59. 変わりゆく関係…Ⅱ
「おはよっす、蝶野さん」
「あ、おはよ~う。……修二くん」
いつものように登校してきた俺は、これまたいつものように蝶野さんに朝の挨拶をする。するとまたまたいつものように蝶野さんから天使のような優しい声音で挨拶を返される。―――「おはよう、しゅうじくん」って。
さて皆さん、なぜ「本郷君」から「しゅうじくん」に呼び方が変貌したのでしょうか?
答えは至って単純だ。
蝶野さん、もとい麗香は俺の彼女になったからである。
打ち上げ会が終わってから数日が経ったある日、俺は麗香に告白された。
「本郷君、あなたのことが好きになっちゃったの。私と付き合って…」
俺は当然その申し出を受け入れた。
天使様のお願い、即ちこれ天命。天命に背くなど下僕の俺にできる筈も無い。
そんな訳で麗香は彼氏である俺の事を名前で呼ぶようになったのだ。―――
こんな大ウソ信じる奴いると思う?
普通いないよね?
でもいたんだわこれが…一人だけ。―――隣の席の佐藤。
「ええっ~~~ッ! ホントに蝶野さんと付き合ってるの???」
眼をこれでもかと見開きながら、顎が外れそうになるぐらい大口を開けて佐藤は驚いていた。
あのさ、佐藤、そこ驚くとこじゃないからね。……ツッコむとこだからね。
疑うことを知らない穢れなき少年……佐藤。もはや天然記念物なみの希少価値がある。あいつがワシントン条約で保護されるようになる日もそう遠くはないだろう。うん。
まあそれは置いといて、蝶野さんがなんで「修二くん」と呼ぶようになったのか?
その原因は全て恭子にある。
恭子は俺達の幼馴染の関係が皆にバレてから、開き直るかのようにクラスでも俺の事を「修二」と大声で連呼するようになった。そしてそれがあまりにも自然な感じなので、クラスの皆もいつの間にやら俺の事を「修二」と名前で呼ぶようになったという次第だ。
あまり話したことのない奴からも名前を呼び捨てにされるようになったのだが、小学校の時も同じ理由で殆どの奴らが俺を名前で呼んでたんで別に気にもならない。
だから蝶野さんが特別と言う訳ではなく、今ではみんなが俺の事を名前で呼んでくる。………唯一の例外を除いてね。
「おはよう、本郷君。今日も暑いよね~」
なぜだか佐藤だけは未だに名字で呼んでくる。
……どうしてお前だけが名字で呼び続ける? 俺達って結構仲いい友達だったよな?
親友だと思っていた奴に裏切られた感が半端ないのは俺の気のせいだろうか?
「おっはー、修二。そこ邪魔だからどっか行って。何なら死んで。 あ、おっはよう~ 佐藤く~ん♡」
一番呼ばれたくない加賀美からは吐き捨てるように名前を呼び捨てにされ、もはや親友だと思っていた佐藤からは遠慮の塊のような態度を示される。どーしてこうも世の中は理不尽にできているのだろーか…。
俺と佐藤の間に割り込んできて、相も変わらず俺にケツを向けながら佐藤と楽しそうに話している加賀美。
やれやれといった感じで、俺は鞄から教科書やらノートやらを出す……ふりをしながら見てくれと言わんばかりの加賀美の短いスカートからチラチラと見える太腿なんぞをこっそり眺めていたら……っていやん。
後方から伸びてきた手が俺の右脇腹の秘孔をツンツンと刺激する。
蝶野さん、朝からご褒美を下さるのはまことに結構なのだが、俺の弱点をピンポイントで突くのだけは勘弁願いたい。思わずケツが10㎝ほど浮いてしまった。
俺が慌てて振り向くと、蝶野さんはクスクスと微笑みながら楽しそうに話しかけてくる。もはやこれが日常とでも言いましょうか、今日も相変わらずって感じでござる。
