第十六話 『いざ東京下町』より 前編
「・・・」
静まり返ったソフィの研究室で、生徒たちは黙ってたまま一点を見つめている。
いつもと違うのは、視線の先にいるのはソフィではなく志摩だということ。そして当のソフィは生徒たちに混ざって、緊張した面持ちで志摩を見つめていること。志摩は手に持った紙にチャックをつけている。
「ふぅ・・・」
窓の外の音がやけに遠くに聞こえるほど、長く静かに感じられた時間で志摩が息をつき手を止める。全員がピクっと動くが静寂は破られていない。
そんな一同に気がついてか、志摩が見渡すように話し始める。
「そう、固くなるなよ。安心しろ、全員合格だ」
そう言った瞬間、先程の空気が嘘のように明るくなり一同は花が咲くように笑顔になる。
「や、やりました!!はぁー・・・、こんなに緊張したのは何年ぶりでしょう」
「ほ、ほんとにほんとッ!?」
「後で嘘やっちゅー冗談やないんやな!?」
「なんだ、嘘だと言って欲しいのか?」
志摩にからかわれ咄嗟に口を手で塞ぐアンリとマリオを、三者三様に見つめるソフィたち。
いまソフィたちが合格したのは、外出許可試験(志摩監修)だ。一人ずつ、骨董屋『ろまん』の居間にて志摩が質問を行い、チェックシートに記入していく。交通ルールや基本的な法律等であるが、覚えておかないと警察沙汰になってしまいそうなものを試験に出した。
結果は全員合格。晴れて日本の街を歩けるというわけだ。もっとも、志摩に入国の合否を決める権限などあるはずもないので、目立つ行いは避けるよう注意してある。
「だがな・・・、いきなりこの人数はさすがに多いな」
「えぇ~!!ニホン行けないの?せっかくテスト頑張ったのにぃ」
「そうではなくてグループに分けるということではないですか?」
「リゼルの言う通りだ。約束は守るさ。そうだなぁ・・・」
ふと、思いついたように手元にあったコピー用紙を手に取り、器用に折り目を作って切り分けながら何かを書いている。志摩が振り返ると、右手で先程作った帯状の紙の端をまとめて握っている。
「順番にこのクジを引いて丸が書いてあれば当たりだ。誰から引く?」
「ハイ、ハーイ!私から引くよッ!!」
アンリを先頭に次々クジを引いていくメンバーたち。
その結果は
「あっ、当たりです!!」
「やりました」
「やっほーい!!」
「ぐっ・・・わたくしがこのような・・・」
「そんなぁ、堪忍してや」
「むっ!!うぅむ・・・」
「決まったな。三人には残念だが、来週には連れてってやるから」
どうやら当たりを引いたのはソフィ、リゼル、アンリの三人のようだ。落ち込むメリッサ、マリオ、エーリカをなだめて早速準備に取り掛かる。
ひとまず一同は『ろまんの扉』を通り骨董屋『ろまん』へ移動し、東京探索に出る三人にはそのままの格好では目立ってしまうので、二階の奥にあるソフィの部屋で着替えてもらっている。居残り組には録画した教育番組を見て自習ということにした。
「お茶はポットの中に入ってる。番組が終わるまで帰ってこなかったら、自主解散ということで頼む」
「絶対」
「戻っては」
「きませんわ」
「・・・頼んだぞ」
ジト目の三人をスルーしたところで、二階から階段を下りてくる音が聞こえる。
「お待たせしましたシマさんっ。準備完了です」
「ねぇねぇメリッサ!この服すごいよっ。こんなに伸びるんだよ!!」
「アンリさん。気持ちはわかりますがはしたないですよ」
ソフィはゆったりしたセーターにロングスカート、アンリもセーターだが下はミニスカートにニーハイだ。寒くないのかと志摩は頭を傾げる。リゼルは薄いピンクのワンピースと非常に愛らしい姿だ。
「それにしてもシマさん、よくあんなに女性服もってたね。もしかして・・・趣味?」
「んなわけあるか。着古した服を安く買える催しがあるんだよ」
アンリの発言に一瞬ざわついたが、すかさずツッコミを入れる。
服はそれぞれのサイズがわからないので、なるべくゆったりしたものをフリーマーケットで見繕ってきたのだ。ちなみにその時の売り子の顔は・・・思い出すだけで志摩は泣きたくなってきた。
「ほら、準備できたんなら行くぞ」
「はい。シマさん、よろしくお願いします」
「ではみなさん。行ってきますね」
「皆お土産楽しみにしててね」
―――
――
―
「よしっ。それじゃ皆はぐれるなよ。・・・ソフィ?」
「は、はいっ。なんでしょう!?」
家から出て勝手に歩き回らないか心配した志摩だったが、三人ともあっけらかんとして立ち尽くしている。一番心配だったアンリでさえ、借りてきた猫のようにおとなしい。
「いや、はぐれないようにしっかり二人を見ていてくれ」
「はい、すみません・・・」
気を引き締め直したソフィを見て、志摩は歩き出す。
見るもの全てが新しい世界で摩訶不思議な世界に住む三人はキョロキョロして落ち着かない。そして、大きな通りに出ると三人の視線は上を見上げて固まってしまった。
そこには、繋ぎ目のない石でできた巨大な建物や道が広がり、大勢の人や車が行き交っている。その時、ちょうどトラックが唸りをあげて通過したため、ぼーっとしていたソフィたちは思わず身構えてしまう。
「テ、テレビや本で見ていましたが、実際生で見ると・・・」
「はい。なんというか、すごいですね・・・」
「体が震えちゃうよ」
志摩は初めての日本でおっかなびっくりしている三人を見て、自分も初めて研究室の外に出てた時も言葉にならなかったなと少し感慨に耽っていた。
