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第12話:覚悟と誓い side.Lucilion

 風が冷たい夜だった。

 ルシリオンは、静かに城の回廊を歩いていた。


「あれは……?」


 遠く、中庭に立つ彼女の姿が見えた。

 夜の冷気の中、寂しげな背中。何を思っているのか、今はもう分かる。


 彼女は自分の居場所を探しているのだ。

 かつて聖女と呼ばれ、人々の希望でありながら期待に応えられず苦しみ、皮肉にもその座を追われたと同時に力を発現しーーそして、今はその力を失おうとしている。


(彼女は俺の手の中にーー)


 それは、偶然ではない。

 ルシリオン自身が、そう仕向けたのだ。


 ーー聖女の力を封じるために。


 聖女は、魔王を討つ存在。それがいつの時代も変わらぬ真理。

 ルシリオンは、彼女が持つ力を恐れた。

 いずれ自分を討つ存在となるなら、いっそ手元に置いてしまえばいい。


 そうして彼女を迎え入れたのが、始まりだった。

 聖女の力さえ失わせてしまえば、後はどうとでもなる。王国には魔族を脅かす手段はもうないのだから。少なくとも、次の聖女が現れるまでは大人しくしているだろう。


 そうなった時……セレナは、また不要な存在となる。

 そう仕向けているのは自分だがーー今は心が痛む自分がいる。


(勝手だな……)


 それでも、割り切れない思いが胸を満たしていた。

 セレナは聖女だった。自分の敵になり得る存在であり、だからこそ力を封じようとした。


 だが、今の彼女はーー本当に敵なのか?


 自分のそばで、かつてのように人々の希望を背負うこともなく、ただひとりのか弱い人間として、迷いながらも生きようとしている。

 ルシリオンが思わず溢した弱さに寄り添おうとさえする。


(なのに、俺は未だに彼女を道具のように扱おうとしているのか?)


 ーーそんなはずはない。

 けれど、認めたら終わりだ。

 この感情を自覚してしまえばーー


(……俺はもう彼女を手放せなくなる)


 その時、突如、空気が変わった。

 殺気。


 近頃、魔族の中で不穏な動きがある。

 彼の血統を快く思わない過激派の残党——彼らはルシリオンが魔王の座に就く資格はないと信じている。

 もはや幾度退けたかもわからない襲撃。彼らの力量では自分に傷ひとつ負わせることすら叶わない。

 普段であれば、彼らを気に留めることはない。


 だが、今回は違った。


 ーー狙いは彼女。

 心臓が嫌な音を立てた。


 奴らはセレナを狙っているのか?

 聖女としての力を失いつつある今、彼女はすでに大した脅威ではないはずだ。


 いやーー違う。聖女の力を、失いつつあるからだ。


 セレナが聖女の力を失うことは、魔王に心を許したということだ。そして、今もなお魔王城にいるということはーー


(魔王の血筋に、人間の血が濃くなることを厭っているのか……!)


 聖女を魔王妃として迎え、その力を無効化すると決めた時に、そうした可能性があることは分かっていた。

 その時は、それで奴らが聖女を始末するならそれも致し方ないと思っていた。

 無駄に血を流したいわけではないが、大事なのは、聖女の力が失われて魔界の平穏が守られることだ。


 そう、割り切っていたのに、何故ーー


(こんなにも、胸がざわつく)


 この胸のざわつきは、ただの焦りではない。もっと単純で、もっと残酷な感情。


 次の瞬間、黒い影がセレナに迫った。

 爪が振り下ろされると同時に、体が勝手に動いた。

 セレナの腕を引き寄せ、そのまま覆いかぶさるように庇う。


 直後、鈍い衝撃が肩を貫いた。


 セレナを腕に守りつつ、様子を確認する。傷は負っていないようだが、見上げた瞳は恐怖に揺れていた。


 セレナにこんな思いをさせた奴にーー自分も含めてーー強い怒りが込み上げる。


「貴様らのような愚か者が、まだいたとはな」


 ルシリオンの魔力が炸裂し、瞬く間に敵を薙ぎ払った。


(……ああ、俺は)


 何をやっている?

 彼女を守る理由は、もうないはずだった。

 聖女としての彼女の力は弱まりつつある。もはや、自分を脅かす存在ではない。


 だというのにーー


「ルシリオン!」


 目を見開いたセレナが、自分を呼ぶ。


 その顔を見た瞬間、腹の底が灼けるような熱に侵された。


 ーー違う。

 ただ聖女の力を封じるために彼女を迎え入れたのではない。

 そんなものは、もはやどうでもいい。

 彼女が傷つくのを見たくなかった。

 彼女が恐怖に震える姿を、絶対に見たくなかった。

 彼女の命を、存在を、どんな形であれ失うことが怖い。

 聖女だからではない。ただ、セレナをーー


(ーー俺は、セレナを失いたくはない。)


 それだけだった。

 ルシリオンは今、そう自覚してしまった。

 それが、すべてだった。


「……どうして……なんで、私なんかのために……!」

「お前が傷つくくらいなら、俺が傷を負ったほうがいい」


 不思議なほどに、自然に言葉が出た。

 セレナの瞳が揺れる。


「……馬鹿」

「そうかもな」


 自分を攫って聖女の力を奪おうとしている魔王に、何故こんなにも無防備に近付いてしまうのか。

 その無防備さと、誰よりも強い魔王である自分に『馬鹿』と言うその姿に、ルシリオンは、ふっと微笑んだ。

 愛しさが込み上げ、思わず震えるセレナの頬を撫でる。


「お前に、怖い思いをさせたくない」


 ルシリオンの言葉に、セレナは一瞬固まった後、彼の手を強く握った


「ルシリオン……あなたを、守りたい」


 大きな瞳から、今にも涙がこぼれ落ちそうでーー


「あなたがいなくなるなんて、考えたくない。

だから……お願い。もう、こんな無茶はしないで」


 胸が、焼けつくように痛んだ。

 生まれて初めて知った。

 守りたいと思う相手がいることの、どうしようもない苦しさを。


 そしてーー


(俺を、守りたい、だとーー?)


 まさか、魔王である自分を守るなどと言う者が存在するとは思わなかった。しかも、それが聖女の力を持つ人間の女だとは。


 自分の中にある、この感情はーー


「……ふ」


 微かに笑うと、彼はそっとセレナの頭を撫で、その小さな身体を優しく抱きしめた。


「お前にそんなことを言われるとは、思わなかったな」


 くすぐったいような、それでいて嬉しい。


(俺はいつの間に、こんなにもーー)


 その言葉に、セレナも小さく笑う。


 そしてーー


「ルシリオン……」


 彼の名を呼ぶと、彼女はそっと、ルシリオンを抱きしめ返した。

 それは、セレナが初めてルシリオンに素直になってくれた瞬間だった。


 そして、彼は気づいてしまった。


(俺は、セレナを本気でーー)


 もう後戻りはできない。

 彼女を、手放すつもりもない。


 ーーだから


「お前が俺を守ると言うならーーセレナ、俺もお前を守り抜く」


 誓いのように、そっと囁く。

 セレナは、少し驚いたように目を見開いた。

 そして、小さく微笑んだ。


 それだけで、ルシリオンは胸の奥が満たされていくのを感じる。


 この夜の誓いは、永遠に消えない。

 俺はもう、決して彼女を離さないーー。

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