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七章 神龍・敖広(一)

物語的には「転」となります。

今回は長いので、2つにわけてお送り致します。

 豊都から東方へ二、三日ほど歩いたところに、その村はあった。

 名前を足形村あしがたむら

 大きな池に隣接した、一五〇人ほどが住む村である。

 その池には、ちょっとした伝説があった。

 昔、乾坤龍が足をついたところがへこみ、そこから泉がわいていつしか大きな池になったというのだ。

 それは真実みのない話ではあるが、確かに池は龍の足形のように三本の前指と、一本の後ろ指があるような形をしていた。

 水も澄んだコバルトブルーが美しく、その周囲を彩るグリーンも鮮やかで、その風景は確かに神秘的なものがあった。

 また、伝説はともかく、そこには現在、一匹の龍が棲みついているのだという。

 だが、リエはまだ、龍を見ていない。

「本当に龍、いるの?」

 リエは、目の前で怯える少女に尋ねた。

 少女と言っても、リエよりも見た目は年上である。

 一五か一六か。痩せた顔つきに、年齢に合わない化粧を無理矢理している。変に色白で、変に唇が赤かった。

 真っ白な薄手のガウンのような青蓮風の服に身をつつみ、黒髪を後ろで縛っているが、特にその他に飾りっ気はない。

 彼女は自分の身を抱えるようにして震えながら、顎を引くようにして何度かうなずく。

「そんな震えない。わたし、あなた助けた」

「わわわ、わ、わたしは、【敖広ごうこう】様に捧げられないといけないんです!」

「ごうこう?」

「龍の名前です、リエ」

 横からソフィアが助け船をだす。

「ああ、なるほど。あんた、こいつらの言うこと聞いて、生け贄ならなくていいの」

 リエは、まわりで倒れている、四人の男たちを見まわした。

 いや。「倒れている」と言うより、「倒した」というべきかもしれない。

 リエとソフィアがこの場所に着いたのは、昨日の昼だった。だが、ここで待ち合わせるべき相手は、まだ来ていなかった。

 だからといって、豊都のような都会や、街道沿いの大きめの町ならともかく、こういう村に異国の者は泊まりにくい。仕方なく、昨夜は野宿をして過ごした。

 そして、今朝。

 水をとりに池に行ったところで、リエは見つけてしまったのだ。

 男たちに担がれた板の上に、涙目で乗っていたこの少女を。

 だから、思わず飛びだしてしまった。

「バカなことやめなさい」

 リエには、それが何をしようとしているのかすぐにわかった。別に生け贄というバカげた儀式は、青蓮国に限ったことではない。どこの国でも、似たようなことをやる奴らはいるのだ。

