騎士団、女神来訪につき
「おい、あっち見ろ!あの子、だれ?……可愛い」
リーマが訓練場に足を踏み入れた瞬間、騎士たちは一斉に練習を止め、勝手に盛り上がり始めた。
「り、リーマちゃんだ!俺に会いに!?リーマちゃーーーん!」
アレックスが大きく手を振り、大声でリーマを呼ぶ。
だがその声は、彼女に届く前に空しく空気へ溶けていった。
「なわけあるか!?あのカイテルを見ろ!」
「クソカイテルっ!リーマちゃーーーん!」
ザインも同じように叫ぶが、やはりリーマの耳に届くことはない。
「うわぁ、あの笑顔、可愛すぎる〜」
「め、めがみ……」
「俺の、、初恋だ……」
「おい!マーティス!あの子は誰?カイテルたちと一緒にいるなら、知っているんだろう!?」
一人の騎士が、マーティスを捕まえて詰め寄った。
「俺のリーマちゃんだよ。相変わらず可愛い~」
アレックスが、うっとりとした声で言う。
「リーマちゃんというのか?よっし、じゃあ、挨拶に行く」
「あの子のことは諦めろ」
マーティスは、感情の抜けた声で言い放つ。
「おまえたちは、いくら頑張っても、その初恋が叶うことは――百回死んでも、ない」
「待て!リーマちゃんはどこに住んでいる?答えろ!」
「うるさいな。あの子にちょっかいを出すなよ」
「女神~、ちょっと話しかけ――」
一人の騎士が前へ出ようとした瞬間、マーティスが首根っこを掴んで引き戻した。
「あの子は、もう約束されている。殺されたくなかったら、騎士団をクビになりたくなかったら――関わるな」
「約束って誰とだよ!?ただの約束だろ!?」
「騎士団をクビってどういう――」
「しつこい」
マーティスはそれ以上相手にせず、リーマたちのほうへ歩いていった。
「わぁ……弓も使えるんだ……勝利の女神みたいだ」
「麻薬団員とも戦ってたんだよ~。理想の奥さんすぎる~」
「夢は寝てから見ろ」
「話しかけてみ――」
言いかけた騎士たちの視線の先で、カイテルが優しい目で、リーマの額の汗を拭いていた。
「……約束されてるって……まさか、カイテルか?」
「あの野郎……いつも、いつも……」
「見せびらかすんじゃねぇ……」
「さっきの"クビ"って……アーロン大臣絡みか……?」
「……頭、撫でてない?」
「頬も……?」
「あんなデレたカイテル、見たことない……」
「日陰まで作ってる……」
「……うらやましい……」
「はいはい、カイテルを狙っている人、そろそろ諦めな」
「自己紹介したら、名前覚えてくれるかな……」
「何をすればあんなに愛されるの……?」
「あんなきれいな人……勝てない……」
「ジルの野郎……手加減しろ!リーマちゃん頑張れ!」
その応援が、本人に届くことはなかった。
リーマは、自分が大量の視線と声援を浴びていることに、まったく気づいていない。
***************
手合わせが終わっても、訓練場の騒ぎは収まらなかった。
だがその喧騒は、訓練場の端に行くにつれ、ただの背景音へ変わっていく。
その少し離れた場所で――
マーティス、ジル、ファビアンの三人は、カイテルとリーマから距離を取り、腰を下ろして休んでいた。
「……どうして、連れてきたんだ」
マーティスが、騎士の群れを見ながらため息をつく。
「あいつら、リーマを見た瞬間から、可愛いだの女神だの初恋だの……大騒ぎだぞ。
こうなるって分かってたから、今まで連れてこなかったんだろ?」
「はははっ!」
ジルが即座に笑った。
「カイテルは絶対に連れてきたくなかったんだよ。
でもさ、リーマが来たがった。あいつ、断れるわけないだろ?」
「カレル森の任務や、ディル薬の件で、存在はもう知られてたしな」
ファビアンが苦笑する。
「その時点で、こうなる運命だったんだ」
「今日で完全に知れ渡ったな。もう止まらない」
「麻薬事件で、王城の上の連中にも、リーマの存在は知られてる。これから大変なのは――まあ、カイテルだな」
三人の視線の先では、カイテルが自然な仕草でリーマの汗を拭いていた。
「……見せつけてるな」
マーティスはぼそりと言う。
「結婚申込の話、もう来てるってさ。さすがだね~」
麻薬工場はいくつも見つかり、犯人も逮捕された。
だが、麻薬依存の治療だけは前代未聞だった。
その方法を知るリーマの存在は、王族や幹部の間でも知られ始めている。
「才色兼備。そりゃ狙われる」
「庇護がなきゃ即囲われてる」
「まあ、王城で働くなら遅かれ早かれだよ」
「今のうちに、敵を減らしてるってわけだ」
「言った傍から、来たよ〜」
ジルが顎で示す。
勇気だけは一人前な数人の騎士が、リーマへ向かって歩き出していた。
「勇者だな」
「命知らずだ」
「……あ、カイテルの顔、鬼になった」
「あんなに見せつけても、まったく効果がなかった……か」
三人は同時に視線を逸らした。
「これから、もっと大変になるぞ」
「王城で働き始めたら、騎士だけじゃ済まないだろうな」
「貴族も参戦だね〜」
マーティス、ジル、ファビアンは、遠巻きに――しかし確信をもって、
リーマとカイテルを見守り続けていた。
******************
――その頃。
「……?」
リーマは、小さく首をかしげていた。
(なんだか……騒がしいような……?)
