超優秀な右腕と怠けたい主
朝の十大大臣の定例会議が終わり、ロランは執務室でゆったりと椅子に腰を下ろした。机の上の報告書をちらりと睨みつつも、どこか気楽な表情だ。
「さて……財務会計部の、あの男性職員の件はどうなったかな……」
昨夕、騎士たちに捜査を依頼しておいた。順調にいけば、朝一番で報告が届くはずだ。
だが、もしかすると、リーマの仮説は外れてしまったのかもしれない。
「ま、仕方ないか……」
ロランは軽く肩をすくめた。
たまたまルーカスの件で立てた仮説が当たっただけだ。この盗難事件まで、そう都合よくいくとは限らない。
今日、ジルたちは女性職員の周辺を捜査する予定になっている。そこから何か手がかりが見つかるかもしれない。今はそれに期待するのが、いちばん賢明だろう。
ふと、あのときのことを思い出す。アーロンの勢いに押されて、つい、口にしてはいけないことまでリーマに話してしまった。本来なら、外部の者に明かすべき内容ではなかったが――
……まあ、あの時は、リーマの仮説に賛成していたのだから、仕方ないか。
ロランは報告書に視線を落としながら、窓の外に差し込む朝の光を、ぼんやりと眺めた。
(今日も、忙しい一日になりそうだな)
『コンコン』
ノックの音がすると、ロランの右腕、ジョセフが顔を出した。
朝の報告の時間だ。
「旦那様、定例会議お疲れ様です。本日の定例会議は、バンデの感染病の件のみで、他に大きな議題はなかったのですね」
そう言ってから、ジョセフは少しつまらなそうに嘆息する。
「新しい議題がなくてよかったんじゃないか?仕事が増えなくて助かったんじゃないか?言っとくけど、新しい議題が出たら大変なのは君だからね~」
ロランは肩の力を抜き、少しにやりと笑う。
「毎回そうですが、なぜ大変なのは旦那様ではなく、私なのか、まったく理解できません」
ジョセフは眉をひそめた。
「君は私の右腕だからね~」
ロランはのんびりと、しかしどこか得意げに答える。
「もはや、私が十大大臣になるべきでは?」
「えっ!?なってくれるのか!?じゃあ、今すぐ交替しようか!?」
テレンス伯爵家の当主は、隙あらば怠けたいのである。
「……いいえ。私が十大大臣になっても、結局、今の苦労は変わりません」
一拍置いて、淡々と続ける。
「むしろ、今より大変になるだけです。旦那様は、おそらく"まったく頼りにならない右腕"になるでしょう」
ジョセフの言葉に、ロランの目がわずかに輝いた。
「君の言葉は相変わらず刺さるね〜。今日も絶好調じゃないか~」
ロランは笑いながら、なぜか少し誇らしげだ。
「まったく……ウィリアムズが羨ましいです」
「君もウィリアムズと同じだよ。十大大臣の、超優秀な右腕だ!自信を持て!」
「反省していないようですね」
いつものことながら、また"超優秀な右腕"に呆れられてしまった。
ロランは心の中で、――まあまあ、今日は平和で何よりだな。
と、軽く思うのだった。
「まあまあまあ、新しい議題がないということは、我々が平和ってことだ。騎士団から何か報告はなかったのか?」
のんびりした口調の裏には、少しだけ興味と好奇心が隠れている。
「ええ、大変面白い報告がございます」
ジョセフは一拍置いてから続けた。
「どうやらリーマ様の仮説どおり、台帳盗難事件の犯人は財務会計部の男性職員のようです。昨夕、騎士が犯人と思われる男を連行し、現在は騎士団本部で取り調べを受けています」
「やったぁ!」
ロランは思わず万歳した。
(リーマちゃん~。さっきちょっと失礼なことを考えちゃってごめんね~。後で王都で一番美味しいお菓子を持って行ってあげるからね~)
「その職員は数冊の台帳を盗みましたが――我々の推測どおり、狙いはルーカスに関する台帳だったそうです」
ロランの動きが一瞬、止まる。
「ただし、その台帳はすでに誰かに渡しており、自宅にはありませんでした」
「……なんだと?」
「ええ。残念ですが、犯人は見つかりました。しかし、肝心のルーカスに関する台帳は、行方不明です」
ジョセフは、相変わらず落ち着いた口調で報告する。
(……これは、普通に重大事件だぞ)
だがロラン自身は、その"消えたはずの台帳"に、なぜかそこまで焦りを覚えていなかった。
あの台帳そのものは問題ではない。
だが、王宮の内側に手を伸ばす者がいるという事実は、厄介だ。
その穴を、早く潰さなければならない。
そう思いながら、引き出しを開け、あるものを取り出す。
「じゃあ~、これを盗みに走らせるほどの"何か"が書かれているってことだな。もう少し調べてみようかな~」
ロランは一冊の台帳を手に取り、ふらふらとジョセフに見せびらかすように掲げる。
どや顔もした。
(ほら、私はたまにはいい仕事もするだろう?)