 だが、異国の子供の言葉など、聞くわけがなかった。

 もちろん、リエにしても、そんなとことは承知の上だ。

「リエは、短気すぎませんか」

「よくわからない言葉で、親切に説明なんてできないわ」

 ソフィアに後でつっこまれたが、知ったことではなかった。

 やっぱりどう考えても、リエにしてみれば、説明するより、得意の魔術で感電させて眠らせた方が簡単である。

「わた、わたしが、敖広様に食べられないと、敖広様が死んじゃうんだ」

 少女が震えながらも、リエとソフィアに訴えた。

「あ、あんたたち、山向こうは知らないだろうけど、龍神の敖広様は、ずっと、ずっと、村を守ってくれたんだ。敖広様がいなくなっちゃったら、村が困るんだ!」

 彼女は、必死だった。

 自分の信じたことを、なんとしてもやりとおそうとしている。

 リエには、彼女の早口になった言葉が、よく聞き取れなかった。それでも、彼女の痛い気持ちだけは、感じることができた。

「ともかく、なんもわからん山向こうの人は、もう邪魔しないで!」

「なにもわからないことは、ありません」

 懸命に訴える彼女に、場違いなほど淡々と答えたのはソフィアだった。

「たとえば、龍が人を食べることはない、ということはわかります」

「え……」

「龍は人を食べません。肉食ではないのです」

「わ、わかってる! 敖広様は、わたしの魂を食べて長生きを……」

「それも食べません。たとえ、龍が人の神氣を吸収できたとしても、あなた程度の神氣では、寿命は延びません。龍にとってはあくび程度の力です」

「なっ、なっ、なっ……ひどい!」

「ひどいですか。……すいません」

「ひどい、ひどい、ひどい!」

 少女の顔が赤面して、目元に涙を浮かべ始める。

「まあまあ、少し落ち着く」

 二人の会話がなんともおかしかったリエは、少し笑み声でわってはいった。

 ソフィアの無感情そうな口調は、クールに聞こえるが決してそうではない。彼女は彼女なりに考えているのだが、どこか微妙にずれているだけなのだ。

 自分が話し相手になっている時は、もどかしいときもあるが、端から聞いていると笑えることが多い。

「とりあえずさ」

 リエは、使い慣れた言葉をソフィアにかける。

「こういうとき、あいつならどうする?」

「……わかりました。用意します」

 ソフィアの反応は早かった。踵を返して、自分たちの荷物がある方に走っていく。

「な、なにをする気……」

 よくわからない状況に、少女はまた身構えた。

 突然、現れた異国の幼女と大女に、大事な儀式も邪魔された。

 知人の村人たちは、一瞬で倒されて、未だに目を覚まさずにいる。

 早く自分は、生け贄にならなくてはいけない。もう心は決めたのだ。これ以上、なにをしようというのだ。

 そんな相手の気持ちが、リエには手に取るようにわかった。

 だからこそ、彼女は見た目の年相応の顔で、せいいっぱい笑って見せた。

「ねぇ。わたし、リエ。あなたは?」

「え、あ、佐智……」

「サチ。わかった。サチ、ちょっとつきうして」

「つきあってって、わたしは……」

「生け贄はわかった。でも、その前にちょっとだけ」

「な、なにを?」

「とりあえず……おいしい物、食べる!」

「へっ?」

 リエのウィンクに、佐智は言葉を失った。


   ◆


「師匠。どういうおつもりですか?」

 光斗は、立腹していた。

「仙道は、無欲が基本のはず」

「おやおや。もう立派な仙人ですね、光斗は」

「はぐらかさないで、いただきたい」

 ホークが涼しい顔のまま、前を進む。

 ホークに連れられて、光斗が足形村に着いたのは、つい先ほどであった。

 朝霧の深い中、村に着くと村人たちは、なぜか村の入り口あたりに集まっていた。

 子供の姿はない。ほとんどが大人の男たちだが、一人だけ泣き崩れる女性の姿があった。

「どうも。おはようございます」

 場違いな挨拶と共にホークが姿を見せると、村人たちは射抜くような視線をいっせいにむけてきた。

 しかし、こちらの服装を見たのだろう。仙人であると気がつくと、村人たちの態度は豹変した。

 村長と名のる老人が歓迎の意を告げたかと思うと、「念のために戒牒を見せてくれ」と言う。

 ホークが戒牒を見せると、「これも龍神様のお導き」と言いだし、聞きもしないことをいきなり話しだした。

 光斗には、それが懸命に言い訳をしているようにしか聞こえなかった。

 まるで許しを請うように、「しかたがなかったのです」と何度も何度もくりかえしていた。

 あげく、到着したばかりの光斗たちに、助けてくれと泣きついてくる。

 なんと勝手な話であろうか。

 人身御供などというのは、すでに国令で禁止されている。確かにまだ地方の村では、風習が残っているところもあると聞いたことはある。しかし、今までの光斗にしてみれば、おとぎ話のようなことだった。

 それを目の当たりにして、その愚かさに憤激してしまう。勝手な思いこみで、まだ若い娘を犬死にさせようというのだ。

「お願いします。助けてください」

 泣き崩れていた女が、光斗の腕にしがみつくようにしてきた。光斗も今は、仙人の、しかも天仙の服を着ている。本当はまずいのだが、ホークに「かまわない」と着せられていたのだ。だから、光斗も仙人だと思われたのだろう。

「お願いします、仙人様。仙人様なら龍神様とお話しできるはず」

 夫らしき男が、今度は跪く。聞けば、生け贄の娘の親だという。

 跪かれることになれていた光斗ではあったが、跪かれてこんなに気分が悪くなったのは、これが初めてであった。

「わかりました。私がなんとかいたしましょう」

 それでもホークは、笑ってそう言ったのだ。

「この村を守り導いてくれている敖広という龍を元気にし、これからも守ってくれるように頼んでみましょう」

 立派だと思った。光斗は、この若い仙人の懐の深さに、本当に感動したのだ。

 この瞬間だけは……。

「つきましては、龍を元気にするのに、薬代がかかります。金貨一〇〇枚ほど、用意していただけませんか」

 ホークのこの言葉に、光斗は驚いた。薬代を取る仙人など聞いたことがない。

 だが、確かに仙人とて、金がなければ薬の材料も用意できない。

 布袋いっぱいの金貨を受け取るホークを見ながら、そう思っていたのだ。

「しかし、あなたは、薬を作る気がないと言った」

「ええ。龍に効く薬なんてありませんよ。それにこんな田舎のどこで薬を買うと言うのです」

「ぬっ……」

「おや。気がつかなかったんですか?」

 村人たちに見送られたあと、池に向かいながらホークは、平然と言ってのけた。

「だまし取るおつもりですか!」

「手間賃じゃないですか」

「仙道は、無欲のはず」

「私は臨時の仙人ですよ。仙道に入ったつもりはありません」

「くっ……」

「それにね、光斗」

 ホークが歩みを止めてふりむいた。

 眼を細くして笑み顔を見せているが、光斗は眼光炯々(けいけい)とした様を感じた。

 それは、今までなら流していたかもしれない微妙な光だった。もしかしたら、これは第三の眼の成果なのかもしれないなどと、よけいなことを考えてしまう。

「な、なんです、師匠」

 光斗は雑念を払うように、ホークを上から睨んだ。

 無論、ホークがひるむことはない。

「金貨一〇〇枚は、大金ですよ」

「そうです。だから……」

「だから、おいしい物が、たらふく食べられますよ」

 そう言って笑うホークに、光斗は顔を赤くして気色ばんだ。

「師匠!」

「おにぎり、何個食べられますかね」

 からかわれていると思い、光斗はホークの襟首をつかもうとする。

 だが、その瞬間にホークの姿が消えて、すぐ横に現れた。

「!」

 ふざけているようでも、九龍に名を連ねる天仙なのである。縮地ぐらいわけはない。

「落ちつきなさい。冷静さは、大切ですよ」

 ホークに諭され、光斗は下唇を噛む。

「光斗、よく考えるんです。思いだしなさい。あんな大金を見知らぬ仙人へ渡すのに、彼らは悩みぬいた風に見えましたか」

「え?」

 光斗は、その時の場景を思いだす。

 確かに彼らの返答は、早かった。それどころか、村長が誰に相談するでもなく、一呼吸置いたと思ったら「わかりました」と答えていた。

「悩めば、薬の材料をこのあたりで買うことなどできないと、すぐ気がつきます。ついでに、彼らの服装も思いだしてください」

「…………」

 片田舎の村。池が有名なぐらいで、特産品もない。でも、その服装は、言われてみれば、それなりの物だったかもしれない。少なくとも、襤褸(ぼろ)をまとったという雰囲気は、全くなかった。

「でも、生け贄を出すぐらいに……」

「安易ですよね」

 その言葉が、光斗の意識の奥にあった言葉と重なる。

 そうだ。自分もそう思っていたはずだと、心で声がする。

「彼らは、余裕があるのですよ。なのに、安易な道を選ぶ」

「それは……だからどういう……」

「すぐにわかりますよ。……ああ、そうそう。その首輪を返してください」

 光斗の首元に、ホークが手を運んだ。

 そこには、蓬莱を出るときに、ホークからつけられた首輪があった。

 つけられる時に、光斗が「これは?」と訊ねると、「あなたが私の物だという印ですよ」と非道なことを言われた。さらに、無理矢理つけられて、呪いで取れなくされていたのだ。

 金属の丸棒を環状にした形をしていた。その輪の一部に、一つだけ黒い宝石が埋め込まれている。

 環状の部分につなぎ目はない。つけられたときに、どうやってつけられたのかもわからなかった。

 そして今、はずされた時も、どのようにはずされたのかわからなかった。

 はずれた輪に、切れ目が一切ないのだ。

「この石の魔力を使いましょう」

 ホークはその首輪を眺めながら、さらに光斗から龍泉を受け取った。

「少し時間がかかりますから、しばらくそのあたりをうろうろしていてください」

 ホークは、なにをするのか、まったく説明してくれない。

 今までつきあって、光斗にもわかってきたが、どうやら彼は秘密主義らしい。または、黙っていることで、相手を驚かすことが好きな子供なのかもしれない。

 ともかく、自分だけがわかって行動し、こちらには必要最小限のことしか教えてくれないのだ。

 この村に着くまでの三日間も、修行しながらの旅だった。だが、その修行も、彼がなにかを言葉で語り教示することは、ほとんどなかった。

(いったい、仙道の教義や仙術はいつ……)