訓練場のほうから、ざわざわとした声が聞こえる気がする。
気のせいだろうか。
「どうしたの?」
カイテルが、穏やかな声で尋ねてくる。
「いえ……なんだか、皆さんが元気だなぁ、と思って……」
そう言って、リーマはきょろきょろと周囲を見回す。
視界の端では、なぜか騎士たちが一斉に目を逸らしたり、
拳を握りしめたり、膝から崩れ落ちたりしているのだが――
「……?」
理由は、さっぱりわからない。
「訓練って、終わった後も大変なんですね」
リーマは、どこか感心したように言った。
「……そうだね」
カイテルは一瞬だけ言葉に詰まり、すぐに何事もなかったような顔で頷く。
「じゃあ、少し休もうか。水、飲んで」
「はい、ありがとうございます」
リーマは素直に水を受け取り、こくこくと飲む。
その背後で、
「くそ……無自覚……」
「罪深すぎる……」
「女神は自覚がないから女神なんだ……」
そんな騎士たちのうめき声が上がっていることも――
リーマは、まったく知らなかった。
***************
「よ、よし……!」
騎士の一人が、拳をぎゅっと握りしめた。
「い、今だ……!今なら……!」
深呼吸一回。
二回。
三回――
「リ、リーマちゃん!」
意を決して、一歩踏み出した、その瞬間。
「――やめとけ」
低く、短い声。
「ひっ……」
騎士の足が、ぴたりと止まる。
いつの間にか、カイテルが真正面に立っていた。
距離、ゼロ。
表情、無。
「何の用だ」
「い、いや、その……あ、あの……」
騎士は視線を泳がせ、必死に言葉を探す。
「じ、自己紹介を……と……」
「必要ない」
即答だった。
「え?」
「必要ないって言った」
冷えた声。
周囲の騎士たちが、一斉に息を呑む。
「で、でも……俺、騎士団の――」
「関係ない」
被せるように、二度目の即答。
「……」
騎士は完全に固まった。
その背後で、
「うわ……」
「秒で切った……」
「会話、成立してない……」
ひそひそとした声が漏れる。
一方、その様子を見ていたリーマは――
「……?」
小さく首をかしげた。
「あの……何かありましたか?」
純度百パーセントの疑問。
カイテルは、すっと表情を緩める。
「何もないよ」
「そうですか?」
「うん。虫が通っただけ」
「?」
リーマは納得したような、していないような顔で頷く。
そして騎士のほうを見て、にこっと微笑んだ。
「お疲れ様です。訓練、大変そうですね」
「――――」
騎士、無言で膝をつく。
「……ぐっ」
「致命傷……」
「これは無理……」
周囲の騎士たちが、次々と視線を逸らした。
カイテルは、その様子を一瞥すると、静かに言う。
「……ほら、あっち行こうか」
「はい」
リーマは何も知らないまま、素直に頷く。
その背中を見送りながら、
「話しかけただけで死ぬとは……」
「これが……カイテルの守護……」
騎士団の訓練場には、
静かな敗北の空気が、しばらく漂っていた。
***************
少し離れた場所で、その一部始終を眺めていた三人がいた。
「……ほらな」
マーティスが、腕を組んだまま、ため息混じりに言う。
「言っただろ。行くなって」
「秒だったね〜」
ジルは楽しそうに肩を揺らす。
「話しかけて、三秒ももたなかったんじゃない?自己紹介すら未遂だよ〜」
「むしろ、勇気を称えるべきかもしれないな」
ファビアンは苦笑しながら、膝をついたまま動けなくなっている騎士をちらりと見た。
「リーマに話しかけただけで、ああなるとは……」
「いや、正確には」
マーティスは視線を外さずに言い直す。
「話しかけようとしただけだ」
「あ〜、それは重罪だね〜」
ジルが即座に頷く。
「未遂でもアウト。カイテル法では」
「誰が制定したんだ、そんな法律」
ファビアンが呆れたように言う。
