表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

11/17

泥だらけの真珠 2(結び)

「あ、あのっ」

「黙ってろ」

 腕にアトゥーリャを乗せたまま、スィラージュはどんどん道を引き返した。

 墓石のような城壁を後ろに庭まで戻る。

 遮られていた月が顔を出し、夜の庭を照らし出した。

 広大な庭のそこかしこに湧いている泉の畔に腰を下ろし、スィラージュは泣きじゃくるアトゥーリャを膝に座らせて、汚れた顔や手を丁寧に洗う。

 洗い終えると、自分の上着を脱いで、肌に(したた)る冷たい水滴を(ぬぐ)ってやった。ついでに鼻水も、指で摘んで、ちんとかんでやる。

「……ったく、なんでこの夜中に、泥遊びを思いついたんだ? 馬鹿娘」

 乱れた髪を指で整えながら、深いため息とともにスィラージュはアトゥーリャ尋ねた。

「うう……ひっく……スィ……殿下だって……は~、葉っぱだらけじゃありま……ぐすん……せんか」

「うるさいわ! 誰のせいだと思っている!」

 したいようにされながら、口答えをするアトゥーリャに、スィラージュの雷が落ちた。

「ぎゃん!」

「さぁ、言え! アトゥ! あんなところで何をしていた? どうするつもりだった?」

「ふぐぅ……ぐすぐす……壁がた、高すぎて、登れそうになかったから……下からならだっ……大丈夫だって思った……のぉ! うわぁん!」

 アトゥーリャは再び盛大に泣き始めた。

「泣くな! しかも答えになってない! 意味不明!」

「ひっ……わぁああん!」

「うわ! こんなにちっこいのに、なんてでかい声だ。ええい、もう泣くな! 泣くなって! くそ! ああもう……怒らんから……なぁ、泣くな、な?」

 膝の上でわんわん言っているアトゥーリャを扱いかね、スィラージュは今度は宥めはじめた。

「あ~あ、無茶をするから爪がボロボロじゃないか……なぁ、何でこんな真似をした?」

「ふっく……そ、外に出ようと……思って……」

「は? 外?」

「こっ後宮は人の出入りには厳しいから……出るなら壁を超えるしかないと……ぐすっ……思ったんで……なので下から掘っていたのです」

「掘って……」

 なるほど。

 確かに、こんな小さな娘が素手で掘ったにしては、結構な大きさの穴であった。

「だから、何で外に出るんだ?」

「……だって、昼間スィが失せろ……って……」

「馬鹿!」

 またしても怒鳴られ、ひっとアトゥーリャの肩が竦む。

「あんな八つ当たりを本気にしてどうする!」

「やつ……? だって、だって……」

「確かに大人気なかったが……そもそもお前が、俺を無視するからだ!」

「むし?」

「無視だ! せっかく真珠をやろうとしたのに無視したじゃないか!」

「無視なんかしてないもん」

「したとも! せっかくお前の為に選んだのに!」

「なにを?」

「真珠に決まってるだろう! この大馬鹿野郎!」

「真珠? ああ……転がってきた……?」

「そうだ! お前のために俺が苦労して選んだのに!」

 スィラージュに、最早、威厳あふれる皇太子の面影はどこにもない。

「そうだ! 特別に持ってこさせたんだ! それを無碍(むげ)にしやがって、俺がどんだけ腹が立ったか……無視の上に無碍だぞ! そりゃ肝も煮えるわ!」

「……だ、だって……今の私じゃ、スィに話しかける事すらできないじゃない」

「あほか! だからあの時、素直に俺のもんになってりゃよかったんだ! 大体なんだ! 腹立ち紛れに言い捨てた言葉には素直に反応するくせに、俺が必死で懇願したことには真正面から逆らいおって! アトゥーリャ! もう逃さないからな!」

 怒鳴りながらスィラージュは、ボロボロになった指先の一つ一つにキスを落としてゆく。

「だ、だって、家が罪に問われて、一族郎党追放の憂き目にあったのに、私だけ皇太子の側妃になんてなれないじゃない……」

「そりゃ確かに、お前の親父や、叔父が馬鹿な事をしたのには間違いはないが、騙されて阿呆だっただけで、別に悪人という訳じゃない。五年も辺境で辛抱すりゃ、ちゃんと戻してやるつもりだったんだ、俺の親父も俺もな!」

