第14話:魔王妃セレナの誕生と王国の混乱
魔王城の大広間は、静寂に包まれていた。セレナは玉座の前に立ち、ルシリオンの紅の瞳をまっすぐに見つめる。
「今日から、お前は私の妃だ」
魔王の厳かな声が響き渡った。その瞬間、広間にひざまずく魔族たちが一斉に頭を垂れた。
セレナは深く息を吸い込み、改めて自分の選んだ道を自覚する。
(もう、王国には戻らない……私はここで生きていく)
彼女は聖女ではなくなった。これからは魔族の一員として、ルシリオンの隣に立ち、共に歩んでいく。それがセレナの決断だった。
しかし、この知らせが王国にもたらされたとき、人々は大きく動揺することとなるーー。
◆
「聖女が……魔王妃になった……?」
王都に衝撃が走った。国の守護者たる聖女が、よりにもよって魔王の妃となるなど、誰も想像していなかった。
街の広場では、商人や市民たちが噂話に花を咲かせていた。
「ただ囚われただけじゃなく、魔王の妃になったって本当か?」
「信じられるか? これじゃまるで、王国を見捨てたようなものじゃないか。」
「違うよ……聖女様はずっと、王国のために聖なるお力を覚醒させようと厳しい修練を重ねていた。それなのに、あんな風に偽聖女をチヤホヤして……」
「つまり、王家が聖女様を捨てたせいで、魔族に取られちまったってことか?」
そうした憶測が広まるにつれ、人々の間には不安が募っていった。
王国では、近年続く自然災害や疫病の流行により、民衆の不満が高まっていた。だが、これらの災害は聖女の力とは関係のない自然災害だった。
聖女の力とは魔族に対抗しうる力であり、災害には関係ない。
本来なら、王家や貴族たちは被災した街の復興や薬の配布、生活支援を行い、被害を最小限に抑えるべきだった。
被害は大きかったが、王家が総力を上げてやるべき手立てを打てば、人々は力を合わせて乗り越えただろう。
しかし、聖女を失った彼らは現実を見ることを避け、すべては魔王の仕業と思い込んだ。
「すべてはセレナがいなくなったせいだ!」
「聖女さえ戻れば、すべて解決する!」
エドワルドを筆頭に、王家の者たちは 聖女の力を取り戻すことばかりを優先し、災害への対策を怠った。
「被害が広がっています! 早急に避難民の受け入れをーー」
「それよりも、セレナの行方はどうなっている? まだ見つからないのか?」
「病に苦しむ者が増えています。薬の供給をーー」
「それよりも、聖女を取り戻す方法を考えろ!」
王宮の会議室では、貴族や要人たちが口々に 聖女奪還ばかりを叫び、誰一人として現実の被害に向き合おうとしなかった。
その間にも、被害は拡大していく。
洪水で村を失った民は行き場をなくし、疫病に苦しむ者たちは治療も受けられぬまま亡くなっていった。
王家の姿勢に、国民たちは次第に不信感を抱き始める。
「聖女がいないからって、王家は何もしてくれないのか?」
「王様も王太子様も、結局聖女様の力に頼るだけで、国を守る気はないのか?」
「貴族たちは屋敷にこもったままだ……私たちの命などどうでもいいのか?」
かつて、王国は聖女の力により魔族を侵攻し、その資源を奪って栄えた。しかし今、聖女のいない王国は、王家の無策によって滅びへと向かおうとしていた。
国民たちの心は、少しずつ王家から離れていくーー。
◆
その頃、王宮の庭ではーー
「エド様、ピクニックに行きましょう?」
「……え?」
「ね? お庭の薔薇がとても綺麗なの。お茶を持って、のんびりしましょう?」
リリアは無邪気に笑い、エドワルドの腕にしがみついた。
「今はそんな場合じゃないんだ、リリア」
「えぇ〜、最近ずっとお堅いお話やお勉強ばかりでつまらないのよ」
リリアは頬を膨らませ、甘えるように言う。
「それとも、私と一緒にいたくないの?」
「……そんなことはないが……」
エドワルドは言葉を詰まらせた。
(……国がこんな状況なのに、リリアは何も気にしていないのか?)
リリアは聖女の修行さえ、よくわからないと言ってまともに取り組んでいないという。
(リリアが聖女になってさえくれれば、国は救われるのに……)
けれど、彼の戸惑いをよそに、リリアはくすくすと笑う。
「じゃあ決まりね!」
エドワルドの背後では、侍従や貴族たちがひそかに冷ややかな視線を向けていた。
(この人が、次の聖女で、王太子の婚約者……?)
(……本当に、この人でいいのか?)
かつての聖女セレナならば、聖女の力に覚醒していなくとも、国を救うために自ら動いていたはずだ。
しかし、今の偽聖女リリアは、何一つしようとしない。
国は混乱し、王家の権威は揺らぎ始めていた。
◆
ついに、王城の前に人々が押し寄せた。初めは不満の陳情という形だったが、次第に怒りが暴動へと変わっていく。
「聖女様を追放したせいで、神の加護がなくなったんだ!」
「なぜ何もしない!? これ以上、王家の好き勝手にはさせない!」
「聖女を捨て、国を滅ぼしたのは王家だ!」
石が投げられ、城門にぶつかる鈍い音が響く。門の前では衛兵たちが必死に盾を構え、人々を押しとどめようとしていた。
しかし、王家からは何の対応もなかった。民衆の不満は限界に達していた。
暴徒化した群衆は、次々に城門へと押し寄せ、ついには王都の各地で略奪や放火が起こるまでになった。
王城の会議室では、貴族たちが緊迫した顔で集まっていた。暴動の報告を聞いた大臣の一人が、冷や汗を拭いながら呟く。
「事態は想像以上に深刻です……」
「国王陛下は何と?」
「すでに病床に伏されており、決断を下すことができません」
国王の体調は、心労により日に日に悪化していた。もはや王国を統治する力を失いかけている。
しかし、王太子のエドワルドは何も言わず、ただ苦い表情を浮かべていた。
(どうしてこうなった……)
彼はかつて、婚約者としてのセレナを疎ましく思っていた。
彼女の助言は、いつも堅苦しく、耳障りだった。「国の未来のために」「民のために」ーーそればかりを口にする彼女が、鬱陶しくて仕方がなかった。
だが、今になって気づく。
あの言葉は、すべてエドワルドがいずれ王国を導くための正しい助言だったのだと。
彼女がいなくなった今、国は混乱の渦に飲み込まれている。民衆の不満は頂点に達し、貴族たちは責任を押し付け合い、王家の権威は失墜しつつあった。
「……俺は、本当にリリアを選んでよかったのか……?」
聖女の力など発現するはずもないリリアは、無邪気な笑みを浮かべていた。
「大丈夫よ、エド様。きっと、なんとかなるわ!」
その言葉を聞いて、エドワルドは目を伏せた。
(俺は……何を手放して、何を手に入れたんだ……?)
エドワルドが絶望する裏で、貴族たちは密かに動き始めていた。
「もはや、王太子に国を任せるのは不安ですな」
「このままでは、我々の身まで危うい」
「国の安定のためには……彼に責任を取ってもらうしかあるまい」
それはつまりーーエドワルドの国外追放。
彼らは国の混乱を収束させるため、エドワルドにすべての責任を負わせるつもりだった。
こうして、王太子エドワルドの失脚が、静かに決定されたのだったーー。