「本人」
三人、同時に視線を訓練場の壁際へ向ける。
そこでは――
カイテルが、何事もなかったかのようにリーマと並んで座っていた。
リーマは相変わらず、きょとんとした顔だ。
「……あの子、本当に何も気づいていないな」
ファビアンが、ぽつりと呟く。
「自分がどれだけ注目浴びてるかも、誰が何人撃沈したかも」
「だね〜。罪な子だよ〜」
ジルは笑いながらも、どこか真剣な目で二人を見送る。
「本人はただ見学に来ただけなのに、周りが勝手に地獄を見てる」
「しかも、守護者が最凶」
マーティスは、鬼のような表情から一瞬で優しい顔に戻ったカイテルを思い出し、肩をすくめた。
「これで、まだ"過保護じゃない"つもりなんだからな」
「無理があるね〜」
「だな」
三人は顔を見合わせ、同時にため息をついた。
その直後――
「……次、俺行ってみる」
別の騎士が、ひそひそと呟いた。
「やめとけ」
三人、即答。
「本当に、やめとけ」
その忠告は、残念ながら――
誰にも届かなかった。
***************
私とカイテルさんが、手合わせの後に壁際に座っていると、
カイテルさんのお友達が、何人か入れ替わり立ち替わり話しかけてきた。
カレル森や病院の小屋にいた時は、仕事中だったせいか、あんなに仲が良さそうには見えなかったけれど、カイテルさんは、どうやら意外と人気者らしい。
ただ――
なぜかみんな、カイテルさんの前で急に跪いたり、唸ったり、動かなくなったりしていた。
訓練は、相当大変だったんだろうね。
だから国の騎士は、みんな強いんだな、と納得した。
「リーマ、そろそろご飯を食べに行こうか。もう昼過ぎだから」
「はい!」
今日の予定は、全部カイテルさんに丸投げしている。
だから昼ごはんも、当然カイテルさんにお任せだ。
「じゃあ行こう。今日は、まだ行ったことのないレストランにしようか」
カイテルさんは私に手を差し伸べ、立ち上がらせてくれた。
「リーマが、気に入ってくれるかもしれないから」
「新しいところ、食べてみたいです!」
「ふふ。よかった」
「リオ、リア。もう行くよ」
さっきまで座りっぱなしだった二匹は、立ち上がると、すぐに大きく伸びをした。
リオとリアは、最初の頃こそ騎士たちを威嚇していたけれど、
人数が増えるにつれて飽きたのか、いつの間にか威嚇をやめていた。
その後はずっと頬杖をつき、呆れた顔で騎士たちを眺めている。
ときどき、
(またキタか……)
(ガクシュウ、しろ……)
などと、小さく唸っていた。
「騎士団って、意外と明るくて騒がしいところなんですね。職業のイメージと違って、ちょっと感動しました」
「……もし、どこかであいつらに会ってしまったら、無視していいからね。空気とでも思って」
カイテルさんは、真顔で言った。
でも、あの人たちはカイテルさんのお友達だ。
無視するなんて、できないと思うなあ。
***************
訓練場の喧騒を背に、リーマの手を引いて歩きながら、俺は小さく息を吐いた。
……少し、油断していた。
騎士団に連れてくれば、こうなることくらい、わかっていた。
あいつらが放っておくわけがない。
それでも俺は、リーマのお願いを断るなんて――できない。
無邪気で、警戒心がなくて、笑顔で誰にでも話しかける。
しかも本人は、その自覚がまったくない。
厄介だ。
――正確には。
「厄介なくらい、可愛い」
口に出せば終わりだと思って、その言葉を胸の奥に押し込める。
代わりに、手を握る力だけを少し強めた。
後ろで、騒ぐ声が聞こえる。
呼び止める声も、ふざけた誘いも、全部、無視だ。
俺の視界に、今いるのはリーマだけでいい。
この時間は、俺が連れてきた。
俺が守る。
俺が――連れて帰る。
そう決めて、歩幅をほんの少しだけ早めた。




