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波の向こうに残る声  作者: かみやまあおい


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第4話:夕凪の手紙

 その後、俺達は久しぶりに熱海の町に向かった。

 駅前の駐車場に車を停め、久しぶりに商店街を歩く。

 俺が知っているはずの商店街はそこにはなく、観光客向けの新しい店が出来上がっていた。

 どのお店の看板も内装も綺麗で明るくなっているのに。

 俺の胸の中だけは、どこか昔に取り残されたままだった。


「ここでお昼ご飯食べようよ」


 そう言った美咲が勧めてきた店は、昔は八百屋だった場所にできていた定食屋。

 真新しい横開きのドアを開けると、そこは若者に人気が出そうな内装が広がっていた。


 注文した干物定食は確かにすごいもので。

 大きな干物にご飯とお味噌汁、とても食べきれない量だった。

 でも一口食べると懐かしさを感じ、気づけば俺は完食していた。


「祐樹って昔から美味しそうに食べるよね」


 頬杖をつきながら美咲は俺を見つめている。

 そういえば付き合っていた時も、同じ光景を見た事がある気がした。


「せっかく出されたものは、しっかりと味わって食べるのが当然だろ」


 紙ナプキンで口を拭く俺の姿を見ながら、美咲は「そうだよね」と楽しそうに呟く。

 なんかこのやり取りも昔やったような気がした。


 その後も俺達は熱海の町中を歩き回った。

 町並みはだいぶ変わっていたけど、昔から変わらない本屋もあり、その看板を見た瞬間に胸の奥がざわついた。

 学生時代、よく電車でここまで来ては立ち読みしていたものだ。

 今も変わらない外装が、俺の中の時間だけを逆戻りさせた。


 熱海の町はたった数年でこんなにも変わっていく。

 俺は果たして変わったのだろうか。

 この町を離れてから、少しでも前に進んでいるのだろうか。

 その思いが俺の心を締め付けた。


 帰り道、美咲が家に寄っていけと言い出した。

 なんでも渡したいものがあるそうで。

 俺も特に予定はなかったので承諾した。


 美咲の家の前に車が止まる。

 ここに来るのも数年ぶりだ。

 最後に来た時とまったく変わっていない。

 変わっているのは客の数なのだろうか。


「中に入って待っててよ」


 そう言われ美咲の後に続いて俺は店の中に入る。


 店の中は、昔と同じだった。

 匂いまで、記憶のままだった。

 年季の入った木製のテーブル達。

 それぞれの場所に置かれたパイプ製の椅子。

 赤いカウンター席は汚れもあり、年季が入っている。

 店の壁には何年も前のポスターが貼られたままになっていた。

 何もかもが懐かしい景色だ。


「お帰り、美咲。あら、ひょっとして祐樹君?」


 そう言って出迎えてくれたのは美咲の母だった。

 付き合っていた頃は、この人にも随分と世話になった。

 ここに来るといつもご飯を無料で食べさせてくれたのを覚えている。


「お久しぶりです、おばさん」


 俺は母親に軽く挨拶をする。

 母親は笑顔を見せつつも、その瞳の奥には俺を訝しく見るような影があった。

 昔の恋人が今このタイミングで来た、という事に警戒をしても仕方ない。


「昨日夏休みでこっちに帰ってきて。駅で美咲さんに偶然会ったんです」


 俺は母親の誤解を解くために敢えて説明した。

 その方が安心すると思ったから。

 案の定、母親からは疑念のそれはなくなり、笑顔へと変わる。


「取ってくるからちょっと待ってて」


 そう言うと、美咲は店の奥へと消えていく。

 この状況に1人で残されるのは少々気まずい。

 俺は所在なさげに入口前に立っていた。


「そんな所に立ってないで座りなさいよ」


 笑顔で母親が近くの席を促す。

 俺は申し訳なさ気にその席に座った。

 夕方でも客は全く来ない。

 隆也が言っていたのは本当らしい。


 水を差し出しながら、母親が俺に残酷な質問をした。


「祐樹君は結婚したの?」


 俺は真実を伝えずに、「なかなかいい人がいなくて」と返した。

 振られたばかりですなんて言おうものならまた疑われてしまいかねない。

 母親は「まあそのうち見つかるわよ」と笑顔で返してくる。

 俺は何も言えず、黙って差し出されたコップに口をつけた。

 氷の入った冷たい水が、体の熱を冷ましていく。


「うちの美咲は今度お見合いするのよ」


 母親はする事がないのか、俺の前で話し始める。

 俺は少し興味あり気に、水を飲みながら顔を向けた。


「いいところのご子息と縁があってねぇ」


 母親の声が遠く聞こえた。

 店に差し込む西日が、カウンターの上で揺れている。

 あの光の中に、美咲がいないことがやけに寂しかった。


「そうですか」


 俺は気持ちを悟られないように冷静に笑みを見せる。

 昼間聞いた美咲の思いが、俺の心を狂わせていた。

 きっと両親は美咲のお見合いに喜んでいるのだろう。

 美咲が結婚できれば、このお店は潰れずに済む。

 だけど美咲の気持ちはどうなのだろうか。


「お待たせ」


 そんな事を考えているうちに、美咲が店の奥から戻ってきた。

 手に持っているのは小さな便箋の封筒。


「これを渡したかったの」


 彼女は微笑んでいた。

 けれど、その笑みはどこか覚悟のように見えた。

 そっと差し出してきた、少し厚みのある封筒を俺は受け取った。


「……これは?」


 そう聞くと美咲は笑顔で「帰ってから開けてみて」と返してくる。

 いったい何が入っているというのか。

 今更渡したいものと言われても思いつかない。


 店を出ると、夕方の風が少し冷たかった。

 手には、渡された厚みのある封筒。

 なんなんだこれは一体。

 駅までの道を歩きながら、俺は封を切った。


 ——中に入っていたのはたくさんの写真だった


 風の音が消えた。

 駅へ向かう人々の足音だけが遠くに聞こえる。

 高校の時に2人で撮った何枚もの写真。

 それは間違いなく俺と美咲の思い出だった。

 1枚ずつ見ていく。

 そこには確かに幸せだった頃の2人の笑顔があった。

 俺の心が震える。

 これを俺に渡してきた事——つまり俺との決別。



「……なんだよ、それ」


 声が震えた。怒りでも涙でもない。

 夕暮れの風が、封筒の中の写真を揺らした。

 笑っている俺たちが、もうどこにもいない気がした。

 ただ、何かが終わった音だけが胸の中に響く。


 まだ暑さが残っているというのに、俺の体が震えた。

 こんな写真を大事に持っていて。

 そんなに俺の事を思っていてくれたっていうのか。

 俺は一体どうすればいい。

 見合いを止めろとでも言うのか。


 夕暮れに鳴く蝉の声が俺の頭に大きく響いていた。

 

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