82. 知らなかった私
「お~い、修二く~ん… 久しぶりだねぇ~」
「そ、そーですね。お久しぶりです……」
「あっ、そうでもないかな? たったの『8日』ぶりだもんね。 『夏休みに入ったら直ぐに』って修二くんは言ってたと思うんだけど……まあ『8日』なら確かに直ぐって感じか。―――人間の寿命に比べたらね」
「えっ? い、いや あのですね…」
「でも、修二くんって本当に照れ屋さんなんだね。女の子に連絡するのを躊躇ったりして。だから私に連絡できなかったんだよね? んもぉ~ そんなの気にしなくていいのにぃ~。修二君からの電話だったら私は喜んで受けるよ。―――連絡が来ればだけどね」
「あ、あはは… あはは…」
「でも良かった。観たかった映画の上映期間に間に合って。――ギリギリね。 ほんと、間に合うかハラハラしちゃっ……えっ? 修二くんもしかしてこれを狙ってた? 私をハラハラドキドキさせてあげようと思ってわざとギリギリまで連絡しなかったとか? そっかー、私は修二くんの狙いにまんまと引っかかったんだ。あはは… 私って単純だなぁ~」
「―――蝶野さん」
「なぁ~に? 修二くん」
「申し訳ありませんでしたぁあああああ! ごめんなさぁ~あああああ~い!」
「あれ? どーして謝るの?…修二くん。修二くんは何も悪くないのに。それともなに?―――なにか悪いことをした覚えでもあるのかな? かな? かなかな?…」
「もうかんべんしてくださぁ~ああああああ~い」
修二君は見事な最敬礼を私に披露してくれた。完全に腰がぽっきり折れてる。
でも、なんで修二君はこんなに恐縮してんだろ? 私との約束を記憶から綺麗さっぱり完全に抹消してたことなんて気にしなくていいのに。連絡が来るのを毎日楽しみにしていた可愛い女の子のことなんて無視してていいんだよ?
………。
仕方ない。この辺で勘弁してやるか。
まあ私から送ったラインにはすぐに反応してくれたことだし、上映期間にも間に合ったことだし。
でも、あんなお茶目なメッセージに直ぐに反応してくれた修二君はやっぱり誠実な人なんだなと思ってしまう。
『 督促状。これを無視した場合、褒美は映画からバッグ(しゃねる?)に変更となります 』
『 蝶野様、ど~か明日、この下僕めに褒美を払わせてくださいませ。何卒お願いします。な~に~と~ぞ~ 』
既読が付いた瞬間にこのメッセージが返ってきた。
こんな事ならもっと早くにメッセージを送るんだった……ちょっと後悔。
さて、こんな事にいつまでも時間を使っていられない。なんたって私はこのご褒美を楽しみにしてたんだから。
「クスクス… それじゃあ修二君、今からご褒美を払ってくれる?」
「はい蝶野様、喜んで……」
そんな訳で、私はようやくご褒美にありつけることとなる。
待ち合わせの駅から電車に乗り、私達は目的の場所へと移動を開始する。目的の場所は前回と同じでショッピングモールに併設されている映画館だ。
電車に乗り込むと、私は直ぐに映画の話を始めた。すると修二君も俄然乗り気となり、その話に夢中となった。
「修二君も観たかったんでしょ? この映画」
「それは勿論。ご褒美関係なく蝶野さんを誘おうかなって思ってたぐらいだったし…」
「クスッ 嬉しい事言ってくれちゃってもう…」
「でもやっぱさ、映画とかって趣向が合う人と観るのが一番でしょ? だから前回は凄く楽しかったんだよね…」
「うんうん分かる。私もそうだったもん。だから今回のご褒美もこれにしたんだよね~」
やっぱり修二君は本当にいい。
自分と同じ趣味にこれだけ共感してくれる人なんて滅多に得られないもんだ。修二君の楽しそうな笑顔を見ると、ご褒美をこれにして良かったなと本当に思う。
私がご褒美に選んだ映画は『宇宙大戦争』……英語で言うとスターウォー〇ってやつですね。しかも今回はその完結版。長きにわたり続いてきたストーリーが遂に終焉を迎えちゃう。こんなのもう見るっきゃないでしょ?
