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第1話 治癒の才を持たぬ娘

治癒の才を持たずに生まれた令嬢が、魔法を使わず"段取り"だけで施療院の死者を減らしていくお話です。ざまぁは中盤、溺愛はじっくり。よろしければブックマークで見守っていただけると嬉しいです。


「――君には、治癒の才がない」


 広間の中央で、そう言い渡された。


 婚約者だった人の声は、驚くほど静かだった。まるで、天気の話でもするように。責める色も、惜しむ色も、そこにはなかった。ただ、決まったことを、読み上げているだけの声だった。


 エルナ・フォン・グラーフェンは、顔を上げなかった。


 治癒魔法の名門、グラーフェン家。国じゅうの傷を癒やしてきた一族。その屋敷の広間には、いつものように、白い光が満ちている。壁に飾られた歴代の癒し手たちが、金の額縁の中から、静かに見下ろしていた。


 その一族に、たった一人。


 魔力を、まったく持たずに生まれた娘がいた。


「ローゼンハイム家は、癒し手の血を残さねばならない。……分かるだろう、エルナ」


 ギルベルト・フォン・ローゼンハイム。治癒名門ローゼンハイム家の嫡子で、宮廷ヒーラー。金色の髪に、非の打ちどころのない笑み。広間に立つだけで、誰もが振り返る、光のような人だった。


 その光が、いま、こちらを一度も見ていない。


「才のない者と添うわけにはいかない。……家のためだ。分かってくれるな」


 家のため。


 その言葉を、エルナは十九年、聞き続けてきた。魔法が使えないと分かった六つの年から、ずっと。何をしても、どんなに本を読み、薬草を覚えても、返ってくるのは同じ言葉だった。おまえは、家のために、静かにしていなさい、と。


「異存は、ありません」


 エルナは、静かにそう答えた。


 声は震えなかった。震える理由が、もう、どこにもなかった。期待されたことのない娘に、失うものは初めからない。悲しむには、悲しむだけの何かを、先に持っていなければならないのだ。


 広間の隅で、父が、そっと目をそらした。母は、扇で口元を隠していた。ずらりと並んだ親族の誰一人、庇う者はいなかった。憐れむ視線すら、なかった。ただ、厄介ごとが片づく、という顔が、そこにあった。


 ただ一人――もう、この世にいない祖母だけが、かつて、この娘を見ていた。


 エルナは、深く、一礼した。そして、白い光の広間に、背を向けた。


「無能が」


 背中に、ギルベルトの声が、かすかに届いた。ひとりごとのつもりだったのだろう。取り巻きの誰かが、それに、小さく笑った。


 エルナは、足を止めなかった。振り返らなかった。


 ――言い返す言葉は、持っていない。


 持っていないけれど。


 扉を抜ける間際、エルナは、無意識に、広間の人数を数えていた。二十七人。窓は四つ。出口は二つ。癖だった。物の数と、位置と、順番を、目が勝手に数えてしまう。役に立ったことなど、一度もない癖だ。けれど、こうして数えていると、不思議と、心が静かになった。


    *


 行き場は、なかった。


 嫁ぎ先を失った令嬢に、実家は、居場所を用意しなかった。かわりに与えられたのが、王都のはずれにある建物への「奉公」だった。


 宮廷施療院。


 王立の、傷を癒やす場所。負傷した兵、宮廷に仕える者、そして門前に転がり込む貧しい人々――治療を必要とするすべてが、身分の別なく混ざり合って、運ばれてくる。


 名門の令嬢が、下働きに落とされる。体のいい追放だった。誰も、そうとは言わなかったが、誰もが、そう思っていた。


 だが、施療院の扉をくぐった瞬間、エルナは、追放されたことを忘れた。


 ――なんだ、これは。


 中は、地獄だった。


 うめき声。血と、汗と、薬草の混ざった匂い。担架が廊下にまで並び、寝台が足りず、床に直接寝かされた者もいる。白衣の癒し手たちが、患者の傷に手をかざしては、光を灯していく。裂けた肌が、みるみる塞がっていく。


 治癒魔法だ。奇跡のような技。何度見ても、息を呑む光景だった。


 だが。


 エルナの目は、その奇跡の"あと"を、追っていた。


 傷を塞がれた兵が、寝台の隅へ運ばれる。癒し手は、もう、次の患者へ移っている。塞がれたはずの兵は、しばらくして、また、苦しみ始める。塞いだ肌の下で、何かが起きている。けれど、誰も、気づかない。誰も、戻ってこない。


「――そこの人、まだ息があります」


 気づけば、エルナは、声を上げていた。


 壁際に寝かされた、若い兵。傷は塞がれている。だが、顔色が、急に白い。汗が、玉になって、こめかみを伝っていた。


「かけたばかりだ。もう治療は済んでる」


 通りかかった癒し手が、面倒そうに言った。手も、足も、止めずに。


「魔法をかけたら、それで終わりだ。次を診なきゃならん。……見て分かるだろう、この数を」


 そして、行ってしまった。


 エルナは、動けずに、立ち尽くした。


 兵の呼吸が、浅くなっていく。塞がれた傷の下で、確かに、何かが起きている。けれど、それを見ている者は、この広い施療院に、一人もいなかった。いつ運ばれて、いつ悪くなったのか。誰も、数えていない。


 ――これは。


 喉の奥が、静かに痛んだ。婚約破棄されたときにも痛まなかった、その場所が。


 これは、魔法の問題ではない。


 魔法は、確かに、傷を塞いだ。塞いだあとに、誰も見ていないだけだ。誰が、いつ、どんな順で運ばれ、どの傷が、いつ悪くなるのか――誰一人、数えていないだけだ。


 エルナは、床に、膝をついた。


 兵の額に、手を当てる。熱い。上着を脱いで、丸め、冷たい床のほうへ、その体を、そっと傾けてやる。桶の水を含ませた布を、乾いた唇へ。


 できることは、それだけだった。魔法は、使えない。才は、ない。


 それでも――兵の呼吸が、ほんの少しだけ、深くなった。


 窓の外で、誰かが噂していた。戦線が悪化している、と。運ばれてくる傷病者は、増える一方だ、と。軍の医官――冷徹で知られる、あの軍医団長すら、戦場では、救える者だけを選んでいるらしい、と。数で切り捨てる男だ、と。


 エルナは、それを、聞き流した。いまは、目の前の、この一人だけだった。


 ――私は、治せない。


 でも。


 治せる人が、間に合うように、場を整えることは、できるかもしれない。


 ふと、遠い日の声が、耳の奥でよみがえった。膝に乗せてくれた祖母の声だ。「エルナ。おまえの目は、よく見える目だよ」。一族で、たった一人、この娘を見ていた人の、声だった。


 無能と呼ばれた娘は、地獄のような施療院の床で、初めて、自分の癖に、意味を見つけた。


はじめまして。第1話をお読みくださり、ありがとうございます。

魔法の使えない令嬢が、たった一人「数える」ことから始めます。

続きは毎日更新でお届けします。少しでも気になりましたら、ブックマーク・評価をいただけると励みになります。


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