第三話 おパンツ怪盗の正体!
目を覚ますと、翔太はベッドに寝かされていることに気づいた。
朦朧とする意識の中、横目で部屋の様子を伺う。ベッドの他にはタンス、机、サイドテーブルがある。
「……ん、あ、れ?」
ここはどこなのか、どうしてここにいるのかもわからなかった。
倦怠感がある身体に力を入れ、ゆっくりと起き上がったところで、柊先生が部屋に入ってきた。
「あ、目が醒めたみたいね。気分はどう?」
持っていたお盆をサイドテーブルに置き、先生はベッドの横に腰掛けた。
「ここは……?」
「私の家。覚えてない? 公園で話していたら、気分が悪くなったみたいでね。私の家が近かったから連れてきたの。一応お家にも連絡しといたから、安心してね。留守電だったけど」
彼女の言葉で、帰宅途中に声をかけられたところまでは記憶が蘇ってきた。話があると言われ、近くの公園に行ったのだった。
しかし、以降が曖昧のままだ。
「暑かったからかな。水分をたくさんとったほうが良いよ」
柊先生は麦茶をコップに注ぎ、差し出した。ひんやりとしたコップを手のひらに感じながら、促されるままに飲む。冷えた液体を嚥下すると、すこし気分が良くなった。
「お粥もあるよ。栄養もとっとこう」
鮭と卵が入ったお粥を受け取った。湯気が鼻孔をくすぐると、お腹が鳴った。
しゃもじでお粥を掬い、口に含むと、ほのかな塩気と卵のとろみが広がり、唾液が口内に溢れた。体に染み渡るような温かさで、噛むたびに鮭の身から旨味がにじみ出てくる。
「ん……?」
なにか噛み切れないものがある。
舌で口内をまさぐった。
弾力性がある糸が編み込まれたような感触。
これは――布?
「なにか、繊維みたいなものが入ってません?」
翔太の問に対して、こともなげに柊先生は答えた。
「ん? ああ、君のおパンツ」
「ぶっ、がはぅッ……ゲホっ、がはっゴホガハッ!」
翔太は盛大にむせ、お粥を吐き出した。
柊先生を見る。
この人今――なんと言った?
お粥にパンツを入れた?
なんで?
「こら。食べ物は大事にしなさい」
どの口が言うんだ。
そして、重要なのはそこではない。
翔太は口を拭って彼女を問いただした。
「――そうじゃなくて! だとすると、やっぱり先生が……!」
「そ。私がおパンツ怪盗だよん」
先生は柔らかな微笑みとともに答える。
「翔太くん。君に協力してほしいことがあるの」
*
お粥を片付けた後、ちょっとまっててね、と柊先生は一度寝室をでていった。
その間に、翔太は頭をフル回転させる。
この状況をどう理解すればいい?
先生の証言が事実だとすれば、翔太は――拉致監禁された、見るべきだろう。思えば帰宅途中の一人になったタイミングで声をかけられたことといい、不自然に記憶を失ったことといい、おかしなことが多かった。
あるいは先程の先生の発言はすべて嘘で、ドッキリの可能性はないだろうか?
状況的に考えにくいが、その可能性も零ではない。
翔太は頭を振った。まだ思考はクリアになっていない。
なんにせよ、今は希望に基づいて行動するべきではないだろう。
とすれば、一刻も早く外部へ連絡を取ることが重要だ。
柊先生がいない今のうちに、なるべく情報を集めなくては。
翔太は、ベッドから降りて窓辺へ行った。
すりガラスのため外の様子はわからないが、太陽がでている時間のようだった。窓のロックに手をかけると、意外なことにすんなりと動いた。
窓を開くと、熱気とともに光が部屋になだれ込んでくる。思わず顔をしかめながら、外の様子を確かめる。どうやらここはマンションの一室のようだった。部屋は五階にあり、とても飛び降りることができる高さではない。視線を横に向けると、雨水排水用のパイプが窓の脇を通っていた。
手を伸ばしても届かないが、飛びつけば何とか行けるかもしれない。最悪、このパイプを伝って逃げられるだろうか?