やがて映画館に到着すると修二君は迅速に行動し、購入したチケットを私に差し出した。
「蝶野様… ご褒美で御座います。受け取ってくださいませ…」
「クスッ… ありがとう、修二君」
壁にもたれながら彼を待っていた私は、笑顔でそれを受け取った。
………何だかこれって
カップルみたい。さっき隣で演じられていた風景を見てそう思っちゃった。
私の近くでぼんやりしながら彼氏を待っていた彼女。そんな彼女の元へ彼氏はチケットを購入すると急いで戻ってきた。そして照れ臭そうにしながら彼女にチケットを渡す。彼女は頬を少しだけ赤くしながらそのチケットを大切そうに受け取った。そして、彼女は俯きながらゆっくりと彼氏の手を取り、仲睦まじくシアターの中へと消えていった。
初々しくて甘酸っぱさを感じさせる光景だった。見ていて本当に清々しいと感じた。
「蝶野さんどーしたの? 早くいこーよ。 あ、もしかしてトイレ? ならさっさと済ませてきたら?」
うん私達は絶対カップルなどではない。
平気でトイレを勧めてくる修二君に甘酸っぱさを感じさせられる部分は1ミリも無い。
それから私達は館内へと進み、指定された座席に腰を下ろした。
いよいよ待ちに待った映画が始まる。私も修二君も徐々に意識が高揚する。
やがて館内の照明は消えていき、暗闇となった世界に美しい景色が浮かび上がった。
―――◇―――◇―――
「グスッ… グスッ… うぇぇえええ~ん…」
泣きました。ええ泣かせて頂きました。
本当~に観に来てよかった。特に最後のシーンが素晴らしかった。過去のストーリーを自分が継承すると決断したヒロインに感動させられちゃった。
「ほんと、感動しちゃったね…」
目尻を湿らせた修二君がこちらを向きながらぽつりと呟く。
「うん。本当に良かった…」
その一言だけを私は修二君に返した。
やっぱり修二君と一緒に観れて良かった。同じものに感動を覚え、同じように涙を流してくれる人が隣にいてくれるとなんだか嬉しい。感動を分かち合うという言葉があるが、それが出来る相手に恵まれた私は幸運だと思う。
感動の余韻を残しながら私と修二君は映画館を後にした。この後すべきこと、それは決まっている。何処かで食事をしながらこの感動を語り合うのだ。これぞ映画を観る醍醐味ってもの。感想を互いに出し合い、それに意見を重ねるこのひと時が何よりも楽しい。
私達は適当に店を選んでそそくさとテーブルに着いた。
注文を済ませ互いに見つめ合うと、どちらからともなく映画の感想が述べられる。そしてそこから私達は夢中になって感じたことを語り合った。
う~ん大満足!
予想以上に話は盛り上がった。修二君もノリノリだったし本当に楽しかった。このようなご褒美を与えてくれた修二君には本当に感謝の言葉しかない。
期末試験で勝負をした本当の目的、それは修二君に自信を持たせることだった。
今の修二君なら真面目にやれば私と大きな差は出ない、それは確信していた。だから敢えて一人で頑張ってもらい、自分の力だけで私と並ぶような成績を取って欲しかった。結果的には予想より少しだけ低い点数に留まってしまったが、成績表を見つめていた修二君の顔を見て私は凄く嬉しい気分になった。
努力の結果に満足していた修二君。……その顔には明確な自信が窺える。
本当はご褒美なんていらなかった。彼が少しでも自信を持ってくれればそれでよかった。……
………んだけどね、
貰えるというのなら貰いたくなるのが人情。特に修二君からのご褒美なんて尚更だ。そんな訳でしっかり頂くことにしたんだけど…… やっぱり貰ってよかった。修二君は期待通り私に楽しい時間を与えてくれた。
楽しかった食事の時間も終了し、私達はお店屋さんを後にした。
これにてご褒美は終了。……なのだが、残念ながらまだまだ時間はたっぷりある。
余り来る機会も無いショッピングモール。あらゆる物が売られていて、興味をそそられるお店屋さんなどいくらでもある。だから私は修二君を引き連れて沢山のお店を見て回ることにした。まあご褒美の延滞金としてこれぐらいの我儘ぐらいは許されて然るべきだよね。クスッ…