 ふと、そんなことを考えてしまい、そのあと光斗は、自嘲した。

 なんてことだろう。これが、死にたいと懇願していた者の考えることだろうか。

 こんな自分をもし、父が見たらどう思うだろうか。

(そう。どう思うのだろう……父上)

 池の畔を歩きながら、光斗は目まぐるしく動いていたこの十日間ほどを思いだしていた。

「あんた、村の人?」

 だから、だったのか。

 思考に囚われ、周りが見えなかったのかもしれない。

 霧のむこうから聞こえる声、その気配に光斗はまったく気がつかなかった。

「村の人なの?」

 姿は、見えない。

 声は、女のものだった。

 それも、かなり若そうだ。

「いや。頼まれてきた」

「頼まれた? なにを?」

 相手の声に、微妙な緊張感がある。

 光斗は、答えるか悩む。別に理由を言って問題があるとは思えないが、相手の得体が知れない。

 しかし、もしかしたら生け贄にされる娘なのかもしれない。

「龍を……元気にする」

「龍を? はは~ん……ということは、敵ね」

「!」

 霧のむこうから、殺気がピリッと首元に走る。

 なにも、考えていなかった。

 ただ、脊髄が体を動かし、気がついたら身を翻して横に飛んでいた。

「くっ!」

 閃光。

 同時に、バリッとなにかが弾けるような音が、耳を貫く。

 見れば、先ほどまでいた地面でなにかが弾けていた。

 土埃が舞っている。

「霧のせい? それとも、あなた勘が良い?」

 どこか、楽しそうな声が聞こえる。

「でも、次、はずさない。何者も、光より速く動けない」

 それは、発音が微妙におかしい青蓮語だった。

 だが、その言葉に含まれた意志は、まぎれもない敵意だ。

「大丈夫。殺さない」

 一五歩ほど先で、光が収束する。

「眠ってもらうだけ」

 もちろん、光斗も構えていなかったわけではない。

 合掌を作り、その中に神氣を集中させる。

「星斗・防法・第弐!」

 声は、呪文ではなかった。精神的な技の形を作りやすくするために、言葉を綴る。綴ることで、技は強くなる。

 光斗は深く腰を落とし、両手を開いて前に突きだした。

巨門(きょもん)!」

 掌の前に視認できない障壁が現れる。

 とたん、光弾がそこに当たり、炸裂して消滅した。

「へぇ~。やるわね……」

 法術で、火の玉を作りだそうが、嵐を起こそうが、それらを制御しているのは神氣(魔力)である。

 その神氣の力を打ち消したり、神氣の制御を狂わしたりすることで、法術を消滅させることができる。

 そして、【泰斗龍神拳】は、それができる。この体術は、単なる肉弾戦の技ではない。他国の法術と戦うために、神氣自体を武器や防具とすることができた。

「むっ!」

 障壁を解くと、目の前で二つの光が収束する。

(なんだ? 線が……)

 なにかが見えた気がした。

「第壱・貧狼とんろう!」

 また気合いをいれて、右拳に神氣をまとわせた。

(右か!)

 光斗は、右手を外へ弾くように動かす。

 まるで、その弾く右手を狙ったように、光の矢がそこに伸びる。

 強い手応えに、身が震える。

(左!)

 さらに、右拳を眼前から左に流した。

 また、そこに現れた光の矢が一瞬で消滅する。

(見える!)

 それは、今までにはない感覚だった。

 自分でも避けられることが不思議なぐらいだ。

 王宮にいた頃の自分ならば、絶対に避けられなかっただろう。

 今度は、左の拳をふるった。

 拳に宿った神氣が、まるで食するように光の矢を打ち消す。

 さらに正面。

「巨門!」

 慌てて、両手で障壁を眼前に築いた。

 光の炸裂に、少し目が眩む。

(……試されている?)

 見えるなどと言っても、それは本当にかすかにだった。避けられたのも、運が良かったと言えるほど、ぎりぎりのところなのである。

 もし、同時にやられたら、絶対に避けることはできまい。

 朝霧の冷たさの中、光斗の体に熱さと冷たさが同居する。

 気がつけば、全身が冷や汗に濡れていた。

「何者だ?」

 光斗は、眼光で敵を射ようとする。

「あなたこそ、何者? 傭兵か?」

「…………」

 答えなかった。

 その代わりに、目星をつけた位置に【疾歩】した。

 神氣の乗った足が強く地を蹴る。

 光斗の体が、霧を裂く。

 一歩で彼は、相対距離を半分に縮める。

 相手が油断している、今しかなかった。

 法術師は、術を完成させるための間がある。

 その間に肉弾戦を仕掛けるのが、一般的な戦法である。

 そして、いかに間合いをつめるかが勝負の分かれ目となる。

(もらった!)

 瞬き二回ほどで、光斗は間合いをとった。

「……いらっしゃい。なかなか速い」

 だが、彼は目標を目の前で硬直する。

 構えた拳が、突きだせない。

「……なっ!?」

 硬直した理由は、二つあった。

 一つは、肉体的に縛られていた。

 どうやら、光斗の接近を読んで、周囲に術を張り巡らしてあったらしい。

 彼女の領域に入ったとたん、体が痺れたように動かなくなってしまったのだ。

 確実に、相手は戦い慣れている。

「速いけど……私、言った。何者も、光より速く動けない」

 眼下で、彼女がそう言いながらほほえんでいる。

 そう。その表情は、はるか下の方にあった。

(こ、こど……も?)

 二つめの硬直した理由は、相手の正体だった。

 どう見ても、一〇才前後の少女だったのだ。

 いかにも【山向こう】の金髪が、ふさふさと真っ白な肌を飾っている。くりっとした碧眼に、紅でも塗ったような真っ赤な唇が、艶々と輝いていた。

 見慣れぬ顔立ちの異国の少女が、敵として自分を追いつめている。

 それはとても、現実感がない状況だった。

「あの子、生け贄にさせない。悪いけど眠ってもらう」

 彼女の手に、また光弾が掲げられた。

 少女の声に光斗は焦る。

「ちが……」

 違う、誤解している。

 だが、光斗の口は痺れていて、まともに言葉を紡げない。

(まずい!)