「あれは……」
ジョセフの視線が、すっと冷える。
「なぜ旦那様が、ルーカスの台帳をお持ちなのでしょうか?しかも、私に黙って?」
ロランの背筋に、ひやりと冷たいものが走った。
(しまった!)
――超優秀な右腕に拗ねられるのは、非常にまずい。
「いやいやいや!拗ねるな!拗ねないでくれ!言うタイミングがなかっただけだ!わざとじゃないからな!」
ロランは慌てて両手を振る。
「ほら、アーロンがルーカスを逮捕しただろ?それで、台帳に何か面白いことが書いてあるかもしれないと思って、ちょっと借りてきただけだ!」
必死に言い訳するロラン。
「ルーカスの逮捕から今日まで、何日も経っていますが……」
ジョセフは淡々と続ける。
「その間、話すタイミングが一度もなかったと?」
今日のジョセフも、相変わらず容赦がない。
(ほんと、よく主にそんなこと言えるよな……)
「そ、それ……聞いちゃう?」
「……はぁ。もしその話をしてくださっていれば、私が調べて、何かわかっていたかもしれませんよ」
「まったくそのとおりだ!では、よろしくな!」
ロランは即座に台帳を差し出した。
反省の色は、まったく見られない。
「この台帳にな、どうしても説明のつかない金の出入りがあるんだ。金の流れ自体はある。
だが、誰が、どうやって、何を取引して、その金がルーカスの元に入ったのか――それがまったくわからん」
「ほう~?」
「なんだ?」
「旦那様が、ちゃんと仕事をしていたとは……感動しました」
「ふふふ、当たり前だ」
ロランは胸を張り、堂々とどや顔をする。
超優秀な右腕に多少皮肉を言われたところで、へこたれない。
それがロランという男の信条だった。
「あの職員は、偽台帳を誰かに渡したと言っていたな。その"誰か"は?」
「残念ながら、そこは不明です。職員は、正気に戻った時には自宅に戻っていて、ルーカスの台帳も手元になかったと。犯行自体の記憶はありますが、誰の指示で動いたのかは覚えていないそうです」
「覚えていない……か。それは、あの麻薬団員と同じだな。誰かにカレル森に連れて行かれた。だが、誰なのか誰の指示で動いたのか覚えていないと言っていたな」
ロランは腕を組む。
「つまり、この盗難事件と麻薬事件は、繋がっている可能性が高いということだな」
「ええ。ルーカスも麻薬事件に関与しています。関係していると見ていいでしょう」
「他に情報は?」
「現在、騎士が調査中です。この後に何か追加情報があるかもしれません。続いて、バンデの流行病の現状ですが……」
「あぁ……また百人もの市民が亡くなったそうだな。それは保健省のショーン大臣の管轄だが、財政支援は我々の役目だな」
ロランは小さく息を吐き、浮かんでいた笑みが消えた。
この手の報告には、さすがに軽口も出ない。
「近いうちに、医者や看護師が不足するでしょう。水の魔法使い、風の魔法使い、浄化系の魔法使いも、次々とバンデへ派遣されています。これに伴い、人件費の手当て申請が出される見込みです。旦那様が承認なさる必要がありますので、お忘れなきよう」
「もちろんだ。バンデに向かっている魔法使いたちの状況を調べてくれ。ショーン大臣からの情報と要請と、照らし合わせて確認したい」
「かしこまりました」