「……」

「けど、お前だけは遠くにやりたくなくて、俺は必死に親父を説得したのに、お前に素気無く断られて俺は……」

 スィラージュは、ふつふつとこみ上げる情動を抑えるために言葉を切った。

「お蔭でうるさい州牧(しゅうぼく)どもに、下らん女を六人も押し付けられる始末だ……まぁ、二、三据え膳は喰ったが……いやそれも、お前が触らせてもくれなかったからだ!」

「……喰ったんだ……」

 アトゥーリャは、いつの間にか泣き止んでいる。

「に、二三回だけだ! しかも義理だ! 俺の身になってもみろ! 最後の手段で端女に貶しまでして、お前を王宮に縛り付けたのに、今度は視線も合わせてもらえないんだぞ! やけくそにもなるわ! まぁ……確かに悪かったが……」

「だって罪人の端女と皇太子じゃあ、身分差以上に、何もあり得ないっていうか……あ、別に端女の仕事が嫌いって訳じゃないんだけど。割と面白いし」

「言い訳する所が違う! ええいくそ! もう我慢ならん!」

 そう言うと、スィラージュはぐいと顔を寄せる。

 この後の流れを経験則で知り尽くしているアトゥーリャは、反射で首を背け、腕を伸ばしてその接近を拒んだ。無論無意味である。

 スィラージュは、強引に、しかし優しくアトゥーリャを抱き込んだ。

 それでも頑固に横を向こうとする顎を強引に引き戻し、唇を重ねた。

 熱を持ったそれがねっとりと重なり、横柄な舌が割り入ろうと攻撃を開始した。

「ん! ん~!」

「往生際が悪い! さっさと開けんか!」

 皇太子に命じられても、この端女は頑固に唇を閉ざし、彼を迎え入れようとはしない。

 業を煮やしたスィラージュは、すっと腕を滑らせ、柔らかな隆起を掴む。あっとアトゥーリャが声を上げた刹那、それはふてぶてしく侵入した。

「む……」

 アトゥーリャは慌てた。

 せっかく今までうまくやって来れたものを、この男は台無しにしてしまったのだ。

 父も叔父も、貴族にしては人がいいばかりで、役人などに向かないのだ。落ちぶれて当然の家の娘が、皇子にふさわしい筈もなく。

 ああ、それなのに。

 こんなに容易く捉えられたばかりか、簡単に唇まで奪われ、あまつさえ尻の下でむくむくと勃ちあがるものまである。

 ふくよかな胸は、弄られるままに形を変えて。

「ああ……月光に濡れて……これこそが真珠だな」

 スィラージュは悪そうな笑みを浮かべた。

「だがここでは拙いな。風邪をひかせてしまう。どら!」

 腕にアトゥーリャを抱えたまま、ぐんと立ち上がった。

「え……? な、何?」

「要するに孕ませちまえばいいんだ。そしたらお前だって、あきらめて俺の妃になるだろう? どうせ最初からそのつもりだったんだし、親父だって文句は言わないさ。後宮は解散だ!」

「そんな無茶苦茶な……私は罪人で……」

「うるさいうるさいうるさい! お前なんか黙って俺を見てりゃいいんだ!」

 一つになった影は、どんどん月明かりの庭を進む。

「スィ……」

「そうだ、そう呼んでいいのはお前だけだ。アトゥ……」

「……」

「好きだ」

 低く唸るような声。自分が押し付けられている厚い胸板。

 アトゥーリャは観念した。

 やっとわかった。

 この男の本気を。

「スィ」

「なんだ。拒絶なら聞かんぞ」

「真珠……せっかくくれたのに、ごめんね?」

 小さな指先が削げた頬をなぞった。

「そっ……そんなものいくらでもくれてやる! くっそぉ可愛い……」

 痛んだ指先を(くわ)える。

「……まだ土の味がする」

「うん。でも掘っても掘っても壁が埋まっていて……」

「当り前だ、お前は土台と言うものを知らんのか? この城壁は、お前なんかが一年掘ったって越えられんわ」

「そうなの?」

「そうだ。この世間知らずめ!」

「ごめんなさい」

「ふん! 悪いと思うんなら一生俺に捕らわれていろ……俺だけの真珠……アトゥ」

 突き上げる想いに耐え兼ね、スィラージュは腕に力を込めた。


 夜に咲く花の間を進む。

 大きな夜空の真珠がそれを包み込んだ。




よければどのお話が良かったか、教えてくださいませ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