 少女が腕を振りかざした。

「ああ、リエ。待ちなさい」

 そこに聞こえたのは、ホークの声だった。

 振りかえることはできなかったが、光斗の背後から足音が聞こえてくる。

「それは、私の新しい下僕です」

 彼は、光斗にわからない言葉で、目の前の少女に話しかけた。

 しかし、その口調に、親しげな雰囲気がある。

「ホーク!」

 はたして、少女もホークを知っているらしかった。

 掲げていた光弾を消滅させ、思わず光斗も見とれてしまうような華やかな笑顔を見せた。

「ホーク! ホーク!」

 名前を何度も呼びながら、彼女はホークに走りよる。

「やあ、リエ」

 ホークもそれを迎えるように、持っていた龍泉を地に突き刺して両手を広げた。

「ホークぅ~!」

 そして、少女はホークの腕に飛び込むように――

「……でえぇぇぇぇぇいやっっっ!」

 ――跳び蹴りをかました。

「……へっ!?」

 首だけなんとか動かして、その様子を見ていた光斗は、呆気にとられた。

 もろに腹を蹴られたホークは、そのまま背後に倒れて少女に馬乗りになられていたのだ。

「ちょっとホーク! ずいぶんとなめたことしてくれたわね!」

 げほげほと咽せるホークの襟首を、少女はさらにしめあげる。

「あんたのせいで、あんたのせいで!」

「あのぉ……」

 なんとか体が動くようになった光斗は、ゆっくりと二人に近づいた。

「師匠……苦しそうなんですが」

「師匠? ああ、いいの、こいつは!」

 やっと光斗にもわかる言葉で、少女が話しだす。

「こいつ、なにした思う?」

「え?」

「金ないって、私とソフィア、宿代に店主へ売った!」

「……え?」

「かわいい女二人! 私たち、皿洗いとか掃除とかさせられた!」

 それだけ光斗に言うと、またホークにむきなおる。

「あんたね、許されるまで大変だったんだからね!」

「ご、ごめんなさい……」

 言葉はわからなかったが、光斗にもホークが謝っているのだろうと言うことはわかった。

 そして、初めて見た師匠の情けない姿に、思わず光斗は笑いだしてしまっていた。

「笑い事じゃないですよ、光斗」

「くっくっ……す、すいません」

 笑いをかみ殺しながら、光斗は転げ落ちた帽子を拾い、倒れているホークに手を貸した。

 手を引かれて立ちあがったホークは、洋服を叩きながらリエに「それで?」とだけ訊ねた。

「その前に、彼は?」

 少女が丸い小さな顎で、光斗を指す。

 光斗に気をつかってくれたのか、少女は青蓮語で話していた。

「ああ。彼は光斗。泰山で拾いました。とりあえず弟子です。使い物になるようになったら、護衛役として私のために死んでもらう事になっています」

 簡単に紹介されて、光斗はとりあえず会釈した。

 酷い紹介だったが、事実なので光斗は黙認するしかない。

「それから光斗。彼女は、【リィエ・ライナーロウ】」

「リエでいい。そう呼ばれている。気に入っているから。……あなた、悪魔に弟子入りとは、すごいね」

 怖いことを言いながら、彼女は手をだしてきた。

 それが青蓮にはない握手という挨拶だと理解するまでに、光斗は少しとまどった。他国の知識はあるが、実際に握手を交わしたことはない。

 小さな彼女の手を握りながら、光斗は妙に緊張していた。リエの手は、光斗の大きな手ならば包めそうなぐらいの大きさだった。やわらかく、力を入れたら握りつぶしてしまいそうで、壊れ物を扱うように気をつかってしまう。

 とても、あの強力な魔術を操っていた手とは思えなかった。

「えっと、それからもう一人、ソフィアという大きな女性もいるのですが……どこです?」

「むこう。食事してる。魔衣と魔己は、寝かせてる」

 リエが背後を親指で指した。

「食事? 事情を説明してもらわないと……と、その前にリエ。青蓮語は、まだマスターできてないみたいですね」

「ええ。もう少し。慣れてきたから、あと一回、してもらえば問題ない」

 ぎこちない青蓮語で、リエが返事する。

 しかし、それも仕方がないだろう。彼女は、異国のまだ幼い少女なのだ。青蓮語を話せるだけでも、たいしたものである。

 光斗など、山向こうの言葉はまったくわからない。

(あと一回?)

 しかし、二人がなにを言っているのか、光斗には意味がよくわからない。

「では……」

 光斗が不可解な顔をしている間に、ホークはリエの額に手を当てた。

 そして、山向こうの呪文らしき言葉を呟く。

(! ……なんだ!?)

 それがなにかは、わからなかった。

 しかし、なにかがホークの手から、彼女の額に流れていったような気がした。それも、今まで見たこともないような質の光である。

(これも、第三の眼の力か……)

 自分の目を疑うように、光斗は片手で両目を覆った。

 ここまでの旅路の間にも、ホークに容赦なく第三の眼の修行をさせられた。その成果があるのか、昨夜あたりから、意識を集中したときに【見えざる物】が日常でも見えてきている。

 先ほどのリエの攻撃も、今までには感じたこともない、見たこともない……そう、まるで、なにかの流れを示す線が見えていた。

 その線が延びてきたとおりに、リエの放った光の矢は飛んできたのである。だからこそ、光速の攻撃に、光斗は対応できたのだ。

「どうです?」

 光斗が回想している間に、ホークは手を離して、リエの目線に合わせてしゃがんでいた。

 リエが少し黙想するようにしてから、ゆっくりと明眸を開く。

「……ええ。平気そう。もう違和感はないわ。どうかしら、光斗。しゃべり方は、おかしくない?」

「えっ?」

 いきなり呼びすてにされた光斗は、虚をつかれて言葉をつまらせる。

 呼び捨てにされたことに、驚いたわけではない。

「え? ……じゃなくて。私の青蓮語は、おかしくないか聞いているの」

 彼女は、あまりにも自然に言をつむいだ。先ほどまでのぎこちなさ、発音のおかしさなど微塵もない。下手をすれば、そこらにいる青蓮人よりも流暢である。

「なんで、急に……」

「なんでって。あなた、ホークの弟子でしょう。ホークの属性を知らないで弟子になったの?」

「属性?」

 横からホークが「彼は仙人としての弟子ですから」とわってはいる。

「とにかく、ソフィアの所にむかいながら、情報交換をしましょうか」

 歩きながら、リエが事情を語り始めた。

 そして、ホークも村での出来事を説明する。

「ああ。なら、ホークがなんとかしてくれるのね。わたし、これから村にかけあいに行こうかと思っていたのよ」

「もともと、私は敖広に用があって来ましたからね。リエの嫌いな生け贄は、もうさせませんよ」

 光斗は、黙って二人の話を聞く。

(最初から……)

