怖い話を聞きました
夜会で時折見る学園のクラスメイトは、マリーを遠巻きにしている。
ウォーラルク伯のお嬢さまほどガッツがあるわけでもなく、本当に遠巻きに、なるべく顔を合わせないように立ち回っていた。
先日のダニエルが例外なのだ。
そのダニエルは、時々夜会で顔を見る。レオナルドがそばにいると、顔を向けさえしないが、一人でいる時に強く視線を感じることがある。
マリーは特に関わりたいとも思っていないので、無視している。
そのうちに飽きて見ることもなくなるだろうと思っていたが、マリーの予想は裏切られた。
レオナルドが、仕事相手と話し込み始めた折を見て、マリーは化粧室へと向かった。
手早く用を済ませて会場へ戻る途中に、ダニエルが立っていた。ちょうど、マリーが通る脇に、待っているようにして立っている。たまたまだろうと、マリーはその脇を通り過ぎようとして、腕を掴まれた。
「マリー、待ってくれ」
「ごきげんよう」
腕を振り払って通ろうとするが、ダニエルは手の力を強くしただけだった。
「お前、あの男に騙されてるんだ」
ダニエルが突然言い始めたことに、マリーは面食らった。
「は?」
「だから、騙されてるんだよ。あの男は、お前を愛人にしたいだけだ。お前が美人だから、見せびらかして歩きたいだけなんだ。みんなそう言ってる」
「レオナルドさまからは、そんなことは言われていません」
「爵位の高い男はみんなそう言うんだ。いいドレスを贈って、結婚してやるって、そうやってマリーみたいなのを騙すんだ」
ダニエルはどうやらなにか勘違いをしている。本当にそう思い込んでいるらしく、恐ろしく真剣な顔つきだ。言っていることは何から何まで意味がわからないし、マリーにはどう訂正すればいいか見当すらつかない。たとえその言が事実だとしても、なぜダニエルがそんなことを言うのかわからない。だからマリーは、黙ってダニエルの手を払いのけた。
「ごきげんよう」
捨て台詞のように言い放ってレオナルドの元へ戻ると、一人でグラスを手にしたレオナルドが壁際で暇そうに待っていた。
「誰か誘って、踊っていらしたらいいのに」
「マリー以外を誘う気にならない」
それだとレオナルドのダンスの相手を、一人で熟さなくてはならないので面倒臭い。
マリーの手を取ってダンスフロアに足を踏み出したレオナルドが、すこしだけ機嫌が悪そうにマリーに聞いた。
「さっき、誰か男に絡まれてた?」
「学園のクラスメイトですよ。よくわからないことを言ってたので、適当に挨拶だけしてきました」
「マリーは人気者だね。早めに婚約を申し込んだ方がよさそうだ」
「そうですね、そういえば父と兄が結婚相手を探してくれているそうですよ」
「なら、見つかる前に申し込まないとね」
マリーの結婚相手を探すと息巻いていた父と兄からの続報は、一年以上経った今ですら一件もない。ほら見たことか、とマリーは思った。
そんなマリーを見ながら、レオナルドはダンスポジションのために手を取って、満足そうに微笑んだ。
「お父上と兄上が、マリーの結婚相手をちゃんと見つけ出せたらいいね」
微妙に含みのありそうな言葉に、マリーは眉根を寄せた。
「どういう意味ですか」
「相手はもっと近くにいるんじゃないかなって。幸せの青い鳥は、自分の家の屋根に止まっていたしね」
「……さすがに兄と結婚するのは外聞が」
「そういう意味で取るかぁ」
レクザンスカの家は、男も女も揃って結婚相手に苦慮する。兄も、父と同じでなかなか相手が見つからないに違いない。レオナルドには外聞が悪いと言ったが、血を繋ぐためだけに兄と結婚するのも、場合によってはありかもしれない。前の当主の幾人かは、実姉や実妹と結婚していた記録があったな、とマリーは記憶をさらっていた。レクザンスカ家は金がないので、社交に夫人が参加することも少なく、実兄妹で結婚していても、誰に何を言われることも特にない。難点と言えば、子供の体が弱くなるくらいのものだ。
