2-1 消えた少女と執念の男
翌朝。三月六日。火曜日。
俺は自宅のベットで横になっている。
昨夜――桟橋で見舞われた謎の不調。そのせいで結局、二咲を見失い当初の目的は達せられず、のうのうと帰ってきたのが今の現状だ。
静かな家。
小一時間ほど前に母が帰ってきて、ごそごそとしていたが今は物音一つない。恐らくもう眠ってしまったのだろう。
時計を見る。時刻は朝の七時過ぎ。
本来なら依頼主である稲瀬に昨夜の顛末を報告するべきなのだろうが、今回はしない方がいいと思う。もしかすると、二咲も家に帰っているかもしれないし、突如襲った身体の不調は外部による攻撃の可能性が高い――というか幻術攻撃で間違いないそうだ。
つまり俺たちが二咲が尾行するのを邪魔したいと思っている第三者が存在することになる。
そうなるとあまり稲瀬に二咲のことを話すのは上策ではない。いずれにせよ、稲瀬には学校で会った時に軽くお茶を濁す程度でいいだろう。
とりあえず顔でも洗って時間を潰そうと立ち上がる。
冷水を掌一杯に掬いおもいっきり顔面に叩き付ける。
引き締まる意識で再度、昨日の出来事を整理する。
午後九時半過ぎ。正面玄関から出掛ける二咲を捉え、追いかけることになる。臭いも人間そのもので魔族らしいところなんて一つもなかったが、やはり何を見ているかわからない空虚な目をしていたのが追いかけることを決意した大きな理由だ。
それから三十分ほど歩き、伏流町に向かう桟橋に行き着く。二咲はしっかりとした足取りで渡っていて、俺も渡ろうとした時、攻撃を受けた。
リラと碧波曰く、幻術による精神攻撃だそうだが、幻術という殺傷能力のない術を使ったことから犯人の目的は俺たちに喧嘩を売ることではなく妨害であったと見る方が自然だろう。
ここで一つの疑問が浮かび上がる。
浮かび上がる疑問。
それはいったい誰が、何の為にそんなまどろっこしい手段を用いて妨害工作を働いたのかということだ。
あの時、付近に漂っていた臭いはリラと碧波のものだけで、近くに――五十メートル圏内には魔術、呪術の使える存在はいなかった。となると、犯人は五十メートル以上離れた場所から攻撃を仕掛けてきたことになるが、そうなると俺の鼻も役に立たないので奇襲を受けたこと事体は不思議ではない。
だが。
俺には誰かに殺される理由はあれど、幻術を使われる理由はない。リラと碧波もないといっていた。
つまり。今回の犯人は二咲と何らかの関係がある者が尾行されたくないが故に起こしたものだろう。
行き着いた結論にまた嫌な妄想が糊のように脳内にへばり付く。
二咲の家の窓で目撃されたという魔族。
人を魔族に変えることのできる謎の存在。
もしも二咲とその謎の存在が繋がっているとすればそれは――
「ん」
タオルで顔を拭いていると振動するスマートフォン。
着信主はなんと稲瀬優奈だった。
◇
「もしもし。赤塚だけど」
電話に出る。こんな朝早くから電話を掛けてくるということはきっと良くないことがあったのだろう。
まあ、おおよその内容は予想できる。恐らくだが二咲の姿がないとか、そんな辺りだろうか。
「赤塚君。私です。稲瀬です。あの」
稲瀬は口調はかなり早い。どうやら嫌な予想は当たっているらしい。
「さっき楓ちゃんのおばあちゃんから連絡があったんだけど、楓ちゃんが家からいなくなっているって。あの、赤塚君は楓ちゃんがどこにいるか知らない」
「稲瀬。すまないけどわからない」
努めて冷静に告げる。二咲が行方不明になる前に見たという情報は言う必要がないのでもちろん言わない。
「そう……。わかった。何かわかったら教えてね」
「わかった。何かあったら教えるよ」
「……お願い」
電話が切れる。
やはり内容は二咲がいなくなったという内容だ。どうやら二咲は昨夜の外出から帰っていないことになる。
想定内とはいえ状況が悪いことには変わりない。昼間の俺は限りなく無力に近いし、無暗やたらと藪を突っつくのはよろしくない。
どうするか。
やはりいつも通り夜を待って行動するのがいいのか。それとも今すぐ探しに行った方がいいのか。
グルグルと思考が回転する。何が最善か。その曖昧な答えを求め考える。
その時――
インターホンが鳴り、間髪入れずにもう一度鳴る。何度も何度も鳴る。
動揺した俺は苛立ちを感じたままにモニタを確認することなく、扉を開け激しく後悔する。
「うるせ――」
「どうも。赤塚晃成君。元気そうだね」
優しげな声音でそう言い放つ中年の男性。手には警察手帳。姫野宮で一番嫌いな警視庁捜査一課の嘉田茂刑事だった。
× × ×
伏流町にあるとある公園。
そこは今朝早くから多くの野次馬と警官で覆い尽くされていた。人は増える一方でちらほらと報道陣も集まりつつあるようだ。
Keep Outと印刷された黄色いテープ。
それを潜り紺色のジャケットを羽織った一人の男が現れる。その様子を見た若い警官が近づき、
「お疲れ様です。嘉田さん。こちらです」
「おう。峯田。ガイシャの状態は。身元はわかってんのか」
「損傷が激しく身元の方はまだ。今鑑識に回している所です。それで、状態ですが直接見てもらった方が早いかと」
そう言って峯田刑事は殺害されたガイシャの元へと案内する。
青いビニールで覆われ外界から遮断された空間。そこにこの世の物とは思えない物体がある。
胴体から切り離された首と四肢。まるで最初から切り離されていたと見紛うほどその断面から覗く綺麗な紅。
「おー。こいつはまた。引き千切りと似てはいるが、綺麗に纏まっているな。凶器は何かわかってるのか」
呑気な声。嘉田刑事は普通じゃない死体を見ても物怖じ一つしない。
「恐らくですが、鋭利な刃物じゃないかと。これ以上詳しいことに関しては鑑識に回さないとわからないそうです」
「死亡推定時刻は」
「夜中の一時から二時の間だそうです」
「目撃情報は」
「ないですね。ここ最近、引き千切りの噂が横行してて、現に人死にもでてる。そのせいで夜中にうろついている人はめっきり減ってまして。今、付近の防犯カメラを洗ってるところです」
「第一発見者は誰だ」
「犬の散歩中のご婦人です。やたら犬が吠えるんで近づいたら血の海に浮かぶ肉塊を発見したと。連絡があったのは午前四時前。早いですね」
「そのご婦人はどこに」
「体調を崩されたみたいで、今は病院に。でも、さしあたって有力な情報はなさそうですね。本当に運悪く発見してしまったみたいで」
「そうか。しかし、あの日から日に日に物騒になっているじゃねえのか、この街は。まだ鎖怪人こと引き千切りも進展はねえってのに今度は切断か。どこに向かっているのかね、この街は」
そう呟く嘉田刑部。その時、一人の捜査員が峯田の元へ歩み寄り、耳打ちをする。
「嘉田さん。付近の防犯カメラの記録を当たっていた者からの報告なんですけど、昨夜事件現場付近で例の少年が目撃されています」
目を見開く嘉田刑事。
例の少年というだけで表情が百八十度変わる。先ほどまで湛えていた余裕は消え去り、燃え滾る何かが全身から溢れだしている。
「そうか。なら行くぞ。まだあいつも学校には行ってないはずだ」
時刻は午前六時半。
ようやく明るくなり始めた白空の下であったやり取りである。