窓から体を乗り出したところで、背後から声をかけられた。
「そこから逃げるのは危ないと思うよ」
振り返ると――柊先生が、おパンツ怪盗の格好をして、立っていた。
見るのは3度目となる、シルクハットにウサ耳、バニーガールのコスチューム。先生はアイマスクをマントから取り出し、顔にかけた。
「せっかく着替えたんだから、こちらの話くらい聞いてほしいな」
「……その格好は、保健室から逃げるときに捨てていませんでしたか?」
翔太は柊先生――おパンツ怪盗に向き直って言った。
「予備のコスチュームも揃えているのよ」
先生は(何故か) 誇らしげ胸を張った。そして、持っていたスマートフォンをひらひらと振りながら続ける。
「ちなみに助けを呼ぼうなんて思わないほうがいいよ? 君が寝ている間に恥ずかしい写真をいっぱいとっておいたから、ネットに流出させちゃうぞ?」
スマートフォンの画面には、下半身に何も着衣していない翔太の姿が――。
あんたそれでも先生か、と憤りがこみ上げてきたが、何とか踏みとどまる。
ここで取り乱しては相手の思うつぼだ。冷静に考えなくては。
どうやらこの先生、学校にいるときは、随分猫をかぶっていたようだ。
「あ、心配しないでね。それ以上のイタズラはしてないから。おちんちんぺろぺろとか」
「当たり前だよ!」
耐えきれず翔太は叫んだ。
「まあそんなわけだから、逃げようなんて思わないほうがいいね。恨むなら、クリックひとつで全人類に恥ずかしい写真を送れるデジタル社会のせいにするんだね」
「どう考えてもあんたのせいだよ!」
カナ姉に、『おパンツ怪盗は悪い人に思えなかった』と言った過去の自分を殺してやりたかった。
「なんにしても、君が行動の選択をするのは、私の話を聞いてからでも遅くはないと思うよ。どうかな?」
「ぐっ……」
翔太はうめいた。
完全に相手のペースだった。一度落ち着くためにも、話を聞くだけ聞いたほうが良いかもしれない。
基本的には、時間が経てば家族も心配するだろうし、翔太にとって有利に動くはずだ。
今の所、直接的危害を加える様子はないようだし……。
「わかりましたよ……」
半ばやけくそ気味に、翔太はおパンツ怪盗の提案を飲むことにした。
「ふふ。わかってくれて、先生うれしいよ」
リビングに場所を移し、向かい合って座ると、柊先生は街の光景が広がる外を見ながら話を始めた。
「知ってるかな? 最近この町で、変質者が多発していることを。全く嘆かわしいね」
「あなたもその一人ですよね?」
相手のペースに飲まれないよう、精一杯の抵抗つもりで翔太は言葉をぶつけた。
自覚あります? という翔太の冷たい視線を受け流し、柊先生は大きなため息をついた。
「露出行為、わいせつ行為、窃盗。町の品位に関わるという社説もでているぐらいなの」
「あなたも全部やってますよね?」
「でも正直なところ……私もね? ルールを破るのは良くないことだけど、変質者の気持ちも少しわかるなって思ってたの」
「でしょうね」
翔太は大きく頷いた。
「だってさ、世の中鬱陶しいことや面倒なことが多いと思わない?」
「まさに今そんな状況ですね」
「私の前の職場がそんなところでね。面倒な人間関係、ハラスメント、責任のなすりつけ合い、無知からくる差別に悪意のある嫉妬、そんなものばかり」
先生は体を背もたれに預け、天井を仰いで万歳のようなポーズをとった。
「それでも、仕事自体は好きだったし、やりがいのあることだと思ってた。より良い社会を実現するための仕事なんだって使命感で、朝から晩まで働いた。自分なりに一生懸命だったんだね」
柊先生は翔太に顔を向けた。語り聞かせるような口調で紡がれる言葉は、どこか哀愁を感じられ、その目は優しげな光を帯びていた。
「だけどいつしか、ご飯もパンも、喉を通らなくなっちゃった。食べても吐いちゃうし、夜もろくに眠れなくなった」
「……」
食べることや寝ることが、自分の意志で思うようにならない苦しみ。
それは――地獄のようだろう。
生きる意味を失いかねない、危険なシグナル。
近くで見てきたので、翔太もよく知っていた。
こんなふざけた格好をしている人も――苦しんでいたのか。
なにも事情を知らずに、無神経なことを言ってしまったかもしれない、と翔太はすこし後悔した。
「そこで私は気づいた。いやさ悟った。パンがなければ、パンツを食べればいいじゃない! ってね」
「なんで⁉」
「自分でもよくわからないんだけどね。天啓と言うか、ある日閃いたのよ。で、試してみたら美味しく食べれたの」
天啓なんて言われちゃ、お天道様も困惑するよ。
頭が痛くなってきた。
「それで、あなたは僕らのパンツを盗んだわけですか」
「や、そうだけど、そうじゃないのよね」
「え、どういうことです?」
「社会人類科学研究所、知ってるでしょう?」
柊先生はそう切り返した。話が急に変わったことに困惑しながら、翔太は頷く。
「……まあ、一応は」
社会人類科学研究所。
社会の変化と人間の営みを科学的に研究する機関である。
近年では脳科学の分野で目覚ましい成果を上げており、時折メディアでも取り上げられている。
そしてその脳科学研究のトップが――。
「君のお父さん、黒山博士が勤めているところだものね」
「……はい」
二年前に家族を捨てた男。
自己中心的で、人の気持ちを汲み取れず、あらゆる意味で大人らしくない、大人。
「実は私の前の職場が社会人類科学研究所でね。黒山博士とは部署が違ったけど。彼の聡明さは噂には聞いていたの」
驚きと疑問が湧いたが、話の意図が掴めず、翔太は黙って続きを待った。
柊先生がおパンツ怪盗であることが、父と関係があるのだろうか?
あとなんでパンツ入りお粥を食べさせた?
問いかけたくてたまらなかったが、ぐっと堪える。
「で、ここからが本題」
ふざけている様子もなく、柊先生は続けた。
「どうも、研究所から未知の病原体が流出したらしい」
「病原体……? ウイルスってことですか?」
ふと、思い出す。
そういえば、父が電話してきた時、なにか言っていなかったか。
確か――。
「うん。すべての原因がそこにあると、私は睨んでる。そして、このままだと、この町が大変なことになるかもしれない」
――『セミに気をつけなさい』と。




