最終話 おパンツ怪盗とちびっこ探偵団、一件落着!
柊先生の車に乗り込み、町の中心部から離れ暫く走ると、灰色の建物が見えてきた。窓がないため正確にはわからないが、六階建てぐらいの高さがある。立方体の建物の周りは、鉄製の柵で囲われ、正面にはゲートが据えられている。
車を正面につけ、警備員に翔太が名札を見せると、少し時間をおいた後ゲートが開いた。事前に話を通してもらっているとはいえ、おパンツ怪盗の格好でハンドル握っている柊先生を見ても、引き止めなかったのはどうなのだろう(それでいいのか?)。車で構内に入り、駐車場に止める。
「いやー、まったくかわってないなーここ」
車から出て、柊先生は伸びをしながら辺りを見渡した。昼間は強く照りつけていた日差しも少し和らぎ、木々を朱色に染め上げている。
「翔太くんは、来るの初めて?」
柊先生は学校にいるときよりも親しげに話しかけるようになっていた。怪盗の格好をしているせいかもしれない。
「以前に、一度だけあります」
両親が離婚する前に、父に連れられて来たことがあった。無邪気にはしゃいでいた記憶は薄っすらと残っている。
今とは大違いだ。
「じゃ、行こっか」
硬い表情をしている翔太の肩を軽く叩き、おパンツ怪盗は建物の入口に向かって歩き始めた。
受付で機器類を預け(先生を見る受付員の表情は引きつっていた。それでも笑顔で応対するプロフェッショナル根性に翔太は感嘆した)、エレベーターで最上階に上る。案内された応接室に入ると、そこには――
「待っていたよ」
長身痩躯に黒いスーツと黒いネクタイを身に着けた、翔太の父親――黒山博士の姿があった。
「まあ、かけなさい」
勧められるままに、黒山博士の向かいのソファーに翔太たちは腰掛けた。
「こうして会うのは久しぶりだな。二年ぶりぐらいかな?」
博士は手を組んで膝の上に置き、リラックスした様子で翔太に向かって話しかけた。
全身の筋肉がこわばり、翔太は拳を握りしめる。
柊先生はそっと翔太の背中に手を当てた。翔太は一息置いてから口を開いた。
「……一年です。父さんたちが離婚してから、僕は、一度だけ会いました」
「ああ、そうだったな。ふん。ここにいると、どうも時間の感覚に疎くなっていかん」
「黒山博士。今日はあなたに話があってきました」
柊先生が割り込むように言った。
博士はおパンツ怪盗の格好に動じることなく、どころか今はじめて存在に気づいたかのように眉を上げた。
「あなたは?」
「翔太くんの友人です」
違う! と言いたかったが、話がこじれると面倒なため翔太は黙りこむ。
「これは失礼した。翔太の父の黒山翔治といいます。なんとお呼びすれば、レディ?」
「おパンツ怪盗、と」
にやりと先生は笑った。
笑うところか? と翔太は思った。
「ふむ。翔太、良い友人を持ったな」
今のやり取りで何を感じ取ったの? と聞きたかったが面倒なので無視。変人同士、通ずるところがあるのかもしれない。
「それで、おパンツ怪盗さん。話とは何かな? 息子が会いたいというから時間を作ったが、これでも私はそれなりに忙しい身でね」
「単刀直入に言います。あなたは研究していたウイルス――通称、幸福開放性変革ウイルスを、意図的に町へ流出させましたね?」
博士は、組んでいた手を解いて、顎を撫でた。表情に変化はない。
「幸福を感じる機能を強化し、自制機能を弱める効果をもつ――それがこのウイルスの特徴です。人の行動を縛るもの――法律、社会規範、良心、あるいは人間関係。あなたは、それらから心を開放する研究をしていた。そうですね?」
「いかにも」
あっさりと博士は頷いた。
「そして、ここ最近挙保草町で起きている変質者の連続出現――それはウイルスによるものでしょう?」