一時間ほどあちらこちらのお店屋さんを回っていると建物を繋ぐ空間にある大きな広場に行きついた。見渡すと、小さなテーブルが数多く並んでおり、壁際にはたくさんのお店屋さんが軒を並べている。所謂カフェテリアというやつだ。 私は何気なく修二君の顔を覗き込んだ。
「蝶野さんは何がいい? 俺が買ってくるから…」
「んっとね… じゃあ冷たいレモンティー」
「了解!」
軽快な返事と共に飲み物を買い求めに行った修二君の背中を見つめながら、私はクスリと微笑んでしまった。 普通に楽しい。互いに気を遣うこともないし、それに何となくだが考えていることも理解できてしまう。
私は椅子に腰を掛け、歩き疲れた足を休めながら修二君の帰りを待っていた。疲れが癒され意識がぼんやりとしてくると、なんとなく以前の記憶が蘇ってくる。
………あの頃とは違うんだな。
以前の記憶と今日を比べてそう思った。そしてそれが嬉しく思えた。
今の修二君は私に気を遣ってなどいない。ただ親しみだけを私に向けてくれている。
「はい、蝶野さん。よく冷えたレモンティーだよ」
「ありがとう、修二君」
修二君は買ってきてくれたレモンティーを私の前にそっと置く。ストローを口にして一口だけそれを飲み込むと、冷たさと共にレモンの爽やかな風味が口の中に広がる。その味は普段と変わらないものなのに、何だかいつもより美味しく感じる。
咽の渇きだけでなく、何だか心までも潤っていく。
それは昼下がりの弛緩した風景が心を和ませてくれるせいなのか、それとも親しみを向けてくれる人物が傍にいるためか、それとも、その両方のせいなのか……。
眼の前を見れば修二君も寛いだ表情をしていた。
小さなテーブルで向き合って座る私達。修二君との距離は手が触れそうになるほど近い。そして周りには私達を知る人は誰もいない。
………今なら訊けそうな気がする。
気が付けば私の口は既に動き始めていた。
「修二君、あのね……」
「ん? どうしたの、蝶野さん」
「一つだけ質問していい?」
「いいよ。何でも訊いてちょーだい」
「―――恭子ちゃんとさ、何かあったんだよね?……以前に」
ずっと心に抱いていた疑問、私はそれを修二君に訊ねた。
―――二人にはどうしても埋まらない空白の時間が存在する。
それは明らかなことだった。
私と恭子ちゃん、今ではすっかり親友と呼べる間柄だ。だから彼女は何でも話してくれる。そんな彼女なのにある部分だけは絶対に触れようとしない。思い出を語るときもある時期だけが完全に抜け落ちている。
私はその理由をどうしても知りたかった。
それを知らない限り、私は本当の意味で修二君や恭子ちゃんを理解することが出来ていないと感じていた。
「やっぱり……蝶野さんだね。気付いてたんだ…」
驚きや焦りを見せることなく、修二君は冷静にそう答えた。
まるでその質問がいつか来ると想定されていたかのように、何一つ動じる様子は見られなかった。
修二君は私を見つめながらゆっくりと真実を語り始めた。
「今まで嘘を言っててごめん。俺は前に説明したよね?……なぜ俺と恭子が他人のフリをしていたのか?」
「え、ええ。確かに聞いたけど…」
「実はフリじゃなかったんだよね。―――本当に他人だったんだよ。全ては愚か者である俺が招いたことなんだ…」
………本当に他人だった?
なにそれ?
言ってる意味が分かんない。今の二人を見ていてそんなことって……
「蝶野さんには全てを話すよ。多分その方がいいと思うから……」
それから修二君は全てを語ってくれた。
恭子ちゃんとの関係だけでなく、彼が歩んできた人生の全てを私に教えてくれた。
………
「あははは… やっぱ俺って馬鹿だったよね。ほんと、自分でも情けないって思うよ。蝶野さんも呆れて笑っちゃうでしょ?」
笑える訳なんて無い。
私は「同情」という言葉は嫌いだ。何処か高みの場所から見下している気がしてしまう。でも彼の話を訊き終えた私は同情の念を禁じ得ない……そんな想いに囚われた。まだたった17年間の人生なのに彼には悲しみが多すぎる。
「ごめんね、蝶野さん。せっかくの雰囲気を暗くしちゃって…」
なぜ謝るの?
