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side:B

side:A と side:B の二話構成です。

(side:B)


 “――正志、お願い。ちゃんと前を向いて。私は大丈夫だから”


*  *  *


 蒼く澄んだ冬の空を眺め、自宅を出た私は大きく深呼吸をする。

 吐いた白い息は、どこまでも突き抜ける蒼い空へと吸い込まれた。

 玄関の脇に植わっている梅の木は、膨らんだ蕾が早く咲きたいと焦れている。そんな二月の初旬、私はどうしようかと悩みながら学校への道のりを歩いた。


「友美、おはよー」

「あ、理沙おはよー」

 校門を入ったところで、友美を見かけ声をかけた。中学に入ってすぐ仲良くなり、今では親友と呼べる仲だと私は思っている。クラスは違うけれど、同じ部活に所属していた。

「ねぇ、今年はどうする?」

「ん? バレンタイン?」

 そう。あと少しでバレンタインデー。女子から男子へ、公に告白しても変な目で見られない日。彼氏彼女が居ない人にとって、この日は特別な期待を持って学校に来ているように思う。

「バレンタインかあ……。あんまり興味ないなあ。理沙はどうするの? 芹沢には手作り?」

 正志とは同じクラスで、中学に入ってすぐに告白され付き合い始めた。とても優しく私の自慢の彼だ。

 私たちに限らず、告白をするとかしないとか、最近はバレンタインデーの話ばかりが飛び交っていた。


「正志。おはよー」

 教室に入るや否や、正志が目に入り駆け寄る。今年で二回目になる彼とのバレンタイン。去年は、手作りチョコをあげた。彼は大喜びでその場で食べてくれた。あんな顔を見せられては、今年も手作りにしない訳にはいかない。

 去年は私が持てる全ての力を注いで作ったため、今年はまだどんなチョコレートにするか決まっていなかった。


「ねぇ、正志。今年のバレンタインはどんなのがいい?」

 アイデアが浮かばなかったのもあるけれど、一応、好みも訊いてみた。

「んー、そうだなぁ。ココアパウダーがかけてあるやつは?」

「それじゃ、去年と一緒じゃん!」

 全くもって使えない回答。少しはヒントになるかもしれないと思った私が馬鹿だった。

「じゃあさ、理沙がこれ以上のやつはないって云うスペシャルなやつ」

 スペシャルなやつってどんなのだろうと想像してみるが、思い浮かぶのは私にリボンを掛けて「今年のバレンタインはわ・た・し」とチープな想像をすることしか出来なかった。

 仕方が無い。帰りに本屋でも物色してみるかと、参考にならなかった正志に“わかった”とだけ伝えた。


 ――バレンタイン前日に一通りの材料を用意して、学校帰りに立ち寄り本屋で見つけたバレンタイン用のレシピをテーブルに開く。今日中に作り終わらなければと頑張っては見たものの、全てを作り終えたのは深夜の一時だった。

 今年も良く出来たと思う。納得した出来映えに酔いながら、これを受け取る正志の顔を想像した。去年とは違う今年のチョコは、色に意味を持たせて、私は正志のことをこんなにも好きなんだよと押し売りする作戦。


 ピンクは苺――『尊敬と愛』

 橙はオレンジ――『愛らしさ』

 紫はグレープ、『信頼』

 茶色は……。単純に正志の好きなチョコレート。


 鈍感な正志が、こんなのに気が付く訳ないか。と思いながら、食べさせる前にしっかりと押し売りすることを忘れないように頭に刻んだ。



 私はチョコレートが入った鞄を前後に大きく振りながら走る。寝るときに目覚まし時計をかけ忘れたのだ。母親に怒鳴り起こされ朝食もままならないまま家を飛び出した。遅刻なんてしたら正志に何と云ってからかわれるか分かったものじゃない。絶対に遅刻だけは避けなければ。