マリーの結婚相手が見つかった話は聞かないが、代わりに兄からは定期的に戻ってこいと言われ続けている。兄があまりにも相手に困った場合、マリーが実家に戻った方がいいかもしれない。もうしばらく、公爵家で金を稼ぎたいが、結婚したら兄は働くなと言うだろう。
レオナルドがくるくるとマリーを回すと、ドレスの裾がふんわりと綺麗に翻る。レオナルドのために着ている青緑色のドレスが、これみよがしにはためいて、縫い付けられた半輝石がシャンデリアの灯を受けてきらきらと夢のように瞬く。側から見ればきっと、少女の喜びそうなロマンチックな光景だろう。
「いつか、マリーの取り繕ったお上品な面の皮を引き剥がしてあげるよ」
「突然なんですか。精神病質的なことを言うのはやめてください。パワハラですよ」
「うーん、方向性変えてもダメかぁ」
レオナルドに寄り添って、なんとなくふらふら揺れているだけでも十分サマになるのに、よりによって派手な振り付けが好みの男は、マリーを限界まで振り回す。
「とりあえず頑張るね」
「よくわかりませんが、やめていただきたいです」
謎かけじみたレオナルドの言葉を流して、マリーは最後のステップを、甲高いヒール音で終わらせた。
知らない間に、マリーのことが随分噂になっているらしい。それを聞かされたのは、レオナルドの母である、イリアスからだった。
毎度前触れなく開かれるお茶会に、マリーは呼び出されていた。
「マリーさん、あなたうちの息子の恋人なの?」
あまりにも突然言われたため、マリーは理解が追いつかず「えっ!?」と驚愕の声を上げたまま動けなくなってしまった。
「レオナルドと付き合ってるの?」
「えっ!?一体なんの話ですか!!??」
マリーの背筋が、凄まじい速度で凍る。使用人が、主家の御曹司と交際していて、いい顔をする奥方などこの世に存在しない。
男の方が言い寄ったのだとしても、奥方からすればそんなことは関係ない。基本的に、使用人の話も聞かずに馘にしておしまいだ。幸いなのは、一応雇い主はレオナルドなので、イリアスはあくまでも雇用主の母親でしかない、と言ったことくらいか。それでもかなりの確率で首が飛ぶ。今すぐに出ていけと言われていないのが不思議なくらいだ。
「昨日の夜会で、そう聞いたのだけれど」
「夜会で!?……ちょっと待ってください、恋人って………」
マリーの頭の中で、今まであった事柄がぐるぐると回り始める。そういえば、ダニエルがそういったようなことを言っていた気がする。
全く余計なことをしてくれる。学園の連中は、本当に腹の立つことしかしてこない。
「奥さま、わたしはレオナルドさまと、親しくしている事実はありません。事実無根です。他の使用人に聞いてみていただければハッキリします」
「あら、そうなの?マリーさんのこと、レオナルドが、随分と買っていたから、もしかしたらと思っていたのに」
「そうですか……いえ、誠心誠意おつかえしておりますので、その評価はとても嬉しいです。引き続き、レオナルドさまにはお引き立ていただけるよう身を引き締めてまいります」
イリアスの対応を見る限り、勘違いはどうやら修正できたらしいが、それでも油断はできない。馘になるかもしれない恐怖が余韻を引きずっていて、腹の底から不快感が上がってきていた。
イリアスとの茶会もそこそこに、自室に引き上げたマリーは、もうレオナルドと社交に出るのはやめようと決めた。業務の一環としてレオナルドに付き添っていたが、この調子では訳のわからない噂話に翻弄されることになるのは目に見えている。
それに、曲がりなりにも花嫁を募集している兄の耳に入ったらと思うと気が重い。きっと今度は引きずってでも家に連れ戻されることになる。着々と減っていく借金の額を見ることだけが楽しみなのに、とマリーはため息を吐き出した。




