7>> 手を伸ばす
「アルは筋が良い。
俺よりも先生に向いてるかもな」
そう言って笑いながら頭を撫でてきたフレッドに、アルは頬が熱くなるのを口をへの字に曲げることで誤魔化した。
フレッドが剣の使い方を教える集まりには今回初めて子供の参加も許されたことから、村中の時間の空いている男の子たちが集まっていた。アルが初めて見かける子も居て落ち着かない。ワッツとガゼルは村長の孫ということもあって皆が知り合いの様だった。アルはフレッドと顔を合わせてどんな会話をしたらいいのだろうかと悩んでいたけれど人の多さに個人的にフレッドと話をする時間などなさそうだと少しだけ安心して……少しだけ残念に思った。
広場に集まった男たちを、時間のある村の女性や少女たちが遠巻きに見ている。キャアキャアと華やかな小鳥のような声が聴こえてきていてアルもちょっとドキドキした。
そんな中でフレッドがよく通る声で話し始める。剣を持つ注意事項や禁止事項。子どもたちには遊びで剣やそれに近い物を人に向けた時点で教えるのを止めると怖い顔で言っていた。そして皆に木刀が配られた。アルが昔使っていたのは模造刀であったので剣の全てが木でできている木刀は初めての感触だった。軽いな、っていうのがアルの感覚だった。だけどワッツとガゼルや他の子達は初めて触る『剣』の感触に興奮していた。早く振り回したいのを我慢しながら木刀を掲げて目を輝かせている。
そんな子供たちをフレッドは優しい目で見渡し、そしてパンッと手を叩いて満面の笑みで言った。
「さぁ、未来の勇者たち!
剣の道は険しく長い! 剣を持って戦い続ける為に必要なものは何か。そう! それは一に体力、ニに体力。三・四も体力。五も体力!
剣の道はまず体力からだ!!
さぁ、走るぞ!!」
そう言って広場を走り出したフレッドに大人たちは慣れたように剣を置いて続いていく。子供たちも慌てて木刀を置いて後ろに続いた。数人は木刀を持ったまま走っていたが直ぐに手放すことになった。
脱落していく子供たち。アルも早々に足を止めた。
広場の周りを10周した後、腕立て伏せに腹筋を鍛える動き、太ももや背筋なども動かす動きを何度も繰り返してフレッドも他の大人たちも汗だくになっていた。子供たちの一部は完全に飽きていた。
そして遂に剣を持って、素振り100回!
直ぐに剣技を教えてもらえると安直に考えていた一部の少年たちはこれならまだ家の手伝いをしていた方がマシだと適当な理由を付けて帰って行った。そんな少年たちを苦笑いで見送ったフレッドは、そんな少年たちにも「またいつでも参加してくれよ!」と言っていた。アルはそんなフレッドを休みながら見ていた。
◇
「……木刀があんなに重いなんて思わなかった」
家への帰り道でヘトヘトになっていたガゼルが力が入らなくなった腕をダラリと下に垂らしながら呟いた。それにアルも苦笑いで同意する。その横でワッツも疲れ切った顔で腕を振っていた。
「村の若者たち鉄の剣でやってたのにすげぇよな。大人、見くびってたぜ〜」
「俺はフレッドさんはもっと知的系かと思ってたのに……」
「最後まで元気なのフレッドさんだけだったね」
ガゼルに続くように会話に乗ったアルにワッツが少しだけ伺うような視線を寄越すと躊躇いがちに口を開いた。
「……あの人、昔は剣が苦手だったらしいぜ」
その話題にガゼルも少しだけ声を抑えて話し出す。
「……当主になる予定だったんだよね? 色々あって仕事につきやすい剣を覚えたって聞いたよ」
「そう……なんだ…………」
アルはそんな返事しかできなかった。
「だから帳簿つけるのも上手いのか」
「色々気が回るっていうか、目敏いっていうか」
「何でもやるっていうか、“何でもできる”って感じなのが凄いよな〜」