 ホークは、たぶん龍の状況を知っていたのだ。ならば、村人たちがどういう状態になっているのかも、推測していたのかもしれない。多かれ少なかれ、このような状態になることがわかっていたのだろう。

 光斗にも、少しずつ事情がわかってきていた。

「で、その生け贄の娘と村人たちは、どうしたんですか?」

「あっちで、ソフィアが(せい)を実感させているわ」

「生の実感?」

 黙っているつもりだったのに、光斗は思わず横から問うてしまう。

「そう。生きている実感」

 戦っていたときとは別人のように、リエが親しげに答えてくれた。

「もう、あいつらったら、生け贄だ~、儀式だ~、運命だ~とごちゃごちゃと抜かすから、魔法で脅して無理矢理、ソフィアの料理を食べさせたのよ。ちょうど豊都で買ってきた食材もいっぱいあったしね」

「食事……」

「そう。ソフィアの料理は、絶品だからね。一流の料理人が作ったようなおいしさよ。一度でも食べたら、よけいな事なんて吹っ飛んじゃうわ」

「え? では、リエ。私のは?」

「ああ。ホークの分は、多分ないわね。人数が多いから」

「…………」

「ほら、あそこよ」

 リエが、晴れてきた霧の先を指さした。

 池から少し離れた場所だった。

 見ると、そこでは確かに妙な食事会が行われていた。

 生け贄らしい娘と、彼女を連れて行く予定だった村人たちが、焚き火を囲んで、夢中になって多くの料理を食べている。

 焼き魚はもとより、肉や野菜までいろいろとそろっている。とても、外で用意されたとは思えないほど豪勢だ。

 そしてそれは、きっとおいしいのだろう。生け贄の娘でさえ、頬がゆるんで笑顔を見せていた。とても、これから死にむかう者の顔ではない。

 光斗は、ふと泰山での自分を思いだす。

 ホークからもらった食事。あれを食べたときに流れた涙は、リエの言う「生の実感」だったのではないだろうか。

 光斗は、あの時の気持ちを追憶していた。

「おはようございます。私の分まで食べている料理は、おいしいですか?」

「……な、なんだ、あんたらは!?」

 ホークの微妙にずれた挨拶で、こちらに気がついた村人たちが、一気に顔色を変えた。

 緊張した面持ちで、おもしろいように全員の動きがとまる。

 彼らは今、自分たちを顧みたのだろう。そして、一時的にでも忘れようとしていた、自分たちの役目を思いだしてしまったはずだ。

「どうも。私たちは、仙人です。あなた方の村長さんから、頼まれて来ました」

「せ、仙人様……」

 村人たちは、怪訝な表情を見せる。

 あまりにも若い仙人姿に、とまどっているのだろう。

 いくら年をとりにくいという仙人とて、仙人になる前は普通の人間である。仙人になるまでの修行を二〇才前に終える者が、そうそういるわけがない。

 若くても仙人は、二〇代後半というのが、一般的な定説だった。

 訝しんで、村人たちが互いの目線を合わせだした。

「マスター。お待ちしていました」

 それに水を差すように、岩陰から荷物を抱えた一人の女性が現れた。

 光斗は、思わず息を呑む。

 髪色が、まるで木々の新緑と融けあいそうな色をした女性だった。

 しかも、身長が光斗よりも高い。高いが、その体型は、魅力的にまで整った八頭身だったのだ。

 こんな女性を、光斗は見たことなかった。

 さらに、その服装も見たことがなかった。

 下に着ているのは、群青色した青蓮の女性用長袍だった。しかし、その上に、ひらひらとした飾りがたくさん付いた、胸から足下まである真っ白な、服をつけていたのだ。

 リエの真っ黒な西王風の服も、やはり同じくひらひらとはしていた。しかし、身近な青蓮の服との組合せは、光斗にとってかなり斬新さを感じさせた。見慣れた服が、まったく別の装いに見えたのだ。

 彼女は、持っていた荷物を置いて近づいてくると、ホークに深々と頭をさげる。

「ソフィア、ご苦労様。そのエプロンドレス、にあっていますよ」

「大丈夫です、マスター。マスターの分は、別に残してあります」

「さすが、ソフィア。気が利いていますね」

 ホークは、彼女に笑みを見せた。

 そして、リエを一瞥する。

「それに比べて、リエは意地悪です」

「なによ。ソフィアったら、ばらしちゃうんだから」

 横でリエが膨れる。

「あんたら、知り合いか……」

 そのやりとりに、村人の一人がわりこんだ。

 緑の髪の長身の女性も、少女ながら恐ろしい法術を使うリエも、ホークにつきそっている。

 いくら村人たちでも、彼がただ者ではないことはわかるはずである。

 ホークはここぞとばかり、そんな彼らに顔をむけた。

「私たちは、村長に頼まれて、敖広様と話をすることになりました。ということで、人身御供は中止です。食事をしたら、みなさん帰って、詳しく村長さんに話を聞いてください。それから儀式もあるので、しばらくは池に近づかないでくださいね。もどってきたりしたら祟られますよ」

 ホークの説明は、やはり簡潔だった。

「そ、そう言うことだったら……なあ」

「ああ……」

 しかし、村人たちも、簡単にホークの話を呑んだ。

 元来の安易さからなのか、それとも食事の充足感で、精神的に安定したからなのか。

 どちらなのか、光斗にはわからなかった。ともあれ、ホークたちは、人心を操ることに長けている。

 幼い頃から習っていた帝王学の一部に、彼らの行動が重なって見えた。他の充足感を与えることで、人は精神的な安定度が増す。闘争心や敵対心なども、和らげることができるのだ。

