29. 蝶野さんと…
さて本日は土曜日、今日は蝶野さんのリクエストに応えて映画にご招待する日である。
朝の8時、少し早めにセットしたスマホの目覚ましボイスが大音量で鳴り響く。
「お兄ちぁ~ん… おきてよぉ~ 朝だよ~ 早く起きてくれたらね~ 舞子がキスしてあげる。それにね、いつものようにオッパイだって揉ませて……」
がばっと一気に起き上がり目覚ましボイスを止めた俺。
……ふッ…相変わらずこの目覚ましボイスは強力だぜ…
もしあのまま目覚ましを止めないと舞子が喋るセリフは官能小説も真っ青ってな感じになっていき、R15だったら確実にBANされる内容へと変化していく。
“変態の烙印を押されなくなかったらさっさと起きて止めろ”…これがこの目覚ましボイスのコンセプト。
これ作ったやつ天才だわ……マジで。
朝食を食べて顔を洗って朝の準備を終えると着ていく服を選んで支度を整えた。
待ち合わせは学校近くの駅、時間は11時。なので10時過ぎに家を出ても余裕で間に合う。
―――少し早めに出て女神さまをお出迎えしないと
そんな訳で早めに家を出た俺は待ち合わせの20分前には現地に到着した。
さて、女神さまのご到着をお待ちしましょうか…
スマホを弄りながら待つこと10分、ふと辺りを見回すと遠くの方から蝶野さんがこちらに向かっているのが見えた。まだ結構距離が離れているのに一発で蝶野さんを見付けた俺… まさに下僕の鏡といったところだ。
じっと彼女を見つめていると、彼女も俺に気付いたのか小走りになり、急ぐような感じでこちらに向かってきた。俺なんかのために急いでくれちゃって… も~う…可愛いんだから~♡
さてさて、いつもの慈愛に満ちた可愛い天使のスマイルでも拝ませて頂きましょうか…。
そんな期待に胸を膨らませて待っていると、やがて彼女は俺の目の前まで来て立ち止まった。
癒しの笑顔を拝見させてもらおうと彼女に視線を向けると、ちょっと俯き加減で表情が窺いにくい感じ。
あれ?…って思ってよーく彼女を見て見ると、華奢で小さな肩が少し震えているような…。
どーしたんだろ?… いつもに比べて様子がちょっと変なんだけど…。
―――も、も、もしかして… 俺のことを意識しちゃったり?
どっ、どーしましょ?…ぼく。 こんな美少女に惚れられちゃったの? マジ緊張しちゃうんですけど…。
やがてゆっくりと視線を上げて俺をしっかりと見つめる蝶野さん…。
俺に向けられた眼差しは……何かを訴えかけるような感じがして、俺は思わずゴクリと唾を飲み込んだ。
やがて彼女はその美しい唇をゆっくりと動かし言葉を紡ぎ始める…。
「―――どーいうこと?… 本郷君…」
キレッキレの蝶野さん。
優しさの片鱗もなく敵意の籠ったその口調、さらに天使ではなくどっちかと言えばデビルを彷彿させるその表情。俺の眼の前には羞恥に震える美少女ではなく、プルプルと怒りに震えている蝶野様がおわしました。
―――やっべーよ、これは所謂ガチなやつだ…。
どーしてこーなったのか?… そんなもん理由はあるに決まってる。
……あれは…確か1年前の事だったろうか… 嘘です。1時間前の事でーっす。
そろそろ家を出ようかなと思ってた時にラインが入った。
『この服装どーかな?… 似合ってる?』
いきなり蝶野さんから届いたライン。アプリを立ち上げてみると画像が添付されている。
ちょっくら拝見ってな感じで画像を見て見ると……
下はフレアスカート、上はタンクトップにオフショルダーといった姿でポーズを決めている蝶野さんの自撮り写真。
完璧なコーディネイト…特に少し胸元の開いた薄紫のオフショルダ―から露になる色白の素肌が何とも艶めかしく、肩ひもの細いタンクトップが少しだけそれを隠すので余計に色気を感じてしまう。そして相変わらずの完璧なスタイル…。
思わず1分ほど写真を眺めながら固まっていたボク…。
あまりの美しさに絶句して言葉も出ない。
―――しまった、…そういやすっかり忘れてた…。
蝶野さんの私服姿なんて一度も見たことなかった俺。そのあまりの破壊力に思わず度肝を抜かれた。もともと馬鹿みたいに美しいのに、さらに着飾ってお洒落なんかしたらどーなるか…わかりますよね?