鞄の中身を机の中に移して朝の支度を整えると、いつものように蝶野さんとの会話が始まった。別にこれと言って話す話題も無いのだが、蝶野さんとの雑談から学校での1日が始まるって言うのが最近ではなんだか慣習のようになっている。
さて、今日もお美しい天使様と憩いのひと時を… と思って話し始めたのはいいが…。楽しそうに話している蝶野さんを眺めていた俺の視線は徐々に下に向かって落ちていき……。
「………お~い、修二くん起きてる?」
蝶野さんの声に思わずハッとして目が覚めた。
「どーしちゃったの? いったい…」
明らかに眠そうな俺を訝しいって感じで見てる蝶野さん。
「いえちょっと疲れてるもんで…」
寝落ちしそうだった状態から起こされた俺は、慌ててそう言い訳した。
「……疲れてる?」
「ん、まあね……」
「何かあったの? 凄く眠そうだけど?…」
「期末試験も近いでしょ? だから今のうちにやってやろうかなって思ってね。だけど昨日はちょいと集中しすぎちゃってさ…」
確かに昨日はやり過ぎた。はっきり言ってほぼ一睡もしていない。
だからこうして蝶野さんと喋っていても、ぼんやりとしてしまって意識が飛びそうになってしまう。
だが、俺の言葉を聞いた蝶野さんは目を輝かせながらずいっと俺の方に顔を近づけて来て、
「凄いね、修二くん! もう期末試験の勉強してるんだ…」
何だか知らないが「尊敬しちゃう!」って感じで俺をまじまじと見つめてきた。頑張る人へのご褒美とでもいうのか、可愛い微笑みを俺の方に向けてくる。
―――あのね、蝶野さん……
「そっかー、そうだよね。中間試験もあれだけ成績が良かったんだもん。やっぱ期末試験も頑張ろうって思うよね?」
―――いいえ思いませんって、全く。
「修二くんもとうとうやる気になったのかぁ~」
―――なってません、1ミリも。
「うんうん、修二くんなら絶対やれるって。 だから自信をもってね!」
―――自信をもって言います。……無理です。やれません。
蝶野さん、よく考えようよ…。
俺が良い成績をとれたのも全ては蝶野さんから養分吸い取ったおかげなんだよ? 寄生虫が自ら養分を生成しようなんて思う? 思う訳ないよね? 期末試験だって既に蝶野さんからの栄養補給を当てにしてるんだから…。
しっかし、いったい蝶野さんは何を勘違いしちゃったのか…。
確かにもうすぐ期末試験。だから俺は今のうちにやってしまおうと思った。
―――最近買ったゲームを。
この時期にゲームを買うのは無謀と知りながらも俺は衝動に負けてしまった。所謂クズの本懐ってやつね。
だが、買ってしまったものはしょうがない。それにやるなら今しかない。
だから俺は戦場に向かうことを決意した。
………待っていろ、パリジェンヌ。俺がナチスから解放してやる!
いざ行かん! ノルマンディーへ!―――
気合を入れていざ出撃!……そして3秒後に俺は戦死した。
いったいなにこれ?…って感じ。丘の上から無限に降り注いでくる無数の弾丸。
上陸用舟艇の扉が開いた瞬間に俺の体はハチの巣にされちゃった。そしてもう既に死んでいる俺に向かってそれでも銃弾は降り注ぐ。これぞまさしく死体蹴りって感じ。
アッタマ来た! 絶ってーオメーら全滅さしてやる!
それから俺は必死に頑張った。……生き残るための戦いを。
だが瞬殺されること5回、迫撃砲で木っ端微塵になること8回、地雷を踏んで吹き飛ぶこと10回、機銃で打ち抜かれた回数など数え切れないってぐらい。
俺は感じた。―――戦争ってマジやべー!
ノルマンディー…… あれはまさしくこの世の地獄だ。
だいたい身を隠すものが何にもない砂浜にほっぽり出されてどーやって生き残れっちゅーんじゃ!?しかも機銃掃射と迫撃砲と対人地雷のフルコンボ3点セットのおまけ付き。無理ゲーにも程があんだろ?