「君はここに勤めていたことがあるようだね。それも、優秀な研究員だったようだ」
先生の問いには答えず、博士は表情を変えぬまま言葉を返した。
「とんでもない。自分の危険信号にも気づけなかった若輩者ですよ」
「しかし、決定的な勘違いをしている」
先生の目が細まった。
「意図的なウイルス流出など、してはいない」
「故意ではなかった、と?」
「ああ。流出の可能性は認識していたし、その後のデータは興味深く集めているがね」
「そ――」
「それじゃ同じじゃないか!」
先生を遮る形で翔太が立ち上がった。
「なんでそんなことをしたんだ、父さん。防ごうと思えば防げたんだろう?」
「研究のためさ」
平然と博士は言いきった。
「いいかね。流出したウイルスは何も脳の構造を変えるようなものじゃあない。ほんの少し、不安や悩み、葛藤を減らし、歓びが大きくなるように作用するだけだ。つまり、変質者は、自分の欲望通り行動したに過ぎない。欲望のために行動した変質者と、欲望のために行動しなかった私が、それぞれいるだけだ。そこにいる怪盗と同じようにね」
「……」
「違いは、彼らは法律を破り、私は破っていないということだな」
それが社会において決定的違いになるわけだが、と博士は肩をすくめた。
「管理責任があるでしょう?」
先生が食い下がる。
「証明できるのかね? この研究所からウイルスが流出したと。君たちと私、どちらに社会的信用があるか、試してみるかい?」
「……まあ、そう言われると、こちらも弱いわけですが」
先生は万歳のポーズを取る。
研究者の権威VS犯罪者&小学生では、社会がどちらに味方するかは一目瞭然だった。
だが知ってしまった以上、翔太は引き下がりたくなかった。
「ウイルスを撲滅させる方法はあるの?」
「あれは人から人へ感染しないからな。今の段階では、効力も三ヶ月程度しか続かない。どのみち、放っておけば消滅するさ。その間に、感染者は更に増えるだろうがね」
だが、と博士は翔太をまっすぐ見た。
「息子の頼みだ。それでも解決したいと言うなら、方法を教えよう」
*
「セミ取り大会だ―っ!」
「おおーっ!」
おパンツ怪盗の掛け声とともに、公園に集まった三年二組の皆は雄叫びを上げた。
「参加者には、私からのハグと、シュークリームをプレゼントだ―っ!」
「おオオォオヲオォーッ!」
主に男子のボルテージがさらに上がる。
翔太は、網を片手に持ちながら、周りの異様なテンションにおののいていた
いいのか、これで?
皆さんの目の前にいるのは、パンツを盗んだ犯罪者なのだが。
自分が発案者とはいえ、休日にこれほど人が集まるとも思っていなかったし、皆が乗り気なのも驚きだった。
多分、協力を申し出た太一と千代の人望によるものなのだろうが……。
その二人はクラスの中心で網を天に掲げ、やる気満々のようだった。
博士から提示された解決方法は単純なものだった。
ウイルスはセミ同士と、セミから人間に感染するため、セミにウイルスを中和する薬を食べさせれば元を絶てる。薬も別のセミへ感染する力をもつため、最初に薬を食べさせるセミが多ければ多いほど加速度的に抗体が増えていく。上手く行けば二、三日で撲滅できるとのことだった。
すでに感染してしまった人間は、研究所が全力で対応に当たるそうだ。
「感染者に接触することで有益なデータが取れるからな」そう博士は言った。
「こまめな水分補給を忘れないように! 気分悪くなったら無理せず休んで連絡すること!」
「はーい!」
おパンツ怪盗の指示にクラスメートは元気に答える。
「それでは、セミ取り大会、開始!」
「おオオォオヲオォーッ!」
いいのか、これで?
