19ー1.とある巫女の記憶(その1)
夢の中。
セスは山道を歩いていた。いや、正しくはセス自身が歩いているのではない。
山道を歩く誰かの視点で夢を見ているのだ。
視点の高さはセスのものよりかなり低い。
セスにはその人物が魔脈を辿って歩いているのだとわかった。
ときどき確認する手元には、セスたちの魔脈調査盤によく似た魔動機が見えた。
しばらくすると、山の麓を切り拓いた土地とそこで作業する人々が見えてきて、身なりの良い口髭男が平身低頭しながら寄ってくる。
「感謝しますよ、巫女様。あなたが引いてきた新たな魔脈は、我らの開拓地に大きな恵みをもたらすことでしょう! 本当に素晴らしい!」
「僕は依頼された仕事を果たしました。くれぐれも約束を違えることのないよう願います」
巫女と呼ばれた人物は、得意になることもなく凛とした声で返した。
口髭男は貼り付けたような笑顔で繰り返し頷いてみせる。
「元々使おうとしていた川の上流からの魔脈には手を出さない、という条件でしょう? もちろん覚えていますとも!」
「あの魔脈は下流に広がる森林を育む大切な魔脈です。そこへ棲む精霊様たちの命の源であり、決して人間が穢してはならない。……また様子を見に来ます。あなた方が正しくこの地を栄えさせるのなら、再び力になりましょう」
口髭男の従者から差し出された荷物を受け取ると、巫女は人々の集まりを避けるように森の中へ歩き出す。
「本当にもう発たれるのですか? せめて宴だけでも……」
「時間が惜しいので」
「巫女様は人間と精霊の共生のため、各地を巡って無償で助言や魔脈の調整をしておられるのでしたな。まだまだお若いのに実にご立派だ!」
「この世界の自然を運営してくださっている尊き精霊様たちに、我々人間はもっと感謝して尽くすべきです」
巫女は振り返らずに森の中へ入ると、開拓地から充分離れて大きな溜息を吐いた。
「……人間と話すのは疲れる……」
ガサガサ!
「みゅっきゅー!」
そのとき、1匹のシュシュが樹上から巫女の足元へ降ってきた。
その手には、セスの見たことのない珍しい果物が抱えられている。
「やあ。僕もひとつ頂くよ」
巫女は幹に手を添えて語りかけると、その実を1つもぎ取って根元に座った。
樹々のざわめきと川のせせらぎを聞きながら、穏やかなランチタイムを始める1人と1匹。
その周り、揺らぐ木漏れ日に溶け込んで、ふわふわと小さな光が漂い始める……
精霊だ。
普段セスが視認できない微弱な魔力の精霊も、巫女の目を通して見えているのだ。
美しいその光景を、セスも時間を忘れて眺め続けた。
食後、巫女はシュシュと共に食べた果物の種を植えた。
土に触れる巫女の手に、セスは彼女の自然への深い愛情を感じた。
その後、手を洗う際に川に映った彼女の姿は、ちょっとボーイッシュでどこにでもいそうな普通の女の子だった。
***
日暮れ間近。
「焦げ臭い……⁇」
1人で森を歩き続けていた巫女は、そう呟いて足を早めた。
やがて樹々が倒された焼け跡に辿り着くと、辺りにロープの切れ端や小瓶が散乱している。
「魔物狩りの仕業か……」
ドスッ!
魔石で作られた矢尻のようなものを拾い上げたときだった。
不意に視界が揺れ、巫女はその場に倒れ込んだ。
夢を見ているだけのセスに痛みは感じられなかったが、襲撃されたのだとわかった。
苦しそうな呼吸の響く中、視界は暗転する……
***
「あの少女の体内魔脈は素晴らしい! 最高の合成素材だ!」
「どんな魔物の特性を合わせるかよく検討せねば……」
「今夜中に失敗作の廃棄を済ませないとなぁ」
暗闇の中でそんな声が聞こえて、幾人かの足音が遠ざかっていった。
「んん……ここは……⁇」
次に巫女が目を覚ましたのは、薄暗い牢の中だった。
身じろぐと魔力封じの鎖が冷たい音を響かせる。
いつの間にか装備を奪われ、拘束されている剥き出しの手足の細さが痛々しい。
口を塞がれていないことから、助けを呼べるような場所ではないと察せる。
「ゲホっ! ゴホっ!……うぅ……」
苦しそうに咳き込む度に埃が舞う。
セスには巫女が目と耳で受け取ることしか伝わらないが、そこら中サビとカビだらけの牢は強烈な匂いがしそうだった。
「血の匂いがする……⁉︎」
巫女がハッと自分の背後を振り返ると、石床に薄汚れた毛の塊が震えていた。
よく見るとそれは鳥型魔物の雛であった。
ボロボロと抜け落ちている灰色の羽毛の隙間から、黒インクのような液体が垂れている。
目を開くこともできないでいる雛鳥へ、巫女は寄り添うように横になる。
「残念ながら魔法を封じられ、薬も奪われてしまったんだ。だから君を手当てすることができない。代わりに、この体を食べてくれ。魔物の生命力ならそれで動けるくらい回復できるはずだ。幸い君は拘束されていないし、翼もある。明かり取りの窓を破って逃げてくれ」
「…………」
「いいんだ。どうせここに居たら殺されるか、もっと酷いことが待ってる。僕は昔から人間より魔物の方が好きだったからね、君を逃がすために死ぬ方がずっといい」
「……クー……?」
しかし、雛鳥の嘴は小さな声を漏らすだけの隙間しか開かない。
巫女は牢を見回して隅にガラス片を見つけると、そこまで這っていった。
それから器用にガラス片を咥え、自身の脚に微かな切り込みを入れた。
傷口から血の滲むのを確認すると、今度はその辺に落ちていた布切れを咥え、巫女は雛鳥の元へ戻る。
「…………」
巫女は自身の傷口で雛鳥の嘴を濡らすと、ギュッと目を閉じた。
そこでやっとセスは気付いた。先ほど布を咥えたのは叫ぶのを食いしばって堪えるためだったのだ。
ピチャ……ピチャピチャ……
やがて食事が始まった。
セスに巫女の痛みが伝わることはなくても、泣きたい気持ちになった。
誰かに手を差し伸べられる人を善い人だと言っても、それが真の愛に基づいた行動であるとは限らない。
そうすることが是とされていて己の評価に繋がる内容ならば、僅かの愛情からでも行動する者はいる。余裕があるほど気軽に。
そうして自分は愛情の深い人間だと自惚れることだって、それが本当に対象を幸せにできていれば健全だ。
また、社会的価値観以外に重きを置く人もいるから、賞賛という見返りの無い献身も異常とは思わない。
だが、この巫女の場合は見返りもなく痛苦を伴って生命を投げ打っている。
それほどの無償の自己犠牲については狂気じみた信念を感じる。
セスは巫女に恐怖を覚えた。
血を啜る音が咀嚼音に変わる頃、巫女が気絶したことで次の場面へ移動するのをセスは感じた。