「よし。では、私は一旦席を外す。直接アーロンに会って、ルーカスの件を話してくるよ。あいつのところに、何か情報があるかもしれん」
「ほう~?」
「……なんだ、また」
「旦那様が、ここまで仕事をするお姿を見るのは珍しいもので。感服いたしました」
相変わらず、堂々と主人を貶す右腕である。
(これでも十大大臣なんだがな……)
ロランは立ち上がり、軽やかな笑みを浮かべて指を鳴らし、ジョセフを指さす。
「やはり君は私の超優秀な右腕だ。よく私を見ている。大変よろしい!」
そう言って、執務室を出ていく――が。
「あ、そうだ。王都で一番美味しいお菓子を、リーマに届けてくれる~?」
扉を開けたまま、ひょいと顔を出して尋ねる。
「……お礼ですね。承知しました」
ジョセフは呆れたように、静かに嘆息した。
「アーロン~、入っていいか?」
ロランはノックもせずに扉を開け、そのまま勝手に執務室へ入ってきた。
「あの職員のこと、なんか情報ある?」
軽やかな足取りでソファへ向かう。
まるで自分の部屋であるかのように腰を下ろし、許可もなく話を始める。
「ロラン!返事をもらってから入れ!ノックもしろ!おまえは腐っても十大大臣だぞ!」
「固いな~、俺とおまえの仲だろう?気にするなよ」
「はぁ……」
アーロンは心底、この幼馴染に呆れた。
「あの職員の情報か……」
軽く眉間に皺を寄せる。
「自分が何をしたのか、まったく記憶にないようだ。記憶を消されている可能性がある。もしそうだとしたら、かなり厄介だな。記憶を消す魔法は珍しいし、使い手を特定するのも難しい」
一度言葉を切り、続ける。
「どんな魔法を持っているかは個人の秘匿事項だ。魔法が使われたと分かっても、誰の仕業かまでは追えない」
「だよな……」
ロランは顎に手を当てた。
「台帳の保管場所を知っているってことは、王宮関係者だってことだよな。何か目星は?」
「……おそらく……我々と同じくらいの立場の人間だと見ている」
「……うん?十大大臣の誰かってことか?そんなことは……」
「あり得るだろ?」
「……まあな」
ロランは顔を顰めた。
「こりゃ面倒だな」
「おまえの方はどうだ?ルーカスの台帳が盗まれたが」
「あぁ、いいよいいよ。あんなもの、盗まれてもどうでもいい」
ロランはひらひらと手を振り、まるで気にしていない様子だ。
「もともと本物の代わりに、偽物を置いてただけだしね~」
「……盗まれたのは偽物だったのか?」
「そうそう。おまえがルーカスを逮捕したから、念のため調べようと思ってさ。裏の犯人も、今頃気付いて焦ってるんじゃない?」
ロランはくすっと笑った。
「まったく……。それで、台帳を盗むほどの何かがあるのか?」
「あぁ。怪しい金の流れがあるよ。今、我が優秀なジョセフに深掘りしてもらってる」
「なるほど。何か分かったら教えてくれ」
「了解~。じゃあね~」
ロランは来た時と同じように、風のように執務室を後にした。
――自由すぎる。
アーロンは、右腕のジョセフに静かに同情した。
「相変わらず、ひょうひょうとして、風のようなお方ですね~」
自席からその背中を見送り、ウィリアムズが感嘆する。
「あいつ、もう若くないんだから、少しは大人しくしてほしいんだが……」
アーロンはそうぼやき、深いため息をついた。




