助けなければ。脳からの信号を受けた足が、もつれながらも前へ出る。
靴底が、床一面に散らばった神盾の残骸を踏み砕き、ジャリッ、バキッという、乾燥した人骨を噛むような硬い感触を伝える。足裏から伝わる不快な振動が、背筋を駆け上がる。
だが、川添の視線は、倒れた彼女から離れなかった。いや、離せなかった。
ペネロペが咳き込む。
「カ、ハッ」
ビクンと痙攣した口元から吐き出されたのは、鉄錆臭い赤い血ではなかった。
水で薄めた絵の具のような、粘度のないサラサラとしたピンク色の液体。
それが白い大理石の床に広がる様は、戦場の光景としてはあまりに非現実的なコントラストを描き出し、川添の網膜に焼き付いた。
直視できないほどの白さ。眼球の奥が痛むほどの透明な死。
――撮れ。
脳の裏側で、誰かがそう囁いた気がした。あるいは、それは川添自身の職業病が発した指令だったのかもしれない。
川添の右手は、瀕死の仲間を助け起こすために伸ばされたのではなかった。
動かない。炭化して黒く固まった人差し指が、邪魔な異物として突き出ている。
川添は舌打ちし、カメラのグリップを握り直すと、親指の腹と掌の肉を露出計のダイヤルに押し付けた。
ズリッ、ズリッ。
皮膚の摩擦だけで無理やりダイヤルを回す。不器用で、緩慢な動作。
だが、その無様な執着だけが、この異常な高輝度の被写体を捉えるための適正値を割り出そうとしていた。
汚い。こんな時に何を考えている。理性は自身の醜悪さを罵倒し、吐き気を催している。
だが、川添の肉体は、その生理的嫌悪とは完全に回線を切断された精密機械のように、正確にカメラを構え、その「白化」した少女の死に顔をフレームの中に収めた。
カシャッ。
乾いたシャッター音が、瓦礫の崩れる音に紛れて、ひっそりと、しかし確かに記録された。