 半信半疑でうれし泣きする生け贄役の少女も、良心の呵責から解放された村の男たちも、足どりかるく村へ帰っていった。

「さて。食事はあとの楽しみにして、張本人を呼んでみますか」

 村人たちの姿が完全に見えなくなると、すぐにホークは池の畔に立った。

 仙人の長袍の上から、出会った時につけていた外套を羽織る。

 光斗は、リエとソフィアと共に、その少し後ろでホークの背中を見守る。

 さらに隣には、あとから紹介された、白と黒の猫も人間と並んで座っていた。

 どうやら、リエの猫らしいが、光斗にも「普通ではない」ということはわかった。猫の体に見える神氣の流れが、尋常ではない。

 金髪の生意気な少女、怪しい白と黒の猫、緑の髪の大女、そして天仙であり錬金術師である不思議な青年……なんと、奇妙な組合せなのだろうか。

「これだけの騒ぎでも出てこないとは、呆れましたよ」

 その不思議な青年が、池に語りかけた。

「私は、あなたがそこにいる事を知っていますよ(・・・・・・・)。敖広、姿を見せなさい」

 その時、初めて光斗は、わかった気がした。

(これは、呪文だ……)

 ホークの言葉に力を感じたのだ。ただ、話しているようで、そこには神氣を揺るがす波動がある。

 まるで、その波動に共鳴したように、前方の水面でチャンポンと水が跳ね、波紋が静かに広がっていく。

 最初は、魚が跳ねた程度のものだった。

 だが、だんだんと、その水は噴水、いや間欠泉のように噴きあがってくる。

 水柱の高さが、光斗の身長の数倍までになる。太さも、すでに人の数倍もあった。

 激しい水しぶきが、光斗たちを襲う。

 そして。

(水の中になにかいる……)

 光斗がそう感じたとき、水柱が上の方から、少しずつ下がっていく。

 代わりにいぶし銀の姿が、そこに現れはじめた。

(儂を言霊で引きずりだす。その傲慢さ、相変わらず気に喰わぬ)

 耳の奥から、声が聞こえた。

 空気を揺るがしている声ではない。

「だって、自分の殻から、出てこようとしないじゃないですか」

 ホークは恐れもなく、目の前の存在に悪態をついた。

 普通の人間ならば、恐れ敬う存在に。

 それはまぎれもなく、龍であった。

 突きでた口に多くの牙を並べ、その先には長い髭を二本持っていた。

 首から下は蛇のように伸び、全身を鱗に覆われていた。

 ただ、蛇とは違うのは、途中に手足のようなものが生えていることだった。そして、背びれのようなものが、後ろにびっしりと生えていた。

 龍を初めて見た光斗は、その存在感に気圧されてしまう。

 水面上に浮くようにいる龍は、その巨眼をホークにしっかりとむけていた。

(漆黒の天仙よ。貴様には、遭いたくなかった)

「だからといって、逃げていても仕方がないでしょう、敖広」

 口を動かさない敖広の言葉に、ホークが口角をあげて答える。

「私の推測どおりになりましたね」

(ふん。気に喰わぬ。これも、悪魔の錬金術師の御業というやつか?)

「まさか。必然ですよ」

(必然か……。わかっているが、貴様に言われるのは、なぜか許せぬ)

 龍の瞼が、上下から閉じられる。

(ああ。だが、貴様の言うとおりだったわ。儂が守ってきた村人たちは、甘えきってしまった。乾期に雨を少々呼びよせ、魔物が近寄らぬよう祓いを行い、彼らの幸せを祈った……儂がしたのは、それだけのこと。たった、それだけのことしか、しておらぬのに)

「そうですねぇ」

(しかし、儂の龍魄は、おかしくなった。もう保たぬ。それを二年前、貴様に見破られた。そのあと、儂はしばらくして、貴様との賭けのとおり、寿命を偽って村長に、それを告げてみた。本当なら数十年持つところをあと二、三年とな)

「結果は、このとおりと……」

(そうだ。無駄だと言うのに、なんとかすがりつこうと、人身御供を捧げようとする。儂が消えたら、今の栄えがなくなると思いこんでおるのだ)

「愚かですね……」

(悔しいが、誠に愚かだ。儂がしたことなど、本当にわずかなことなのだ。今の生活は、彼らが自分たちの手で築いたもの。なぜ故に、彼らはそれに気がつかぬのか。彼らは、自らを信じられぬのか)

 敖広は、まるで人間のように首を振った。

(教えてくれ、知の支配者よ。儂は、過ちを犯したのか。人が我が子と思うように、儂は村人たちを育んでいただけなのだ。しかし、儂は、村人たちを弱い存在にしてしまった。放っておけば、彼らは儂の言うことなど聞かず、人身御供をくりかえす。そうなれば、儂が村人を……我が子を殺しているも同じ事)

 敖広の声が、ぐっと重くなる。

(儂は……生まれてこぬ方が良かったのか……もう消えるべきか)

 無論、実際に重くなったわけではなかった。

 頭の中の声は、波紋のような「想い」だった。

 黙していた光斗の心想を、その波紋が「心の重さ」として激しく揺らしたのだ。

「待ってください! それは違います!」

 光斗は、口を衝かれて叫んだ。

(なんだ、ぬしは)

「わ、わたくしは、光斗と申します。ホーク殿に教えを請う者です。横からご無礼いたします」

(ふん。悪魔の弟子とは……)

 一瞬、敖広の顔が嗤ったように見えた。

 しかし、光斗の心想の動きは、とめられない。

(なにが違うと言うのか)

「敖広様の行いは、決してまちがってはおりません」

 光斗の断言に、敖広の目が見開いた。

「あなたは、子を守り、育てただけです。その子が弱かったのは……弱かったのは、子の責任。自分に甘えた、自身の問題です」

 敖広の目が、すっぅと細くなる。

(いや。儂が過ちを犯したことはまちがいない。親ならば、子の育て方をまちがえたのだ。儂がいなければ、このようなことにはならなかった)

「あなたは、彼らの支えとなった。彼らは、あなたに育てられ、あなたに感謝している。彼らは……これから、強くなればいい」

 光斗は、自分でも驚いていた。

 自分の言葉で、これほど強く、これほど多くの気持ちを訴えたことが今まであっただろうか。

 くぐもっていた音が、自然に外へ抜けていく。

(……ならばなおさら、儂はもはやいらぬ存在。儂がいることで、村人たちは甘えを捨てられぬ)