「やっぱり貴族に生まれたら色々勉強させられるのかな?」
「だろうな〜。嫡男って特別なんだろ?」
「え?」
突然話を振られてアルは驚く。二人の話をなんとなく上の空で聞いていた。
「あ、うん。……そう……、そうかも……」
そんな返事をしたアルにワッツもガゼルも「なんだよ〜」っと少しだけ不満そうな返事をした。
その返事さえもアルは少し遠くに聞いた気がした。
フレッドのことは少しも知らない。オデットとの関係も……
でもなんとなくフレッドのことにはオデットが関係しているのだと思った。オデットのことがあったから、嫡男として育ったフレッドが家を継がなかったのだと……
嫡男ではないが貴族家の“後継者”として育ったアルにはフレッドがどの様に育ったかが少しだけ理解できる気がした。そして……、そこから外れることがどういうことかも…………
「おかえりなさい」
家に帰るとオデットが笑顔で迎え入れてくれる。
「今日はどうだった? 楽しかった?」
そんな質問にアルは笑顔で返した。
「うん! 凄く楽しかったよ!」
そうしてフレッドについて話した。ただあったままを、感じたままを。始めはフレッドのことを話すアルに少しだけ戸惑っていたオデットも、最後は息子から聞かされるフレッドの話を嬉しそうに聞いていた。
「皆がヘトヘトになってるのにフレッドだけ元気だったんだよ!」
「まぁ、そうなの」
フフフと笑いを零すオデットのその心の底から幸せそうな笑顔にアルも嬉しくなる。
あぁこの笑顔をずっとずっと見ていたい。
ずっとずっと守らなくちゃ……
そう……思った…………
◇ ◇ ◇
自分は誰かに守られているだけの存在じゃない。
この手は誰かを守る為にある。
一人の男として……
僕には、立ち上がれる足がある。
アルの中に湧き上がった感情が、新しくアルの中に今までとは違う感情を芽生えさせていた。
──これからは、僕がお母さんを守らなくちゃ──
ただ抱き着いてその温かさに包まれているだけじゃいけないんだとアルは思った。
久しぶりに握った剣は木刀だったけれど、それでもアルの中に『自分も戦えるんだ』という気持ちを思い出させてくれていた。
強くならなきゃ……と、改めて思った。
いままで培ってきた知識を忘れないように、そして新しい知識も貪欲に取り入れて。ここで生きる地盤を作る。自分と……そして母の為に……
そう気付いてからは気持ちが変わるのも早かった。
母を守りたい……
その為には……、
子供の自分だけではダメだ。
お世話になっている村長たちは良い人たちで、何かあっても自分たちを守ってくれるだろうけれど、それでもその人たちの一番は家族で、居候のアルたちではない。まだ子供のアルはオデットを守ろうとしてもオデット自身がきっとそれを許さない。アルを抱きしめてくれるオデットを守ってくれる人がいなければ……
アルはある日、フレッドに声を掛けた。
「フレッドさんは……、オデットの友達、なんだよね?」
アルと二人だけで話すのが落ち着かないのか傍目に見てもソワソワとしたフレッドがアルの言葉に彷徨わせていた視線をアルに戻した。
「……あ、あぁそうだよ」
アルが何を言いたいのだろうかと伺うようにフレッドは返事をする。そんなフレッドの顔をじっと見上げてアルは向き合った。
「……フレッドさんがここに居るのはお母さんの為、だよね?」
「……そうだよ」
アルの直球の問いかけにフレッドは誤魔化すこともなく答える。真剣なその眼差しに、答えを聞いたアルの方がドキリとした程だった。
「それは友達として?」
「今は……そうだな」
今は……。それは『変わる』と言っているのと同じだった。今は友達だけど友達じゃなくなるかもしれない。友達じゃなくなるとしたらそれは…… それは……、お母さんを一番に守ってくれるってこと?