最寄りの駅に着くと、川沿いに引かれた線路を走る電車を橋の上からはしゃいで見ている三人。
「あれが人員、物資の大量輸送を可能にした『テツドウ』ですね」
「すごい人・・・。今からアレに乗るの?」
「そうだが、まずはどこに行くか決めよう。言っておくが金はそんなにないから場所は限られるがな」
「オートバイ、オートバイッ!!」
「科学を学べるところを是非っ」
「アンリは落ち着け。ソフィもわかった。リゼルはなにかあるか?・・・リゼル?」
振り返ると、リゼルは橋の中程で遠くのビルを見て放心していた。よく見てみると、リゼルはビルの隙間から見える何かに目を奪われているようだ。三人が並んで同じ方向を見てみると
「あぁ。あれか」
「嘘・・・」
「あれって・・・」
二人も言葉を失うもの、それは世界一高い電波塔としてギネス記録にも載った『東京スカイツリー』である。
「・・・あそこにするか?」
ソフィ、アンリ、リゼルは無言で頷いた。
それから四人は初めての改札や電車の乗り降りに戸惑いながらも目的地にたどり着くことができた。切符を改札に入れるたびに手まで巻き込まれるのではないかとビクビクしていたが、駅を出ると実に晴れやかな笑顔になる。
「着いたッー!!」
「あの速さでこの時間ですと、本当にそれなりの距離があったんですね」
「アンリさんが歩いて行こうって言いだしたのを、シマさんが止めたのは正解だったんですね」
スカイツリーはその巨大さゆえ、距離感が狂うことがよくある。『これくらいなら歩いていけそう』と思っても、どれほど歩いても全くたどり着けないなんてことも。
「おー。こんだけ大きいと、驚いていいやら呆れていいやら」
「そんなに仰け反って、倒れるなよ」
「そんな、ソフィ先生じゃあるまいし・・・」
ドテッ!!
音と共にソフィの方へ振り返った二人だが、ソフィは平然と立っていた。
「な、なんですか二人共っ!?私そんなに転んでませんよっ」
「あれ?先生じゃない」
「というと?」
振り向くとお尻を抑えて俯くリゼルがいた。
「あの・・・すみません」
「まぁ、そんなこともある。気をつけるんだぞ」
「リゼル先輩が来たかったんだもんね」
「なんか、私の時と扱いが違いませんか!!?」
兎にも角にも、一同はスカイツリー内の散策へと移る。見るものすべてに目を輝かせていると、リゼルがふとこちらに向き直った。
「シマさん。あちらに人が大勢向かっていきますがなにかあるのですか?」
「あっちはチケット売り場だ。展望台へ上がるためのな」
「展望台って・・・、もしかしてこの塔登れるんですか!?」
「あぁ。・・・登ってみたいのか?」
「いえ、あの・・・」
「・・・もう少し見たら二人を連れて来い。先にチケット買ってるから」
「あっ・・・はい、ありがとうございます」
お礼を言うと軽やかに二人のもとへ駆けていく。その後ろ姿を見送りながら、志摩はやれやれと頭を掻きながら銀行へ向かうのだった。
「わぁ!!すっごーーーい!!!」
「こ、これは高すぎて脚がすくみそうですね」
「・・・」
高速エレベーターに乗ったあたりからテンションが上がり続け、展望デッキに着く頃にはピークに達していた。地上約350mから見える東京の風景に三者三様ながらも感激した様子だ。
「先生っ、あっち見てくるね」
「あ、アンリさん。すみませんシマさん、私見てきますね」
「あぁ。リゼルはこっちで見とくからそっちはあとでここに集合な」
二手に別れ、せわしないアンリの監督についたソフィ。一方こちらは正反対で、先程から一言も喋らず東京の風景を眺めている。
「・・・高いですね」
「そうだな」
「いつか大きくなって世界を見てみたいとは言いましたが、これは高すぎですよ」
少し笑いながらリゼルが振り向く。
「シマさん。本当にありがとうございます。私はこの日を一生忘れません」
「そんな大げさなことじゃないさ」
「いいえ。シマさんは私の夢に自信を持たせてくれます」
「・・・」
「シマさんの夢が見つかったその時は、私にお手伝いさせてくださいね」
「・・・そうだな」
簡潔に一言で応え、二人で展望台を見て回った。あらかた見終わったあとはソフィとアンリの二人と合流してスカイツリーをあとにした。まだ見ていたそうな感じはあったが、また連れてくると言ったのもあっておとなしく従った。
その後は下町散策を続けながら歩き回り、途中で大型書店に寄ることにした。一人一冊までプレゼントすると言ったらアンリは雑誌コーナーで悩み続け、最近平仮名を読めるようになってきたリゼルは機械系の本を、そして簡単な漢字なら読めるようになったソフィは本屋の中を練り歩いている。走らないのは彼女の良心なのだろうが若干目が怖い。
結果、アンリはオートバイの月刊誌、リゼルは機械工学の本を、そしてソフィはなぜか『特殊メイクの世界 入門編』という本を手にして頭を傾げている。おそらく悩みすぎて自分でもなぜこれを選んだのか分かっていないのだろう。
「ほら、歩きながら読むんじゃない」
「はーい。ところで、このあとはもう帰るの?」
ちょっと物足りなさそうに聞いてくるアンリに志摩は振り返ることなく返す。
「いや、帰る前にメシにしよう」
志摩の言葉を聞いて三人の表情に明るい色が浮かぶ。
「シマさんの料理も好きですけど、こっちの世界の他の料理も楽しみです」
「ワショク?と言うものでしょうか?」
「いや、洋食だ。だが味は保証する」
楽しくおしゃべりする三人を連れて志摩は馴染みの洋食屋『だんでらいおん』の扉を開いた。