「いいえ。いらぬ存在などではありません! 敖広様を想う人々の気持ち……それを考えれば……」

「そうですねぇ。存在は、認識されるからこそ存在。逆に認識する者がいる以上、いらぬ存在になるのは、存外難しいものなのですよ」

 言葉をとぎれさせた光斗に、ホークが言葉を続けた。

「それに、敖広。今、あなたが単に消えれば、よりどころを失った村人たちは、自暴自棄になりかねません」

(ならばどうしろと言うのか。儂にとって村人を守る事は、人で言う生き甲斐となった。それを失ってまで生きる道など……)

「いいえ、あるはずです」

 光斗は、身をのりだすように敖広によった。

「村人たちも、これから前に進まなければなりません。今まで自分たちのしてきたことを糧として、守られた道、決められた道ではなく、確かに自分たちで創った道を歩いていくのです。だから、敖広様も……」

(ふん……。光斗と申したな)

 敖広が頭をさげて、光斗を観る。

 その顔の大きさに、光斗は思わず一歩退く。

(仙人の服を着ているが、仙人ではあるまい)

「はい……」

(その未熟なおぬしが、儂に自分の影を重ねたか)

「…………」

 図星を言い当てられ、光斗は口ごもる。

 そうだ。

 光斗は自分を、そして自分を育てた父を敖広に重ねていた。

(うわっはははは!)

 敖広が笑った。

 それは、実際の鳴き声として、周りに響きわたる。

 周囲の空気が、大きく震える。

 耳をつんざく音。しかし、不快ではない。

(なるほどな。つまり、儂も未熟ということか。道は長いの……漆黒の天仙よ)

「ええ、まったくです」

 ホークも笑って答える。

(二年前の賭けは、お前の勝ちだ。お前は、あの時に言ったな。村人にも儂にも、良い終わり方を与えると)

「はい。確かに」

(ならば、儂は新しい道が欲しい。儂の求める道、お前には、もうわかっているはずだ。……いや、これさえも、お前が予め知るところだったか、知の支配者)

「さあ? 私とて、逆らえぬものが多々あるのですよ」

 そう言いながらホークは、龍泉の片側を池に沈めた。

「これが、あなたの新しい体です」

(……いいだろう)

 言い終わったのもつかの間、敖広の体がいきなり水銀のように変質した。

 かと思うと、水面を風に舞う木の葉よりも速く走り、水銀が龍泉の先に吸い込まれていく。

「うおっ……と」

 ホークが、龍泉に引きずられるように前のめりになる。

 光斗は慌てて、それを支えた。

「予想よりもかなり重いですね。……はい、どうぞ」

 ホークが当然のように、光斗に龍泉を渡す。

 確かに重かった。それは、前の龍泉よりも一回り重い。

 これをまた、ずっと持たされるのかと思うと、光斗は気まで重くなる。

「それは、あなたの物ですよ」

 知らずにした顰め面の背中をホークに叩かれた。

「……私の?」

「敖広……いえ、龍泉があなたを選んだのです。新たな道として」

「道……」

 ずっしりと重い龍泉を光斗は見つめた。

 この中に、敖広が吸い込まれたように見えた。しかし、状況がよくわからない。龍が吸い込まれるなど聞いたことがない。

「いったいどうなって……」

(儂は、この中にいる)

 敖広の声が響く。

 理由はない。だが、龍泉から聞こえていると感じられた。

 彼は、龍泉を凝視する。

(なるほど。人の手による龍魄を棍に埋め込んだか。なかなか良くできている。さすが、悪魔の御業よ)

「恐れ入ります」

 おどけるように、ホークが龍泉に頭を垂れた。

(これを試したくて儂を利用したか)

はくは作れても、龍のこんまでは、やはり無理がありましてね」

(ふん。さすがの悪魔も、人の魂は作れても、龍は無理か。まあ、よいわ。以降、敖広の名を捨て、龍泉として生きよう)

「…………」

 敖広の台詞に、光斗は引っかかる。

 敖広は、「人の魂は作れても」と言ったのだ。

 それはつまり、すでにホークは「人の魂を作る」という禁忌を犯していることになる。

 だが、それは恐ろしいことなのだ。

 もし、真実ならば、それはすべての神々に逆らう悪魔の所行である。

(悪魔……)

 そう言えば、リエも、そして敖広も、ホークを「悪魔」と呼んでいた。

 光斗の背筋に、冷たいなにかが一瞬、走った。

「さて。あなたの龍魄を渡してもらえますか」

 先ほどまで敖広がいた池の上から、片手に余るほどの球状の物体が現れる。

 それが、ホークの元にむかってまっすぐに飛んできた。

「おっと!」

 水しぶきを受けながら、ホークがそれを受け取った。

「うわぁ~。きれい! それが龍魄なの?」

 リエが顔を輝かせながら、ホークの手にある玉を見た。

 乳白色の地の中に、七色に輝く色がきらきらいりまじっている。

 周囲を包む淡い光が、まるで鼓動を刻むように、明滅をくりかえしていた。

「まるで、ホワイトオパールのよう。ねぇ、ホーク。それちょうだいよ」

 リエが手を伸ばすが、ホークは龍魄を頭上にあげて「だめですよ」と言う。

 リエと一緒になって、猫たちまで玉を欲しがり、足下で立ちあがっていた。

「魔衣も魔己も、だめなんですよ、これは。さっきも言ったとおり、この龍魄は異常なんです。人が扱えば、いつ暴走するかわかりません。だから……」

 そう言うとホークは、それをまた池の上に投げた。

 そして、宙にあるうちに神氣を放ち、龍魄を粉々に割ってしまった。

 七色に飛び散った破片が、星々のきらめきより美しく舞い落ちていく。

 それを見つめながら、「もったいない」とリエがぼやく。

(仙人としての役目は、きちんと果たしているのか……)

 光斗にしてみれば、そのことは意外だった。

 今まで見てきて、ホークはもっと私欲の人で、こんな後始末の手間までやるような人間ではないと思っていたのだ。

「さてと、仕上げを……っと」

 肩にかけていた荷物から、ホークが小さな龍の銅像を取りだした。

 龍が体を波打たせ立っている。手には龍魄を表す玉らしき物を持っている。

 それは、この国ではもっともよく作られる姿で、さらに言えばその中でも細工が良い物ではなかった。

「なによ、その置物」

「途中のお土産物屋で買いました」

 そう言えば、と光斗は思いだす。少し手前の街道沿いの町で、ホークが確かになにか買っていた。

「でも、さすがにこのままだと見た目が悪いので……」

 今度は、黒い宝石を片手に持った。それは、光斗がつけていた首輪から取りだした物だった。

 ホークは、その宝石を銅像の底に押しあてる。

 と、一瞬の出来事だった。

 今まで銅像だった龍の置物が、いきなり神々しいまでに黄金の光を放ちはじめたのだ。

「金になった……」

「これが錬金術ですよ」

 光斗のこぼした驚嘆に、ホークが得意そうに答える。

(なにが錬金術だ。ただのまやかしだろうが)