 住宅街を抜け、やっと校舎の頭が見えて来たときに走る速度を緩め一息ついた。この信号を渡れば学校はすぐそこだ。私は遅刻はしなくて済んだと安堵して最後の横断歩道を渡り始める。歩行者用の信号が点滅を始め、再び歩みを早くしようとした時だった。信号を無視して突っ込んで来た車に私は跳ね飛ばされた。全身がこれ以上ない痛みを訴える。身体を動かそうとしても動かない。

「痛い……、痛いよ……。正志、助けて……」

 私の意識はそこで途切れた――


 私が目を覚ましたのは病院のベッドの上だった。部屋には“ピー”と云う機械音が途切れることなく小さな音で鳴っている。病室前の廊下で誰かの話し声が聞こえていたが、それが止むと同時にドアが開いた。

 白衣を纏った眼鏡顔。そうか、病院だから先生か。続いて入って来たのは、父親と母親だった。鳴り止まない機械音を先生が止め、部屋を出て行く。母親がベッド脇にある小さな椅子に座り、私の手を握り声をあげて泣いた。


 “お母さんどうしたの?”


 私は起き上がり、母親の頭を撫でようと手をかざす。そこで、何故母親が声をあげてまで泣いていたのかの理由を理解した。

 かざした手は、母親の頭に触れること無く素通りしたのだ。何度も何度も触れようとしたが、決して触れることは出来ない。

 私は力の限り叫ぶ。大声をあげ、大粒の涙を流し泣き叫ぶ。嘘だ、こんなの嘘だ。そう叫んだ。あふれた涙が伝い、頬から離れ落ちた瞬間に涙は消え、大声で泣き叫ぶ声は母親には届かない。嘘や夢ではないことを、理解するしか無かった。


 泣き止まない母親の肩にそっと父親が手を置く。父親に促されるように二人は病室から廊下へと出て行った。

 私も二人の後を追い、ベッドから離れ立ち上がる。ふと後ろを振り向くと、私自身の身体が静かに目を閉じて横たわっていた。


 ノブを掴もうとする手はすり抜ける。悲しいほど現存する物体に触ることは出来なかった。私はドアを開けること無く壁を抜け廊下へと出た。そこには、長椅子に腰掛けうな垂れ泣く両親がいた。

「ごめん……、ごめんね、お父さん、お母さん」

 両親のこんなにも悲しむ姿を目にすることがあるとは思わなかった。毎日小言ばかりの母親と、何も言わず会社の往復だけをする父親。私はこんなにも二人に愛されていたのだと、今更ながらに心に刻み、そして詫びた。


 薄暗い廊下の床を足早に叩く音が聞こえて来た。そして、私の視界の片隅に人影が映ると同時に音が止む。病院の出入口へと続く廊下の先に、息を切らせながら立つ人影。


“正志? 正志!”


 私は、彼に急いで寄って行く。両手を広げ正志に抱きつく。が、正志は私の身体を通り抜けていった。私は振り返り、そして叫んだ。


“正志! 正志! 私ここだよ! 正志! お願いだから気づいて! 正志!”


 目の前で手をバタバタと手を振ってみせても、正志の反応は無かった――


 近寄った正志に気づいた母親が、私が息を引き取ったことを伝え、今日渡そうと楽しみにしていたバレンタインの箱を手渡した。正志は長椅子に崩れ落ちそれを膝の上に置いた。大粒の涙が無惨に潰れた箱の上に落ちるのが見える。


“正志、ごめんね……ごめんね……。そんなチョコになってごめんね”


 正志の前に座り、俯いて大粒の涙を流す正志にそう声をかける。その声が届かないことを知りながら。


 ――その時だった。

 私の背中が急に温かくなり、振り向くと白くぼやけた空間が出来ていた。空間は廊下全体を白く包み込もうとしている。それと同調するように、私の身体は広がっていく空間の中心に吸い込まれるように静かに動いた。


“い、いや。いやいや。待って、お願い! 私を連れて行かないで! まだ、ここにいたいの! お父さん、お母さん、そして正志とまだ一緒に居たいの! お願いだから、お願い……お願い……”