最初からやられっぱなしで腹の虫がおさまらない。
だからムキになってやりこんでいたら、知らぬ間に朝日が「おっは~」って言ってきた次第でございます。
これが実際の話なのだが、蝶野さんは俺が勉強していたと勘違いなさっている様子だ。
「そっか~、修二くんは遅くまで勉強を頑張ってたんだ… 偉いね、本当に」
でも勘違いしている蝶野さんは何故かご機嫌でやたらと俺を褒めてくれる。
「やっぱ俺も頑張らないといけないと思っちゃってさ……」
仕方ないので心にもない事を言ってみた。まあよくあることです、はい。
「修二くんは次の期末試験に向かってやる気十分って感じなんだよね…」
「………ええ、まあ、……はい」
正直やる気はない。だが、あなたから養分を吸わせてもらう気は十分って感じです。
「そうだ! だったらさ………」
いきなり大きな声でそう言いだした蝶野さん。何かを閃いたって感じで、
「修二くん、今度の期末試験は私と勝負しない?」
いきなり俺に挑戦状を叩きつけてきた。
俺と蝶野さんが期末試験の点数で勝負?
蝶野さん、あのさ………
コバンザメがホオジロザメに勝てると思う? 火縄銃でマシンガンに勝てると思う? そんなもん勝ち確0の超無理ゲーでしょ? 俺を虐殺したいんすか?
「い、いやそれは…… 俺と蝶野さんじゃ勝負にならないってか……」
「ウフフ… 大丈夫だって。 今の修二くんなら私といい勝負だよ」
蝶野さんはそう言いながらぐぐっと顔を近づけて、俺を勝負へ誘うかのように上目遣いでしっかりと見据えてきた。
「……………」
あっぶね。 思わず「はい」と言いかけちゃった。
俺を勝負に誘ってくる蝶野さんの顔があまりにも可愛すぎる。
蝶野さんの上目遣い…… 初めて見たがガチでやばい。破壊力あり過ぎだわ。
あの顔はもはや凶器って感じだ。男どもの心を一瞬で屠ってしまう。
だが俺は耐えた。耐えきったぞ!
5月の俺なら即堕ちしてただろうと思う。間違いなく。
だがしかし、7月の俺は違う! はっきりって俺は進化した。
この2か月の間で蝶野さんの美貌にもだいぶ慣れてきた。いくらアイドルを凌駕する美貌と言っても毎日間近で見ているおれレベルになると、もはやその程度の誘惑ぐらいで簡単に堕ちたりなんぞしない。
蝶野さん、残念だが君の「天使の微笑み」は今の俺に通用しないんですよ。
いや、それどころか現役のアイドルを相手にしても俺は簡単に靡いたりなどしない自身まである。
男としての成長ってやつか…… 随分おれも大人になっちまったもんだな。
ごめんな、麗香。―――
大天使様である君のプライドを傷つけるつもりなどないが、色香に惑わされて端から負ける勝負を受けるほど俺はもう未熟者では……………
「ね、やろうよ… 修二くん!」
「うんわかった…」
堕ちちゃった。 えへへ……
…………。
だって、だってね、みんな聞いてよ~ 蝶野たんズルいんだも~ん。
いきなり蝶野たんがねぇ、お手手握ってきたんだよ? しかも両手でがっしりと……。
いきなり前のめりになって、俺の右手を両手で包み込むように握りしめながら勝負を誘ってきた蝶野さん。「お手手にぎにぎ」からの「おねがぁ~い♡」という初歩的なキャバクラ技で俺は蝶野さんに瞬殺されてしまった。
これが伝説に聞く『ハニートラップ』というものか―――。
俺はまた大人の階段を一つ上った気がする。
誤字報告有難うございました。
またお気づきになられましたら宜しくお願いします。