訊ねたのは私。それに対して誠実に全てを語ってくれたのは修二君。この場の空気を悪くしたのは私の方だ。修二君は何も悪くない。
それに先程の話も自分を卑下する表現が多かった。それじゃダメだ。
修二君には自慢できる素晴らしい部分がいくつもある。成績だってその一つだ。だから修二君にはもっと自信を持って欲しい。
「………修二君」
「なに?」
「あなたが謝るのはおかしよ。修二君は私の希望に応えてくれただけでしょ? なら謝るべきは私の方だと思う」
「いやいやそれはないっしょ。蝶野さんにはお世話になってばかりだし。感謝こそすれ謝って貰う事なんて何もないよ」
「そんな事ない。私だって修二君にはお世話になってる。……修二君、あなたは周りの人に気を遣い過ぎだよ」
「そうかな~? そうでもないと思うけど…」
「ううん、絶対にそうだよ」
修二君が何故こうなのか? それは話を訊いていて理解できたような気がした。
これだけ心を折られることが続けば心は委縮してしまう。だから周りの人達が必要以上に輝いて見えてしまう。だからやたらと気を遣ってしまう。
「修二君、もっと自分に自信を持って。自分を卑下するあまり周りの人に気を遣い過ぎるのは良くない事だと私は思う」
ようやく伝えることが出来た。……そんな気分だった。
私はこの言葉をどうしても修二君に伝えたかった。自分の価値を知ることは大切な事だ。彼は他人に自慢できるほどの価値を有している。それに気付けないのは不幸でしかない。
「蝶野さんの言う事も分かるんだけどね…。でも、実際に周りの人には良くして貰ってるし。みんな口には出さないけど態度を見てたらそれが分かるって言うか…ね。だから自然とそれに感謝したいって気になっちゃうかな…」
「どうしてそう思うの? 私にはよく理解できないけど…」
「いやね、実は昔にそれを気付かされたって言うか…」
「………昔に?」
「俺って彼女に裏切られてから死に体になってたんだよね。そしたら皆が励ましてくれたんだわ。普段は何も言ってこないんだけどさ、二人っきりになるとそっと話し掛けてくるんだ。……『お前は悪くない。元気出せ』ってね。空気を読んでそっと励ましてくれるそんな奴らを見て正直凄いと思ったよ…」
「………」
「それからかな。俺も皆のために何かをせねばって思ったの。まあ恩返しってやつだよ」
「………修二君」
「今となってはもう癖みたいなもんかな。周りの奴らを楽しませてやろうって勝手に思っちゃうんだよね」
「………だからいつもあんな感じなの?」
「そうそう。だから別に自分を卑下してるって訳じゃないんだ。それに今の俺は自分に自信を持てるようになったしね。まあそれは全部蝶野さんのおかげなんだけど…」
「私のおかげ?」
「そうだよ。全部蝶野さんのおかげ」
「―――どうして?」
「だってさ、クラスで一番人望の高い蝶野さんに俺は認められてるんだよ? これって普通に凄いことでしょ? だから俺って結構大した奴なんだって思えるってか……まあそんな感じかな」
「………」
「あれ? どしたの蝶野さん? も、もしかして俺の勘違い?」
「ううん、そんなことは絶対にない。私は誰よりも修二君を認めてる」
それから少しして、私は予定よりも随分早くに自宅へと戻った。
もっと修二君と話していたかった。もっと一緒に楽しみたかった。
だけど、何を口にすればいいのか言葉を選ぶことが出来なくなってしまった。
―――私は何も知らなかった。
自宅に戻り、机の前に座りながらただそれだけを痛感していた。彼の過去も心情も、そして恭子ちゃんについても何も分かってなかった。
だけど、頭の中の靄が少しずつ消えていくのを感じる。
今まで謎だった部分のピースが全て埋まり、全貌が見えてきたような気がする。
私は彼の話を思い出しながら、彼の歩んできた道をもう一度見つめなおした。




