9>> ここにある自由と共に
アルが14才になった時、数年ぶりに聖女の一人がこの村にやって来ていた。
聖女の拠点の一つがこの村のある領地の隣りの領地にあり、そこからの祈りが届くのでこの村に聖女が来ることは滅多になかったが、今回は聖女自身が孤児院を回りたいと願い、来ることになったのだった。
アルは聖女と聞いていつも昔を思い出す。全てが変わったあの『聖女選定の儀』の日のことを。『エリス・ビャクロー』と呼ばれていた、その日初めて見た少女のことを。
姉さん……
そう呼ぶには記憶の中の少女は小さ過ぎて、アルには実感が沸かなかった。姿を見たのが離れた場所からだったのもある。自分には姉は2人だと聞かされて育ったし、実際に挨拶したことがあるのは2人の姉だけだった。突然現れ、聖女としてアルの前から消えた少女。そんな人と自分が半分血が繋がっているなんてどう考えてもよく分からなかった。居なくなった家族のことも、アルは殆ど思い出さないし考えない。その方が良いのだと、どこかで自分に言い聞かせているのかもしれない。アルは今の自分が好きだし、昔の生活は好きじゃなかった……
だから……
「僕は今、幸せです」
そう、誰にも聞かせない言葉を呟いた。心は顔も知らない姉を思って少しだけ寂しさを感じる。知らない人なのに、『血の繋がった家族』だからなのか、彼女のことを考えると少しだけ心が揺れる。顔を知っている父や姉たちのことなど気にもならないのに……
「貴女も幸せになって下さい……」
目を閉じて願った願いに、余計なお世話だと頭のどこかで声がする。彼女は聖女だったのだ。きっと今のアルよりも周りに大切にされているだろう。そんな想像ができるのに、それでも願ってしまう。
幸せになって欲しいと。
誰よりも笑っていて欲しいと。
同じ家に居て……、同じ親の元で育って、きっと自分と同じ様にその人たちのことを愛せなかっただろうもう一人の姉弟。あの家が安らぎの場所ではなかった自分と同じ、いや自分よりももっと嫌な気持ちを感じていたかもしれないもう一人の存在に、アルは少しだけ親近感のようなものを感じていた。2人の姉たちと違って、もしかしたら一番『姉弟』として接せられたかもしれない人。そんな『可能性』があったかもしれないことに、勝手に繋がりを感じて……、そしてそんな馬鹿馬鹿しい考えに冷笑が漏れる。どんな空想をしたところでもう彼女とは何の繋がりもないし、きっと彼女は自分の存在すら知らないかもしれないのに。そんな一方的と言ってもいい関係に、アルは少しの可笑しさと少しの寂しさを感じて目を閉じた。
体を柔らかな風が撫ぜていく。吸い込んだ空気は少しだけ花の香りがした。ゆっくりと目を開ける。そこには美しい空が広がっていた。
どこまでも広く、壁なんて存在しない世界。アルは領地の外に出ることはできないけれど、ここで十分なんだと思わせてくれるほどに空は広く大地は遠くまで広がっていた。この場所で、今のアルは満たされていた。
気持ちの良い風を体で堪能していたアルの後ろから足音が聴こえる。少ししてフレッドの声が聞こえた。
「アル、何してるんだ? お母さんがあっちで待ってるぞ?」
その不思議そうな声にアルは自然と口元を緩めた。そして伸びをするように腕を上に上げてフレッドを振り返った。
「うん。すぐ行くよ」
「なんだ〜? 何か悩み事か?」
いつもの様に笑っている筈なのに、フレッドはアルの少しの変化を感じ取ってそんなことを言った。ちょっと感傷に浸っていただけなのに普段と違う違和感に気付いてくれる。そのことにアルの心は幸せを感じるのだ。小さな小さな変化にも気付いてくれる。気に掛けてくれている。そんな人が側に居てくれることが嬉しい。
愛されているのだと、アルは実感できて自然と笑みが溢れてしまう。
「なんでもないって。ほんと、フレッドさんは心配性だなぁ」
頭の後ろで手を組んでフレッドの横まで行くとそんなアルをフレッドは観察するようにジロジロ見るとフムと顎を擦って目を細めた。
「アルぐらいの歳だと色々悩みが湧くもんだぞ? 俺もそうだったからな。
……お母さんに言えないことは、俺に聞いてくれていいんだぞ?」
周りに誰もいないのに、後半の言葉を小声にして言ったフレッドにアルは一瞬驚いた目をして、そして小さく吹き出した。
「どんな想像してるのさ! 何かあっても兄さんたちに聞くから大丈夫だよ!」
笑ったアルにフレッドは少しだけ不服そうに目を逸らして口を尖らせた。
「そこは大人の男を頼ってくれてもいいんだぞ……」
頼れと言う割にはそんなことで拗ねているフレッドにアルは可笑しそうに笑った。
「も〜だからそう言うんじゃないって! 困ったことがあったらフレッドさんに言うからさ」
「絶対だぞ〜? 俺が頼れる男ってところを見せてやるからな!」
「フレッドさんが頼りないなんて思ったことないよ。ちょっとズボラかなぁとは思ってるけどさ」
「なっ?! そうなのか?!」
友達のような会話をしてアルは笑い、フレッドもわざとらしい表情でおどけながら笑った。
そんな2人を少し離れた場所からオデットが微笑みながら見つめている。
今から三人で市場へ行くのだ。聖女が来ていることから村は少し祭りのように賑やかになっていた。移動商人が来ていて普段見れない物も見れる。それが楽しみでもあり、アルにはオデットとフレッドの三人で連れ立って歩けることが楽しみだった。
もうそんな歳ではないけれど……2人と手を繋いで歩こうか?
そんなことを考えているとフレッドがアルの右手を取った。
驚いてフレッドの顔を見上げると優しい瞳と目があった。
「行こう」
そう言ったフレッドの声は優しくて、大きな手のひらは温かかった。なんだか全てが擽ったくて照れ笑いしたアルを引いてフレッドがオデットの下まで行く。
そしてオデットの側まで行くと足を止めることなくフレッドは右手でオデットの左手を握って歩き出した。
一瞬驚いたオデットだったが直ぐに可笑しそうに笑って空いてる手で口元を覆ってクスクスと笑った。
一番大きな男が真ん中に収まって、2人の手を引いて歩いていく。その顔は心の底から楽しそうでアルとオデットは顔を見合わせて笑った。
そこにあるのは安心と幸せ。
手から伝わる温かさがアルとオデットの心まで包み込むような気がした。
あぁ、幸せだな……
アルは心から思った────
【完】