俺は美少女の隣を歩いて他の男共から刺すような視線を受けることなんて今は気にしない。
そんなもん恭子と一緒に学校から帰る電車の中でいつもやられてるんで全然へーき。
だがしかし、これはダメ。 絶対にダメ!
もはやそんなレベルの話じゃない。軽く次元を超越している。
はっきり言って今の蝶野さんに勝てる現役アイドル何人いる?…って感じだよ?
街中でアイドルよりかわいい女の子を近くで見かけたら皆さんどーします?…
歩くのやめてガン見しますよね?… 俺だったら絶対するもん!
下手したら追いかけてくるまであり得るって…。
―――何とか阻止せねば…
このまま一緒に出掛けたら確実に俺は禿げる… そんなのヤダ。
取り敢えずあの服装を何とかしないと……
そこから俺と蝶野さんの攻防が始まった。
『さっきの服装はとても可愛かったよ。でも出来れば俺のリクエストも訊いて欲しいな~…』
そして俺は蝶野さんに着て欲しい服をリクエスト。それを聞いた蝶野さん…
『え~~ッ そんなの可愛くないよ~ やっぱり自分で選んだ可愛いやつがいい~』
『そ、そこを何とか…』
『やだ…』
そんな会話を繰り返していたのだが、俺の粘りと頑張りとド根性により最終的には蝶野さんが折れることになったんだけど…
やっぱ納得してませんよね?…
「全然可愛くないよ… こんな恰好…」
頬をプクッと膨らませて口を尖らせ不満ありありと言った恨めしい表情で俺を睨んでいる蝶野さん。
“文句言ってやろうじゃねーかこん畜生め!”ってな感じの心の声が聞えてきそう。
でもね、その恰好でも十分すぎるほど魅力的ですってば…。そんなに欲張っちゃいけません。
現在の蝶野さんの恰好はと言うと…
スリムのジーンズにタンクトップ、その上に白いシャツ、さらに鍔の長い帽子を被っている。
流石にこれは… とも思う。これでマスクとグラサン着用したらお忍びの芸能人か逃亡者の2択って感じだな。だが仕方ない。これも今日という日を平和に楽しく過ごすための我慢でござる…。
あとは俺の腕次第ってやつだな…
「で、でもほら… こうやって並ぶと同じような恰好だし… 仲良しって雰囲気が出てて良くない?…」
俺の恰好もジーンズにTシャツ、その上にお気に入りのシャツを羽織っている感じ。
同じような恰好って言うか、何処にでもいるやつの恰好と言った方がより正しい。
しっかし、…良いわけねーよな… 自分で言ってて苦しすぎる。こんな言い訳小学生にも草生えるって言われちまう。
俺の言葉を聞いて怪訝な表情で二人の服を見比べながらちょっと思案に耽っていた蝶野さんだが…
「―――言われてみれば……そうだね。雰囲気が合っててちょっといいかも…」
さっきまでの不貞腐れた表情が徐々に柔らいでいき、いつもの天使スマイルが戻ってきた。
“なに苦しい言い訳ぶっこいてんだ、このカスが!”…なんて感じの誹りを受けると思っていた俺は蝶野さんの意外過ぎる反応に逆に肩透かしを食らった感じだったが……ま、結果オーライ。
折角話は収まったんだしこれ以上1ミリでも余計なこと喋って機嫌損ねたらそれこそ藪蛇だ。
機嫌さえ直ればこっちのもん。さっさと出かけて楽しんじゃえば後は何とかなるでしょう…。
「んじゃ、そろそろ出発しようか?… 映画の時間に遅れちゃうし…」
「うん、行こう行こう…」
すっかり機嫌を直してくれた蝶野さん。いつもの可愛い笑顔で微笑みかけてくれる。
正直言ってちょっと申し訳ないと思う気持ちもあるんだけど……でもやっぱりあれは無い。
「ほら、本郷君… 行くよ!」
先に改札を通り抜け、振り向きながら笑顔で手を振る蝶野さん。帽子の下から覗かせる唇はいつもよりほんのり紅く、そして艶っぽい。
思わず魅了されそうになるその美しい唇で名前を呼ばれた俺は……視線を少しだけそらして必死に平静を装いながら彼女の後を追いかけていった。




