ゴリラの花屋 3(結び)
パチン、パチン
「あ、あのぅ……さっきは泣いたりしてごめんなさい」
間に耐えられなくなり、スゥは自分から切り出した。
「私……私ね、今日失恋しちゃって……実はそのお花も、好きだった人が結婚しちゃうお祝いなんです」
「そうなのですか?」
視線がスゥを捉えた。
「うん、なのにプレゼント用のお花を買いに行く役を頼まれちゃって、断れなくって、我ながらなんて惨めなんだろうって……急に情けなくなって、それで」
話しているうちにさっきの暗澹たる想いが蘇ってきて、スゥは言葉が続かなくなった。
「この花の名を知ってますか?」
出し抜けに店長は、オアシスに刺そうとしていたピンクの花をすみれの鼻先で揺らした。
「え!? ええ、スイートピーですよね?」
「そう。花言葉は『優しい思い出』とか『門出』」
「あ、はい」
「大丈夫です」
何が? と聞こうとして口ごもり、スゥは目の前の人を見つめた。
前髪の奥で、また瞳が眇められる。
「あ、あのぅ……なんでゴリラなんですか? このお店、こんなにかわいいのに」
(わ、私ったら、変なこと聞いちゃったかな!?」
「あだ名だったから」
低い声が溢れる。
「え?」
「小学校から高校までゴリラって呼ばれてたんですよ、俺。だから」
(あだ名がゴリラ? でも、こんなに素敵なのに? 確かに日本人離れした印象だけれど)
スゥの疑問が顔に出ていたのか、店長は今度は完全に唇を少しあけて笑った。
(わ、素敵! ラテン系っていうのかな!?)
「俺、祖父がボリビア人で、体もでかくて、苛められてたから」
「ボリビア……って確か、南米の国ですよね?」
「ええ」
(どうしよう、私ボリビアについて何にも知らないや……き、気まずい?)
「さ」
なんと話の穂を継いだものかスゥが考え込んでいると、花バサミを置いて店長が籠を差し出した。
「できました。いかがですか?」
バラ、カスミソウ、スィートピー、アルストロメリア、ストック等、ピンク系の色合いの花を中心に見事にアレンジされている。
「すごい……綺麗……」
「ありがとうございます。ラッピングするのでもう少々お待ち下さい」
いいながら店長はセロファンと和紙で籠を包み込み、様々なリボンをはさみでしごいてカールをつける。
瞬く間に美しいフラワーアレンジメントの包みが出来上がった。
「カードを入れて置きますので、よければ後でメッセージを」
「あ、はい」
自分も書かなくてはいけないんだろうか? 可愛らしいカードを見てまた少し気分が重くなる。
「素敵に作っていただいてありがとうございました」
「……あ、ちょっと待ってもらえますか?」
会計を済ませ、大きな籠を抱えて店の外に出たスゥに店長が声を掛ける。
「はい?」
店長はそのまま店内にとって返し、しばらくしてから出てきた。手にリボンをつけた開きかけの赤いバラを持っている。
「これを……よければお持ちになってください」
「バラ? 私に?」
「花言葉はご存知ですよね?」
「えー……確か『あなたをあ……』」
その先をスゥは続けることができなかった。
まさか今時、こんなやり方で告白する人がいるとは、とても思えなかったからだ。
「こんな時に言うかどうか迷ったんですが……それが俺の気持ちです」
「……」
スゥは目の前に差し出された、赤いバラからかなり上の方にある真剣な顔を見上げた。
「いつも金曜日に来てくれてたでしょう?」
「あ……そうです。休日にお花を見ていたくて」
「ずっと……待ってました。あなたはいつも嬉しそうに、俺の育てた花に語りかけてくれてた」
「み……見てたんですか?」
たちまちスゥの頬が真っ赤に染まった。
(あんな変なところ見られてた! 気づかれないように、小さな声で愛でていたつもりだったのに……)
店長の目元がほころぶ。
「ええ。待っていました」
「待って……?」
「こんな言い方は卑怯だけど、俺に乗り換えませんか? 口は達者じゃありませんが、心と体の頑丈さだけは保障します」
「……」
「お嫌なら振ってくれて構いません。今ならなんとかできます、今なら」
スゥは阿呆のように、自分を覗き込む瞳を見つめた。
透き通るほどに黒い瞳を。
「ああ、間違えた。すみません、まだ名乗ってもいませんでした。俺は、間・エステヴァン・丞一郎。ジョーって言うんです。草壁すみれさん」
「私の名前……」
「前に地方発送を承った時に名前、知りました。あまりに素敵な名前だったから、すぐ覚えてしまった。ごめんなさい」
彼が少し頭を下げ、顔が近づく。
思わずスゥの背が弓なりになる。
「別にそれはいいんです……あのぅ、その念の為にお尋ねするんですけど……それってもしかして、私を好きだってことですか?」
「他にありますか?」
店長――ジョーは、ぱちぱちと瞬きをした。意外に睫毛が長いことにスゥは気づく。
「私、失恋したばかりで……」
「だから勇気を出して、やっと言えたんです。今しかないって」
こりゃ、自分勝手だったかな? と小さく呟くのが聞こえたが、スゥはどう反応していいのかわからなかった。
一日のうちに失恋と告白を経験するなんて、今までの人生にはなかったことだ。
真剣な黒い瞳から逃れるように、スゥは店内を埋めつくす花たちを見渡した。
床に、壁に、天井に、愛情たっぷりに世話をされた花々が飾られ、息を詰めてスゥを見つめている。
まるで、私たちのご主人を悲しませないで、というように。
花たちのシンパシーを、スゥははっきり感じる事ができた。
「あの……私はスゥ。すみれのスゥです」
「スゥ?」
「私、これからもここにお花に買いに来ます。これから毎日このお店の前を通って通勤します……今はこれだけでもいいですか?」
「充分です。ありがとう」
ジョーが花を傾ける。気がつかなかったが、その茎には棘がひとつも残っていなかった。
スゥは震える指先で赤いバラを受け取った。
まわりの花々のさざめきが二人を包む。
――よかったね! よかったね!
――これからきっとうまくいくよ!
スゥは思わずにっこりしたが、それが今日始めての笑顔になるとは気づいていなかった。