「え?」

 龍泉が鼻で嗤う。

(これはいわゆる幻術。先ほどの宝石に、仕掛けがあるのだろう)

「幻術……」

(それよりホーク。貴様、まさかその……)

「光斗。これを」

 まるで龍泉の言葉を遮るように、ホークが光斗に光り輝く龍の置物を渡した。

 光斗は、それを受け取って、まじまじと見る。

 眩しいぐらいに光を放ち、とてもまやかしとは思えなかった。

「よいですか、光斗。それを村に持っていって、『敖広様は、この中で力を蓄えながら、皆を見守っている。だから、皆は敖広様になるべく負担をかけないよう自立し、敖広様が早く完全に復活できるように、これを祭りなさい』とでも伝えてきなさい」

(やはり貴様、それを儂の代わりにするつもりだったのか!)

 怒声が頭の中に響く。

(そんなまがい物を村人に渡すなど……)

「なに言ってるんです。本物の金でできていればいい、というわけでもないでしょう。大事なのは、気持ちですよ、気持ち」

(それが、そのまがい物に感じられぬ、と言っておるのだ!)

「大丈夫です。私の気持ちをこめましたから」

(そのお前の気持ちが、一番信用できん!)

 ホークと敖広のやりとりに、光斗は頭を抱えた。

 いや。どちらかといえば、師匠たるホークの態度に頭を悩ませる。

 彼は、崇めるべき龍を崇めてなどまったくいない。むしろ、軽んじているのだ。

 敖広がホークを嫌うのもわかる気がする。

(村人から金貨を受け取ったことは、言わぬ方がいいな……)

 これ以上、火に油を注ぐこともない。

 それに、ホークの行いに同意はできないが、あの村人たちに、本物の金の置物を渡すというのは、どうにも引っかかるのも事実だった。

「それから、光斗」

 ホークは、まだ文句を言う龍泉を無視する。

「村人たちには、『もし、なにか問題が起きたら、【龍晄りゅうこう】という仙人に訊ねなさい』とも言っておいてください」

「りゅうこう?」

 初めて聞く名に、光斗は目を泳がす。

 記憶をたどる限り、九天宮では会っていないし、王宮にいたときに会った仙人の中にも、そんな名前はいなかった。

「それは、どなたです?」

「あなた」

「はあ?」

「あなたが天仙になったときの名前ですよ、光斗」

「私の……せ、仙人名!?」

「そうですよ。いい名前でしょう? 眠る暇もなく考えたんですからね」

「……いつです?」

「昨夜」

「いや、寝ていましたよ、師匠」

「気のせいでしょう」

「いえ。いびきをかいていましたし」

「ともかく、いい名前でしょう」

 光斗は、「はあ」と力なく答える。

 まだ、地仙にもなっていない自分に、天仙になったときの名前を考えてくれている。

 それは、期待されているということだろうが、いくらなんでも気が早すぎる。

 それに……。

「良い名前です……が、師匠。つまり、その置物のいかさまがばれた時の後始末を、私に押しつけるということですか」

「いかにも」

「そんな堂々と開きなおられても……」

「それまでに頑張って、天仙になっておいてくださいよ」

 悪びれないホークに、光斗はもう負けを認めるしかなかった。

 駄目だ。この人には、逆らえない。

「まったく、あなたという人は……」

 両手を腰にあて、光斗は軽く首をふった。

 そして、胸をはる。

「わかりました。努力します」

「ふむ。……ならば、父親殺しの罪を背負う覚悟は、できたのですね」

 ホークの言葉が、ちくりと刺さる。

 だが、もう光斗は、うろたえない。

「さすがの私も気がつきました。ここ数日で自分の未熟さを」

 光斗は、少しだけ下唇を噛んだ。

「青蓮一と言われる武術家である父に、私ごときの拳が当たるはずもない。当たり所は悪かったが、父はわざと受けてくれたのでしょう」

「当たり所に関しては置いておいて、まあそうでしょうね」

 ホークが意味ありげな顔をするが、光斗は言葉を続ける。

「父が私の拳を受けたのは、きっと自分を超えて欲しかったから。その自信を私に与えくれるため……そう思っています」

「正解です」

 父親の気持ちなど知りもしないはずのホークが断言する。

 これが他の者ならば、許せぬところだ。

「私には、今まで学んできた多くのことがある。父も多くのことを教えてくれた。それが無駄なこととは、思いたくない」

 ちらりと、光斗は龍泉を見る。

「王家にもどることは叶わぬが、私には新しい道を創る力があるはず」

(……そうだな)

 龍泉が心でうなずいた。

(詳しい事情はわからぬが、儂にもその道を見せてくれ)

「ちょ、ちょ、ちょっと待って!」

 そこに騒がしくわってはいったのは、リエだった。

 きれいな眉を顰めて、光斗の顔をじっと見つめている。

「王家……父親殺し、光斗……って、あんた、光斗王子!?」

 リエの問いに、光斗は黙ってうなずいた。

 今さら、ホークの仲間に隠すこともない。

「えーっ! じゃあ、生きていたの!? ちょっと、それって、どういうことよ!?」

「すると、犯人はどうなるのでしょうか」

 リエに訊ねられたソフィアも、横で不思議そうな顔をする。

 光斗はわけがわからず、ホークの顔を覗う。

 しかし、さすがのホークにもよくわからず、肩をあげるだけだった。

「私たち、調べていたのよ。王殺しの件。ちょっと気になることがあって。実は……」

 まくし立てようとするリエに、ホークが手で待ったをかけた。

「…………」

 そこで、リエもなにかに気がついたように、はっとした顔をする。

 ホークが、ふりかえった。

 池とは反対側の森の中。

「そこで、ずっと盗み聞きしている方々。そろそろ出てきてもらえませんか?」

無理矢理話を切ったのできりは良くなくすいません。

続きはバトルとなり急展開となります。

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