 すると、広がり続けていた空間は、私の願いを聞き入れたようにフッと消える。お願い、もう少しだけ……、もう少しだけ――。


*  *  *


 ――私が死んで一年が過ぎた。

 中学三年になった正志は少し大人びた感じがする。学校の中では、私が云うのもなんだけど格好いい方だと思う。私がいなくなったことで、正志が他の人と付き合い始めるのではないかと嫉妬をする自分がいた。今年のバレンタインも正志の好きなチョコレートを手作りして渡していたはずなのに……。そう思うと悔しかった。触れることだけではなく、私の存在さえも気がついてもらえないことが悔しかった。


 朝、昇降口にある下駄箱に入った手紙を正志が見つけた。“放課後に体育館裏で待っています”と書いてある。本命チョコの受け渡しだとわかる呼び出し。私は必死に正志に訴える。


“ダメ! ダメだからね。そんな誘いに乗っちゃイヤだからね”


 聞こえもしない声を正志に向けて発したが、そんな願いも空しく正志は放課後に体育館裏へと行ってしまう。そこには、一年生が友達に付き添われながら恥ずかしそうにしていた。小さな声で告白をしてチョコレートを差し出す女の子。優しい正志はきっと受け取ってしまうのだろうと思っていた。


「ごめん。俺ずっと好きな子がいるんだ。だから受け取れない」

正志はきっぱりと断った。相手の女の子は目が潤み泣き出しそうだ。そんな女の子に気遣いすることなく、正志は踵を返しそこから立ち去る。

 前は、こんな冷たい対応をする正志ではなかった。相手のことを考えて、出来る限り傷つかないようにする優しさがあったはず。私の声は届かないけれど、一言云ってやろうと正志の前にでて顔を見たとき、何も言えなくなった。

 目に溢れんばかりの涙を溜め、頬にはひと筋の光るものがあった。


*  *  *


 私が死んで四年が経とうとしている。正志はその間、一度もチョコレートを貰うことはなかった。それだけではない。あの日からチョコレートを口にしていない。

 私は何度も何度も、生きて正志の前に行かせて! と、願ってみたが叶うことはなかった。私はもう、正志の前で喜んだり悲しんだりできないんだと今更ながらに悟った。


 生き返りたい。生き返って正志をこの腕で抱きしめたい。そんな思いが胸を強く締め上げる。でも、おそらくこれからもこの願いが叶うことはない。

 一縷の望みが叶うことを願って来た。内心、そんなことは絶対にないと分かっていたのにもかかわらず、私はしがみ付き、時を過ごしてきた。例え正志が私を認識しなくても、いつでも正志の傍にいられるというだけで留まってきたのかもしれない。でも、もう見ていられない。

 私を引きずり、前を見て歩むことができない正志をこれ以上は見ていることが出来なかった。


 あの日から四回目のバレンタイン。今年も正志にチョコレートを差し出す女の子がいる。私には正志の答えが分かっている。

「僕、ずっと好きな子がいるんだ。だから、ごめん」

 そう。この言葉を何度も聞いてきた。その度に心が私を締め付けてきた。でも、それも今年で終わりにしよう。


“ありがとう。今年も私を思っていてくれて”


 女の子が渡すチョコレートに少しだけ願いを込めた。現世の人には出来ない、私だけの贈り物。正志、最後の私の気持ちを受け取って――。


 再度差し出されたチョコレートを、正志が受け取る姿をみるのと同時に背中に温かいものを感じる。


 “大丈夫。もう拒んだりしない。時間をくれてありがとう”


 私は、心の中で呟いた。


 身体がゆっくりと動き出し、白い光の中に吸い込まれていく。


“正志、私行くね”

“正志、お願い。ちゃんと前を向いて。私は大丈夫だから”

“正志、私はあなたを好きになって良かった。本当にありがとう”


“さようなら……”


 白い光が強い閃光を放ち消える。そこに私の姿は残らなかった。

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