アルにはその関係を何と言えばいいのかが分からなかったから口から言葉が出ることはなかった。アルにはまた恋だの愛だのが分からない。心から慈しみ愛し合う男女を知らないから。
だからただ自分の望みを口にした。
アルの願いを。
「お母さんを、一番に守ってくれる?」
心を覗こうとするかのようにジッと目を見上げてくるアルに、フレッドは少しだけ目を見開いた。そして、真剣な顔をしてアルと目線を合わせるように片膝を突いてしゃがんだ。
「あぁ。……その為にここに居る」
何も誤魔化すことなない真摯な心でフレッドはアルと向き合った。アルが何を求めているのかは分からない。だけど相手が子供だからと誤魔化したりはぐらかしていい話ではないと思ったから。
アルは小さく唾を飲み込んで、子供とは思えない程に真剣な表情でフレッドを見返した。
「僕は……、
僕はまだ子供だからお母さんを守れない。背も低いし自分の剣も持ってない。何かあった時にお母さんを守れない。
だから……、僕の代わりにお母さんを守ってくれる人が欲しいんだ」
その言葉にフレッドは少しだけ驚いた顔をした。
「アルくんの……代わりに?」
伺うように聞き返された言葉にアルは強く頷く。
「そう。僕の代わりに、お母さんを守れる大人の男の人が近くに居て欲しいんだ!」
その言葉にフレッドは少しだけ不思議そうな声で聞き返した。
「村長の家には村長も村長の息子さんも居たはずだけど? あの人たちはちゃんと君たちも守ってくれるよ?」
「そう……だけど……、でももし万が一盗賊とかが来た時に、やっぱりおじさんたちはワッツたちを先に守ると思うんだ! お母さんはきっと僕を守るから……、そんなお母さんを一番に守ってくれる人が欲しいんだ!」
ギュッと手を握って、少し顔を紅くしてそう言ったアルにフレッドは小さく目を見開き、そしてその目を優しげに細めた。アルだって村長たちを信じていない訳ではない。守ってもらえないなんて考えている訳では無い。有事の際にはきっと村長やその息子のおじさんはアルたちを守ってくれる。それは分かってはいるけれど、村長たちが“守り切れない程の何かが起こった時”に、やはり守るものの順番ができてしまう事をアルは恐れているのだとフレッドは分かった。村長が孫を、村長の息子夫婦が子供を優先して守る時に、ではオデットを誰が守ってくれるのかとアルは心配しているのだ。
だから……
オデットの盾になる者をアルは求めている。
フレッドならその盾になれると、アルは期待しているのだ。
「……お母さんを一番に守るってことは、俺がアルくんのお母さんの近くに居ることになるけれど……
それは、……いいのか?」
フレッドの伺うような言葉に、アルは少しだけ息を呑んだ。でも直ぐにその口を真横に結んだ。ジッとフレッドの目を見るアルの瞳には強い気持ちが込められていた。
「……お母さんを必ず守ってくれるなら。
だって、フレッドさんはお母さんの友達、なんだよね?」
その言葉にフレッドの口角が自然と持ち上がる。友達。その言葉を強調して言うということは、アル自身も『友達と、それ以外の関係がある』ともう気付いているということだ。でも、それでもこの話をフレッドにするということはアルがそれだけオデットを心配しているということ。フレッドには、それが分かった。
「フフ、……あぁ、友達だ」
フレッドはそこで言葉を一度区切り。
そして改めて、真剣な表情でアルと向き合い、口を開いた。
「……だから、必ず守るよ。
君のお母さんと……、君も含めてね」
その言葉にアルは一瞬むず痒そうに唇を動かして、そしてそんな顔を見せまいとするかのように眉間に眉を寄せて言った。
「……男の約束だ!」
そんなアルにフレッドは優しい眼差しを返す。この小さな騎士の、代わりの盾に選ばれたのだ。自分が望んでいたことと同じ意味となるその使命に、フレッドの心は喜びを感じていた。
「あぁ、約束しよう」
そう言ってフレッドは右手をアルの前に差し出した。一瞬戸惑ったものの、アルはその手に自分の右手を重ねる。誓いの握手だ。力強く握り合ったその手に、フレッドは笑った。アルを見るその瞳は本当に優しくて、そして握った手は温かくて……大きかった。これが大人の男の人の手なのだとアルは思った。アルにとっては馴染みが薄く、自分に向けられる事が滅多にない手だった。そのことに気付いて、アルは少しだけ気恥ずかしくなった。
手を離したフレッドはそんなアルの頭を優しく撫でてくれて、そしてオデットと似た、柔らかく包みこんでくれるような優しい笑みでアルに笑ってくれた。