*
公園だけではなく、町中に散ってセミを採り、空が薄っすらと夕焼けに染まる頃には多くのセミが集まった。事前に渡されていた薬をすべてのセミに与え、そして、逃してやった。
クラスメートはおパンツ怪盗からハグとシュークリームをもらい、各々帰っていく。
皆、何かをやり遂げたように、晴れ晴れとした表情であった。
翔太は千代にスマートフォンを借りて、ある番号に電話をかけた。何度目かのコール音の後、相手がでた。
「もしもし、父さん?」
「翔太か。どうした」
「作戦はだいたい終わったよ」
「そうか」
「それとは別に、聞きたいことがあって」
ずっと聞きたかった。二年前、両親が離婚した時も、一年前に父を訪ねたときも、聞きたくて、だけど、聞けなかった。
「父さん。なんで母さんと離婚したの?」
「そのほうが母さんのためになると思ったからだ」
翔太の問いを予想していたかのように、間髪入れずに答えが帰ってきた。
「どういうこと?」
「私は研究のためなら何を犠牲にしても良いと思っている人間だ。客観的に見て、良い父親じゃない」
父らしい答えだと思った。自分を客観視出来ているとは驚きだったが、しかし――。
「母さんは、それでも、そんな父さんを愛していたよ」
「……」
返事が帰ってくるかと期待したが、いくら待っても何も聞こえてこなかった。
「じゃあ、最後に一つだけ。幸福開放性変革ウイルス、だっけ。あの研究は、母さんのため?」
「違う」
いつもの口調と違い、強めの答えだった。まるで、子供がムキになって否定しているような。
翔太は――少し笑った。
「そう言うだろうと、思ってた。じゃあ、もう電話切るね」
「ああ、母さんと加奈子によろしく頼む」
「またね」
電話を終えると、翔太は、少しだけ、清々しい気分になっていることを発見したのだった。
*
「良かったの? 電話」
スマートフォンを千代に返し、なんとなく木陰で公園を眺めていると、おパンツ怪盗が話しかけてきた。
「はい。多分、もともと、すぐにどうにかなるようなことじゃないんです。僕と、父は」
許すことはまだ出来ないし、父の本当の思いを知ることも出来ない。しかし、それでも彼なりの事情はあったのだろうと、今はそれだけは認めることができる。
「そう。翔太くん、ちょっとたくましくなったね? ふふ、そうやって、人は大人になっていくんだろうね?」
いたずらっぽく怪盗は笑った。
「あの……気になっていたんですけど」
いい機会だから、疑問をぶつけることにした。
「うん?」
「二回目に僕らのパンツを盗んだ時、どこにパンツを隠したんですか? それに、納豆のネバネバを拭いたものも、保健室には見当たらなかった」
「ああ、あれ? 全部その場で食べた」
「食べた⁉」
そんなバカな。
「うん。ネバネバはパンツで拭いて、そのまま食べた。時間もなかったし、納豆嫌いだからちょっと大変だったけどね」
「ちょっとって……」
そんなパワープレイでどうにかなるものなのだろうか?
しかし――この人がそう言うからには、そうなのだろう。
翔太は空を見上げた。
世界には、自分のものさしでは測れない人がいるようだった。
「ははっ」
「ふふ」
お互い顔を見合わせると、自然と笑いが漏れた。
どうやら、最初から勝負の土俵が違ったみたいだ。
翔太とおパンツ怪盗は、ひとしきり笑いあった。
美しく空が染まる中、どこからかサイレンが聞こえてくる。
「あ、私、通報されたかも。そろそろ逃げるね」
「はい。その、いろいろ、お世話になりました?」
どう言えばいいのかよくわからず、なんとなく変な挨拶をしてしまった。
「うん。写真はちゃんと消しといたから安心してね。シュークリームも余りがあるから、家族で食べて」
「はい。いただきます」
おパンツ怪盗は敬礼のようなポーズをすると、颯爽と去っていった。
*
「あれ、怪盗さん、どっかいっちゃった?」
千代と太一が翔太に駆け寄ってきた。
「サイレンが聞こえてきたから逃げてったよ」
「むむ。次あったときは捕まえるって言っとけばよかった!」
太一が悔しそうに言った。
「よく言うよ。ハグで一番喜んでたくせに。でも、もう、現れないのかなー。探偵団、面白かったのに。またやりたいよねっ?」
千代の提案に、太一は元気よく頷いた。翔太は少し考えてから答えた。
「多分、怪盗はまた出ると思うよ。案外、近くにいるかも。大人として、僕らを見守ってたりしてね」
「ははっ、そんなまっさかー」
「翔太もそんな冗談言うんだね―」
太一と千代が笑った。翔太も一緒に笑った。
なんてことはない、友達との夏の思い出。しかし、そう思えることが、無性に嬉しかった。
初めて食べたシュークリームは、口の中で甘くとろけ、とても美味しかった。
おパンツ怪盗 VS ちびっこ探偵団――ノーゲーム。




